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極彩の飾りと幾つかの夜

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【1.夢の庭で手渡した手首飾りの話】

 そのちっぽけな神は随分と熱心に、ショロトルが手首から外したその飾りを見ていた。ショロトルとしても、久しぶりに身に着けたそれはさほど愛着のある物ではなかった。とはいえそれらはあんなことを言ってしまうほどの理由でもないのだから、きっとショロトルの方がどうかしていたのだ。
 優しくすればつけ上がるとよく知っているのに、素直に好意を受け取るような殊勝な神ではないことも熟知しているのに、要らぬ気遣いなどするものではなかった。つくづくとそう実感していると、生意気な声が尚も不審げに続けた。
「お前がそんなにあっさり、そんな綺麗な物くれる筈ないだろ。何が目的なんだよ?」
「腹立つ奴だな。もうやらねえよ」
 舌打ちしてその手から装身具を取り返し、さっさと片付けようとする。だが、装束の端を引かれた。
「でも綺麗だから欲しい。ちょうだい」
「やらねえっつってんだろ」
 冷たく吐き捨ててやっても、その少年神は臆すことなく甘えた笑顔を向けてくる。そいつが作り慣れている、押し通したいオネダリがある時のための、さも無害そうな笑み。他の神々は揃いも揃ってころりと騙されているようだが、そいつの腹黒さを知っているショロトルにまでそれが通じる筈もない。
 無視して顔を背けても、回り込んできてまた顔を覗き込んでくる。背を向けても立ち上がってもしつこく追いかけて来るのだろうと容易く想像できるので、動く気にもなれなくなった。
 うるさく食い下がることはせずにただにこにこと見上げて来るのも、姑息な計略なのだろう。静かにしているのは少しは評価してやれるが、鬱陶しいことこの上ない。
 いつまでもこうして顔を覗き込まれるのも邪魔で薄気味悪いが、こちらから折れてやるのも気が進まない。本当に、不要な気遣いなどするべきではなかった。溜息を吐きながら、掌の上の手首飾りを見下ろした。
 そこで目が覚めた。


【2.譲り渡された首飾りの話】

 随分と昔の夢を見て目覚めた朝も、そいつはやはりとっくに姿を消していた。挨拶もなく出ていくのはいつものことだし、甘い言葉を交わすような間柄でも元よりない。
 だからショロトルも何も気にせずに起き上がり、身支度を始める。床に脱ぎ捨てたままだった昨日の装束はそのままに、新しい衣服を手に取った。
 身支度の手がふと止まったのは、自分のものではない首飾りが目に止まったからだった。見覚えのあるそれは確かに、昨夜も許しも得ずに入り込んできた生意気な神が好んで身に着けているものだ。忘れ物をしていくのは珍しくはあるが、これまでにも何度かあったことでもある。
 わざわざ届けてやる義理もない、必要ならそのうち取りに来るだろう、失くしたとさえ気づかない程度の品ならば神官に命じて処分させればいい。だから邪魔にならない場所に放り出しておこうと拾い上げたが、また投げ落とす前にふと手が止まった。
 妙に見覚えがあると思えば、遠い昔にはショロトルの身を彩っていた首飾りに間違いない。その頃はまだちっぽけだった、けれどその頃から変わらずに生意気なその神にうるさくせがまれて、仕方なく譲ってやったものだ。
 まだ持っていたのかと半ば呆れながら、何とはなしに指先で弄ぶ。糸もしっかりしているようだから、何度か直しながら身に着け続けているのだろう。明るい光の中でこうして眺めても、経てきた歳月の割には疵も少ない。
 他にも幾つかの装身具を散々ねだられて渋りながら譲ってやったが、この首飾りが最初だった筈だ。なまじ甘い顔をしてやったから味を占めたかと思うと溜息も出ないが、飽きて放り捨てなかったことだけは認めてやっても良いかもしれない。
 これをくれてやった時は随分と機嫌の良さそうな顔をしたな、と思い出す。当時のそいつには大振りすぎたこの首飾りをもたもたと身に着けた、不慣れな手付き。大いに歪み傾いでいてみっともないというのに、上機嫌でいつまでも眺めていた。
 仕方なくショロトルが手を伸ばして歪みを直してやるのを当然のような顔で受け入れていた、あのちっぽけな神。思い出しながら、またもや許しも得ずに踏み込んできた同じ気配に顔を向けた。声をかけてやる前に、不機嫌な顔のその神が手を伸ばしてくる。
「勝手に触るな」
「だったら、忘れてんじゃねえよ」
 正論を返してやっている筈なのに、そいつは不満げに首飾りを奪い返そうとする。忘れ物をしたことやショロトルの持ち物だったことがばれていることや、そうした気恥ずかしさも混じった表情。少し愉快になりながら、そいつの手首を逆に掴んで引き寄せた。
「何だ。早く返せ」
「んだよ、取りに来ただけか?」
「他に何がある」
 昼間の光が嫌いなそいつはいつにも増して生意気で機嫌が悪い。つくづく身勝手な奴だと呆れながら組み敷いてやると、理解したそいつが一層不満げな顔をした。
「やめろ。早く帰って眠りたい」
「寝てりゃいいだろ。体だけ貸せよ」
「眠れるか。いいから離せ」
「ヨすぎて眠れねえってか?」
「馬鹿なことを、っ」
 減らない口の相手をするのも面倒になり、唇で塞いでやる。不満そうなその神が舌に噛み付いてくるかと思ったが、そいつは案外大人しく受け入れた。
 乗り気になったとか流されたとか言うよりは、そいつもやりとりが面倒になったのだろう。提案してやった通り、体は明け渡しながら眠り始めるつもりかもしれない。まあいいと胸の中で笑いながら、唇を離した。
「寝床まで運んでやろうか?」


