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イザベルの事をグレースは婚姻前から知っていた。
リシャールに伴われる彼女の姿を社交の場で度々目にしていた。淡い金の髪に薄翠の瞳。早乙女の様に長い髪を背に垂らして、儚げな美しさを持つ女性である。
まだリシャールと婚約する前、グレースは夜会や舞踏会で二人の姿を何度か目にして、その近過ぎる距離から、彼等が当然婚約している仲なのだろうと思っていたから、リシャールの生家である侯爵家から縁談を持ち込まれた時には驚いた。
それは父も母も同じであったらしく、大切な事だからと侯爵へ確認をした程である。
二人は学園の同窓で、その学園生時代からの付き合いであるらしい。であれば添わせてやればよいものを、そうはいかなかったのは家の内情にあった。
侯爵家と云えども経済的に低迷しているヴィリアーズ家に、イザベルの子爵家も没落までは行かぬがギリギリ貴族の名を保っている家であった。息女のイザベルを貴族学園に入れたのも苦しい家計を遣り繰りしての事であった。良い嫁ぎ先を見つける、その一点がイザベルに課せられた課題であったらしい。
心を通わせる出会いに恵まれた。しかし両家が結ばれては、何れは共々沈む舟であった。
二人とも恋に浮かれてはいるが、それが解らぬほど愚かではなかったから、泣く泣く婚姻は諦めた。それでも離れがたく以来共に月日を過ごして来た。
グレースはその話を聞いて呆れてしまった。慕いあう恋人達が離れがたい気持ちは理解出来る。しかし二人は何も解決していない。
折角学園で学んだのに、両家の益になることを興す訳でもなく、ただ物語や小説の悲劇のカップルの様に寄り添うだけで、前進する術を得ようとしない。
イザベルに関して言うなら、そもそも学園に入れてもらえたのであれば、まずは学業に励むべきであったろう。
貴族令嬢の立場ならグレースにも理解出来る。無位の令嬢が生きるには貴族の嫁ぎ先が必須であるという事も。皆が皆グレースの様に商いに術を得られる訳ではないのだから。
嫁ぎ先を探す事は大事である。だからこそ、それが叶わなかった時の為に、文官か侍女かガヴァネスか、己の食い扶持を得る術を学ぶことが将来我が身を守る道となるのではないだろうか。
少なくともグレースはそう考えている。
金は無いけど愛は欲しい。
妻には出来ないなれないけれど、これまでの関係も壊したくない。
そんな二人の敵の様に輿入れするのは何とも虚しい事だと思われた。
この曰く付きの婚姻を、果たして父は受け入れた。嫁いだ娘が無碍にされ泣くのを解って受け入れたかと言えばそうではない。
父は、侯爵家というブランドを得た娘に新たな商い先の発露を委ねた。その為に、婚姻早々グレースに共同経営者を紹介して、新たな商会を立ち上げる手助けをしてくれた。そうして侯爵家当主夫妻も、このまま没落の未来をみるくらいなら、気鋭の家系に倣うべきとそれを認めたのである。
グレースにとってこの婚姻は契約であった。そこに肉体関係が加わったのは想定外の事であった。恋人のいるリシャールとは我が身を重ねる事は無いだろうと考えていた。
もし子に恵まれたなら、当然侯爵家の直系として育てたい。イザベルにも子が出来て嫌な後継争いが起こったとしても、既に契約で取り決めが成されている。
侯爵家に嫁いで来てからは、家政も侯爵家の金銭管理もグレースが担うこととなった。元々は義父である侯爵当主が行っていたのだが、グレースの能力を信頼してか早々にそれらを明け渡し、今は傘下の貴族に預けている領地の管理と自身の商会経営に専念している。
元々義父が目を光らせていた為に、リシャールが愛人に貢ぐ金銭には限度額が定められていた。夫はそれをいっぱいいっぱい使ってイザベルを囲っている。
そうして長年の恋人達は、自分たちの立場や貴族としての認識が些か緩いらしく、先日も二人仲良く舞踏会に参加していた。
イサベルは侯爵家の経営する商会以外は、本妻のグレースが経営する商会のドレスを身に着けることは無かった。グレースの商会は侯爵家の商会とは別経営で、グレースとその共同経営者が経営するものであったから、当然ながら夫であってもリシャールの自由が利くものでは無い。
