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「アストリウス様。この度は素晴らしいドレスと装飾品を有難うございます。」
新年の舞踏会の夜、伯爵邸を訪れたアストリウスをアウローラは見上げた。それまで身近にいなかった背の高さも、婚約後、幾度も見上げてすっかり慣れた。
艶やかな黒髪は後ろに流されて、すっきりと額を露わにするアストリウスの端正な顔を見る。懐かしく感じてしまうのは、彼と会うのが聖夜の日以来であるからだろう。
「淡雪の女神の様だな。」
大人の男性は口が上手い。アウローラの様な小娘を喜ばせることなんて容易い事だ。
そんな卑屈な事を考えながら、頬は染まるし胸は跳ねる。
「その、ご無理をさせてしまったのでは?」
なんでこんな可愛げの無い事しか言えないのか。贈り物をもらって散財を気にする。財を使わせてしまったのではないかと案ずるのは、自身が生粋の経営者脳であるからだろう。
爵位が上の婚約者に向かって、その懐を心配するような事を言うのだから、気分を害されても可怪しくない。
「君が美しければ美しいほど私の商売が繁盛する。」
こちらも生粋の商売人であるらしいアストリウスは、そんなアウローラに軽やかに返答をした。
「ドレス、やはり似合うな。君は明るい色が良く似合う。落ち着いた色もきりりと美しいが、本来君は可憐なんだぞ。」
可愛らしさは全てミネットに譲り渡したアウローラを、アストリウスだけが可憐だと言ってくれる。
嬉しいのに辞めてほしい、そんな歯の浮く様な台詞。侍女がこちらを見ているではないか。
そう云うアストリウスは漆黒のロングジャケットの装いで、チーフはピンクを帯びたシャンパンゴールドである。
今宵の二人の装いは、新たな年の曙の空、明けの空を表している様に見えるだろう。
アウローラの耳を飾る大粒の南洋真珠に手を伸ばしたアストリウスは、真珠に触れる様にアウローラの耳朶を撫でた。
その僅かな接触が全身に火照りを齎して、途端にアウローラの耳も頬も首筋も曙色に染まる。
年明けから宵は少しずつ遅くなり、日が長くなり始めているのが分かる。そうして一日一日春に近付いて、春を迎えたならアウローラはアストリウスの下に嫁ぐ。
舞踏会に向う直前の玄関ホールは華やいでいた。馬車は三台控えている。
トーマスも、既にミネットを迎えに訪れていた。
彼は言葉通り、あの聖夜の夜から伯爵家を訪れることは無かった。父に付いて外回りの執務を習う話しも、今のところは帯同してはいなかった。
ミネットはと言うと、表向き余り変わりはないように見えた。社交的なミネットは友人が多い。婚約後はトーマスと連れ立って歩くことも多かったが、彼女は一人でも行動出来る。
年明け早々、お茶に呼んだり呼ばれたり、街へ出掛けたりと賑やかに過ごしていた。
学園が休みの今は、ミネットと会話を交わすのは食堂かティールームであったが、それもこれまでと変わった風もなく、ただティールームで過ごすアウローラにミネットが近寄る事は少なかった。
アウローラ達から少し離れたところには、ミネットとトーマスがいる。客人を持て成す仕様の玄関ホールは広く、ローテーブルにソファがあり、日当たりの良い窓辺にはミニテーブルと椅子が二脚置かれて小振りなティーコーナーとなっている。
二人は今そこにいて、向かい合わせに座っている。アウローラの記憶の中の二人は、いつも寄り添い並び歩いていた。あんな風に向かい合わせでいたのは、アウローラとトーマスが婚約を解消する以前の、アウローラを交えた三人で過ごす時ばかりであった。
常に無いのは二人の声が密やかで、ここまで届かぬ事だろう。
溌剌としたミネットの声は良く通るから、離れていても二人の会話は耳に入る。それが今は声音を落として、二人は静かに言葉を交わしている様であった。
多分、ミネットはトーマスとは離れない。そうアウローラは思っている。
若い令嬢らしく目移りする事はあるだろう。けれども、ミネットがトーマスに向ける思慕とは、それがアウローラの婚約者であった事を除いても、確かな恋情であったと思う。ミネットはトーマスに恋をして、トーマスを大切に思っている。
二人の間に立ったさざ波は、もうすぐ凪に落ち着くだろう。そうしてそれぞれ母と父から後継教育を習うだろう。
ちらりとミネット達の方を見ると、視線に気付いたらしいミネットがこちらに顔を向けた。アウローラはそれに微笑んだのだが、ミネットは感情の見えない表情でこちらを見ていた。感情見えない表情で、多分、アストリウスを見ていた。
馬車に乗り込むと、透かさず侍従も乗り込んだ。アストリウスの侍従はアストリウスと同年代と思われる青年である。侯爵家傘下の貴族家の子息で、彼の兄はアストリウスの兄の侍従を務めている。
「ジョージ、近いぞ。」
侍従のジョージはアストリウスの隣に座り、そして常より距離が近い。これが令嬢であれば端ないと叱られてしまう距離である。
「アストリウス様は信用なりませんから。」
「...」
「アウローラ様のお優しさに付け込んで、無体を仕掛けないとも限りません。」
「お前の前でそんな事はしない。」
「私を締め出したではないですか。聖夜の晩に。」
「しつこいな。」
「フランク様から命じられておりますから。くれぐれもアウローラ様をお守りする様にと。」
「お前の主は私だぞ。」
「主の不埒な行いをお諌めするのも務めですから。」
目の前でポンポン交わされる会話に、アウローラは思わず笑い出してしまった。
それに釣られる様にアストリウスが苦笑いをして、ジョージは至極満足そうな顔をした。
