黒革の日記

桃井すもも

文字の大きさ
上 下
40 / 68

【40】

しおりを挟む
キャスリーンは私室にいて、フランツと向き合っている。
キャスリーンが呼んでいると伝えると、フランツはそれまで手掛けていた仕事を取り止めて直ぐに離れに来てくれた。
 
「フランツ。貴方に聞きたい事があるの。」
「何でございましょう、キャスリーン様。」
「貴方、此処に勤めて何年になるのかしら?」
「見習いの頃を含めれば今年で二十九年になります。」
「まあ、そんなに?いくつの頃から?」
「十四の年に。父が当時こちらの執事を務めさせて頂いておりましたから。」
「お父様が?今はどちらへ?」
「既に鬼籍に入っております。」
「まあ。ごめんなさいね、思い出させるような事を聞いてしまって。」
「宜しいのです。どうかお気になさらないで下さい。キャスリーン様、何をお知りになりたいのでしょうか。」

「アマンダの事よ。いえ、そちらのアマンダ嬢ではなくてよ。アマンダ・シェフィールド・ノーマンについて。」



赤髪のアマンダは、アルフォンの祖父である当時の侯爵家当主の娘である。
しかし彼女は侯爵夫人より生まれた娘ではなかった。所謂妾腹で、侯爵が邸の外で得た恋の末にこの世に生を受けた最愛の娘であった。

侯爵家の嫡子に当たるアルフォンの父よりも三つ年下で、アルフォンにとっては叔母に当たる。
誕生と同時に侯爵が認知をした為に、正式な侯爵家の令嬢として侯爵家にて育てられていた。

侯爵家に於いてアマンダが恵まれるばかりの環境にあったとは言い難い。妾の子でありながら父侯爵からは正妻の子より愛される。実母と離され正妻の下で養育される。
しかし、真実彼女の立場を不安定なものにしていたのは、その真紅の髪と漆黒の瞳にあった。


「アマンダ様は大変お美しく、そしてお優しいお方でした。当時私は十五でして、二つ年上のアマンダ様は私を弟の様だと可愛がって下さいました。私はそれが少々気恥ずかしく照れてしまったものです。」


突然の問い掛けであったのに、フランツは一瞬の戸惑いすら見せずに頷いた。

少し間があったのは、嘗ての令嬢アマンダを思い出していたからだろう。


「私の知るアマンダ様は、侯爵家のご令嬢として欠けるところの無い完璧なお方でした。常にご自身よりも他者を慮り、人の言葉によく耳を傾けて思慮深く、滅多な事では侯爵家の権勢を振るうなどと云う事はなさいませんでした。
柔らかく瑞々しいお心をお持ちの聡明なご令嬢だったのです。寧ろ、旦那様、ええ、アマンダ様のお父上になります当時の侯爵様がその辺りには神経をお使いになっておられました。
旦那様の御前で妾腹などと言おうものなら、次の日にはその家は無くなるとまで言われておりましたから。大袈裟な言葉ではございません。それは言葉通りの真実でございました。」

「お生まれになったと同時に侯爵家へ迎えられ、正妻である奥様をお母上としてお育ちになられました。幼い頃のアマンダ様の事は存じ上げませんが、父の話によれば、侯爵家の令嬢として厳しく躾られていらっしゃったご様子でございます。奥様のお気持ちも今なら解る気が致します。私の記憶にございます奥様は貴族婦人らしい矜持をお持ちのお方でした。妾の子であろうと侮られる事のないように、あの方なりにアマンダ様の将来を思ってお育てになられたのだと思います。」

「奥様がアマンダ様に辛く当たるのを、私は一度も目にした事はございません。ですが、幼少の頃より実母が妾であることを知らされてお育ちになられたアマンダ様は、その辺りをよく弁えておられたらしく、それが控え目で物腰の柔らかなご性格に影響していたのだと思います。」

「そうして何よりアマンダ様のお立場を不安定なものにしておりましたのは、そのご容姿にありました。キャスリーン様もご存知だと思われますが、アマンダ様は燃えるような赤髪に漆黒の瞳をお持ちでございましたから。侯爵家にも実母の家系にもその様な色の者は過去にもおりませんでした。であれば、妾が不義の上に旦那様のお子と偽ったのではないか、托卵されたのではないかと疑いの目を向けられるのも仕方が無かったと思われます。」

「しかし、旦那様は一遍の疑いもお持ちにはならなかったそうです。父によれば、アマンダ様の瞳の形がご自身のそれとそっくりであると、赤髪は天からの授かり物であると、嬰児みどりごの頃からそれはそれは大切に愛でておられたと聞いております。」

「ですが、身内の中で皆が皆、そう納得された訳では無かったのでしょう。事実、兄君、ええアルフォン様のお父上であられますロバート様でございます。そのロバート様はアマンダ様を妹とお認めにならなかったのです。それは私も覚えがございます。あのお方のアマンダ様を見つめる視線は、異性に対して持つ憧憬のような眼差しでございましたから。お解り頂けますでしょうか。そうです、ロバート様はアマンダ様にひとりの女性として惹かれておいででした。兄妹仲は大変よろしかったのです。けれども、ロバート様の愛は妹ではなく恋人に向ける愛なのだと、その頃の私にも見て取れました。」

「奥様がお悩みになられるのは当然であったと思われます。当時のロバート様にはご婚約者様がおられましたから。はい、アルフォン様のお母上様です。
ご婚約者のテレーゼ様は、当時伯爵家のご令嬢でしたが、表面上はアマンダ様とも良好な関係であったとお見受け致しました。侯爵家でお茶会等がございますと、私も父に付いてご令嬢方のお側に控えておりましたから、お二人が兄の婚約者と義理の妹として仲良くお話しされているお姿を何度か拝見致しておりました。」

「ですが、あの年の夏の初め、アマンダ様の身辺はその様相を変えてしまったのです。」

フランツは、過ぎ去った遠い夏を思い出すかのように目を細めた。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

公爵夫人の微笑※3話完結

cyaru
恋愛
侯爵令嬢のシャルロッテには婚約者がいた。公爵子息のエドワードである。 ある日偶然にエドワードの浮気現場を目撃してしまう。 浮気相手は男爵令嬢のエリザベスだった。 ※作品の都合上、うわぁと思うようなシーンがございます。 ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

あの子を好きな旦那様

はるきりょう
恋愛
「クレアが好きなんだ」  目の前の男がそう言うのをただ、黙って聞いていた。目の奥に、熱い何かがあるようで、真剣な想いであることはすぐにわかった。きっと、嬉しかったはずだ。その名前が、自分の名前だったら。そう思いながらローラ・グレイは小さく頷く。 ※小説家になろうサイト様に掲載してあります。

【完結】大好きな貴方、婚約を解消しましょう

凛蓮月
恋愛
大好きな貴方、婚約を解消しましょう。 私は、恋に夢中で何も見えていなかった。 だから、貴方に手を振り払われるまで、嫌われていることさえ気付か なかったの。 ※この作品は「小説家になろう」内の「名も無き恋の物語【短編集】」「君と甘い一日を」より抜粋したものです。 2022/9/5 隣国の王太子の話【王太子は、婚約者の愛を得られるか】完結しました。 お見かけの際はよろしくお願いしますm(_ _ )m

婚約者の浮気相手が子を授かったので

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。 ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。 アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。 ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。 自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。 しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。 彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。 ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。 まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。 ※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。 ※完結しました

もう、いいのです。

千 遊雲
恋愛
婚約者の王子殿下に、好かれていないと分かっていました。 けれど、嫌われていても構わない。そう思い、放置していた私が悪かったのでしょうか?

あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます

おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」 そう書き残してエアリーはいなくなった…… 緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。 そう思っていたのに。 エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて…… ※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。

さよなら私の愛しい人

ペン子
恋愛
由緒正しき大店の一人娘ミラは、結婚して3年となる夫エドモンに毛嫌いされている。二人は親によって決められた政略結婚だったが、ミラは彼を愛してしまったのだ。邪険に扱われる事に慣れてしまったある日、エドモンの口にした一言によって、崩壊寸前の心はいとも簡単に砕け散った。「お前のような役立たずは、死んでしまえ」そしてミラは、自らの最期に向けて動き出していく。 ※5月30日無事完結しました。応援ありがとうございます! ※小説家になろう様にも別名義で掲載してます。

処理中です...