黒革の日記

桃井すもも

文字の大きさ
上 下
23 / 68

【23】

しおりを挟む
「あの古書は、やはり二百年程前のものであるらしい。痛みは酷いが修復出来ない程でもないそうだ。安心しろ。」

「私はレオナルドから進捗報告を貰う予定でしたが。」

「うん。だから今説明しておる。」
「何故、殿下が。」
「見てきたからな。」

控えている侍女にお茶のお代わりを淹れてもらうと「美味いな、この茶葉」と呑気な事を言っている。
お茶目当てに突撃回数が増えるのは阻止したい。これからは等級の劣る茶葉を用意せねば。キャスリーンは仄暗い決意をする。

「目録を作るべきだな。」
「それ程のものでございましたか。」
「うん。あれを集めた当時の侯爵当主は審美眼があったのだな。文学に造詣が深かったのかな。」
「なんて素晴らしい。」
「全くだ。」

「キャスリーン。」
暫くお茶を楽しんでいたらしいアンソニーが、改まった風にキャスリーンを呼ぶ。

「なんでございましょう。殿下。」
「私は望んでこの身分に生まれた訳では無い。」

「もし夢が叶うのだとしたら、考古学者にでもなりたかったな。いにしえの遺物を探し求めて世界を旅する。見つけたならそれを発掘して解明する。その為には古い文字を学ばねばならぬし天文学にも明るくなければならない。天体についても知識が必要だからな。古の人々は天空の星から科学を見出していた。
幼い頃にお前と会った日を憶えているか?彼処に展示していた遺物、あの遺物が始まりであった。何が書かれているのかどうしても知りたかった。だから師を得て学んだ。
キャスリーン。お前は私の数少ない同志だ。お前は身分で人を見ない。まあ私をみる目はなかなかに冷たいが、そこもグッと来て気に入っている。
だからお前が本分の及ばぬ所で苦労するのは気に入らないのだ。
前に言ったろう。私は仕事が出来る男だ。お前の役に立つ。頼るんだ、困った時には。」

言いたい事をまるまる言い捨てて、アンソニーは帰って行った。
去り際に、「この容姿は気に入っているんだ。このままの姿で生まれ変わって冒険者にでもなりたいな。」等と不埒は発言をして最後まで護衛を慌てさせた。


「嵐の様なお方ですね。」
「そうね。全く。」
「キャスリーン様はいつもこの様に殿下とはお親しいので?」
「いいえ。生家にいた頃は、訪いを受けた事は一度も無かったわ。ここへ嫁いで来てからよ。私も驚いているの。」
「では、どうやって親交を深められたので?」
「城に呼ばれていたの。殿下の授業の日に。」
「...」

フランツはそれ以上は聞いては来なかった。それから、旦那様のお帰りが遅いのを料理長に伝えると言って厨房の方へ向かって行った。


アンソニーの言葉通り、アルフォンは常より一刻半ほど遅く帰宅した。心なし疲れた表情をしており、その晩は自室で休むらしかった。

最近、離れへ訪う頻度が減っている。
愛人は彼の訪いを待っている事だろう。
他人の思惑に左右される暮らし。愛する男を待つのだとしても、それは果たして幸せな事なのだろうか。

私なら..
そう考えてキャスリーンは思った。
アダム様。貴方様なら待てるかもしれない。いいえ、そうではなくて、貴方様なら待つのも幸せに思えるかもしれない。
貴方に次にお会い出来るのはいつかしら。またお会い出来るかしら。

待つ時間とは、なんと切なく甘く寂しいものなのだろう。

「私も鳥が欲しいわ。」

アマンダの目と耳を楽しませ、アダムと会えない寂しさを慰めた美しい鳥とは。

「まあ!私ったら、名を聞かなかったわ。」

アンソニーは、その鳥に覚えがあるらしかった。多分その名も知っていた筈なのに、名を確かめることを失念してしまった。

「アマンダ、貴女は解ったの?」

きっとアマンダも同じ事を考えた筈で、キャスリーンはそれを確かめたくって猛烈に図書室に行きたくなった。あの黒革の日記を開いて、アマンダの言葉を聞きたかった。

まとまった時間を作ることは難しい。
王城務めの夫に代わって、侯爵当主の執務を一部であるが肩代わりしているキャスリーンは、夫人の家政以外にも熟さねばならない執務がある。