グレースの商会では春と秋に新作のドレスが販売される。その新作ドレスに最初に袖を通すのは会頭のグレースであって、彼女が新作のドレスを纏って夜会や舞踏会の場でお披露目をするまでは、喩え夫と言えどもリシャールがドレスを入手することは叶わない。
入手するならグレースがドレスを披露をした後、彼女の商会のギャラリーに新作として陳列されてからとなる。その際も、当然ながら代金はリシャールの私財から賄う事になる。
果たして現実には、流石のリシャールもグレースの商会を訪ねて恋人の為にドレスを購入するなどと云うことは無かった。そもそもリシャールの私財とは、父に代わってグレースが財を管理する侯爵家から渡されるものであったから、それ位の分別はリシャールにも出来ていた。
グレースの商会で販売される新作ドレスのお披露目は、夜会や舞踏会、婦人方の茶会が舞台であった。そこにグレースが現れれば当然婦人方の話題となっていた。
それを耳にした恋人が何かを強請ったとしても、リシャールにとってグレースの商会は不可侵の領域であったから、恋人の為とは云え勝手が許される事は無かった。
王家や高位貴族が主催の夜会には、恋人を連れる訳にもいかずグレースと共に夫妻で参加をする。けれども気の置けない貴族家の集まりには、リシャールはイザベルを伴って参加するのが常であった。
今宵の夜会もそうだったが、リシャールの気をそぞろにさせたのは妻のグレースが男に伴われて参加していたことであった。
男はグレースの商会の共同経営者である。商会とは、侯爵家に嫁いで間もなくグレースが立ち上げた婦人服店であった。
グレースの生家であるエバーンズ伯爵家の繋がりで男との共同経営という形態を取っている為に、夫のリシャールも口出しは出来ない。
その共同経営者とは、アーバンノット伯爵家の嫡子ロバートと言う。
リシャールやイザベルとは学園で同窓であったから互いに面識があった。
恋人の腰に手を添えてエスコートした夜会には、初めて目にするドレスを纏い美しく装った妻がロバートに伴われて参加していた。
リシャールに伴われる彼女の姿を社交の場で度々目にしていた。淡い金の髪に薄翠の瞳。早乙女の様に長い髪を背に垂らして、儚げな美しさを持つ女性である。
まだリシャールと婚約する前、グレースは夜会や舞踏会で二人の姿を何度か目にして、その近過ぎる距離から、彼等が当然婚約している仲なのだろうと思っていたから、リシャールの生家である侯爵家から縁談を持ち込まれた時には驚いた。
それは父も母も同じであったらしく、大切な事だからと侯爵へ確認をした程である。
二人は学園の同窓で、その学園生時代からの付き合いであるらしい。であれば添わせてやればよいものを、そうはいかなかったのは家の内情にあった。
侯爵家と云えども経済的に低迷しているヴィリアーズ家に、イザベルの子爵家も没落までは行かぬがギリギリ貴族の名を保っている家であった。息女のイザベルを貴族学園に入れたのも苦しい家計を遣り繰りしての事であった。良い嫁ぎ先を見つける、その一点がイザベルに課せられた課題であったらしい。
心を通わせる出会いに恵まれた。しかし両家が結ばれては、何れは共々沈む舟であった。
二人とも恋に浮かれてはいるが、それが解らぬほど愚かではなかったから、泣く泣く婚姻は諦めた。それでも離れがたく以来共に月日を過ごして来た。
グレースはその話を聞いて呆れてしまった。慕いあう恋人達が離れがたい気持ちは理解出来る。しかし二人は何も解決していない。
折角学園で学んだのに、両家の益になることを興す訳でもなく、ただ物語や小説の悲劇のカップルの様に寄り添うだけで、前進する術を得ようとしない。
イザベルに関して言うなら、そもそも学園に入れてもらえたのであれば、まずは学業に励むべきであったろう。
貴族令嬢の立場ならグレースにも理解出来る。無位の令嬢が生きるには貴族の嫁ぎ先が必須であるという事も。皆が皆グレースの様に商いに術を得られる訳ではないのだから。
嫁ぎ先を探す事は大事である。だからこそ、それが叶わなかった時の為に、文官か侍女かガヴァネスか、己の食い扶持を得る術を学ぶことが将来我が身を守る道となるのではないだろうか。
