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前日譚 シャーロックside
しおりを挟む石畳の街を雪がちらつきはじめた。
ひんやりとした雪の香りがキンと鼻腔をついてくる。
「今年も雪が積もるのかな」
シャーロックは独り言ちると、厚い曇り空を見上げた。
優美な仕草で掲げた掌の上に、ひんやりと冷たい雪が降っては熱で溶けていく。
びゅうっと冷たい風が吹いて、彼の蜂蜜色の髪をさらさらと揺らす。
「今日は一段と冷えるな」
今しがた、マーガレットの墓前に花を捧げてきたばかりだが、今日は普段よりも早起きが出来て良かったと思った。
数年以上続いていた日課だったが、花を捧げた後に必ずする癖があった。
シャーロックは切れ長の翡翠の瞳を彷徨わせながら、通りがかった教会の敷地を見渡す。
少年少女たちが初雪を見て、きゃっきゃっと喜びの声を上げる姿を見ながら、彼はふうっとため息をついた。
「やっぱりあの子、いないみたいだね」
彼の探し人は――。
(マーガレットによく似た顔の、元気な女の子。名前は忘れてしまったな、聞いておけばよかったのかな)
自分としても情けないと思わなくもないが、かつての想い人の面影を残した少女が生き生きと動き回っている姿を見るのが励みになっていたのだ。
数年前はよく孤児たちと活発に駆けずり回っていた彼女だったが、最近全く姿を見なくなってしまっていた。
(もう彼女も成人頃か。だとしたら、もう誰かのところに嫁いだのかな)
言葉だってほとんど交わしたこともない相手だというのに、少しだけ物寂しさを覚えて胸が疼くのはなぜだろうか。
(勝手に親近感みたいなのを覚えていたんだろうな。相手からしたら、俺なんか知りもしないわけだけど)
しんみりした気持ちで教会の敷地を通り抜けた。
少しだけ気持ちを一新したくて、いつもは通らない路地裏を通って、屋敷に戻ることに決める。
ちょうど工業地帯の裏手であり、薄暗くて狭い道の中にもうもうと煙が立ち込めてきていた。
早く抜けたいと、長身のシャーロックは胸元を握りしめた後、少しだけ体を前かがみにしながら脚を早める。
しばらくすると、開けた場所へと抜けた。
「ふう、ちょっとした冒険だったな」
そんなことを言いながら、少しだけ誰からも返答がないことに寂しさを覚える。
「父さんからも、そろそろ結婚しろって言われたな」
公爵家の三男坊であるシャーロックだったが、結婚適齢期はとうに過ぎてしまっている。
とはいえ女性からすれば、見た目良し器量よし財産ありの、かなりの優良物件である彼にはひっきりなしに縁談話が来ていた。
だけれど、どんなお見合い写真を見ても、彼の心は弾まなかったし、これまでも全て断ってきていた。
忘れられない女性がいるから、もちろん仕方がないのかもしれない。
とはいえ、そろそろ親の脛をかじってばかりではよくないため、覚悟を決めないといけないのも確かだ。
「これまで許してもらえてたのが、奇跡みたいなものなんだよな」
愛する女性の死を悼んで十年近い時間を過ごすことが出来た。
優しい家族たちに感謝しないといけないのかもしれない。
だけれど、どうしようもなく、シャーロックの心は戦地から帰ってきた時のまま、時間が止まってしまったように、当時の記憶に引きずられたままだった。
沈鬱な気持ちを抱えたまま、彼はとある紡績工場の前を通る。ちょうど出勤しようとしている職業婦人たちがぞろぞろと歩いていたのだった。
その時――。
シャーロックの隣を一人の女性が通り抜ける。
まるで風のような軽やかな足取りで駆けていく彼女のブラウンの髪が翻る。
(今のは――)
小動物のようにちょこまかと動く彼女を目で追いながら、シャーロックは翡翠の瞳を見開いた。
「おはよう! みんな!」
他の女性たちに向かって、元気よく挨拶をした彼女の、真ん丸なブラウンの瞳に愛らしい顔立ちに、シャーロックの視線はくぎ付けになってしまった。
――間違いない。
マーガレットによく似た女性。
彼女に向かって他の職業婦人たちが、きゃっきゃっと声をかける。
「アメリア、今日も人一倍元気なんだから」
「そうかしら?」
女性たちと一緒に工場の中に入っていく彼女の背を――扉の向こうに消えた後も、しばらくの間、じっと見守ってしまって、シャーロックはその場で動けなくなってしまっていた。
彼の中にほんのりとした気持ちが胸に灯る。
「誰かに嫁いだわけじゃなくて――こんなところで働いていたのか」
市井の民の間では、夫に嫁いでも働く女性は万といる。
だから、そうとは言い切れないわけだが、あまり男っ気はなさそうな雰囲気があった。
「名前はアメリア……アメリア……」
姓が分からないのは残念だったが、名が分かっただけ良しとしよう。
「明日もこの道を通ったら、彼女を遠目で見れるのかな?」
たぶん年は十ほどは離れているわけだから、不審者扱いされないように気をつけないといけない。
それでも――。
「なんだかまた君に会えるみたいで嬉しいんだよ、マーガレット」
胸の内で言い訳をしながら、シャーロックは家路を急いだ。
まさかそれから一月後に、父親から久しぶりに遭遇したアメリアとの縁談を勧められるなんて思いもせずに――。
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