【3-1.目に留まった腕飾りの話】

 帰り支度をしている夜の神をショロトルは見るともなしに眺めていた。
 衣服を纏い終えたその神が今度は装身具を拾い集め始める。ショロトルのものとその神自身のものが入り混じってしまったのか、一つ一つ拾い上げて選り分けているらしかった。
 また一つを拾い上げたそいつがふと動きを止めるので、怪訝に思ってその手がつまみ上げている装身具に目を向ける。薄闇の中で目を凝らしていると、確かめるようにその装身具が軽く揺らされる。それでやっと見極めがついて、ショロトルは顔をしかめた。
「俺のだろ。勝手に触んなよ」
 咎めて取り返そうと手を伸ばすが、大人しく返してくるような殊勝な神ではないことも知っている。案の定、ショロトルが外したまま床に転がっていたらしいその腕飾りを月明かりに翳すようにして、そいつはふふんと笑った。
「お前にしては、趣味が良いな」
「生意気言ってんなよ」
 褒めるつもりなど全くないだろう言い草に呆れて、もう放っておこうと手を下ろす。そいつはそれを良いことに、もっとよく眺めようとしてかその腕飾りを持ったまま窓辺に行ってしまった。ショロトルは寝転んだまま、その姿を眺めていた。
 ショロトルの持ち物である腕飾りを飽きもせずに眺めている、無駄に整っている横顔。そいつが今よりもずっとちっぼけでひ弱だった頃にも何度かショロトルの装身具を欲しがったことを、ぼんやりと思い出した。
 その腕飾りまで寄越せとは言い出さないのは、少しは成長したと言えるのだろうか。随分と熱心に見ているから本当は欲しいのかもしれないが、やたらと力をつけて自尊心も並以上に強くなったそいつは、子供じみたことをもう言いたくないのだろう。
 つくづく可愛げのない奴だ。呆れて目を逸らした時、そいつが窓辺を離れる気配がした。
 戻ってきたそいつの手が、寝転んでいるショロトルの胸板の上に腕飾りを落とす。そのまま身支度に戻ろうとしているので、何とは無しに呼び止めた。
「何だ」
「持ってけよ、気に入ったんだろ」
 また目にするたびにしげしげと眺め回されるくらいならば、今ここで譲ってやったほうがまだ良い。だからそう言ってやっただけなのに、虚を突かれたように瞬いたそいつは何故か不機嫌な顔をした。
「要らん」
「あ?」
 せっかくショロトルが気を回してやったというのに、生意気なその神は受け取ろうとしない。大方、借りを作るようで嫌だとか、そんな下らない理由に決まっている。わざともう目を向けないようにしているのが見え透いている態度が、強い関心をかえって浮き彫りにしていた。
 面倒な奴だと呆れながら、仕方なく代替案を出してやった。まだ床に散らばっている、そいつの装身具を顎で示す。
「お前のもん、なんか置いてけよ。取り替えてやるよ」

