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【60】最終話
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アテナイーレが懐かしい思い出に思考を奪われている間に、ハリソンは禁書棚を見上げていた。
重厚なガラス扉で守られた棚には、建国以来から伝わる古書や王家に纏わる書物の数々が保管されている。王国には「記す者」と呼ばれる記録者がおり、彼等が記した王国の歴史も、全てこの棚の中に所蔵されている。
「この書物を読む資格を得られたことを幸運に思っているよ。」
「それは...」
それは真逆、この秘された禁書を閲覧したいが為に、ハリソンはアテナイーレとの婚約を受け入れたと言うことなのだろうか。
「陛下から、」
「父から?」
「陛下から、もっと言葉で表すべきだと助言を受けた。」
「まあ。どんな言葉を?」
「学園に入学するだろう。」
「ええ、そうね。」
「君の婚約者として、君の側にいる為に、君に認めて欲しいと「待って待って、」
アテナイーレは思わずハリソンを遮った。ハリソンがアテナイーレを見下ろしているも、薄闇に紛れて表情がよく見えない。
「ハリソン、それは違うわ。貴方は私に認められる必要なんて無いのよ。」
「それは、どう言う意味?」
ハリソンの心象を悪くしてしまっただろうか。
「ハリソン、どうぞお座りになって。」
立ちっぱなしのハリソンを、アテナイーレはソファーへ誘った。その言葉に何を思ったのか、ハリソンはアテナイーレの隣に腰掛けた。アテナイーレは向かい側へ誘ったつもりであった。
「え?」
「ふっ」
驚くアテナイーレに、ハリソンが笑いを漏らす。
「久しぶりに君の顔を間近に見た。」
「そんな事は無いでしょう。」
「いや、いつも向かい合わせで、それも相当な距離を取っていた。」
「そうかしら。でも仕方が無いわ。」
侍女も護衛もいる中で、相当な距離とは適切な距離のことである。
「君が、全然私を見ないから。君に認められていないのだと「そんな事は無いわ!」
またもやハリソンを遮ってしまうも、そんな事は構っていられなかった。
「そんな事、一度も思った事など無いわ。寧ろ、貴方こそ、貴方こそ私を疎ましく思っているのでは?貴方の立場も未来も奪った私を。」
「何を言っている?疎ましいだって?」
「ええ、そうよ。貴方とは良い友人ではあるけれど、だからといって王配の立場を押し付けたかった訳では無いわ。公爵家当主として学んでいたのを知っている。態々私の夫になるだなんて、そんな「そんな栄誉は他に無いよ。」
遮られたのはアテナイーレの方であった。
「やはり可怪しな事を考えていたんだな。陛下が心配なさる筈だ。」
「父が?」
「ああ。君は王妃によく似ているから。とんでもない事を考えて、挙げ句私を捨てるかも知れないと。」
「貴方を捨てるですって?」
「違う?」
アテナイーレはこの婚約を、出来るなら解消したいと思っていた。それがハリソンにとっての最善だと信じて疑わなかった。
「陛下は王妃との婚約時代に危うく王妃に捨てられそうであったと。すんでのところで回避出来たのは奇跡であったと仰ったよ。」
アテナイーレは、見目も気質も母に似ている。母の思考回路なら手に取るように理解出来る。母も自分も、これと決めたら猪突猛進、さっぱりきっぱり切り捨てる。それを父は潔いと褒めてくれるが、どうだろう、アテナイーレ自身は欠点だと思っている。
「私は間に合った?君に捨てられるだなんて、なんの為にメイソンに後継を押し付けたのか。」
メイソンとはハリソンの弟で、彼らは双子の兄弟である。
「押し付けた?」
「君を奪われたくなかった。知ってるかい?君に隣国から縁談が来てたのを。」
「え!」
「やはり知らなかったんだな。私は父からそれを聞いて、その場で後継をメイソンに譲ると訴えた。君の王配は、私がなると宣言した。」
「そんな、そんなの聞いていないわ。」
「君がここに初めて連れて来てくれた日に、そう心に誓った。君が、禁書を読めるのは君の王配だけだと言ったから、私は君がその、首に掛けている鍵を使用できる権利が欲しいと思った。それは禁書が読みたいからではなくて、君の夫だけが許される権利だと思ったからだよ。」
ランプの灯りに照らされて、ハリソンの翠色の瞳に炎が反射して燦いて見える。