「時間が欲しいわね。そうだわ。」



「お着替えをご自分で?」
「ええ、そうなの。」
「何か私共に失礼がございましたでしょうか。」
「いいえ、そうではないのよ。ただ、早朝は気持ちが良いでしょう?散策や読書にうってつけなのですもの。けれど、身支度しなければ部屋からは出られないし、早い時間に侍女達を呼ぶのは申し訳無いと思って。」
「お仕事がご負担になっていらっしゃるのでしたら、」
「いいえ、フランツ。そんなのではないの。ただ静かな時間が欲しいだけなのよ。」

フランツに相談すれば、直ぐに手配をしてくれた。一人で脱ぎ着が出来るワンピース。デイドレスの代わりにもなる上質の物を揃えてくれた。

髪は侍女に習って、手間の要らない纏め髪の仕方を教わった。

侯爵邸は部屋にもお湯が通っている。
私室の隣に浴室があり、そこにパイプでお湯が送られて来ることから、生家の様にお湯を運ばずとも湯を浴びる事が出来る。
朝の為の衣類を前日から用意してもらえれば、目覚めたら自分で身支度を整えるのも可能なことに思われた。

暖炉の火の起こし方も教えてもらう。
少しコツがいって戸惑ったが、それも直ぐに出来るようになった。

「いつでも一人暮らしができそうね。」
「滅相な事を仰らないで下さいませ。」

メイドが青くなるのが可笑しくて、つい笑ってしまうと、メイドも安堵したのか笑みが戻った。





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

公爵夫人の微笑※3話完結

cyaru
恋愛
侯爵令嬢のシャルロッテには婚約者がいた。公爵子息のエドワードである。 ある日偶然にエドワードの浮気現場を目撃してしまう。 浮気相手は男爵令嬢のエリザベスだった。 ※作品の都合上、うわぁと思うようなシーンがございます。 ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

あの子を好きな旦那様

はるきりょう
恋愛
「クレアが好きなんだ」  目の前の男がそう言うのをただ、黙って聞いていた。目の奥に、熱い何かがあるようで、真剣な想いであることはすぐにわかった。きっと、嬉しかったはずだ。その名前が、自分の名前だったら。そう思いながらローラ・グレイは小さく頷く。 ※小説家になろうサイト様に掲載してあります。

【完結】大好きな貴方、婚約を解消しましょう

凛蓮月
恋愛
大好きな貴方、婚約を解消しましょう。 私は、恋に夢中で何も見えていなかった。 だから、貴方に手を振り払われるまで、嫌われていることさえ気付か なかったの。 ※この作品は「小説家になろう」内の「名も無き恋の物語【短編集】」「君と甘い一日を」より抜粋したものです。 2022/9/5 隣国の王太子の話【王太子は、婚約者の愛を得られるか】完結しました。 お見かけの際はよろしくお願いしますm(_ _ )m

婚約者の浮気相手が子を授かったので

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。 ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。 アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。 ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。 自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。 しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。 彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。 ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。 まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。 ※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。 ※完結しました

さよなら私の愛しい人

ペン子
恋愛
由緒正しき大店の一人娘ミラは、結婚して3年となる夫エドモンに毛嫌いされている。二人は親によって決められた政略結婚だったが、ミラは彼を愛してしまったのだ。邪険に扱われる事に慣れてしまったある日、エドモンの口にした一言によって、崩壊寸前の心はいとも簡単に砕け散った。「お前のような役立たずは、死んでしまえ」そしてミラは、自らの最期に向けて動き出していく。 ※5月30日無事完結しました。応援ありがとうございます! ※小説家になろう様にも別名義で掲載してます。

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈 
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます

おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」 そう書き残してエアリーはいなくなった…… 緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。 そう思っていたのに。 エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて…… ※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。

処理中です...