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キャスリーンは私室にいて、フランツと向き合っている。
キャスリーンが呼んでいると伝えると、フランツはそれまで手掛けていた仕事を取り止めて直ぐに離れに来てくれた。
「フランツ。貴方に聞きたい事があるの。」
「何でございましょう、キャスリーン様。」
「貴方、此処に勤めて何年になるのかしら?」
「見習いの頃を含めれば今年で二十九年になります。」
「まあ、そんなに?いくつの頃から?」
「十四の年に。父が当時こちらの執事を務めさせて頂いておりましたから。」
「お父様が?今はどちらへ?」
「既に鬼籍に入っております。」
「まあ。ごめんなさいね、思い出させるような事を聞いてしまって。」
「宜しいのです。どうかお気になさらないで下さい。キャスリーン様、何をお知りになりたいのでしょうか。」
「アマンダの事よ。いえ、そちらのアマンダ嬢ではなくてよ。アマンダ・シェフィールド・ノーマンについて。」
赤髪のアマンダは、アルフォンの祖父である当時の侯爵家当主の娘である。
しかし彼女は侯爵夫人より生まれた娘ではなかった。所謂妾腹で、侯爵が邸の外で得た恋の末にこの世に生を受けた最愛の娘であった。
侯爵家の嫡子に当たるアルフォンの父よりも三つ年下で、アルフォンにとっては叔母に当たる。
誕生と同時に侯爵が認知をした為に、正式な侯爵家の令嬢として侯爵家にて育てられていた。
侯爵家に於いてアマンダが恵まれるばかりの環境にあったとは言い難い。妾の子でありながら父侯爵からは正妻の子より愛される。実母と離され正妻の下で養育される。
しかし、真実彼女の立場を不安定なものにしていたのは、その真紅の髪と漆黒の瞳にあった。
「アマンダ様は大変お美しく、そしてお優しいお方でした。当時私は十五でして、二つ年上のアマンダ様は私を弟の様だと可愛がって下さいました。私はそれが少々気恥ずかしく照れてしまったものです。」
突然の問い掛けであったのに、フランツは一瞬の戸惑いすら見せずに頷いた。
少し間があったのは、嘗ての令嬢アマンダを思い出していたからだろう。
「私の知るアマンダ様は、侯爵家のご令嬢として欠けるところの無い完璧なお方でした。常にご自身よりも他者を慮り、人の言葉によく耳を傾けて思慮深く、滅多な事では侯爵家の権勢を振るうなどと云う事はなさいませんでした。
柔らかく瑞々しいお心をお持ちの聡明なご令嬢だったのです。寧ろ、旦那様、ええ、アマンダ様のお父上になります当時の侯爵様がその辺りには神経をお使いになっておられました。
旦那様の御前で妾腹などと言おうものなら、次の日にはその家は無くなるとまで言われておりましたから。大袈裟な言葉ではございません。それは言葉通りの真実でございました。」
「お生まれになったと同時に侯爵家へ迎えられ、正妻である奥様をお母上としてお育ちになられました。幼い頃のアマンダ様の事は存じ上げませんが、父の話によれば、侯爵家の令嬢として厳しく躾られていらっしゃったご様子でございます。奥様のお気持ちも今なら解る気が致します。私の記憶にございます奥様は貴族婦人らしい矜持をお持ちのお方でした。妾の子であろうと侮られる事のないように、あの方なりにアマンダ様の将来を思ってお育てになられたのだと思います。」
「奥様がアマンダ様に辛く当たるのを、私は一度も目にした事はございません。ですが、幼少の頃より実母が妾であることを知らされてお育ちになられたアマンダ様は、その辺りをよく弁えておられたらしく、それが控え目で物腰の柔らかなご性格に影響していたのだと思います。」
