囚われて

桃井すもも

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【30】

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テレーゼ王女の輿入れを一週間後に控えていた。
幾度となく確認に確認を重ねて、公国への出立に不足の無い様に、クリスティナばかりでなく侍女達も文官達も万全の体制で仕度を整えている。

その日もクリスティナは、多忙を極めた一日を終えて疲れた足を引き摺る思いで私室に戻る。

季節は春を迎えていた。
霞の掛かる夕暮れの陽が美しい。
回廊から眺める春の夕日は桃色に淡く霞み、宵と交わる境目が紫色に見えている。

テレーゼにこれまで以上に心を砕きその身を整え、自分の事はすっかり御座なりとなっている内に、季節ばかりはどんどん移ろって、気が付けば宵は随分ゆっくり訪れる様になっていた。

自室の扉の鍵を開けようとして、足元の隙間に挟まっている物に気付いた。
屈んで見れば、それは紙切れの様である。
こんな事をするのに心当たりは一人しか居ない。

そっと隙間から引き抜いて手の平に握り込む。それからすかさず立ち上がり鍵を開けて部屋に入った。

室内に入って漸く、手の平の紙切れをみる。メモ程度の小さな紙片である。

『20時』

メモにはそれだけが書かれていた。
たった三文字であるが、よく見知った字である。けれども、彼がこんな事をした事は、これまで一度も無かった。
手紙やメモといった形が残る様な事を避けていたように思う。

最後の逢瀬から既に三ヶ月が経っていた。その間に、何か心境の変化があったのだろうか。


果たしてクリスティナは、訝しく思いながらも慣れ親しんだ仮眠室まで来てしまった。今、その扉の前にいる。
時刻は20時を僅かに過ぎていた。
約束通りであるならば、彼はこの部屋で待っているのだろう。

部屋に入るのに、ノックはしない。
それは人目を避ける逢瀬の暗黙の了解であった。
ドアノブをゆっくり回せば、やはり鍵は開いていた。そのまま音を立てない様にノブを回し、扉を静かに開く。

部屋の中は薄暗く、ランプではなく蝋燭で灯りを取っているのだと思われた。
僅かに開いた扉から、身を滑らせる様に室内に入る。
全くもって恋人達の逢瀬とは思えない、人目を偲ぶ盗っ人の様な訪れ方である。

どうやらクリスティナの訪れを待っていたのだろう。
寝台の横には文机があるのだが、彼はその椅子をこちらに向けて座っていた。

「フレデリック殿下、何故貴方様が、」
「やあ、クリスティナ。5分遅刻だ。君らしくないね。」

ローレンの仮眠室には、真逆の王太子殿下が待っていた。全然笑えない冗談を、軽薄そうな表情で言い捨てる。

可怪しいと思ったのだ。
メモの字は確かにローレンのものであった。しかし、そのメモは切れ端の紙片であって、まるで何かの文書から切り取った様にも見えた。

今まで一度だって文などもらったことが無いのに、今更メモなど挟むだろうか。
何より、あんな人目に付く扉の隙間になど、用心深いローレンがそんな事をする筈が無いのだ。

疑いながら、それでも半信半疑でこの部屋を訪れた。何かの企みではないかと思ったのは王城勤めで培った感であろう。
真逆、企みの仕掛け人がフレデリック本人だとは思わなかった。


ひと息整えてクリスティナは、フレデリックに向かってカーテシーで礼をする。
今更ではあるが、王太子と城勤めの侍女の線引きを礼で表した。

「楽にして。クリスティナ。」

フレデリックはその意味を解った上で、クリスティナに直ることを許した。

「何故、貴方様がこの様な部屋にいらっしゃるのでしょう。」

「ああ、此処は君等の待ち合わせ場所なのだろう?そんなつもりで部屋を用意しているのではないんだがね、余り煩く言っても仕方が無いと見逃して来たんだ。」

フレデリックはクリスティナを咎めるつもりでここに来たのか。きっとそうではないだろう。

「警戒しないでくれないか、クリスティナ。君を罰する訳ではない。」

では、ローレンを罰するというのだろうか。

「こちらへ。」

フレデリックがクリスティナに向けて手を差し伸べる。この部屋が何処であろうと、王太子に呼ばれたならクリスティナには従う他に選択肢は無い。

クリスティナがフレデリックの側に歩み寄ると、フレデリックはその手をゆっくり掴んだ。そうしてクリスティナを引き寄せる。

まるで夜会のダンスで引き寄せる様な紳士的な仕草は、ローレンの荒々しい扱いに慣らされていたクリスティナには返って落ち着かないものであった。

それよりも、フレデリックに引き寄せられて、クリスティナには身の危険しかない。
けれども、不思議とクリスティナには平素フレデリックに感じていた畏れ多いと畏まる感情が浮かばなかった。

引き寄せる手が余りに優しかったからか。
それとも、クリスティナを見つめるフレデリックの瞳が、誠実な光を湛えていたからか。

フレデリックは椅子に腰掛けたまま、自身の真正面までクリスティナを引き寄せた。
引き寄せられたクリスティナは、そのままフレデリックの足元に跪き、彼を見上げた。

「フレデリック殿下。私をお呼びになった訳を伺ってもよろしいでしょうか。」

「君ならきっと私の話を聞いてくれると思っていたよ。」

フレデリックを見上げて問うたクリスティナに、フレデリックもまたその行動を予期していたかの様に答えたのだった。



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