「君の瞳は、泉の水底のようだな。大きくて深くて美しい。」
そう言ってハリソンは、アテナイーレの目元にそっとハンカチを当てた。
「泣かないで、アティ。」
「ハリー、」
懐かしい幼い頃の呼び名で呼ばれて、アテナイーレの涙は尚もハンカチを濡らした。
「お母様、宜しくて?」
「まあ、アティ、どうしたの?」
アテーシアは、モリーの毛繕いをしていた。ここは王城の厩舎で、モリーはアテーシアの愛馬である。娘時代の種族を超えた親友である牝馬メリーの娘の娘の娘である。アテナイーレもモリーを可愛がっていたから、モリーが撫でてくれと強請っている。
自身に良く似たアテナイーレを、アテーシアは見上げた。見目はアテーシアに良く似ているが、アテナイーレは背が高い。
「その、ハリソンと話しをしたの。それで、」
モリーの鼻先を撫でながら語る娘の横顔は、未来の女王の貴高さをほんのちょっと脇に置いて、母の前で初恋を打ち明ける初々しい乙女の姿である。
娘は解っているだろうか。
母似であると言われるが、醸し出す空気が父王のそれと同じであるのを。誇り高く聡明で懐深い夫に、とてもよく似ている。彼女はきっと良い統治者になるだろう。照れながらハリソンとの一件を打ち明ける娘を眩しく思った。
その晩、アテーシアは夫を問い詰めた。
「貴方、ハリソンを嗾けたわね。」
「うん。彼、私と似てるからね。いや、アティが君に似てるからかな。ハリソンが思いっきり振られそうだったから発破を掛けた。」
「想いが通じ合ったそうよ。」
「それは行幸。」
「初めから解ってたくせに。」
「君だって、図書室へ誘導しただろう。」
「彼処はボンジャミンも中まで入らないでしょうから。二人で話しが出来ると思ったの。」
「だろう?」
「アティが良いパートナーを得られて良かったわ。次はアンね。」
「アンなら辺境伯が欲しいそうだよ。」
「まあ。」
アンドリューに姿が生き写しのアンドリアナは、中身が女剣士である。かつて狂犬呼ばわりされたアテーシアに似すぎていて、西の辺境伯から目を付けられていた。
言葉足らずが仇となり危うく壊れかけた過去を持つ二人は、姫達が歩むそれぞれの未来と幸せについて、その晩も向かい合わせに横たわり見つめ合いながら、夜更けまで語りあうのだった。
完
重厚なガラス扉で守られた棚には、建国以来から伝わる古書や王家に纏わる書物の数々が保管されている。王国には「記す者」と呼ばれる記録者がおり、彼等が記した王国の歴史も、全てこの棚の中に所蔵されている。
「この書物を読む資格を得られたことを幸運に思っているよ。」
「それは...」
それは真逆、この秘された禁書を閲覧したいが為に、ハリソンはアテナイーレとの婚約を受け入れたと言うことなのだろうか。
「陛下から、」
「父から?」
「陛下から、もっと言葉で表すべきだと助言を受けた。」
「まあ。どんな言葉を?」
「学園に入学するだろう。」
「ええ、そうね。」
「君の婚約者として、君の側にいる為に、君に認めて欲しいと「待って待って、」
アテナイーレは思わずハリソンを遮った。ハリソンがアテナイーレを見下ろしているも、薄闇に紛れて表情がよく見えない。
「ハリソン、それは違うわ。貴方は私に認められる必要なんて無いのよ。」
「それは、どう言う意味?」
ハリソンの心象を悪くしてしまっただろうか。
「ハリソン、どうぞお座りになって。」
立ちっぱなしのハリソンを、アテナイーレはソファーへ誘った。その言葉に何を思ったのか、ハリソンはアテナイーレの隣に腰掛けた。アテナイーレは向かい側へ誘ったつもりであった。
「え?」
「ふっ」
驚くアテナイーレに、ハリソンが笑いを漏らす。
「久しぶりに君の顔を間近に見た。」
「そんな事は無いでしょう。」
「いや、いつも向かい合わせで、それも相当な距離を取っていた。」
「そうかしら。でも仕方が無いわ。」
侍女も護衛もいる中で、相当な距離とは適切な距離のことである。
「君が、全然私を見ないから。君に認められていないのだと「そんな事は無いわ!」
またもやハリソンを遮ってしまうも、そんな事は構っていられなかった。
「そんな事、一度も思った事など無いわ。寧ろ、貴方こそ、貴方こそ私を疎ましく思っているのでは?貴方の立場も未来も奪った私を。」
「何を言っている?疎ましいだって?」
