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「何故貴方がここにおられるのです。」
「ああ、お邪魔しているよ。ノーマン侯爵。」
「ここは私の妻が住まう邸です。貴方の訪問を私は許可した憶えはない。」
「寝言を言ってもらっては困るよ、侯爵。私は君に言った筈だ。キャスリーンを僅かでも蔑ろにしたなら、彼女は直ちに我が邸に引き取ると。君とて王太子付きの側近だろう。貴族の約束事の重さは承知している筈だ。」
キャスリーンの住まう離れの邸。
夫人の私室は混沌としていた。
執事も護衛も侍女もメイドも、キャスリーンに侍る者達は、こんな修羅場、一層のこと夢だと思いたいと意識を飛ばしかけていた。フランツのみが辛うじて、しっかりするんだ自分、と自身を奮い起こしているのだった。
「フランツ。」
「はい、旦那様。」
「何故チェイスター伯爵が此処におられるのだ。」
「私がお伝え致しました。」
「...」
「モートン男爵令嬢の、「もう良い。分かった」
アダムを睨み付けたまま、アルフォンはフランツに尋ねた。
アルフォンが城から戻ると、ロアンの青い顔に出迎えられた。
王城へ出仕した後に、アマンダが離れに単独向かったと言う。
そこで起こった事の顛末に、アルフォンはこの歳で泣きたくなった。
キャスリーンがアマンダに打たれていたならと、考えるだけで心臓が縮む思いがした。
アルフォンは、事のあらましを帰宅したばかりの玄関ホールで聞いていたのが、そのまま踵を返して離れに向かった。
離れの邸が見えてくれば、馬車止めには見慣れぬ馬車が停まっている。キャスリーンに客人なのかと思った直後、その紋章の家が分かって頭が沸騰するかと思った。
それからどうやってキャスリーンの私室へ辿り着いたのか記憶が無い。
果たしてノックはしただろうか、気が付けば扉を開けて押し入る勢いで中へ入っていた。
妻の私室には、外務大臣、いやキャスリーンが真の夫と呼ぶ男が大きな体躯を持て余す様に椅子に腰掛けていた。
「フランツ。何故私に知らせなかった。」
「旦那様へはロアンが動くと判断致しました。」
「ロアンからは先程聞いた。」
「それはまた..」
「フランツ。此処で一体何があった。」
フランツを詰るアルフォンを、キャスリーンとアダムが見守る体(てい)となっている。
「旦那様。」
キャスリーンはそこで夫に声を掛けた。
「フランツを責めないで下さいませ。フランツは護衛と共に身を呈して私の盾となってくれたのです。」
身を呈して盾となる。その言葉は暗に暴力的な行為を受けたのだと言っている。誰からなんて聞くまでも無い。
身体ごとこちらへ振り返ったアルフォンに、キャスリーンはアマンダとのやり取りの大凡を話して聞かせた。その話しにアルフォンは蒼白な顔で茫然となったまま立ち尽くす。正しく憂いを帯びた美しい銅像の姿である。
漸く我に返ったのか、アルフォンはその様子をアダムが見つめているのを分かっていて、彼の面前を素通りしてキャスリーンへ近寄った。
キャスリーンは背の高いアルフォンを見上げる形となりながらも、間近に近付いた夫へ常と変わらぬ様子で向き合った。
「キャスリーン、身体は大丈夫なのか、」
「ええ、少しばかりお腹が張りましたが「何だって!」
「大丈夫です。ちょっと張っただけですわ。先程も動いているのが伝わって来ましたの。」
「はああぁ、そうか。そうか、そうか..」
アルフォンは片手で顔を覆い大きな溜め息の後は、そうかそうかと繰り返す。
「アマンダは男爵家に戻す。」
「いいえ、旦那様。それには及びません。」
「いや、そう言う訳には行かない。」
「それはなりません。」
「何故君がアマンダを庇う。」
