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後日談3
しおりを挟む最愛の妻アメリアが長女ルイーズを生んで数年が経った。
今日は日の曜日であり、家族皆で教会を来訪する日だ。
毎日の日課である墓参りの後、舗装された石畳の上を父娘――シャーロックとルイーズ――が歩くと、風に乗って穏やかな金木犀が燻った。
シャーロックの蜂蜜色の髪がさらさらと風に揺れ、木漏れ日で彼は翡翠色の瞳を眇める。
「お墓から教会までわりと距離があるから疲れただろう? 休もうか、ルイーズ」
「分かったわ、お父様」
父娘は大きな幹の前で立ち止まり、少しだけ休息を取っていると、愛娘ルイーズが父シャーロックに向かって声をかけてくる。
「ねえ、お父様」
「なんだい、ルイーズ?」
最近五歳になる娘は、母親であるアメリアに似て愛らしいブラウンの緩やかなミディアムロングに、父親であるシャーロックに似た翡翠色に近いくりくりした緑色の瞳をした、とても愛らしい少女に育っていた。
「このお墓参りの後、今日も孤児院に寄るの?」
おずおずと尋ねてきた彼女と同じ目線になるように、彼はその場にしゃがみ込むと、娘の頭を慈しむように撫でた。
「ルイーズ、そうだね。君が寄りたいというのなら……孤児院の皆はルイーズのことを慕っているからね、ぜひ仲良くしてやってほしい」
「もちろんよ、パパ……私、孤児院の皆のこと、大好きだわ」
ふんわりと微笑むルイーズ。
その時――。
シャーロックの脳裏に、かつて婚約者だった幼馴染マーガレットの姿とルイーズの姿が重なった。
(ああ、まただ……俺は……)
紛れもなく、ルイーズは愛妻アメリアと自分の間とに出来た子どもだけれど、マーガレットとアメリアは姿形がよく似ている。
マーガレットの幼い頃の姿に、ルイーズが似ていたのだとしてもおかしな話ではない。
活発な妻アメリアとは違い、少しだけおとなしめのところがあるルイーズはマーガレットにより近い印象を与えてくるのだった。
(どうして、アメリアよりもマーガレットに似てしまったんだろうな……)
シャーロックが物思いに耽っていると――。
「シャーロック様、遅くなってしまってごめんなさい」
現われたのは、シャーロックの最愛の妻アメリアだった。
妻が穏やかに微笑む姿を見て、シャーロックの心の内が満ち足りていく。
出会った当初はまだ十歳年下らしい幼さの残る少女の印象が強かったアメリアだったが、まるで蛹が蝶に変わるように、自身で服飾店を経営する自立した芯の通った美しい女性に変貌を遂げていた。
「アメリア……! 外国商との急な取引は無事に済んだのかい?」
「はい、そうなんです、シャーロック様、一人でもなんとか大丈夫でした」
「そうか、良かった」
そうして、アメリアは娘ルイーズの方に向き直る。
「お母様、私、ちゃんと自分で着替えたのよ」
「ルイーズ、メイド達の力を借りずに一人で着替えたの?」
「ええ」
「貴女はシャーロック様の娘で――貴族の令嬢なのだから、お母様の真似はしなくて良いのよ」
「いいえ、これからはお母様のように女性も好きな仕事に就いて良い時代よ。私、お母様みたいな自立したレディを目指しているの」
「まあ、褒められたら悪い気はしないわ。ルイーズ、身支度は自分で出来るようになって……しっかり者に育ってくれて、お母さんは嬉しいな」
微笑み会う母娘を見ているだけで、シャーロックの胸の中にじんわりと熱いものが拡がっていく。
「ルイーズは誰に対しても分け隔てなく優しい子に育った。君のおかげだよ、アメリア」
「まあ! シャーロック様にそんな風に言われるなんて……嬉しいです」
母親になろうとも愛らしい反応を返してくるアメリアの姿を見て、シャーロックはますます幸福な気持ちになった。
その時――。
「ルイーズ! 遅いぞ」
――木陰から、一人の少年が姿を現す。
さらさらのアッシュブロンドの髪に、蒼い瞳に甘い顔立ちの美少年だ。
「レオパルトのところの……」
――友人であるレオパルト・グリフィスの次男ギルフォード・グリフィスが現われたのだった。
ギルフォード少年は大人達には気づいていない様子で、するりとルイーズの側に立ち寄ると、彼女の手首をぐいっと掴んだ。
シャーロックの胸の中にさざ波が立った。
「もう、ギル……今日は行けるかどうか分からないって話してたでしょう?」
「ルイーズ、お前がいないと埒があかないんだよ――ほら、行くぞ」
愛娘に対して強引すぎる幼馴染の少年に対し、注意でもしようかと思ったシャーロックだったが――。
ふと、娘の顔を見て、父は静止してしまった。
「もう、ギルったら、強引なんだから……! 私が一緒に行ってあげる」
強気な口調なのに、まるで大人の女性かのように蕩ける笑みを浮かべていたのだった。
そのまま子ども同士で駆けていく。
――自分の手からすり抜けていく娘の姿を見て、シャーロックの中になぜだか嫌な予感が渦巻く。
「シャーロック様、どうなさいましたか?」
アメリアが心配そうにシャーロックの顔を覗いた。
「え? ああ……いや、レオパルト・グリフィスのところのギルフォード君、なんだかやけにルイーズと距離が近くなかったかい?」