 そんなことがあったのもショロトルはころりと忘れていたが、いけ好かない兄弟神のこんな顔が見られたのだから悪い取引ではなかった。満足を覚えながら、ここぞとばかりに嘲笑ってやる。
「はは。気になるか?」
「っ、別、に……」
 やっと我に返ったらしい兄弟神が、ショロトルの片腕に光る飾りから慌てて視線を引き剥がす。その様子が、気になって仕方がない本心を如実に表していた。
 あの生意気な神とあれだけ憎み合っていながら、そいつの装身具が一つショロトルの手に渡ったことにもすぐさま気付いて。その理由が気にかかって仕方がないと言わんばかりの顔をして。歪みに歪んだ執着があまりにも滑稽で、愉快で堪らない。
 その胸に抱く妄執をショロトルが見透かしていることに、気付いてはいるのだろう。狼狽した顔の兄弟神が足早に立ち去ろうとするので、その前に言葉を投げつけてやった。
「あいつも今頃、俺がやったの着けてるかもなあ? ズイブン気に入ってたからな」
「っ!」
 驚愕をありありと浮かべた兄弟神が、弾かれたように振り返る。だがすぐに自分を取り戻したらしく、今度こそ振り向くことなく早足に立ち去っていった。
 残されたショロトルは喉を震わせて笑い、生意気な神と取り替えてやった装身具を撫でた。今日も着けていたのは違うものと取り替えるのが面倒だっただけに過ぎないが、いけ好かない兄弟神の胸に痛みを与えてやれたのは実に気分が良い。
 取り立てて気に入りの品でもなかったが、今後も身に着けておくことにしよう。そう心に決めながら、その腕飾りの前の持ち主であった神のことをふと考える。善良ぶっているショロトルの兄弟神と激しく敵対しながら、ショロトルの寝床に潜り込んでくるのと同じくらい頻繁にあの兄弟神とも寝ている、生意気な神のことを。
 また近い内にその神はショロトルの兄弟神を訪れるだろう。きっとその時にもその神は、ショロトルがくれてやったあの腕飾りを身に着けているだろう。
 それを目にした兄弟神がどんな顔をするか、どんな馬鹿げた振る舞いに出るか。想像しただけで、また笑いがこみ上げる。実際に目の当たりにすることができそうにないのは残念だが、後で聞き出して存分に笑ってやれるだろう。

 ショロトルが想像したよりも随分と早く、事は動いたらしい。夜の神がやって来た時からショロトルは薄々察していたが、そいつは言葉を交わすのも無駄とばかりにさっさと装束を脱ぎ捨てて乗りかかろうとしてくる。ご期待通りに組み伏せてやってから、たった今気づいたような顔で尋ねてやった。
「俺が取り替えてやった腕飾り、どーしたよ?」
 前回顔を見せた折には着けていたそれが今夜はなく、代わりにまた違う飾りが腕に嵌まっている。あれだけ気に入っていた品に飽きたにしては些か早すぎるから、きっとショロトルの兄弟神に見咎められて揉め事にでもなったのだろう。
 二神の間で起こった事を半ば予想しながら尋ねてやっても、生意気なその神は言いたくなさげな顔をして唇を引き結ぶ。それで流してやるつもりなどショロトルには当然ないから、呆れた声を作って問いを重ねた。
「んだよ。欲しがるからやったのに、もう失くしたのか? 馬鹿じゃねえの」
「……失くしてなど、いない」
 嘲ってやれば、我の強いその神はむっとした顔になる。予想通りそいつは渋々理由を言うことにしたらしかった。
「……お前の兄弟神に壊された」
「はあ? 何でだよ?」
「私が知るか」
 尋ねてやっても、そいつは本当に理由の見当もつかないらしい顔で不貞腐れている。悪知恵が良く働く神だというのに、自分に向けられる感情には愚かしいほどに疎いその様子。
 思えば随分と昔から、まだちっぽけで弱々しかった頃から、こいつはずっとそうした神だ。だから惚けているわけでもなく、本当にわからないのだろう。
 勿論、ショロトルが懇切丁寧に解説をしてやる理由も必要も全くない。だから鼻で笑い飛ばして、さも優しげな声で労ってやるだけに留めた。
「そりゃあ、災難だったなあ。あいつゴーマンだからな」