「庇っているのではありません。」
「では何故。彼女は君に危害を加えようとしたのだぞ。」
「あの方には侯爵邸にいてもらわねばなりません。」
「何故?」
「あの方にはあの方の役割があるのです。」
「役割だと?」
「ええ。きっと旦那様にはお解りにならない事ですわ。お義母様がお考えの事ですから。」
「キャスリーン。私には彼女への感情は既に無い。」
「真逆そんな、旦那様。」
「真のことだ。随分前から、」
「ですが今まであれほど大切になさっておられたではないですか。」
「今更どうにも出来なかった。子を孕んでからは特に...」
「喩え愛情が希薄になってしまったとしても、貴方が彼女を引き入れ貴方がここまで彼女の好きにさせたのですから、最後まで面倒を見て頂かねばなりません。」
「それでは君はいつになったら本邸へ戻るのだ。」
「ああ、漸くかな。漸く私の発言が出来そうだね。」
横入りと言う言葉がぴったりなタイミングで、アダムが会話に割って入る。
「ノーマン侯爵。約束を忘れてもらっては困ると先程言ったばかりだろう。今こそ果してもらおうか。キャスリーンが軽んじられる、虐げられる、挙げ句の果ての暴力だ。不遇の三拍子を絵に描いた在り様だな。こんな事が実際にあるのかと正直私も驚いているよ。侯爵家には一秒たりともキャスリーンを置いておけない私の気持ちがお解りか。主が空け者なら愛人は痴れ者、家令は役立たずと来た。
君も貴族なら約束事の意味を理解するんだ。坊っちゃん当主はこれだから困るな。」
「アダム様、言い過ぎですわ。」
「これしきで?私はまだまだ言い足りないよ。」
酷い言い様である。アダムの方が年嵩だが、爵位はアルフォンの方が上である。不敬なんてものではない。
アルフォンは木偶の様に立ち竦む。それを見守るフランツは、目眩を感じながら一層の事、ここで倒れて退場してしまいたいと思った。
「ああ、お邪魔しているよ。ノーマン侯爵。」
「ここは私の妻が住まう邸です。貴方の訪問を私は許可した憶えはない。」
「寝言を言ってもらっては困るよ、侯爵。私は君に言った筈だ。キャスリーンを僅かでも蔑ろにしたなら、彼女は直ちに我が邸に引き取ると。君とて王太子付きの側近だろう。貴族の約束事の重さは承知している筈だ。」
キャスリーンの住まう離れの邸。
夫人の私室は混沌としていた。
執事も護衛も侍女もメイドも、キャスリーンに侍る者達は、こんな修羅場、一層のこと夢だと思いたいと意識を飛ばしかけていた。フランツのみが辛うじて、しっかりするんだ自分、と自身を奮い起こしているのだった。
「フランツ。」
「はい、旦那様。」
「何故チェイスター伯爵が此処におられるのだ。」
「私がお伝え致しました。」
「...」
「モートン男爵令嬢の、「もう良い。分かった」
アダムを睨み付けたまま、アルフォンはフランツに尋ねた。
アルフォンが城から戻ると、ロアンの青い顔に出迎えられた。
王城へ出仕した後に、アマンダが離れに単独向かったと言う。
そこで起こった事の顛末に、アルフォンはこの歳で泣きたくなった。
キャスリーンがアマンダに打たれていたならと、考えるだけで心臓が縮む思いがした。
アルフォンは、事のあらましを帰宅したばかりの玄関ホールで聞いていたのが、そのまま踵を返して離れに向かった。
離れの邸が見えてくれば、馬車止めには見慣れぬ馬車が停まっている。キャスリーンに客人なのかと思った直後、その紋章の家が分かって頭が沸騰するかと思った。
それからどうやってキャスリーンの私室へ辿り着いたのか記憶が無い。
果たしてノックはしただろうか、気が付けば扉を開けて押し入る勢いで中へ入っていた。
妻の私室には、外務大臣、いやキャスリーンが真の夫と呼ぶ男が大きな体躯を持て余す様に椅子に腰掛けていた。
「フランツ。何故私に知らせなかった。」
「旦那様へはロアンが動くと判断致しました。」
「ロアンからは先程聞いた。」
「それはまた..」
「フランツ。此処で一体何があった。」
フランツを詰るアルフォンを、キャスリーンとアダムが見守る体(てい)となっている。
「旦那様。」
キャスリーンはそこで夫に声を掛けた。
「フランツを責めないで下さいませ。フランツは護衛と共に身を呈して私の盾となってくれたのです。」
身を呈して盾となる。その言葉は暗に暴力的な行為を受けたのだと言っている。誰からなんて聞くまでも無い。
身体ごとこちらへ振り返ったアルフォンに、キャスリーンはアマンダとのやり取りの大凡を話して聞かせた。その話しにアルフォンは蒼白な顔で茫然となったまま立ち尽くす。正しく憂いを帯びた美しい銅像の姿である。
漸く我に返ったのか、アルフォンはその様子をアダムが見つめているのを分かっていて、彼の面前を素通りしてキャスリーンへ近寄った。
キャスリーンは背の高いアルフォンを見上げる形となりながらも、間近に近付いた夫へ常と変わらぬ様子で向き合った。
「キャスリーン、身体は大丈夫なのか、」
「ええ、少しばかりお腹が張りましたが「何だって!」
「大丈夫です。ちょっと張っただけですわ。先程も動いているのが伝わって来ましたの。」
「はああぁ、そうか。そうか、そうか..」
アルフォンは片手で顔を覆い大きな溜め息の後は、そうかそうかと繰り返す。
「アマンダは男爵家に戻す。」
「いいえ、旦那様。それには及びません。」
「いや、そう言う訳には行かない。」
「それはなりません。」
「何故君がアマンダを庇う。」
「庇っているのではありません。」
「では何故。彼女は君に危害を加えようとしたのだぞ。」
「あの方には侯爵邸にいてもらわねばなりません。」
「何故?」
「あの方にはあの方の役割があるのです。」
「役割だと?」
「ええ。きっと旦那様にはお解りにならない事ですわ。お義母様がお考えの事ですから。」
「キャスリーン。私には彼女への感情は既に無い。」
「真逆そんな、旦那様。」
「真のことだ。随分前から、」
「ですが今まであれほど大切になさっておられたではないですか。」
「今更どうにも出来なかった。子を孕んでからは特に...」
「喩え愛情が希薄になってしまったとしても、貴方が彼女を引き入れ貴方がここまで彼女の好きにさせたのですから、最後まで面倒を見て頂かねばなりません。」
「それでは君はいつになったら本邸へ戻るのだ。」
「ああ、漸くかな。漸く私の発言が出来そうだね。」
横入りと言う言葉がぴったりなタイミングで、アダムが会話に割って入る。
「ノーマン侯爵。約束を忘れてもらっては困ると先程言ったばかりだろう。今こそ果してもらおうか。キャスリーンが軽んじられる、虐げられる、挙げ句の果ての暴力だ。不遇の三拍子を絵に描いた在り様だな。こんな事が実際にあるのかと正直私も驚いているよ。侯爵家には一秒たりともキャスリーンを置いておけない私の気持ちがお解りか。主が空け者なら愛人は痴れ者、家令は役立たずと来た。
君も貴族なら約束事の意味を理解するんだ。坊っちゃん当主はこれだから困るな。」
「アダム様、言い過ぎですわ。」
「これしきで?私はまだまだ言い足りないよ。」
酷い言い様である。アダムの方が年嵩だが、爵位はアルフォンの方が上である。不敬なんてものではない。
アルフォンは木偶の様に立ち竦む。それを見守るフランツは、目眩を感じながら一層の事、ここで倒れて退場してしまいたいと思った。
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