「……? 子ども同士だから、あんなものではないですか?」
「子どもだとは言え、油断ならないよ。だって、あの女ったらしのレオパルトの血を引いているんだ」
「シャーロック様も社交界で浮名を流されていませんでしたっけ?」
痛いところを突かれたシャーロックは、少しだけ口ごもってしまう。
「裏表のあまりないシャーロック様に比べると、グリフィス様はちょっと陰がありますけど……ギル君はどちらかと言えば正直者ですよ? おかしなことはしないタイプです」
「だが……」
「シャーロック様、落ち着かれてくださいな。はい、深呼吸です」
アメリアがシャーロックの二の腕にそっと手を置いてきた。
彼女の促し通り、彼は深呼吸を何度か繰り返す。
「悪い、取り乱してしまって」
「いいえ」
そうして――アメリアはシャーロックにもたれかかってくる。
妻の柔らかな温もりを感じて、夫の心は冷静さを取り戻していった。
「シャーロック様、何かありましたか?」
「え? どうしてだい?」
「最近のシャーロック様、ルイーズを見ながら、少しだけ険しい表情を浮かべているから」
アメリアに気づかれていたのだと、シャーロックははっとする。
「それは……」
ルイーズを見る度に、若くして命を落としたマーガレットが重なってしまう。
娘がかつての婚約者の姿に似れば似るほど、不安になってしまうのだ。
今が幸せであればあるほどに、過去の苦しみが自分を追いかけてきて苛んでくる。
何かを得たことで、失うことに過剰反応してしまっている。
幸せになればなるほどに、悲しい過去が色濃くなっていくのだ。
すると、アメリアがシャーロックに向かってふんわりと微笑んでくる。
「ルイーズが生まれた時に伝えたでしょう? 私もルイーズも元気です。絶対に生きて貴方のそばにいますから」
「アメリア」
何かを話したわけではないのに――勝手に自分の心をおもんぱかってくれる妻の心根があまりにも優しくて、シャーロックの血が滲むほどに硬く握った手の力がひとりでに緩んでいく。
「私もシャーロック様と同い年ぐらいで……マーガレットさんと一緒に三人で幼馴染だったら、もっとシャーロック様の悩みに共感することが出来たのかなって、そんなことを思っちゃう時が私にもあります」
「アメリア」
「苦しみも喜びも貴方と分かち合いたいのに……出会う前、貴方が苦しんでいた頃に、共に立ってはあげられなかった。……シャーロック様の全てを知りたくて、マーガレット様のことだって知りたいと思ってしまう、生きてたら仲良くなれたのかなとか……私ったら贅沢ですね、ごめんなさい」
「いいや、そんなことはないよ」
シャーロックはアメリアの身体をそっと抱き寄せた。
――アメリアは苦しみの渦中にいた頃のシャーロックの側で寄り添いたかったと思っているのだ。
それに気づいてしまって、シャーロックの目頭が熱くなっていく。
(アメリア、マーガレット……)
過去の出来事があるからこそ今の自分がいる。
自分という人間は幼馴染マーガレットと共にある人生だった。
だからこそ、彼女の存在なしで幼い頃の自分の話をすることは不可能に近い。
そもそも彼女の存在なくして、シャーロック・フォードという人間が構築されることはなかっただろう。
だからこそ、胸の内に宿り続けるマーガレットごと、自分のことを愛してくれようとしている慈愛に満ちたアメリアのことが堪らなく愛おしいのだ。
起きた出来事を変えることは出来ない。
マーガレットを愛さなかった自分になることは未来永劫なく、過去に苦しんでいたシャーロックの側に出会う前のアメリアが寄り添うことは出来ない。
だけれど――。
だからこそ、その苦しい過去に心が引き戻された時に――そばにいて見守ってくれている存在がどれだけ貴重なのかが分かる。
「……ルイーズを俺に引き合わせることが出来たのは君だけだ」
「シャーロック様……ありがとうございます」
シャーロックはアメリアの華奢な身体をひしと抱き寄せる。
「アメリア、愛している。俺は、誰よりも君達を愛して守っていけるような存在になりたい。そのために俺が強くならないといけない」
不安で苛まれていた胸の靄を、アメリアの慈愛に満ちた太陽のような愛情が払っていってくれた。
父になった彼は、妻の身体を先ほど以上に強く強く抱きしめる。
「だから、どうか俺のことを見ていてほしい、アメリア」
「シャーロック様――もちろんです。私は――私とルイーズは、ずっと貴方のそばから離れませんから」
時や場所を忘れ、二人して抱きしめ合った。
マーガレットを失った過去を持ち続けるシャーロックに、喪失という過去の恐怖が湧き上がる瞬間は、この先も幾度となく待ち受けているかもしれない。
だけれど――。
これから先の未来を歩んでくれる家族の太陽のような愛情が、まるで太陽のようにその恐怖をきっと打ち払ってくれるのだろう。
胸の内に根付く者達を全て受け入れ、愛する者と共に生きるからこそ、父となったシャーロックは強くなっていけるのだった。
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