新年の舞踏会の夜、伯爵邸を訪れたアストリウスをアウローラは見上げた。それまで身近にいなかった背の高さも、婚約後、幾度も見上げてすっかり慣れた。
艶やかな黒髪は後ろに流されて、すっきりと額を露わにするアストリウスの端正な顔を見る。懐かしく感じてしまうのは、彼と会うのが聖夜の日以来であるからだろう。
「淡雪の女神の様だな。」
大人の男性は口が上手い。アウローラの様な小娘を喜ばせることなんて容易い事だ。
そんな卑屈な事を考えながら、頬は染まるし胸は跳ねる。
「その、ご無理をさせてしまったのでは?」
なんでこんな可愛げの無い事しか言えないのか。贈り物をもらって散財を気にする。財を使わせてしまったのではないかと案ずるのは、自身が生粋の経営者脳であるからだろう。
爵位が上の婚約者に向かって、その懐を心配するような事を言うのだから、気分を害されても可怪しくない。
「君が美しければ美しいほど私の商売が繁盛する。」
こちらも生粋の商売人であるらしいアストリウスは、そんなアウローラに軽やかに返答をした。
「ドレス、やはり似合うな。君は明るい色が良く似合う。落ち着いた色もきりりと美しいが、本来君は可憐なんだぞ。」
可愛らしさは全てミネットに譲り渡したアウローラを、アストリウスだけが可憐だと言ってくれる。
嬉しいのに辞めてほしい、そんな歯の浮く様な台詞。侍女がこちらを見ているではないか。
そう云うアストリウスは漆黒のロングジャケットの装いで、チーフはピンクを帯びたシャンパンゴールドである。
今宵の二人の装いは、新たな年の曙の空、明けの空を表している様に見えるだろう。
アウローラの耳を飾る大粒の南洋真珠に手を伸ばしたアストリウスは、真珠に触れる様にアウローラの耳朶を撫でた。
その僅かな接触が全身に火照りを齎して、途端にアウローラの耳も頬も首筋も曙色に染まる。
年明けから宵は少しずつ遅くなり、日が長くなり始めているのが分かる。そうして一日一日春に近付いて、春を迎えたならアウローラはアストリウスの下に嫁ぐ。
舞踏会に向う直前の玄関ホールは華やいでいた。馬車は三台控えている。
トーマスも、既にミネットを迎えに訪れていた。
彼は言葉通り、あの聖夜の夜から伯爵家を訪れることは無かった。父に付いて外回りの執務を習う話しも、今のところは帯同してはいなかった。
ミネットはと言うと、表向き余り変わりはないように見えた。社交的なミネットは友人が多い。婚約後はトーマスと連れ立って歩くことも多かったが、彼女は一人でも行動出来る。
年明け早々、お茶に呼んだり呼ばれたり、街へ出掛けたりと賑やかに過ごしていた。
学園が休みの今は、ミネットと会話を交わすのは食堂かティールームであったが、それもこれまでと変わった風もなく、ただティールームで過ごすアウローラにミネットが近寄る事は少なかった。
アウローラ達から少し離れたところには、ミネットとトーマスがいる。客人を持て成す仕様の玄関ホールは広く、ローテーブルにソファがあり、日当たりの良い窓辺にはミニテーブルと椅子が二脚置かれて小振りなティーコーナーとなっている。
二人は今そこにいて、向かい合わせに座っている。アウローラの記憶の中の二人は、いつも寄り添い並び歩いていた。あんな風に向かい合わせでいたのは、アウローラとトーマスが婚約を解消する以前の、アウローラを交えた三人で過ごす時ばかりであった。
常に無いのは二人の声が密やかで、ここまで届かぬ事だろう。
溌剌としたミネットの声は良く通るから、離れていても二人の会話は耳に入る。それが今は声音を落として、二人は静かに言葉を交わしている様であった。
多分、ミネットはトーマスとは離れない。そうアウローラは思っている。
若い令嬢らしく目移りする事はあるだろう。けれども、ミネットがトーマスに向ける思慕とは、それがアウローラの婚約者であった事を除いても、確かな恋情であったと思う。ミネットはトーマスに恋をして、トーマスを大切に思っている。
二人の間に立ったさざ波は、もうすぐ凪に落ち着くだろう。そうしてそれぞれ母と父から後継教育を習うだろう。
ちらりとミネット達の方を見ると、視線に気付いたらしいミネットがこちらに顔を向けた。アウローラはそれに微笑んだのだが、ミネットは感情の見えない表情でこちらを見ていた。感情見えない表情で、多分、アストリウスを見ていた。
馬車に乗り込むと、透かさず侍従も乗り込んだ。アストリウスの侍従はアストリウスと同年代と思われる青年である。侯爵家傘下の貴族家の子息で、彼の兄はアストリウスの兄の侍従を務めている。
「ジョージ、近いぞ。」
侍従のジョージはアストリウスの隣に座り、そして常より距離が近い。これが令嬢であれば端ないと叱られてしまう距離である。
「アストリウス様は信用なりませんから。」
「...」
「アウローラ様のお優しさに付け込んで、無体を仕掛けないとも限りません。」
「お前の前でそんな事はしない。」
「私を締め出したではないですか。聖夜の晩に。」
「しつこいな。」
「フランク様から命じられておりますから。くれぐれもアウローラ様をお守りする様にと。」
「お前の主は私だぞ。」
「主の不埒な行いをお諌めするのも務めですから。」
目の前でポンポン交わされる会話に、アウローラは思わず笑い出してしまった。
それに釣られる様にアストリウスが苦笑いをして、ジョージは至極満足そうな顔をした。
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