名前が強いアテーシア

桃井すもも

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「お言葉は?」
「くっ、ま、参ったっ」

砂塵の中に転がる青年は、そう言って悔しげに土を握り締めた。


選択科目を騎士科に選んだアテーシアは、当然ながら剣の未経験者ではない。そんなの当たり前だろう。
いくら学園での学びだからといって、全く未経験のご令嬢が騎士科を選ぶのを、学園が許可する訳など無いだろう。怪我などされて貴族家から抗議を受けて困るのは学園である。

模擬用に刃を潰したレイピアを振れば、ぶんっという風音と一緒に塵が舞った。まるで穢れたものを切ってしまったとでもいうその姿に、背中から転がり強かに後頭部を打った青年は、手汗にまみれて泥となった砂塵を握り締めることしか出来ずにいた。


前髪ぱっつん令嬢は、小柄な体躯の子爵令嬢である。名前も聞かない家だから、吹けば飛ぶような困窮貴族に違いない。
そう、アテーシアを侮る子女等は確かにいた。

まず、見た目がちょっと残念だ。
アテーシア自身は乙女のバイブル『週刊貴婦人』のお洒落特集を真似たつもりでいるのだが、流行の最先端がイカして見えるのは紙面の上だからである。

現実にそんなのが現れたなら、何処の異国から来たのだろう、くらいの奇異の眼差しを向けられても仕方が無い。

それがスタンダードを良しとする貴族社会であれば尚の事である。モールバラ公爵家は懐が深い上に娘に甘い。それくらい甘やかしても足りぬ程、アテーシアとは努力を重ねて来たのである。

その努力の中に、「剣術」が入っているのは当然の事である。
妃とは、王を支える者であり、そうして王を護る者である。自身の命とは己の物では無い。身も心も髪の毛一本まで、伴侶となる王の為に費やすのだと、そう教えられた六年なのだ。

王家の近衛騎士に匹敵する私兵を持つ公爵家にて、幼少の頃から鍛え抜かれたアテーシアは、別にアンドリューに嫁がなくても辺境騎士として立派に立身出来る位の実力がある。

女軍神の様な、名前が強いばっかりに婚約者に疎まれてしまったとの考察に行き着いたアテーシアは、実際戦場でも通用する強い子になってしまって、それって最早、真の女軍神なれるんじゃなかろうかという点には気付いていない。

剣術とは、飽くまでもアンドリューを護るための技術の一つである。外交の為に語学を学ぶのと変わらない。それがアテーシアの認識であった。

だから、自分を見下ろす恵まれた体躯の男にも、しかもアテーシアを小枝と舐めて掛かる阿呆になど、負ける筈がないのである。

「参りました」が試合終了の合図である。それが無ければ、強制的に教師から敗北を告げられる。それは恥ずべき事であったから、パトリックは嫌でも負けを自身の口から告げねばならなかった。



選択科目の初授業の場で、小っさい身体で現れたアテーシアは生徒達に衝撃を与えた。
腰には小振りなレイピアを携えている。これは邸から学園での稽古用に持ち込んだものである。

騎士科の生徒達の中には勿論女子も少なからずいたにはいたが、彼女等は家が武門であるのが多く、その為、体躯にも恵まれていた。皆一様に凛々しい女剣士である。
その中に、ちんまい前髪ぱっつんが、赤縁眼鏡の縁をくいっと上げて並んでいる。

迷子かな?
そう思った生徒は間違っていない。至って正常な感覚の持ち主だろう。

だがしかし、先日の昼食時に一悶着勝手に引き起こしたこの男は、あれからも何かにつけてアテーシアに突っかかって来た。

金髪碧眼の侯爵令息パトリックは、黙っていれば見目麗しい王太子の側近候補であるのに、何だかちょっと残念な程しつこい。

アテーシアの側を通る度に、「ちっ」と舌打ちするのを忘れない。欠かすこと無く毎回だから、一層勤勉なほどである。

そんな舌打ちだなんて貴族の子息は致しませんよ、とアテーシアは心の内であかんべえをする。多分、貴族令嬢もあかんべえなど致しません。

同じ教室にいるのだから顔を合わせるのは当然で、なんでお前ここにいるんだ的な態度を示されても困ってしまう。
大抵はエドモンドがやんわり諌めてくれるのだが、授業中は自己責任だろう。


「お前」

先日、「貴様」呼びしたのをアテーシアに眼力強めに見返されてから、パトリックはアテーシアを「お前」呼びする様になった。それでも十分失礼である。

「そんななりで舐めているのか。」

手始めに素振り1000回練習中であった。
お前と言うお前こそ、素振り1000回終わったのか?20回しかしてないだろうと聞きたいところを取り敢えず堪える。

「何をでしょう。」

「はっ、馬鹿なのか。そんな小枝の様な身体で、そんな細い模擬刀で、騎士を舐めているのか。」

「私は騎士様に敬意を払っております。本懐の為なら我が身を捨てる勇気とは、言葉で言うより重いものです。彼等は恐怖も痛みも乗り越えて主に仕える尊い存在です。」

「解った様な事を言うな、生意気に。」

「舐めているのかと問われましたので、そうではないとお答えしただけです。」

いつしか二人のやり取りを、生徒達が取り囲んで見つめている。

初めこそ、ちょっと見目の面白い女の子が騎士職を勘違いしているのだとパトリック寄りで眺めていた野次馬も、背筋を伸ばし小柄な身体で怯むこと無くパトリックを見上げるその姿に、これは侮ってはならないのだと、パトリックこそ、余程舐めているのではないかと思うのだった。


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