【3-2.取り替えた腕飾りに気付いた話】

 気付かなかったふりをして通り過ぎることもできず、ケツァルコアトルは仕方なくショロトルに目を向けた。ばったりと出くわしてしまったのは忌まわしい兄弟神としても誤算だったらしく、あからさまに嫌そうな顔をされる。
 目に入れるのも不快な、声さえ聞きたくもない、邪悪な兄弟神。だから黙殺し通り過ぎようとしたのに、違和感を覚えてついまた目を向けてしまった。それに気付いた相手が、怪訝な顔をする。
「んだよ?」
「……別に」
 不審そうな問い掛けをいなしながら、自分でも何がそんなに気にかかるのか分からない。けれどぼんやりとしていた違和感は、ちかりと光を反射した腕飾りの上で凝ってしまった。
「ん? ……ああ。コレか」
 咄嗟に視線を引き剥がすより早く、忌々しいほどに聡い兄弟神が意地の悪い笑い声を立てる。見せびらかすようにその石の飾りが閃かされて、場違いに清らかな煌めきが鋭くケツァルコアトルの目を射抜く。
 それは、あの淫らで邪悪な神がしばしば身に着けていた腕飾りによく似ていた。いや、目の前に立つ兄弟神の意地の悪い笑い方からして、それと同一の品物に間違いない。
 けれど。どうして、今ここにそれがある。何故ショロトルが、それを身につけている。
「はは。気になるか?」
「っ、別、に……」
 底意地の悪い声に我に返る。慌てて目を逸らし、足早に歩き出した。後に置き去りにした兄弟神が、馬鹿にした笑い声を上げる。苛立ちが胸を掠めても、立ち止まることはできなかった。
 どんな理由でその装身具が手渡され、今はショロトルの身を飾っているのかなど、知りたくもない。だから一刻も早く立ち去りたいのに、追いかけてきた言葉が背中を突き抜けて心臓を揺さぶった。
「あいつも今頃、俺がやったの着けてるかもなあ? ズイブン気に入ってたからな」

 夜半にまた許しも得ずに入り込んできたその神は、ケツァルコアトルがまだ起きていたことに少しだけ驚いたようだった。そんなことには構わず、引き寄せて組み敷いて乗り掛かる。
「っ、何だ。待ち侘びたか?」
「まさか」
 驚きから覚めてふてぶてしい嘲笑を取り戻したその神の、いつも通りの憎まれ口。ケツァルコアトルは下らない揶揄を聞き流し、組み敷いた神の身を飾る装身具に目を走らせる。怪訝そうな声がまた何か言っているようだったが、構ってやるほどのことは何もない。
「おい、何の……」
「黙れ」
 ぴしゃりと封じ込めた時、それに目が止まった。探していた、けれど見たくもなかったもの。かつては忌まわしい兄弟神が身につけていた腕飾りが、今まさにそこにあった。
 目にした瞬間に、思いがけない激しい感情が胸を焼き焦がした。焼けつくようなその感情を名付けるならば、きっと「憎悪」と呼ぶのだろう。
 だから手を伸ばし、一切の容赦なくそれを引き千切る。弾け飛んだ石がばらばらと飛び散る。痛みにか小さく息を飲んだその神が、抗議の声を上げようとした。
「貴様、何を……」
「うるさい」
 吐き捨てて、唇に噛み付いてやる。だが、強く舌を噛まれた。

