53 / 62
Another【2】エリザベスの望まれた婚姻
しおりを挟む
シャーロットは、幼い頃から華やかな娘であった。ふわふわの髪を揺らして朗らかに話しよく笑う。見目ばかりでなく社交的であるのも父に似たのだろう。
父は伯爵家の傘下貴族の子息であった。
家令の縁戚に当たる為、当時高齢であった家令の後継となるべく家令見習として勤めていたのを、母と心が通じ合い婿入りした。
元より家令の執務を習っていたから、家政も領地経営の流れも傘下貴族の関わりも十分理解しての婿入りで、母を愛し支える優しく頼りになる父である。
だから、そんな父に似たシャーロットも明るく社交的で、彼女が場にいると灯りが更に明るくなるような陽気さを備えていた。
エリザベスは父同様に、母の事を尊敬している。当主として執務を熟し領地の采配をし、社交に出て子を育てる。万能と思われる母は、実のところ何もかもがエリザベスとそっくりであった。
髪色も瞳も気質も思考も、母娘とは云えこれ程そっくり似るのも珍しいだろう。言葉に出さずとも、エリザベスは母の気持ちがよく解る。母もまた、そんなエリザベスの気持ちを汲み取って、互いに年の離れた姉妹の様に理解し合える親子であった。
だから、同じ血の通うシャーロットの気持ちが解らないのに、エリザベスは戸惑う事が度々あった。
ひとつ違いであるから、物心のついた頃には双子の様に共に過ごした。一定の年齢を越えてからは成長に差異は無くなり、だから同じ男の子に恋をしてしまったのだろう。
ヘンリーに心を寄せて、ヘンリーを慕ってヘンリーの隣から離れないシャーロット。エリザベスは、シャーロットの様にヘンリーの腕に絡みついた事など一度も無い。おでこがコツンとぶつかる程に近づいて絵本を一緒に読んだ事も無い。
姉妹の下に子が生まれないと諦めた両親から、後継と定められて当主教育を受ける様になって、折角ヘンリーが遊びに来てくれても直ぐには会いに行けなくなった。
勉学が終わって慌てて客間に行けば、ヘンリーはいつもシャーロットに微笑んで、二人で何事かエリザベスには解らないお喋りをしているのであった。
それでも、エリザベスとヘンリーで気が合わないほど険悪ということも無かったから、二人の婚約は既定路線の様に結ばれたのである。
互いに僅か十二歳で婚約の誓約書にサインをした。とても緊張したのを憶えている。
思えばあれが、生まれて初めて接した公式書類であったのだと、母の執務を習い始めた頃に思い出した。
エリザベスにとってそれは、婚姻式より重い契約と思われた。重く固くヘンリーを縛ってエリザベス以外の道を絶つ、それが仄暗い歓びを与えてくれたのを、エリザベスは生涯誰にも話さないと心に誓った。
婚姻を結んだ夜に、晩餐の席にシャーロットが現れなかったのも、翌朝、眦を紅く染めていたのにも、気付かない振りを通した。そんな事をしてもしなくても、二人の心に距離を取らせる事なんて到底無理なのだと思い知るのはこの数年後の事であるのを、十二歳のエリザベスは幼く愚かで見通せなかった。
今なら思う。
この恋心は、消してしまった方が良かったのだと。ヘンリーではない令息を願ったとしても両親はそれで構わなかったろう。王国に貴族家は他にもあるし、爵位が下でも素行が悪くなければよいだろう。シャーロットに対して不快で後ろめたい感情を抱くくらいなら、ヘンリーへの執着を手放してしまえば良かったのだ。
そうだったら、今頃こんな気持ちを抱く事も無かったのだから。
馬車の中にいて、何故かヘンリーの横に座り只管ヘンリーに話しかけるシャーロットから視線を外して窓の外を見る。雲一つない夏空が、今日も暑くなるのを知らせている。
十七歳と十六歳。一つ違いの姉妹は、ヘンリーの事を除けばそれほど仲は悪くない。極々普通の貴族の姉妹である。