「ええ、そうよ。貴方とは良い友人ではあるけれど、だからといって王配の立場を押し付けたかった訳では無いわ。公爵家当主として学んでいたのを知っている。態々私の夫になるだなんて、そんな「そんな栄誉は他に無いよ。」
遮られたのはアテナイーレの方であった。
「やはり可怪しな事を考えていたんだな。陛下が心配なさる筈だ。」
「父が?」
「ああ。君は王妃によく似ているから。とんでもない事を考えて、挙げ句私を捨てるかも知れないと。」
「貴方を捨てるですって?」
「違う?」
アテナイーレはこの婚約を、出来るなら解消したいと思っていた。それがハリソンにとっての最善だと信じて疑わなかった。
「陛下は王妃との婚約時代に危うく王妃に捨てられそうであったと。すんでのところで回避出来たのは奇跡であったと仰ったよ。」
アテナイーレは、見目も気質も母に似ている。母の思考回路なら手に取るように理解出来る。母も自分も、これと決めたら猪突猛進、さっぱりきっぱり切り捨てる。それを父は潔いと褒めてくれるが、どうだろう、アテナイーレ自身は欠点だと思っている。
「私は間に合った?君に捨てられるだなんて、なんの為にメイソンに後継を押し付けたのか。」
メイソンとはハリソンの弟で、彼らは双子の兄弟である。
「押し付けた?」
「君を奪われたくなかった。知ってるかい?君に隣国から縁談が来てたのを。」
「え!」
「やはり知らなかったんだな。私は父からそれを聞いて、その場で後継をメイソンに譲ると訴えた。君の王配は、私がなると宣言した。」
「そんな、そんなの聞いていないわ。」
「君がここに初めて連れて来てくれた日に、そう心に誓った。君が、禁書を読めるのは君の王配だけだと言ったから、私は君がその、首に掛けている鍵を使用できる権利が欲しいと思った。それは禁書が読みたいからではなくて、君の夫だけが許される権利だと思ったからだよ。」
ランプの灯りに照らされて、ハリソンの翠色の瞳に炎が反射して燦いて見える。
「君の瞳は、泉の水底のようだな。大きくて深くて美しい。」
そう言ってハリソンは、アテナイーレの目元にそっとハンカチを当てた。
「泣かないで、アティ。」
「ハリー、」
懐かしい幼い頃の呼び名で呼ばれて、アテナイーレの涙は尚もハンカチを濡らした。
「お母様、宜しくて?」
「まあ、アティ、どうしたの?」
アテーシアは、モリーの毛繕いをしていた。ここは王城の厩舎で、モリーはアテーシアの愛馬である。娘時代の種族を超えた親友である牝馬メリーの娘の娘の娘である。アテナイーレもモリーを可愛がっていたから、モリーが撫でてくれと強請っている。
自身に良く似たアテナイーレを、アテーシアは見上げた。見目はアテーシアに良く似ているが、アテナイーレは背が高い。
「その、ハリソンと話しをしたの。それで、」
モリーの鼻先を撫でながら語る娘の横顔は、未来の女王の貴高さをほんのちょっと脇に置いて、母の前で初恋を打ち明ける初々しい乙女の姿である。
娘は解っているだろうか。
母似であると言われるが、醸し出す空気が父王のそれと同じであるのを。誇り高く聡明で懐深い夫に、とてもよく似ている。彼女はきっと良い統治者になるだろう。照れながらハリソンとの一件を打ち明ける娘を眩しく思った。
その晩、アテーシアは夫を問い詰めた。
「貴方、ハリソンを嗾けたわね。」
「うん。彼、私と似てるからね。いや、アティが君に似てるからかな。ハリソンが思いっきり振られそうだったから発破を掛けた。」
「想いが通じ合ったそうよ。」
「それは行幸。」
「初めから解ってたくせに。」
「君だって、図書室へ誘導しただろう。」
「彼処はボンジャミンも中まで入らないでしょうから。二人で話しが出来ると思ったの。」
「だろう?」
「アティが良いパートナーを得られて良かったわ。次はアンね。」
「アンなら辺境伯が欲しいそうだよ。」
「まあ。」
アンドリューに姿が生き写しのアンドリアナは、中身が女剣士である。かつて狂犬呼ばわりされたアテーシアに似すぎていて、西の辺境伯から目を付けられていた。
言葉足らずが仇となり危うく壊れかけた過去を持つ二人は、姫達が歩むそれぞれの未来と幸せについて、その晩も向かい合わせに横たわり見つめ合いながら、夜更けまで語りあうのだった。
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