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いつの間に眠っていたのだろう。
薄衣さえ纏わない裸の身体に、ジャケットが掛けられていた。
鼻を擽る麝香の香り。無意識の内にその香りを深く吸い込む。
どうやらクリスティナは、ソファに独り寝かされていたらしい。
あのまま寝入ってしまったのだわ。
彼は何処だろう。もう戻ってしまったのなら、このジャケットを後で返さなければならない。どうやって返そう。
そんな事を瞬時に頭の中で思い巡らして、剥ぎ取られた下着を捜して起き上がった。
その瞬間、対面する位置にあるソファに座るローレンと目が合って、思わず「ひっ」と小さな声を漏らしてしまった。
「起きたか」
息を飲んだまま動けずにいるクリスティナに何でもないようにローレンが言って、反射的に「はい」と答えた。
見るとローレンは何かを手にしている。
何だろうと目を凝らせば、それは掌に収まる程の小さなボトルであった。
「飲むか?」
何を?と聞き返そうとして、多分それがアルコールの類なのだと解った。
ローレンが向かい側から腕を伸ばしてボトルを寄越す。
要らないとは言い辛くて受け取ってしまった。
仕方なく一口飲んで、
「こほっ」
噎せてしまった。
蒸留酒の立ち上ぼる濃い香りに乾いた喉が反応してしまった。
「ウイスキーだ。北の領土で造られている。彼処の水は硬い。」
道理で重く強い風味であった。
蒸留酒が造られる北の領地なら知っている。元は生家の子爵家の領地であったから。もう何代も前に手離して、子爵家は今や領地無しの宮仕えである。
現在の北の領地は当時の血縁が引き継いだらしいが、クリスティナは彼等に会ったことは一度も無く、既に他人に等しい間柄であった。
何があって手放したのか父は知っているのかもしれないが、幼い頃から一度も聞いたことは無いから、余り聞いて楽しい内容なのではないのだろう。
「元々君の家系だろう。」
国の事なら端から端まで熟知しているらしいローレンは、やはりクリスティナの生家と北の領地の繋がりを知っていた。
「何代も前に手離しておりますので、詳しい事は解りません。」
そう答えて一口だけ飲んだボトルをローレンに返す。
ローレンはそれを受け取って、それから徐ろにクリスティナの手を引き寄せた。
未だ服を纏わぬ身体の前を隠すように掛けていたジャケットがずり落ちる。
日を浴びたことの無い、生まれたままの真っ白な肌が現れる。何処もかしこも真っ白な中で、肩口に赤く腫れているのはローレンが噛みついた歯の跡であった。
二人の向かい合うソファの間にはローテーブルがあって、その上を跨ぐ様に引き寄せられて思わずテーブルに手を着いた。
それにも構うことなく尚もローレンが引き寄せるものだから、バランスを崩してテーブルの上に膝から乗り上げてローレンの胸に伸し掛かる格好になってしまった。
裸のまま身体を引き寄せられて囚われる。
合わせたくないのを無理矢理に、顔を持ち上げられて間近で目が合ってしまった。
王家の血を引く鮮やかな青。
いつの間に灯されたのか、ランプの灯りが瞳の中で瞬いている。
互いの呼気に濃厚なアルコールの香りが漂っていて、その香りごと飲み込まれる様に唇を押し当てられた。
芳醇な酒精に酔ったのか巧みな舌使いに酔わされたのか。
クリスティナを引き寄せた手は、今は一糸も纏わぬ素肌の上を思う方向に自由に滑って、時折クリスティナの弱い部分を刺激する。
その度に小さく身悶えするのが可笑しいのか、更に苛む様にクリスティナを追い詰めて、そうしてクリスティナは再び男の欲を受け止めた。
「下着も穿くんだ。」
手短に着替えを済ませようと、お仕着せだけを着るクリスティナの背中に声が掛けられた。
全てを見ていたらしいローレンが、お仕着せの下に下穿きを穿かずにポケットに仕舞い込んだクリスティナを見咎めた。
仕方無しにスカートの中で下穿きを広げる。
男の面前で足元から下着を持ち上げ尻を包むというのは、裸でいるより恥ずかしい。
そんな事を顔色一つ変えずに命ずる男は、美しい人の皮を被った鬼か悪魔だ。
それに口答え出来ない自分は、どうして黙って従っているのだろう。
嫌だと言えば良いのだ。
もう嫌だ、こんな事はしたくない。肌も見せたくないし触れられたくもない。
囲う檻から放って欲しい。まう解放して欲しい。
そう思うのが本心だ。
なのに心の奥底には、それを望まない心が確かに有って、自由になりたいのに拘束されたい対極の感情に雁字搦めにされているのを、クリスティナは随分前から解っていた。
多分、最初の最初、初めて瓜を割られたあの日から、自分は囚われてしまったのだ。
心の柔らかな部分を、神話の魔女が石に変える様に、大切な何かが硬く固められて、自分を尊重するという当たり前の事を放棄してしまったのだ。
いつまで囚われるのだろう。
ローレンは決してクリスティナを引き止めない。実のところローレンはクリスティナを囚えてなどいなくて、クリスティナが勝手に囚われているのだとクリスティナ自身が知っている。
そんなクリスティナの考えをローレンは見抜いて、都合の良い様に扱っているだけなのだ。
ローレンは王城にあっても人目を惹く。そうして自身の虜になった女性には慈悲ではなくて快楽を与える。
けれども彼が真実愛する人は別にいて、その愛情は清廉で何者にも汚されない。
王太子が家族の中で最も愛し心を砕く妹姫。王太子に侍るローレンの眼差しが柔らかく細められるのは、可憐な王女を見つめる時ばかりなのだ。