けれども、その暮らしぶりは大きく差が出来た。エリザベスには、自由な時間はシャーロット程は無い。
学園から戻れば母の執務を習っている。それに集中する為に、学園の課題は帰宅する前に学園の図書室で片付けている。
一年生の頃は、それにヘンリーも付き合って、二人同じテーブルに向かい合って課題を片付けた。思えばあの頃が、一番婚約者らしい時間を過ごせていた。入学前から二人の婚約を知る子女等も多かったし、学園に入学してからも昼食時間や放課後を共に過ごすエリザベスとヘンリーを、良好な関係の婚約者同士であると周囲は理解しただろう。
それも、翌年のシャーロットの入学で、失われてしまった。
朝の登校と昼食は三人で過ごす。しかし、放課後の課題を熟すのに図書室へ向うのは、今はエリザベスだけである。当然、帰りは邸から迎えの馬車が来て、エリザベス一人で帰っている。
シャーロットはヘンリーに送られているのだろう。そんな風になったのも、図書室で声を顰められないシャーロットが、度々司書から注意を受けて、出禁に近い扱いを受ける様になったからであった。
シャーロットは仕方が無い。けれど、何故それでヘンリーが、シャーロットを邸に送っているのかについては、もうエリザベスは考えない事にした。
父は伯爵家の傘下貴族の子息であった。
家令の縁戚に当たる為、当時高齢であった家令の後継となるべく家令見習として勤めていたのを、母と心が通じ合い婿入りした。
元より家令の執務を習っていたから、家政も領地経営の流れも傘下貴族の関わりも十分理解しての婿入りで、母を愛し支える優しく頼りになる父である。
だから、そんな父に似たシャーロットも明るく社交的で、彼女が場にいると灯りが更に明るくなるような陽気さを備えていた。
エリザベスは父同様に、母の事を尊敬している。当主として執務を熟し領地の采配をし、社交に出て子を育てる。万能と思われる母は、実のところ何もかもがエリザベスとそっくりであった。
髪色も瞳も気質も思考も、母娘とは云えこれ程そっくり似るのも珍しいだろう。言葉に出さずとも、エリザベスは母の気持ちがよく解る。母もまた、そんなエリザベスの気持ちを汲み取って、互いに年の離れた姉妹の様に理解し合える親子であった。
だから、同じ血の通うシャーロットの気持ちが解らないのに、エリザベスは戸惑う事が度々あった。
ひとつ違いであるから、物心のついた頃には双子の様に共に過ごした。一定の年齢を越えてからは成長に差異は無くなり、だから同じ男の子に恋をしてしまったのだろう。
ヘンリーに心を寄せて、ヘンリーを慕ってヘンリーの隣から離れないシャーロット。エリザベスは、シャーロットの様にヘンリーの腕に絡みついた事など一度も無い。おでこがコツンとぶつかる程に近づいて絵本を一緒に読んだ事も無い。
姉妹の下に子が生まれないと諦めた両親から、後継と定められて当主教育を受ける様になって、折角ヘンリーが遊びに来てくれても直ぐには会いに行けなくなった。
勉学が終わって慌てて客間に行けば、ヘンリーはいつもシャーロットに微笑んで、二人で何事かエリザベスには解らないお喋りをしているのであった。
それでも、エリザベスとヘンリーで気が合わないほど険悪ということも無かったから、二人の婚約は既定路線の様に結ばれたのである。
互いに僅か十二歳で婚約の誓約書にサインをした。とても緊張したのを憶えている。
思えばあれが、生まれて初めて接した公式書類であったのだと、母の執務を習い始めた頃に思い出した。
エリザベスにとってそれは、婚姻式より重い契約と思われた。重く固くヘンリーを縛ってエリザベス以外の道を絶つ、それが仄暗い歓びを与えてくれたのを、エリザベスは生涯誰にも話さないと心に誓った。