「そうして何よりアマンダ様のお立場を不安定なものにしておりましたのは、そのご容姿にありました。キャスリーン様もご存知だと思われますが、アマンダ様は燃えるような赤髪に漆黒の瞳をお持ちでございましたから。侯爵家にも実母の家系にもその様な色の者は過去にもおりませんでした。であれば、妾が不義の上に旦那様のお子と偽ったのではないか、托卵されたのではないかと疑いの目を向けられるのも仕方が無かったと思われます。」
「しかし、旦那様は一遍の疑いもお持ちにはならなかったそうです。父によれば、アマンダ様の瞳の形がご自身のそれとそっくりであると、赤髪は天からの授かり物であると、嬰児の頃からそれはそれは大切に愛でておられたと聞いております。」
「ですが、身内の中で皆が皆、そう納得された訳では無かったのでしょう。事実、兄君、ええアルフォン様のお父上であられますロバート様でございます。そのロバート様はアマンダ様を妹とお認めにならなかったのです。それは私も覚えがございます。あのお方のアマンダ様を見つめる視線は、異性に対して持つ憧憬のような眼差しでございましたから。お解り頂けますでしょうか。そうです、ロバート様はアマンダ様にひとりの女性として惹かれておいででした。兄妹仲は大変よろしかったのです。けれども、ロバート様の愛は妹ではなく恋人に向ける愛なのだと、その頃の私にも見て取れました。」
「奥様がお悩みになられるのは当然であったと思われます。当時のロバート様にはご婚約者様がおられましたから。はい、アルフォン様のお母上様です。
ご婚約者のテレーゼ様は、当時伯爵家のご令嬢でしたが、表面上はアマンダ様とも良好な関係であったとお見受け致しました。侯爵家でお茶会等がございますと、私も父に付いてご令嬢方のお側に控えておりましたから、お二人が兄の婚約者と義理の妹として仲良くお話しされているお姿を何度か拝見致しておりました。」
「ですが、あの年の夏の初め、アマンダ様の身辺はその様相を変えてしまったのです。」
フランツは、過ぎ去った遠い夏を思い出すかのように目を細めた。
キャスリーンが呼んでいると伝えると、フランツはそれまで手掛けていた仕事を取り止めて直ぐに離れに来てくれた。
「フランツ。貴方に聞きたい事があるの。」
「何でございましょう、キャスリーン様。」
「貴方、此処に勤めて何年になるのかしら?」
「見習いの頃を含めれば今年で二十九年になります。」
「まあ、そんなに?いくつの頃から?」
「十四の年に。父が当時こちらの執事を務めさせて頂いておりましたから。」
「お父様が?今はどちらへ?」
「既に鬼籍に入っております。」
「まあ。ごめんなさいね、思い出させるような事を聞いてしまって。」
「宜しいのです。どうかお気になさらないで下さい。キャスリーン様、何をお知りになりたいのでしょうか。」
「アマンダの事よ。いえ、そちらのアマンダ嬢ではなくてよ。アマンダ・シェフィールド・ノーマンについて。」
赤髪のアマンダは、アルフォンの祖父である当時の侯爵家当主の娘である。
しかし彼女は侯爵夫人より生まれた娘ではなかった。所謂妾腹で、侯爵が邸の外で得た恋の末にこの世に生を受けた最愛の娘であった。
侯爵家の嫡子に当たるアルフォンの父よりも三つ年下で、アルフォンにとっては叔母に当たる。
誕生と同時に侯爵が認知をした為に、正式な侯爵家の令嬢として侯爵家にて育てられていた。
侯爵家に於いてアマンダが恵まれるばかりの環境にあったとは言い難い。妾の子でありながら父侯爵からは正妻の子より愛される。実母と離され正妻の下で養育される。
しかし、真実彼女の立場を不安定なものにしていたのは、その真紅の髪と漆黒の瞳にあった。
「アマンダ様は大変お美しく、そしてお優しいお方でした。当時私は十五でして、二つ年上のアマンダ様は私を弟の様だと可愛がって下さいました。私はそれが少々気恥ずかしく照れてしまったものです。」
突然の問い掛けであったのに、フランツは一瞬の戸惑いすら見せずに頷いた。
