名前が強いアテーシア

桃井すもも

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「お目出度う、と言ったら良いのかしら。」

数日を掛けて王都に戻ったアテーシアは、モールバラ公爵邸より先に王城へ連行された。

「漸く収まるところへ収まったわね。本当に貴方達には苦労させられたわ。」

旅の身から、何故が公爵家から届けられていたドレスに着替え、身綺麗に整えられた後に王妃の間に通されて、今は王妃の前にアテーシアが座り、そのすぐ隣にアンドリューが「密着」と言うのに等しい距離で座っていた。

「アンドリュー、気持ちは解るわ。ですがみっともないから離れなさい。ほらほら、足がアテーシアに当たってますよ。」

王妃が目配せした直後に、アンドリューの背後から近衛騎士が現れて、アンドリューの座る椅子をアンドリューごとアテーシアから引き離した。

騎士様、力持ちだわと感激するアテーシアから顔ごと視線を逸らした騎士を、アンドリューが爽やかな笑顔で見る。目が全然笑っていないけれど。

王妃がアテーシアに向けて、眉を下げた。

「アテーシア。良いのね?」
「はい。」 

「私なりに教育には注力してきたつもりであったのだけれど、子育てとは難しいものね。思った以上に残念な息子に育ったみたい。不器用と執着、どちらにも大きく振り切ってしまったわ。こんな息子だけど地頭は優秀なのよ。そこそこ治世は為せるでしょう。足りないところはアテーシア、貴女が息子を助けてやって頂戴。貴女となら、きっと上手く愚息の手綱を握れるでしょうから。」

そう言って王妃は紅茶をひと口含んでから、やはり彼処西の辺境伯領の紅茶は香りが違うわ、と呟いた。
そうして、
「やっと貴女を娘に出来るのね。一度は諦めたのよ。」
そう言って、柔らかな笑みでアテーシアを見つめた。


王妃の間を後にして、このまま公爵邸に戻るのだと思っていたアテーシアは、進む通路がいつもと違うことに気がついた。

十歳の頃より通い慣れた王妃の間から続く回廊は、外の景色を眺めながら通ったものだ。
庭園を彩る季節の花々を愛でたり、遠くに見える騎士団の稽古の中に金色の髪を探したり。

長い回廊を歩きながら退城するまで、考えるのはいつもアンドリューのことであったと思い出す。また今日も会えなかったと、切ない想いがこの回廊に染み付いてしまったのではと思うほどである。

それが、今日はアンドリューが隣にいる為か、外の風景から思考が逸れて、いつの間にやら見知らぬ通路を歩いていた。

何処に行くのだろう。
初めて入るエリアは、王妃の間の気品が漂う空気と異なり、落ち着いた色合いに統一されている。そうして何より目に付くのは、行き交う者達が文官である事だった。

渋い飴色のオーク材の扉が見えて、どうやら其処が目的の部屋であるのだと解った。扉の前に近衛騎士が二人いて、立位のままアンドリューに頭を垂れた。この部屋に来る直前の通路も近衛騎士が護っていた。

「ここは、」
ここはアンドリューの執務室だ。アテーシアの考えは間違い無かった様で、何処から現れたのか、アテーシアも顔を知っているアンドリューの侍従が扉を開いた。

「さあ、おいで」

アンドリューにいざなわれて入室した部屋には、出入り口側に数人の文官が座しており、真っ直ぐ見通せる最奥の机は、そこだけが違う空気を醸し出して、それがアンドリューの執務席なのだと知らせていた。

何よりアテーシアを驚かせたのは、文官達の机を通り過ぎた先にある扉の奥が応接室で、そこに数人、アテーシアの入室と同時に深々と頭を垂れる男女がいた事である。

美しいカーテシーの令嬢がパトリシアだと直ぐに解った。

「お楽になさって下さい。」

パトリシアが侯爵令嬢としてアンドリューの婚約者に敬意を表しているのを、アテーシアもまた筆頭公爵家の令嬢として対した。

面を上げたパトリシアが、澄んだ翠の瞳でアテーシアを見る。その隣にはエドモンドが、後方には緊張しているらしく硬い表情のパトリックとリチャードがいた。

「私の婚約者であるモールバラ公爵令嬢のアテーシア嬢だ。いずれ君等が仕える主となる。宜しく頼むよ。」

その言葉に、アテーシアの前の面々が再び頭を垂れるのを、アテーシアもまた公爵令嬢として受け止めた。

アンドリューがアテーシアの手を取り、先に座席に促して、それからその隣に座れば、側近候補等とパトリシアもそれに倣って着席した。

「彼女はこれまで淑女学院で学んでいたのだが、週明けより貴族学園に編入する。私の婚約者として、君達と共に学ぶ事になった。慣れない事も多いだろうから、君達にはアテーシアを助けてやってほしい。」

何が慣れないだ、いっつも好き勝手大暴れしてたよね、皆の心の声が聴こえた気がした。

「アテーシア、彼女はリンジー侯爵家のご令嬢でパトリシア嬢と言う。そこにいる同じ顔の男は弟でね、二人は双子の姉弟なんだ。君の護衛のベンジャミン・ボンジャミンと同じだね。そうそう、パトリシア嬢はエドモンドの婚約者であってね、これから共に私達の治世を支えてくれる事になる。
パトリシア嬢、良ければアテーシアの友人となってはくれないか。彼女は幼い頃に私の婚約者と定めされてから社交場には出ていないんだ。友人が激少ななのだよ。
ええっと、何だっけ?友人が三人しかいないのだよね、アテーシア。友人1号、2号、3号であったかな?」

もうみんな、すっかりまるっとバレバレであるのに、アンドリューはしてやったりな顔をしてアテーシアを、それからどんな三文芝居を見せられているのだと呆れ顔で二人を見守る面々を、爽やかな笑みで見回した。



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