薄衣さえ纏わない裸の身体に、ジャケットが掛けられていた。
鼻を擽る麝香の香り。無意識の内にその香りを深く吸い込む。
どうやらクリスティナは、ソファに独り寝かされていたらしい。
あのまま寝入ってしまったのだわ。
彼は何処だろう。もう戻ってしまったのなら、このジャケットを後で返さなければならない。どうやって返そう。
そんな事を瞬時に頭の中で思い巡らして、剥ぎ取られた下着を捜して起き上がった。
その瞬間、対面する位置にあるソファに座るローレンと目が合って、思わず「ひっ」と小さな声を漏らしてしまった。
「起きたか」
息を飲んだまま動けずにいるクリスティナに何でもないようにローレンが言って、反射的に「はい」と答えた。
見るとローレンは何かを手にしている。
何だろうと目を凝らせば、それは掌に収まる程の小さなボトルであった。
「飲むか?」
何を?と聞き返そうとして、多分それがアルコールの類なのだと解った。
ローレンが向かい側から腕を伸ばしてボトルを寄越す。
要らないとは言い辛くて受け取ってしまった。
仕方なく一口飲んで、
「こほっ」
噎せてしまった。
蒸留酒の立ち上ぼる濃い香りに乾いた喉が反応してしまった。
「ウイスキーだ。北の領土で造られている。彼処の水は硬い。」
道理で重く強い風味であった。
蒸留酒が造られる北の領地なら知っている。元は生家の子爵家の領地であったから。もう何代も前に手離して、子爵家は今や領地無しの宮仕えである。
現在の北の領地は当時の血縁が引き継いだらしいが、クリスティナは彼等に会ったことは一度も無く、既に他人に等しい間柄であった。
何があって手放したのか父は知っているのかもしれないが、幼い頃から一度も聞いたことは無いから、余り聞いて楽しい内容なのではないのだろう。
「元々君の家系だろう。」
国の事なら端から端まで熟知しているらしいローレンは、やはりクリスティナの生家と北の領地の繋がりを知っていた。
「何代も前に手離しておりますので、詳しい事は解りません。」
そう答えて一口だけ飲んだボトルをローレンに返す。
ローレンはそれを受け取って、それから徐ろにクリスティナの手を引き寄せた。
未だ服を纏わぬ身体の前を隠すように掛けていたジャケットがずり落ちる。
日を浴びたことの無い、生まれたままの真っ白な肌が現れる。何処もかしこも真っ白な中で、肩口に赤く腫れているのはローレンが噛みついた歯の跡であった。
二人の向かい合うソファの間にはローテーブルがあって、その上を跨ぐ様に引き寄せられて思わずテーブルに手を着いた。
それにも構うことなく尚もローレンが引き寄せるものだから、バランスを崩してテーブルの上に膝から乗り上げてローレンの胸に伸し掛かる格好になってしまった。
裸のまま身体を引き寄せられて囚われる。
合わせたくないのを無理矢理に、顔を持ち上げられて間近で目が合ってしまった。
王家の血を引く鮮やかな青。
いつの間に灯されたのか、ランプの灯りが瞳の中で瞬いている。
互いの呼気に濃厚なアルコールの香りが漂っていて、その香りごと飲み込まれる様に唇を押し当てられた。
芳醇な酒精に酔ったのか巧みな舌使いに酔わされたのか。
クリスティナを引き寄せた手は、今は一糸も纏わぬ素肌の上を思う方向に自由に滑って、時折クリスティナの弱い部分を刺激する。
その度に小さく身悶えするのが可笑しいのか、更に苛む様にクリスティナを追い詰めて、そうしてクリスティナは再び男の欲を受け止めた。
「下着も穿くんだ。」
手短に着替えを済ませようと、お仕着せだけを着るクリスティナの背中に声が掛けられた。
全てを見ていたらしいローレンが、お仕着せの下に下穿きを穿かずにポケットに仕舞い込んだクリスティナを見咎めた。
仕方無しにスカートの中で下穿きを広げる。
男の面前で足元から下着を持ち上げ尻を包むというのは、裸でいるより恥ずかしい。
そんな事を顔色一つ変えずに命ずる男は、美しい人の皮を被った鬼か悪魔だ。
それに口答え出来ない自分は、どうして黙って従っているのだろう。
嫌だと言えば良いのだ。
もう嫌だ、こんな事はしたくない。肌も見せたくないし触れられたくもない。
囲う檻から放って欲しい。まう解放して欲しい。
そう思うのが本心だ。
なのに心の奥底には、それを望まない心が確かに有って、自由になりたいのに拘束されたい対極の感情に雁字搦めにされているのを、クリスティナは随分前から解っていた。
多分、最初の最初、初めて瓜を割られたあの日から、自分は囚われてしまったのだ。
心の柔らかな部分を、神話の魔女が石に変える様に、大切な何かが硬く固められて、自分を尊重するという当たり前の事を放棄してしまったのだ。
いつまで囚われるのだろう。
ローレンは決してクリスティナを引き止めない。実のところローレンはクリスティナを囚えてなどいなくて、クリスティナが勝手に囚われているのだとクリスティナ自身が知っている。
そんなクリスティナの考えをローレンは見抜いて、都合の良い様に扱っているだけなのだ。
ローレンは王城にあっても人目を惹く。そうして自身の虜になった女性には慈悲ではなくて快楽を与える。
けれども彼が真実愛する人は別にいて、その愛情は清廉で何者にも汚されない。
王太子が家族の中で最も愛し心を砕く妹姫。王太子に侍るローレンの眼差しが柔らかく細められるのは、可憐な王女を見つめる時ばかりなのだ。
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