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「貴方に折り入って相談があるの。」

そう伝えると、外商の男は何でございましょう奥様と、にこやかに答えた。

近い内に海辺の街へ旅でもしたいと考えている。それに合う気楽な街着を幾枚か用意して欲しい。靴と帽子や手袋も。
それから、これらのドレスを処分をしたい。古臭いと旦那様に恥を掻かせていけないから。

「承知致しました。直ぐに手配致しましょう。」

新たな衣装の代金は、ドレスの買取り代金から相殺してもらう事にした。

それからは、何処其処の海岸が風光明媚で美しいのだとか、最近は彼処が人気だとか、観光名所の話しに興じた。誰かとこんな気軽に会話をするのが久しぶりで、楽しいものだと思った。


「外商を呼んで何も買わないなど恥ずかしい事をするな。」

頬が熱を持って耳まで赤く染まるのが、見える筈のない自分にも分かった。

ドレスを売った代金から頼んだ衣装代を相殺したので、表面上の支払いは発生していない。当然何も買っていないことになる。

迂闊であった。
外商を呼んで何も買わない。
エドガーは資産家だ。その妻に呼ばれて外商は手ぶらで帰された。

質素倹約はこの場合美徳とは見倣されない。配慮に欠けた世間知らずの夫人だと自分から言っているようなものだ。
そんな事に気付きもせずに、呑気に旅の話などに興じていた自分が、コレットは堪らなく恥ずかしく感じた。

ドレスの買取り依頼とは別に、耳飾りの一つでも購入するのが外商への心遣いなのに、こう云うところが伯爵夫人として足りないのだ。

「夜会のドレスを新調しなかったのか。」
今日のエドガーは余り機嫌が良くない。もしかして、あの未亡人と比較されているのだろうか。あんな女性(ひと)と比べられても困る。

ライトゴールドのドレスに身を包む美しい彼(か)の人を思い浮べる。
彼女のドレスは夫の百貨店のものなのだろうか。きっと彼女ならこんなみっともない失敗はしないのだろう。

数日後に再び現れた百貨店の外商は、夜会用のドレスを数着携えて来邸した。
伯爵様からお代は頂戴しております、と言われて再び頬が赤くなるのを感じた。


その日、コレットは王都の図書館に赴いた。

「海辺の高台」そんな場所が何処にあるのか調べてみたかった。

気候が温暖で食べ物が美味しければ最高だろう。街が近くて、けれども程よく人里から離れている。
とても贅沢な暮しに思えた。

観光本の書架の前で暫く過ごしているうちに、幾分疲れを感じた。
何冊か借りて図書館を出る。
偶の事だし、侍女も一緒にお茶を頂こうと、直ぐ横にあるカフェに入った。

侍女は貴族の娘で、年令もコレットと近い。同年代との気安い街歩きのようで、学生時代を思い出し心が浮き立った。

テラス席を選んでお茶が届く間、通りの風景を眺める。
色とりどりの街着に身を包む婦人方は、歩いているだけでも楽しそうに見えた。

彼女達に自分を投影して、自分もあんなふうに街を歩く日が訪れるのだろうかと思考に耽っていると、見覚えのある人物を見付けた。

エドガーである。
一人ではない。エドガーの腕に手を掛けて寄り添う黒髪の美しい女性(ひと)がいる。

こんな昼間の大通りで、人目も気にせずに。
エドガーが笑っている。
そうだわ、そんなお顔をなさるんだったわ。笑顔の夫を久しぶりに見た。
そんな柔らかなお顔をなさるのね。

御免なさい。
何故夫人である自分がそんなふうに思うのか。それでも浮かんだ言葉を否定出来なかった。
先日、叱責を受けた時のエドガーの顔が思い浮かぶ。
自分は、夫にあんな表情(かお)をさせてしまう。
エドガーに不自由を強いているのは自分の方だ。

顔色を変えた侍女に、何も見ていない風にお茶とお菓子を楽しむ事に専念した。






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