婚姻を結んだ夜に、晩餐の席にシャーロットが現れなかったのも、翌朝、眦を紅く染めていたのにも、気付かない振りを通した。そんな事をしてもしなくても、二人の心に距離を取らせる事なんて到底無理なのだと思い知るのはこの数年後の事であるのを、十二歳のエリザベスは幼く愚かで見通せなかった。
今なら思う。
この恋心は、消してしまった方が良かったのだと。ヘンリーではない令息を願ったとしても両親はそれで構わなかったろう。王国に貴族家は他にもあるし、爵位が下でも素行が悪くなければよいだろう。シャーロットに対して不快で後ろめたい感情を抱くくらいなら、ヘンリーへの執着を手放してしまえば良かったのだ。
そうだったら、今頃こんな気持ちを抱く事も無かったのだから。
馬車の中にいて、何故かヘンリーの横に座り只管ヘンリーに話しかけるシャーロットから視線を外して窓の外を見る。雲一つない夏空が、今日も暑くなるのを知らせている。
十七歳と十六歳。一つ違いの姉妹は、ヘンリーの事を除けばそれほど仲は悪くない。極々普通の貴族の姉妹である。
けれども、その暮らしぶりは大きく差が出来た。エリザベスには、自由な時間はシャーロット程は無い。
学園から戻れば母の執務を習っている。それに集中する為に、学園の課題は帰宅する前に学園の図書室で片付けている。
一年生の頃は、それにヘンリーも付き合って、二人同じテーブルに向かい合って課題を片付けた。思えばあの頃が、一番婚約者らしい時間を過ごせていた。入学前から二人の婚約を知る子女等も多かったし、学園に入学してからも昼食時間や放課後を共に過ごすエリザベスとヘンリーを、良好な関係の婚約者同士であると周囲は理解しただろう。
それも、翌年のシャーロットの入学で、失われてしまった。
朝の登校と昼食は三人で過ごす。しかし、放課後の課題を熟すのに図書室へ向うのは、今はエリザベスだけである。当然、帰りは邸から迎えの馬車が来て、エリザベス一人で帰っている。
シャーロットはヘンリーに送られているのだろう。そんな風になったのも、図書室で声を顰められないシャーロットが、度々司書から注意を受けて、出禁に近い扱いを受ける様になったからであった。
シャーロットは仕方が無い。けれど、何故それでヘンリーが、シャーロットを邸に送っているのかについては、もうエリザベスは考えない事にした。
3,791
お気に入りに追加
5,810
あなたにおすすめの小説
【完結】この胸が痛むのは
Mimi
恋愛
「アグネス嬢なら」
彼がそう言ったので。
私は縁組をお受けすることにしました。
そのひとは、亡くなった姉の恋人だった方でした。
亡き姉クラリスと婚約間近だった第三王子アシュフォード殿下。
殿下と出会ったのは私が先でしたのに。
幼い私をきっかけに、顔を合わせた姉に殿下は恋をしたのです……
姉が亡くなって7年。
政略婚を拒否したい王弟アシュフォードが
『彼女なら結婚してもいい』と、指名したのが最愛のひとクラリスの妹アグネスだった。
亡くなった恋人と同い年になり、彼女の面影をまとうアグネスに、アシュフォードは……
*****
サイドストーリー
『この胸に抱えたものは』全13話も公開しています。
こちらの結末ネタバレを含んだ内容です。
読了後にお立ち寄りいただけましたら、幸いです
* 他サイトで公開しています。
どうぞよろしくお願い致します。
いつか彼女を手に入れる日まで
月山 歩
恋愛
伯爵令嬢の私は、婚約者の邸に馬車で向かっている途中で、馬車が転倒する事故に遭い、治療院に運ばれる。医師に良くなったとしても、足を引きずるようになると言われてしまい、傷物になったからと、格下の私は一方的に婚約破棄される。私はこの先誰かと結婚できるのだろうか?
