名前が強いアテーシア

桃井すもも

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侍女に前髪を切ってもらえば、そこには初めて出会う自分がいた。

「おデコが温かく感じるわね。」

眉すれすれのところで前髪が出来ている。剝き出しであった額はすっかり隠れてしまった。

鏡の自分と向き合って、「新鮮だわ」と独り呟く。そこに、母が用意してくれた眼鏡を掛ける。飴色を帯びた赤い縁取りの眼鏡である。

「なんだかんだでお似合いですわ、お嬢様。」

侍女の言葉が励ましなのか侮蔑なのかは考えない事にした。
まあ、良かろう。これで私は子爵令嬢シアである。

早速、家族にお披露目しようと、まずは父の執務室を訪った。

扉を開けた執事がちょっと息を飲む。
つかつか父の元へと近付けば、父は、まあ、その、モゴモゴと、何を言っているのかよく解らなかった。インパクトが足りないのかしらと、髪を下町娘風のお下げ編みにしてから兄の部屋を訪ねた。
あの笑いを噛み殺す泣き顔は、一体何だったのだろう。

結局、母だけが「純朴な風情がなかなか板に付いている」と褒めてくれた。褒めたのよね。


物心がついてから、毎日毎日この邸宅で、只管ひたすら同じ日々を過ごして来た。
朝起きて軽い食事を摂ったなら、座学にダンスに刺繍に座学座学。座学多目のルーティンを決められた時間きっちり熟す。

アテーシアの世界の住人は、家族と使用人と教師だけであった。遠い記憶の向こうには、幼い頃にお茶会で会った貴族子女等がいるにはいるが、その表情は朧気で、そうしてどれも幼いままである。


学園とは、どんなところなのだろう。
勉学だけを言えば、アテーシアは既に高等教育を学び終えている。三年間の学園生活とは、そんなアテーシアに与えられた猶予期間である。

まつりごとに埋没する前に、ほんのひと時与えられた、令嬢らしい束の間の自由を、貴族子女達と関わりながら学び楽しむ。そう云う意味で与えられる時間なのだろう。

そうしてそれはアンドリューも同様で、彼は将来の側近候補達と共に、貴族社交の縮図と言える学園で、自身の治める治世を支える貴族子女等と触れ合う。

そういえば、父と陛下も学友であった。
二人だけの思い出もあるのだろう。

「友達...」

哀しいかな。友達と言うワードで思い浮かぶのは、邸のうまやの馬ばかりであった。

「人間のお友達を作ることも出来るのかしら。」
でも、と思う。

「お友達って、なんなのかしら。」

アテーシアは名前ばかりでなく心も強い。六年間も孤独を強いられ厳しい教育を受けるのに、一度も寝込むことの無かった位には心も身体も強い子である。

「まあ、会えば解るでしょう。」

何事も経験である。
届いたばかりの『週刊貴婦人』を開けば、今週の特集記事は「王都で人気のカフェ巡り」らしい。挿絵を見れば、洒落た店構えの店内に、大勢のご令嬢がテーブルを埋めて、各々楽しげに菓子など食している。

アテーシアがこのお店に行ったなら、この賑やかな店内で唯一人、ぽつんと席に座っているのだろう。それをイメージ出来るのに、寂しいと思えないのは何かが可怪しいのだろうか。

花の盛りのご令嬢が、お一人様を堪能出来る。早熟なのか未熟なのか判断し辛いアテーシアなのである。


入学式を翌週に控えて、アテーシアは王城へ登城していた。
月に一度、王妃教育の一環で王妃とのお茶会がある。その際に、アンドリューが多忙でなければアンドリューともお茶会が催されるのだが、実現するのは5回に1回あるだろうか。「多忙」が最も多い理由で、次は「剣の稽古」である。

果たして月に一度、ほんの一刻程の時間も作れないほど多忙であるのか、剣の稽古が婚約者との会合に優先されるものなのかは、もうアテーシアは考えない。偶に「5回に1回」の1回に当たる月は、アテーシアの誕生月であったり聖夜の月であったりした。

アンドリューは、精巧な人形の様に貼り付けた笑み以外の表情を見せないところは、絡繰人形のアテーシアとどっこいどっこいであるが、彼は決してケチではない。数ヶ月に一度会える時には何某かの贈り物を用意している。

西の辺境伯領で採れる初摘みの茶葉であったり、語学を学ぶアテーシアが入手の難しい外国の書物であったり。
間違っても大輪の薔薇とかにリボンを掛けた花束だなんてロマンティックな事をしないのがミソである。

まあ、それも5回に1回であるから、平たく言えば半年に一度程度の事で、今日も「剣の稽古中」と言うことであるから、アンドリューとのお茶会はお流れとなっている。


王妃から学園入学のお祝いを頂戴した。ロイヤルブルーのリボンである。この染色は王家の色で、王族から下賜されなければ得ることの難しいものである。貴重なリボンをアテーシアは嬉しく頂戴した。

ドレスなどの装いは公爵令嬢らしく登城に相応しいのだが、前髪ぱっつんのアテーシアに王妃は息を飲んだ。
ん?眼鏡は掛けておりませんよ。
デジャヴだろうか、誰かもこんな反応していたな。そう思ったのは一瞬で、流石は「秘技・顔色を変えない」を習得済みの王妃は、んっんっ、と可怪しな咳払いをしただけで、いつもの王妃に戻っていた。

話題は専ら最近の王都の出来事であったり、社交界の話であったり、教育に不足は無いか身体は健康か等で、いつも大きく変わらない。

王妃はご令嬢時代から母の友人でもある。
だからであろうか、鷹揚な母とのんびりお茶を楽しむ様な、王妃とはそんな気の置けない時間を過ごせる。

贈り物の御礼を述べて王妃の間を辞する。
帰り道の長い回廊から外の風景が見えていた。遠くに金属がぶつかり合う刃の音が聴こえて、騎士団の稽古場が近いのだと解った。

立ち止まり、音のする方を眺めれば、確かに騎士達が稽古をしているのが見えた。
遠くに燦く金色が動いている。金髪の騎士は多いが、あの烟る金色はアテーシアが知る限り三人のみ。国王陛下と王太子殿下、それから第二王子殿下である。

ふいに烟る金色がこちらを振り返った。
遠目であるのに鮮やかな青い瞳が見て取れた。
アテーシアはそれに対して会釈をして、そうして邸へと帰った。


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