少なくともグレースはそう考えている。
金は無いけど愛は欲しい。
妻には出来ないなれないけれど、これまでの関係も壊したくない。
そんな二人の敵の様に輿入れするのは何とも虚しい事だと思われた。
この曰く付きの婚姻を、果たして父は受け入れた。嫁いだ娘が無碍にされ泣くのを解って受け入れたかと言えばそうではない。
父は、侯爵家というブランドを得た娘に新たな商い先の発露を委ねた。その為に、婚姻早々グレースに共同経営者を紹介して、新たな商会を立ち上げる手助けをしてくれた。そうして侯爵家当主夫妻も、このまま没落の未来をみるくらいなら、気鋭の家系に倣うべきとそれを認めたのである。
グレースにとってこの婚姻は契約であった。そこに肉体関係が加わったのは想定外の事であった。恋人のいるリシャールとは我が身を重ねる事は無いだろうと考えていた。
もし子に恵まれたなら、当然侯爵家の直系として育てたい。イザベルにも子が出来て嫌な後継争いが起こったとしても、既に契約で取り決めが成されている。
侯爵家に嫁いで来てからは、家政も侯爵家の金銭管理もグレースが担うこととなった。元々は義父である侯爵当主が行っていたのだが、グレースの能力を信頼してか早々にそれらを明け渡し、今は傘下の貴族に預けている領地の管理と自身の商会経営に専念している。
元々義父が目を光らせていた為に、リシャールが愛人に貢ぐ金銭には限度額が定められていた。夫はそれをいっぱいいっぱい使ってイザベルを囲っている。
そうして長年の恋人達は、自分たちの立場や貴族としての認識が些か緩いらしく、先日も二人仲良く舞踏会に参加していた。
イサベルは侯爵家の経営する商会以外は、本妻のグレースが経営する商会のドレスを身に着けることは無かった。グレースの商会は侯爵家の商会とは別経営で、グレースとその共同経営者が経営するものであったから、当然ながら夫であってもリシャールの自由が利くものでは無い。
グレースの商会では春と秋に新作のドレスが販売される。その新作ドレスに最初に袖を通すのは会頭のグレースであって、彼女が新作のドレスを纏って夜会や舞踏会の場でお披露目をするまでは、喩え夫と言えどもリシャールがドレスを入手することは叶わない。
入手するならグレースがドレスを披露をした後、彼女の商会のギャラリーに新作として陳列されてからとなる。その際も、当然ながら代金はリシャールの私財から賄う事になる。
果たして現実には、流石のリシャールもグレースの商会を訪ねて恋人の為にドレスを購入するなどと云うことは無かった。そもそもリシャールの私財とは、父に代わってグレースが財を管理する侯爵家から渡されるものであったから、それ位の分別はリシャールにも出来ていた。
グレースの商会で販売される新作ドレスのお披露目は、夜会や舞踏会、婦人方の茶会が舞台であった。そこにグレースが現れれば当然婦人方の話題となっていた。
それを耳にした恋人が何かを強請ったとしても、リシャールにとってグレースの商会は不可侵の領域であったから、恋人の為とは云え勝手が許される事は無かった。
王家や高位貴族が主催の夜会には、恋人を連れる訳にもいかずグレースと共に夫妻で参加をする。けれども気の置けない貴族家の集まりには、リシャールはイザベルを伴って参加するのが常であった。
今宵の夜会もそうだったが、リシャールの気をそぞろにさせたのは妻のグレースが男に伴われて参加していたことであった。
男はグレースの商会の共同経営者である。商会とは、侯爵家に嫁いで間もなくグレースが立ち上げた婦人服店であった。
グレースの生家であるエバーンズ伯爵家の繋がりで男との共同経営という形態を取っている為に、夫のリシャールも口出しは出来ない。
その共同経営者とは、アーバンノット伯爵家の嫡子ロバートと言う。
リシャールやイザベルとは学園で同窓であったから互いに面識があった。
恋人の腰に手を添えてエスコートした夜会には、初めて目にするドレスを纏い美しく装った妻がロバートに伴われて参加していた。
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