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『赤いドレスの貴婦人』

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国民に祝福された王子と侯爵令嬢の結婚。
虐げられていた令嬢が王子に見初められ救われるという物語に民衆は酔いしれ、貴族たちはその影で貶められた高位貴族の令嬢の凋落を酒の肴に楽しんだ。

王子の婚約破棄から始まった一連の騒動は物語や劇として多くの者の間で楽しまれ、大衆を沸かせた。

ほどなく貴族の間で流行り始めた絵も、そのひとつだった。



◆◆◆



その日男性は趣味のコレクションに加えないかと声を掛けられ顔見知りの画商を招いていた。
男性は髭も無く、まだ若い。
あの騒ぎに関わっていなかった男性であっても、この絵が何をモチーフに書かれたかはわかった。


贅を尽くして作られたとわかる豪奢な赤いドレスを引き裂かれ白い肌を晒された貴婦人が羞恥に顔を歪め、自身を汚すであろう男を睨みつけている。
鮮烈な青い瞳は微かな怯えを覗かせながらも気丈に光り、引き結ばれた唇は震えを隠すように頑なで、強引に暴いてみたいと思わせた。
乱暴に扱われた際に乱れたであろう赤みがかった金髪が垂れた細い首筋。
舌を這わせ、漏れる吐息を想像するだけで高揚した。
彼女は震えて助けを乞うだろうか、それとも震えながらも毅然と睨むだろうか、あるいは恐れに我を忘れて暴れるだろうか。
どの反応を見せても嗜虐心を誘うことだろう。
画商の前だったことを思い出し妄想を打ち切る。

「素晴らしい……」

感嘆の息と共に零れるのは賞賛の一言だけだった。
技術もさることながら絵に籠められた情念に圧倒される。

「これでまだ名もない新人とは。
話を聞いたときは随分とふっかけるものだと思ったがむしろ安いくらいだ。
最初に私に持ってきてくれたことに感謝するよ」

男性の言葉に画商も顔を綻ばせる。
即決で購入を決めた男性は執事に金を用意させながら画商に告げる。

「次もこの画家の絵が手に入ったら見せにきてくれないか。
他の作品も素晴らしいものだろう、是非とも手に入れたい」

画商にとっても良い話だと思ったが、画商は眉を寄せて残念そうな顔を見せた。

「それほどこの画家の絵を気に入っていただけて嬉しく存じます。
しかし……、ご希望に添えるのは難しいかと」

実は、と語られた話を聞いて納得するとともに少しの不快感を男性に与えた。
不快感は見せずに残念さだけを強調して伝える。

「それは残念だ……! これほど素晴らしい画力でありモチーフの絵をもう手に入れられないとは。
残念だが、どこかで同好の士が所有できた際に見られることを期待しよう」

奥の私室に絵を飾らせ画商を下げる。即金で購入し色も付けてやったので縁があればまたこの画家の絵を持ち込んでくれるんじゃないか。そんなわずかな期待をしながらも難しいだろうなと頭で考える。
色々な方に広く見ていただきたいのでおひとりについて一度しか商談をしないことにしています、と通常ならありえない販売方法で売ると画商は言っていた。
その影に見える権力に首の裏がぞわりとする。首を振って余計な事柄を頭から追い出す。
自分は素晴らしいと思った絵を買っただけ、それだけだ。



◆◆◆



コレクションを飾るためだけの部屋で男性は購入したばかりの絵を眺めて酒を傾ける。
本当に素晴らしい絵だ。
『彼の令嬢』の髪はもっと淡い金だった。側に近づく機会など無かったので瞳の色は知らないが、紫色だと聞く。
だから、この絵とは無関係だ。
絵の貴婦人が纏うドレスがあのとき婚約破棄を言い渡された『彼女』が着ていた物とよく似た光沢をしていても。
絵の端に描かれた引き千切られたネックレスの宝石が『彼女』の家に伝わる至宝に似ていても。
ただの偶然。

裂かれたドレスから垣間見える柔らかく滑らかな乳房を掴んだらどんな顔を見せるだろう。
絵では見えない胸の先端は薔薇のような赤色か慎ましやかな桃色か、見えないことが想像をかきたてる。
ただの偶然に過ぎないが、これから誰とも知れない男に汚される絵の貴婦人が、あれから表舞台に出てこない『彼女』であれば――。

欲の混じった息を吐き、酒を呑む。
――実に良い買い物をした。
秘密のコレクションの飾られた部屋で、男性は満足感に口の端を上げた。



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