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侯爵家での夫人教育が再開される事になった。
観劇のお誘いを受けた後に、アストリウスからそう伝えられた。
「お義姉様はお帰りに?」
「うん。」
余りに情報が少な過ぎて、なんだかとってもモヤモヤする。
殿方とは、女性からしつこくされるのを厭うのだろう。それはアウローラにも良く解かる。けれども、もっと良く解かるのは、「初めから聞かれる前に十分な説明してくれたなら、誰も好き好んでしつこく問わない」という夫人達の気持ちだろう。
アウローラはついアストリウスを見つめていたらしく、アストリウスはその視線を一瞬避けた。
避けたわ。
そう思ったアウローラの醸し出す空気を察知してか、アストリウスは、あー、そのー、と説明を始めた。
「兄から文が届いた。戻るようにと。」
ふうん。口には出さずに心で頷く。貴方様は領地へ帰れと言わなかったのね。家族が待っていると、領地に返そうとはしなかったのね。それで私を侯爵家に近寄らせずに、義姉が帰って漸く私を誘ったのね。
最近、アウローラはミネットの気持ちがなんとなく解かる気がしていた。決して短気でも堪え性が無いわけでも無いのだが、アストリウス関連になると沸点も低くなれば我が儘な思考も浮かぶ。
いけないいけない。こんな手の掛かる婚約者など、きっと煩く思われる。
長年の習慣で、先ずは自分で自分を律する。ゆっくり息を吸って吐いて、そうして心を整えた。
「そうですか。」
アウローラが返した言葉にアストリウスがこちらを見る。
「随分、間があったな。」
「..............そうでしょうか。」
「いや、失言であった。忘れてくれ。」
んっんっ、とジョージが可怪しな咳払いをして、アストリウスが彼を見る。なにやら二人で目配せしてパントマイムの様である。最後に「いいから言え」と小さくジョージの声が聴こえたのは、きっと気の所為。
「あー、そうだ。アウローラ。」
「何でしょう。」
「侯爵邸へ寄ってくれないか。」
観劇の後にレストランでお食事をして、今は帰路の馬車内にいた。窓から外を見れば、目に入る風景は伯爵邸へ向う景色ではない。
「ここではお話し出来ないのですか?」
「うん。落ち着いて話せたほうが良いだろう。」
こうしてアウローラは、久しぶりの侯爵邸へ訪うこととなった。
午後の日射しが射し込むティールームに、紅茶の薫りが漂っている。温めたミルクをたっぷり注いでもらって、侯爵家のお茶を楽しむ。
ひと心地ついた頃、アストリウスは用件について話し始めた。
「兄夫婦に子がいないのは知っているね。」
「ええ。」
「どちらに原因があるのかは解らない。」
「...ええ。」
「だが、責められるのは細君だろう。」
「はい。」
女性は立場が弱い。いつだって選ばれるのは女性の方だし、非があると見做されるのも女性の方である。
「兄達の夫婦仲は、決して良好ではないんだよ。こんな話は恥ずべきことなのかな。隠しても仕方ないと私は思うんだがな。」
「商会の経営に差し障るとか?」
「うん、それも一つだろう。あとは義姉が学友の妹であるのも関係しているかもしれないな。」
「それは確かにそうでしょうね。そのご学友の御方とは、事業で関わりがおありなのですか?」
「うん、そうなんだ。港街。私が新たに商会を立ち上げるあの港を擁する街は、義姉の生家の領地だよ。」
「まあ。」
「私が目を付ける随分前から、父と兄は彼処に土地を探していた。古くからある商会が撤退を決めるらしい情報も掴んでいた。けれども土地には土地の付き合いがある。それらを無視して、行き成り他家の貴族が参入出来るものではない。だから。」
「だから都合が良かったと?」
「そうだな。貴族の婚姻なんてそんなものだろう。互いに利があるから結ばれる。政略とは個人の幸福以前に家の富を結ぶものだ。」
その考えは至極当然のものである。
アウローラとアストリウスの縁談も、互いに利があるから齎された。
「夫婦仲が良くないと言っても、だから仲が悪いと言うものでも無い。私は帝国にいたから実際のところは詳しくないが、兄は兄なりに義姉を細君として扱っていたのではないかな。そこに義姉が不足を感じたとしても、相応の扱いがなされていたから表向き文句は言えなかったんだろう。」
アストリウスの言葉からは、何故だか温度を感じられなかった。それは彼自身が他国にいたからだろうが、それにしても義兄の感情が読み取れない。
「兄夫婦が子に恵まれないのを、実のところ兄は安堵していたんだ。」
「え?」
「なんと言うか。義姉は社交的な女性なんだ。であるからして、まあ、異性の知人も多い。」
「それは...」
「そう言う事だよ。はっきり言ってしまうなら托卵されかねない。」
「なんと言う...」
妻とは一度疑われてしまったなら、完全に信用を取り戻すことは不可能だろう。アウローラの様に婿を取る家であれば、当主が産む子はもれなく自家の子供に間違いない。
けれども、嫁ぐ妻は貞淑に務めて身の潔白を示すしかない。
「流行り病の後に、兄が、その、男性機能が不全であるのを公にしたのは、義姉の托卵を防ぐ目的があったからだよ。」
「なんてこと...」
アウローラは予てより不可思議に思っていた。流行り病に罹患して後遺症が残ったとして、そこに「機能不全」という嫡男の不遇を態々世間に明かす必要があっただろうか。
けれども血を重んじる貴族であるなら、不貞の末に他所の血を嫡男の子と偽られるほど避けたいものはないだろう。
「では、貴方様が当主を継いだのも、」
「そうだよ。確実に我が家の血を残すのに、義姉以外の妻が必要だからだ。兄には後遺症が残ってしまったが、実際に兄が不能だなんて私は知らない。確かなのは、兄は義姉が産む子を望んでいないと言う事だ。かと言って、義姉の生家との関わりがある以上、こちらから義姉を追い出す事は表立っては出来ないだろう。」
「真逆」
「多分、君の考えは強《あなが》ち遠い答えではないよ。」
「お義姉様は貴方のお子を望んで?」
アウローラは、クロノス以外に蹴り飛ばしたい人物が増えてしまった。
観劇のお誘いを受けた後に、アストリウスからそう伝えられた。
「お義姉様はお帰りに?」
「うん。」
余りに情報が少な過ぎて、なんだかとってもモヤモヤする。
殿方とは、女性からしつこくされるのを厭うのだろう。それはアウローラにも良く解かる。けれども、もっと良く解かるのは、「初めから聞かれる前に十分な説明してくれたなら、誰も好き好んでしつこく問わない」という夫人達の気持ちだろう。
アウローラはついアストリウスを見つめていたらしく、アストリウスはその視線を一瞬避けた。
避けたわ。
そう思ったアウローラの醸し出す空気を察知してか、アストリウスは、あー、そのー、と説明を始めた。
「兄から文が届いた。戻るようにと。」
ふうん。口には出さずに心で頷く。貴方様は領地へ帰れと言わなかったのね。家族が待っていると、領地に返そうとはしなかったのね。それで私を侯爵家に近寄らせずに、義姉が帰って漸く私を誘ったのね。
最近、アウローラはミネットの気持ちがなんとなく解かる気がしていた。決して短気でも堪え性が無いわけでも無いのだが、アストリウス関連になると沸点も低くなれば我が儘な思考も浮かぶ。
いけないいけない。こんな手の掛かる婚約者など、きっと煩く思われる。
長年の習慣で、先ずは自分で自分を律する。ゆっくり息を吸って吐いて、そうして心を整えた。
「そうですか。」
アウローラが返した言葉にアストリウスがこちらを見る。
「随分、間があったな。」
「..............そうでしょうか。」
「いや、失言であった。忘れてくれ。」
んっんっ、とジョージが可怪しな咳払いをして、アストリウスが彼を見る。なにやら二人で目配せしてパントマイムの様である。最後に「いいから言え」と小さくジョージの声が聴こえたのは、きっと気の所為。
「あー、そうだ。アウローラ。」
「何でしょう。」
「侯爵邸へ寄ってくれないか。」
観劇の後にレストランでお食事をして、今は帰路の馬車内にいた。窓から外を見れば、目に入る風景は伯爵邸へ向う景色ではない。
「ここではお話し出来ないのですか?」
「うん。落ち着いて話せたほうが良いだろう。」
こうしてアウローラは、久しぶりの侯爵邸へ訪うこととなった。
午後の日射しが射し込むティールームに、紅茶の薫りが漂っている。温めたミルクをたっぷり注いでもらって、侯爵家のお茶を楽しむ。
ひと心地ついた頃、アストリウスは用件について話し始めた。
「兄夫婦に子がいないのは知っているね。」
「ええ。」
「どちらに原因があるのかは解らない。」
「...ええ。」
「だが、責められるのは細君だろう。」
「はい。」
女性は立場が弱い。いつだって選ばれるのは女性の方だし、非があると見做されるのも女性の方である。
「兄達の夫婦仲は、決して良好ではないんだよ。こんな話は恥ずべきことなのかな。隠しても仕方ないと私は思うんだがな。」
「商会の経営に差し障るとか?」
「うん、それも一つだろう。あとは義姉が学友の妹であるのも関係しているかもしれないな。」
「それは確かにそうでしょうね。そのご学友の御方とは、事業で関わりがおありなのですか?」
「うん、そうなんだ。港街。私が新たに商会を立ち上げるあの港を擁する街は、義姉の生家の領地だよ。」
「まあ。」
「私が目を付ける随分前から、父と兄は彼処に土地を探していた。古くからある商会が撤退を決めるらしい情報も掴んでいた。けれども土地には土地の付き合いがある。それらを無視して、行き成り他家の貴族が参入出来るものではない。だから。」
「だから都合が良かったと?」
「そうだな。貴族の婚姻なんてそんなものだろう。互いに利があるから結ばれる。政略とは個人の幸福以前に家の富を結ぶものだ。」
その考えは至極当然のものである。
アウローラとアストリウスの縁談も、互いに利があるから齎された。
「夫婦仲が良くないと言っても、だから仲が悪いと言うものでも無い。私は帝国にいたから実際のところは詳しくないが、兄は兄なりに義姉を細君として扱っていたのではないかな。そこに義姉が不足を感じたとしても、相応の扱いがなされていたから表向き文句は言えなかったんだろう。」
アストリウスの言葉からは、何故だか温度を感じられなかった。それは彼自身が他国にいたからだろうが、それにしても義兄の感情が読み取れない。
「兄夫婦が子に恵まれないのを、実のところ兄は安堵していたんだ。」
「え?」
「なんと言うか。義姉は社交的な女性なんだ。であるからして、まあ、異性の知人も多い。」
「それは...」
「そう言う事だよ。はっきり言ってしまうなら托卵されかねない。」
「なんと言う...」
妻とは一度疑われてしまったなら、完全に信用を取り戻すことは不可能だろう。アウローラの様に婿を取る家であれば、当主が産む子はもれなく自家の子供に間違いない。
けれども、嫁ぐ妻は貞淑に務めて身の潔白を示すしかない。
「流行り病の後に、兄が、その、男性機能が不全であるのを公にしたのは、義姉の托卵を防ぐ目的があったからだよ。」
「なんてこと...」
アウローラは予てより不可思議に思っていた。流行り病に罹患して後遺症が残ったとして、そこに「機能不全」という嫡男の不遇を態々世間に明かす必要があっただろうか。
けれども血を重んじる貴族であるなら、不貞の末に他所の血を嫡男の子と偽られるほど避けたいものはないだろう。
「では、貴方様が当主を継いだのも、」
「そうだよ。確実に我が家の血を残すのに、義姉以外の妻が必要だからだ。兄には後遺症が残ってしまったが、実際に兄が不能だなんて私は知らない。確かなのは、兄は義姉が産む子を望んでいないと言う事だ。かと言って、義姉の生家との関わりがある以上、こちらから義姉を追い出す事は表立っては出来ないだろう。」
「真逆」
「多分、君の考えは強《あなが》ち遠い答えではないよ。」
「お義姉様は貴方のお子を望んで?」
アウローラは、クロノス以外に蹴り飛ばしたい人物が増えてしまった。
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