少し間があったのは、嘗ての令嬢アマンダを思い出していたからだろう。
「私の知るアマンダ様は、侯爵家のご令嬢として欠けるところの無い完璧なお方でした。常にご自身よりも他者を慮り、人の言葉によく耳を傾けて思慮深く、滅多な事では侯爵家の権勢を振るうなどと云う事はなさいませんでした。
柔らかく瑞々しいお心をお持ちの聡明なご令嬢だったのです。寧ろ、旦那様、ええ、アマンダ様のお父上になります当時の侯爵様がその辺りには神経をお使いになっておられました。
旦那様の御前で妾腹などと言おうものなら、次の日にはその家は無くなるとまで言われておりましたから。大袈裟な言葉ではございません。それは言葉通りの真実でございました。」
「お生まれになったと同時に侯爵家へ迎えられ、正妻である奥様をお母上としてお育ちになられました。幼い頃のアマンダ様の事は存じ上げませんが、父の話によれば、侯爵家の令嬢として厳しく躾られていらっしゃったご様子でございます。奥様のお気持ちも今なら解る気が致します。私の記憶にございます奥様は貴族婦人らしい矜持をお持ちのお方でした。妾の子であろうと侮られる事のないように、あの方なりにアマンダ様の将来を思ってお育てになられたのだと思います。」
「奥様がアマンダ様に辛く当たるのを、私は一度も目にした事はございません。ですが、幼少の頃より実母が妾であることを知らされてお育ちになられたアマンダ様は、その辺りをよく弁えておられたらしく、それが控え目で物腰の柔らかなご性格に影響していたのだと思います。」
「そうして何よりアマンダ様のお立場を不安定なものにしておりましたのは、そのご容姿にありました。キャスリーン様もご存知だと思われますが、アマンダ様は燃えるような赤髪に漆黒の瞳をお持ちでございましたから。侯爵家にも実母の家系にもその様な色の者は過去にもおりませんでした。であれば、妾が不義の上に旦那様のお子と偽ったのではないか、托卵されたのではないかと疑いの目を向けられるのも仕方が無かったと思われます。」
「しかし、旦那様は一遍の疑いもお持ちにはならなかったそうです。父によれば、アマンダ様の瞳の形がご自身のそれとそっくりであると、赤髪は天からの授かり物であると、嬰児の頃からそれはそれは大切に愛でておられたと聞いております。」
「ですが、身内の中で皆が皆、そう納得された訳では無かったのでしょう。事実、兄君、ええアルフォン様のお父上であられますロバート様でございます。そのロバート様はアマンダ様を妹とお認めにならなかったのです。それは私も覚えがございます。あのお方のアマンダ様を見つめる視線は、異性に対して持つ憧憬のような眼差しでございましたから。お解り頂けますでしょうか。そうです、ロバート様はアマンダ様にひとりの女性として惹かれておいででした。兄妹仲は大変よろしかったのです。けれども、ロバート様の愛は妹ではなく恋人に向ける愛なのだと、その頃の私にも見て取れました。」
「奥様がお悩みになられるのは当然であったと思われます。当時のロバート様にはご婚約者様がおられましたから。はい、アルフォン様のお母上様です。
ご婚約者のテレーゼ様は、当時伯爵家のご令嬢でしたが、表面上はアマンダ様とも良好な関係であったとお見受け致しました。侯爵家でお茶会等がございますと、私も父に付いてご令嬢方のお側に控えておりましたから、お二人が兄の婚約者と義理の妹として仲良くお話しされているお姿を何度か拝見致しておりました。」
「ですが、あの年の夏の初め、アマンダ様の身辺はその様相を変えてしまったのです。」
フランツは、過ぎ去った遠い夏を思い出すかのように目を細めた。
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