お姉さまは最愛の人と結ばれない。
りつ
恋愛
――なぜならわたしが奪うから。
正妻を追い出して伯爵家の後妻になったのがクロエの母である。愛人の娘という立場で生まれてきた自分。伯爵家の他の兄弟たちに疎まれ、毎日泣いていたクロエに手を差し伸べたのが姉のエリーヌである。彼女だけは他の人間と違ってクロエに優しくしてくれる。だからクロエは姉のために必死にいい子になろうと努力した。姉に婚約者ができた時も、心から上手くいくよう願った。けれど彼はクロエのことが好きだと言い出して――
前世軍医だった傷物令嬢は、幸せな花嫁を夢見る
花雨宮琵
恋愛
侯爵令嬢のローズは、10歳のある日、背中に刀傷を負い生死の境をさまよう。
その時に見た夢で、軍医として生き、結婚式の直前に婚約者を亡くした前世が蘇る。
何とか一命を取り留めたものの、ローズの背中には大きな傷が残った。
“傷物令嬢”として揶揄される中、ローズは早々に貴族女性として生きることを諦め、隣国の帝国医学校へ入学する。
背中の傷を理由に六回も婚約を破棄されるも、18歳で隣国の医師資格を取得。自立しようとした矢先に王命による7回目の婚約が結ばれ、帰国を余儀なくされる。
7人目となる婚約者は、弱冠25歳で東の将軍となった、ヴァンドゥール公爵家次男のフェルディナンだった。
長年行方不明の想い人がいるフェルディナンと、義務ではなく愛ある結婚を夢見るローズ。そんな二人は、期間限定の条件付き婚約関係を結ぶことに同意する。
守られるだけの存在でいたくない! と思うローズは、一人の医師として自立し、同時に、今世こそは愛する人と結ばれて幸せな家庭を築きたいと願うのであったが――。
この小説は、人生の理不尽さ・不条理さに傷つき悩みながらも、幸せを求めて奮闘する女性の物語です。
※この作品は2年前に掲載していたものを大幅に改稿したものです。
(C)Elegance 2025 All Rights Reserved.無断転載・無断翻訳を固く禁じます。
皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
忙しい男
菅井群青
恋愛
付き合っていた彼氏に別れを告げた。忙しいという彼を信じていたけれど、私から別れを告げる前に……きっと私は半分捨てられていたんだ。
「私のことなんてもうなんとも思ってないくせに」
「お前は一体俺の何を見て言ってる──お前は、俺を知らな過ぎる」
すれ違う想いはどうしてこうも上手くいかないのか。いつだって思うことはただ一つ、愛おしいという気持ちだ。
※ハッピーエンドです
かなりやきもきさせてしまうと思います。
どうか温かい目でみてやってくださいね。
※本編完結しました(2019/07/15)
スピンオフ &番外編
【泣く背中】 菊田夫妻のストーリーを追加しました(2019/08/19)
改稿 (2020/01/01)
本編のみカクヨムさんでも公開しました。
初耳なのですが…、本当ですか?
あおくん
恋愛
侯爵令嬢の次女として、父親の仕事を手伝ったり、邸の管理をしたりと忙しくしているアニーに公爵家から婚約の申し込みが来た!
でも実際に公爵家に訪れると、異世界から来たという少女が婚約者の隣に立っていて…。
【完結】彼の瞳に映るのは
たろ
恋愛
今夜も彼はわたしをエスコートして夜会へと参加する。
優しく見つめる彼の瞳にはわたしが映っているのに、何故かわたしの心は何も感じない。
そしてファーストダンスを踊ると彼はそっとわたしのそばからいなくなる。
わたしはまた一人で佇む。彼は守るべき存在の元へと行ってしまう。
★ 短編から長編へ変更しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる