名前が強いアテーシア

桃井すもも

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図書室で物語を読んでいたアテナイーレは、至極納得がいってしまった。

道理で上手く行かない訳だ。

だって名前が強いもの。そんな自分を彼が好きになる筈なんて無かったのだ。
アテナイーレ。これって神話に出てくるいくさ女神アテーナだわ。
父王の頭から甲冑纏って生まれ出た、女軍神アテーナだわ。

この方のお父様って、余りにも頭が痛くって、全能であるにも関わらず部下に命じて斧で頭をかち割らせちゃったと言うじゃない。全知全能なのによ?そんな原始的な手段を選ばせるほど、この娘は父親の頭を悩ませたってことよね。

それはまるで、自身の姿に重なった。

アテナイーレは王国の第一王女である。

三つ下に妹姫がおり他に兄弟はいないから、アテナイーレは将来女王となってこの国の頂に立つ。

アテナイーレは多分、父や母の頭を悩ませる問題児であるのだろう。

アテナイーレには婚約者がいる。王配となってアテナイーレの治世を共に支える為に選ばれたのは、ラトランド公爵家の嫡男である。
本来であれば公爵家当主となって、広い領地と連なる数多の傘下貴族を束ねる筈の彼が、アテナイーレの婚約者に据えられた事でその未来を弟へ譲る事となってしまった。

彼の生家は王家の傍流の一つで、国政にも議会にも強い発言権を持っている。
何より彼の父はアテナイーレの父の側近である。母はアテナイーレの母とは令嬢時代からの友(母は友人1号と呼んでいる)という間柄で、両親達は貴族学園では学友であり親友であった。

親同士が固い信頼で結ばれているからと、子の世代がそうとは限らない。

婚約は、同い年の二人が十四の年に結ばれた。
彼は、艶のある金色の髪に澄んだ翠の瞳の、貴族然とした美しい少年であった。アテナイーレといえば、母譲りの濃いブルネットに紺碧色の瞳と言う、金髪碧眼揃いの王侯貴族の中でも地味な色合いである。妹のアンドリアナは父に良く似た金髪に美しい青い瞳であるのに。

婚約が結ばれて初めて二人きりで会った会合で、彼は始終硬い表情で、じっとアテナイーレを見つめていた。
彼とは幼い頃から良く知る仲であったから、もしかしたらこんな事になるのではと思っていた。アテナイーレは、それが只々申し訳なくて、彼の顔を満足に見ることが出来なかった。

最初に言葉を発したのは彼で、確か『宜しく願う。婚約者殿』そう言ったのではなかったか。
共に育った仲であるのに、彼はアテナイーレの名を呼んではくれなかった。敢えてそうしたのだろうか。今も彼の真意は解らない。

それからは、定例のお茶会に彼は遅れた事も欠席した事も、ただの一度も無かった。季節の花を贈ってくれれば文もくれる。絵に描いた様な素晴らしい婚約者である。
けれども、対面すればいつも二人はぎこちなく、側付きの侍女が気を遣いあれこれお茶や菓子を入れ替えるほどである。

彼は、婚約の結ばれる直前まで当主教育を受けていたのを急遽王配教育に切り替えて、アテナイーレも帝王学を叩き込まれている最中であったから、幼い頃のように戯れあうなどありよう筈も無く、婚約者として定められた日に会うのが精一杯なのである。

つまり二人は、幼馴染であれば良好な関係でいられたのに、婚約者となってからは上手くは行かなかったと言う事である。


手元の閉じた書物の表紙を撫でる。
神話の神々は神であるのに人間臭くて、いつも何処かでやらかしてしまう。失敗談の方が多いのではなかろうか。気まぐれな恋に囚われて、本懐を忘れて道を踏み外し、親子兄弟よく争う。

その中にあって、度々現れるアテーナは、誇り高き軍神である。そんな戦女神の名をもらったが為に、きっと麗しい公爵令息に嫌厭されてしまったのだろう。

本当はそんな事では無いのは解っている。
自身との婚約が彼の当主としての未来を潰えさせた、その一点がアテナイーレの心に影を落としているのだった。

婚約から二年。
来月には、共に王立の貴族学園に通う。本人達の心の内など置いてけぼりにして、周囲に未来の女王とその王配としての姿を現す事となる。

王城の図書室の禁書棚の奥で、ソファーに身を沈め、自身を疎ましく思っているであろう婚約者の影を帯びた表情を思い出し、彼が弾ける笑みを見せてくれたのはいつ頃までだったろうと考えてみる。アテナイーレが見付けた答えは、随分幼い頃の思い出であった。


「こんな所においでであったか。」

薄闇から良く知る声が聴こえて、アテナイーレは驚き居住まいを正した。

「女王陛下がこちらへいるのではと仰って、それで来てみた。表にボンジャミンがいたから、多分貴女が中にいるのだと。」

ボンジャミンとはアテナイーレの護衛騎士である。彼の双子の兄は母の専属護衛だ。

「ハリソン。」

今日はお茶会の予定は無かった筈である。それとも予定を間違えてしまったか。

「ごめんなさい、予定を間違えてしまったかも。今日貴方と会う予定はあったかしら。」
「いや。偶々父に付いて登城した。君に会ってから帰ろうと思ったんだ。」
「まあ。それでは随分探させたのではなくて?」
「そうでもないよ。君は大抵此処にいると思っていたから。」

随分と昔、まだ幼馴染であった頃、ここにハリソンを連れてきた事があった。王城の図書室は、アテナイーレの一番好きな場所であったから、ハリソンにも見せてあげたいと思ったのだ。



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