 用は済んだのだからさっさと立ち去れば良いのに、その神はありありと不満を浮かべて文句を並べ続けている。耳障りな声を聞き流しながら、大袈裟に溜息を吐いてやった。
「うるさいな」
「勝手に飾りを壊しておいて、その言い草か」
 一層声を険しくするその神はまだまだ動く気はないらしい。だがケツァルコアトルとしてはこんな取るに足りない神などさっさと追い払って休みたいのだ。どうするかと考えて、まだ床に散らばっている石に目を向けた。
 引き千切ってやった、今は形を失ったその装身具は、腕の飾りだった。同じ場所に着けるものを一つくれてやれば、満足して引き下がるだろう。
 だからケツァルコアトルは自分の腕から飾りを一つ外し、放り投げてやった。驚いたように言葉を飲むその神から顔を背け、努めて無関心な声で言い捨てる。
「それでも着けていれば良いだろう」
 その神は納得のいかないような顔をして、確かめるようにそれを月明かりに翳している。大きさは合う筈なのだから、さっさと身に着けて出ていけば良いものを。視界の端でその様子を眺めながら、ケツァルコアトルは内心呆れの息を吐いた。
 だというのに、その神は不意に一層不機嫌な顔をした。投げ渡してやったその飾りを、ケツァルコアトルへと投げ返してくる。ケツァルコアトルが咄嗟にそれを受け止めた時、不満げな声が吐き捨てた。
「要らん」
「何だって?」
「色が気に入らない」
 不機嫌に言い捨てるその神は、取り合わないケツァルコアトルを責め立てることにも漸く飽きたらしい。渋々という態度を装いながら、引き剥がれて床に丸まっていた装束を拾い上げる。
 迷いのない手つきで身支度をしているその神は、まだ不満そうな表情を浮かべている。どこか子供染みているような、その態度。気にかけてやる必要もないのに、なぜか声をかけてしまった。
「……そんなに、あれが気に入っていたのか?」
「気に入らなければ、身に着けるものか」
 不満そうにこちらを睨む瞳は、ケツァルコアトルが予想していたよりも怒りの程度が弱いように見えた。本当にただ単に「気に入っていた持ち物を壊された」という怒りしか、そこにはないようだった。「特別な思い入れのある品を失った」とでもいうような感傷的な色は、そこには影さえなかった。
「……ああ、そう。悪かったね」
「全くだ」
 癇に障る物言いも、今は聞き流してやれる。奇妙な満足が胸を満たす。そのことに戸惑いながら、何の気なしに言葉を続けた。
「……もし似ているものを見つけたら、君にあげるよ。今日のお詫びにね」
「珍しく殊勝な心がけだな」
 ふんと鼻で笑うその顔は、無駄に美しく愛らしい。容易く機嫌が上向いたらしい単純な態度を笑いながら、近くに落ちていたその神の装身具を拾い上げて渡してやった。


【4.入れ替わった耳飾りの話】

 その朝にショロトルが目覚めると、夜闇の中で抱いたそいつはやはりとっくに姿を消していた。いつものことなので気にせず身を起こし、朝の光の中で身支度をする。
 だが、床に転がったままだった装身具に伸ばした手が止まる。そこに転がっている耳飾りはショロトルのものと似てはいるが、明らかに違った。また挨拶もなく立ち去ったあの神が、昨夜身に着けていたものだ。
 何やってんだ、あの馬鹿。呆れながらその耳飾りを拾い上げ、眺めながらしばし思案する。まあ良いかと結論に達して、持ち去られた品の代わりにそれを身に着けることにした。
 他にもショロトル自身の耳飾りは勿論あるが、わざわざ取り出すことも億劫だ。先に間違えたのはあの神なのだから、文句を言われる筋合いも全くない。
 置き忘れられた耳飾りの持ち主である神も、そろそろ取り違えに気付いた頃だろうか。気付かずにまた外して、朝の光が差す前に寝付いただろうか。
 どうせすぐにまた顔を見せる筈だから、届けに行ってやるつもりなどショロトルにはさらさらない。さっさと身支度を済ませ、部屋を出た。

 また会うのは早くとも今夜だろう、もっと遅いかもしれない。そんな予想を裏切って、昼日中にばったりとその神に出くわした。珍しく明るい内から出歩いているのは、誰か他の神に用事でもあったのかもしれない。それはちっとも構わないし、ショロトルには何の関わり合いもないことだ。
 だが会うなり不満げに睨まれたところで、一体どうしろというのだ。そもそも勝手に取り違えてショロトルの耳飾りを持ち去ったのはこの神なのだから、文句を言うのはショロトルであるべきだ。
 身勝手極まりないその神もそのことは理解しているからか、そいつはありありと不服を浮かべて睨んでくるばかりで何も言わない。いつまでも睨まれるのも時間の無駄だと、仕方なくショロトルから口を開いてやった。
「睨んでねえでさっさと返せよ。そしたらこれも返してやるっての」
 当然のことを述べてやり、早くしろよと目で促す。だと言うのに、そいつはますます不満げに眉を寄せた。
「……ない」
「あ?」
 不明瞭で不可解な返答に聞き返すと、その神は一層不機嫌な顔をした。苛立たしげに繰り返す。
「ここにはない。神殿まで取りに来い」
「ああ? お前が持って来いよ」
 繰り返すが、互いの耳飾りが入れ替わったのはひとえにこの神自身のせいであって、ショロトルが余分な労力を少しでも割いてやる理由などは全くないのだ。その神自身もそれを認識してはいるらしく、一層不機嫌な顔をしたそいつは仕方なさげに顔を背けた。
「……日暮れの後に持って行く。それは預けておくから丁重に扱え」
「だったら最初から忘れてくんじゃねえよ」
 当然の指摘を、そいつはふんと鼻を鳴らして聞き流したらしかった。話は終わりとばかりに、挨拶もなく脇を通り過ぎていく。ちらりと目で追って、ショロトルもまたその場を後にした。

 夜の始まりにやって来たその神から耳飾りを受け取り、ショロトルもそいつの装身具を耳から外して返してやる。これで話は済んだ筈なのに、そいつはまだ不満そうに文句をつけてきた。
「自分の耳飾りも他にあるだろう。勝手に身に着けるな」
「お前が俺のを着けてったせいだろうが」
「だからとて、お前まで私のものを着ける必要がどこにある」
 自分が勝手に取り違えたせいだというのに、いつまでも不満げな顔をしている身勝手な神。もう無視しようと背を向けかけたが、ふと思いついて振り返った。
「明日の朝は間違えんなよな」
「何?」
 瞬きをしたその神は、込められた意味をすぐに理解して顔をしかめた。素っ気なく顔を背ける。
「今夜も相手をしてやる、などとは言っていない。帰る」
「へーえ? 物欲しそーな顔してるから、その気なのかと思ったけどなあ?」
 わざと甘い声で嘲ってやり、腰を引き寄せようとする。だが生意気なそいつはやはり素っ気なく振り払って背を向けた。もう未練もないとばかりにさっさと立ち去っていく。
 ショロトルとしても別に今夜もどうしても抱きたいというほどではないのだから構わない。いつまでも不機嫌な顔で居座られるのは邪魔だから、さっさと追い出すことに成功して清々したほどだ。
 その筈なのだが、なぜか妙に気が昂っているのが感じられた。目を閉じて横になったところで、朝まで眠りは訪れないだろう。
 仕方ねえな。胸の中でひとりごちて、夜闇の中へ出ていくことにした。つい先ほど立ち去ったあの生意気な神は夜を己の時間と定めているから、起きているに決まっている。何もかもはあの不遜な神に引っ搔き回されたせいなのだから、責任を果たさせなければならない。


【5.薄闇に揺れた髪飾りの話】

 暫く顔を見なかったそいつが久方ぶりにショロトルの神殿へやって来たのは、仕方なくこちらから出向いてやろうかと思い始めていた頃だった。特に交わす言葉もなく、いつものように寝床に組み敷いてやる。そのために来たのだから、そいつも抵抗などしない。
 体の反応だとかその場所のきつさだとか、小さな違和感が幾つかあった。その理由にふと気付いて、尋ねてやる。
「んだよ、ヒサシブリなのか? 珍しいじゃねえか」
「黙って、動け」
 質問に答えさえしない生意気な唇には、少し強く噛み付いて咎める。そうしながら、今夜初めて声を聞いたことを思い出した。
 声に妙なところはないから、喉を痛めているわけでもないだろう。開けば身勝手で生意気な言葉ばかり吐き散らす口だから、大人しく閉じているならばそのほうがずっと良い。わざわざ無駄なことを喋らせるほどには、気に入っている声でもない。
 だから構わず体を開かせて揺さぶったが、そいつが妙に声を殺していることにふと気付いた。言葉を失って甘えて鳴き善がる声はそれほど悪くはないのに、今夜はそれを聴かせようとしない。だから肩口に噛みついてやり、目を閉じて快感に浸っているそいつの注意を向けさせた。
「もっと鳴けよ」
 命じて、そいつの悦ぶ奥まった場所を擦り上げてやる。だと言うのに、そいつはくっと息を詰めて、意外なほどの激しさで睨み上げてきた。
「私の、勝手だ」
「ああ?」
 生意気で頑なな態度に苛立つと同時に、征服欲を刺激される。そんな態度を取るからには、覚悟はできているのだろう。
「泣いても許してやらねえぞ」
「は、馬鹿を言え」
 凶暴な目をして笑うそいつの喉に歯を立てて、一層激しく攻め立てる。息を飲んだそいつが肩に噛み付いてきて、切れ切れの吐息を零す。だが、強がりもいつまでもは持つまい。そう、予想していたのに。
 そいつは最後まで、一声も甘い声を漏らさなかった。

 甘怠い疲れ、熱の残滓。それほど悪い心地ではないから、ぼんやりとその中に浸っていた。
 いつもは満足すればさっさと立ち去っていくそいつが、今夜は珍しく起き上がろうとしない。寝床が狭くて邪魔なのだが、無駄に口の立つそいつを追い払うのも面倒なので好きにさせてやっていた。
 朝まで居座るつもりか、邪魔だが仕方ない。ちらりと目を向けると、そいつはぼんやりした顔をして何かを指先に弄んでいた。ちらちらと動いているその手に目を向けると、ショロトルが外したまま床にあったらしい髪飾りを弄り回している。
「勝手に触んな」
「……うるさい」
 咎めると、生意気な返事をしながら未練もなさげに床に戻す。その指が今度はそいつ自身の装身具を拾い上げたので、まだ居座るのかと内心呆れた。
 ぼんやりと装身具を弄っている指はショロトルのものよりも少し細くて、無駄なほど細やかなことも器用にこなすと知っている。その緩慢な動きを見るともなしに眺めながら、また尋ねてみた。
「最近あんま出歩いてねえんだろ? 引き篭もって何やってんだよ」
「……何も」
 上の空らしい返答に、何を聞いてもまともな返事はしなさそうだと早々に諦めた。もう放っておいて寝てしまおうと目を閉じる。そいつがまだ飽きもせずに飾りを触っているらしい気配を感じながら、眠りに落ちた。

 翌朝ショロトルが目を覚ますと、夜の神はいつの間にか姿を消していた。
 身支度をしながら、挨拶もなく気配も残さず立ち去った神のことを考える。無駄に頭の回るそいつにしては妙なほどの、ぼうっとした様子だった。
 さては頭でも打ったか、まあ自分には関係のないことだが。思いつつ装身具に伸ばした手が、ふと止まった。
 伸ばした指の先には、ショロトルが昨夜外して投げ出した髪飾り。薄闇の中でそれを眺めていた眼差しが、脳裏に蘇る。切なげな、夢見るような、あの瞳。
 まさか、恋でもしているのか。
 一瞬だけ思って、だがすぐにその考えを笑い飛ばす。あの淫らで不遜な神には、似合わないことこの上ない。あの傲岸で底意地の悪い神に、そんな柔らかで甘やかな心の持ち合わせなどあろう筈がない。
 たとえ誰ぞに想いを寄せているのだとしても、どうせあの移り気な神のことだ、すぐにまた飽きるのだろう。そう結論づけて、今度こそ飾りを拾い上げた。


○プチ解説
・装身具について
アステカを含むメソアメリカでは、最も珍重された「翡翠」のほか、鳥の羽毛、金、銀、銅やそれらの合金、青銅、貝殻、動物の骨や角など、色々なもので装身具が作られました。

翡翠:首飾り、ブレスレット、ペンダント、耳飾り、胸飾り、指輪、足首飾り、足の指輪、仮面など
金属:鈴、数珠、ペンダント、飾り針、円盤状飾り、仮面など
トルコ石、オパール、水晶、縞瑪瑙、黒玉、珊瑚、真珠、骨、角:ペンダントや首飾りなど
貝殻:首輪、腕輪、耳飾り、指輪、鈴、ベルトなど

羽根:頭飾り、扇、旗、ケープ、衣装、盾、掛物などの装飾に使用。
ケツァールが最も珍重され、コンゴウインコ、オウム、ハチドリ、カザリドリも貴重な類。アヒルや七面鳥は安価で、下地に使われるのが主。

(出典:関雄二・青山和夫編著『岩波アメリカ大陸古代文明事典』2005)
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