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【34】

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声は二階へ上がる階段の裏側から聴こえた。使用人が回りにいないことを確かめて、アウローラは階下に耳を澄ます。

「どうなさったの?トーマス様。」
「君には私では駄目なのだろうかと思ったんだ。」
「貴方の言っていることの意味が解らないわ。」
「君が私を好いてくれていると思ってた。」
「ええ、勿論よ。ちゃんとお慕いしているわ。」
「けれど、私はこの頃の君に不安を覚えている。自分自身の力量にも。」
「どういう意味?」

「私の伯爵家への婿入りは、アウローラの夫であるから認められたのだと、そう思っていた。」
「そんな事、」

「そんな事、あるだろう。アウローラは長く義母上から執務を学んでいた。それは私達が幼い頃からだ。彼女がいるなら私はそこにいるだけで良い。だから飾りの様な夫になるのだと思っていた。」

「私は貴方にそんな事を思っていないわ。」
「知っているよ。君が大人達の様に私を見ていないのは。」
「じゃあ、」
「君はただ、アウローラのものが欲しかったんだろう?」
「え?」
「アウローラの側にいる私が欲しかった。そうじゃない?ミネット。」
「そんな事ある訳無いじゃないっ」
「私はアウローラに相応しくいようと思った。君に惹かれながら、だからと言って彼女を嫌っていた訳じゃない。」
「そんな、今更よ。」

「うん、今更だよね。彼女に対する感情は、静かで穏やかで胸が焦がれるものではなかったよ。それでも伯爵家の当主の隣に並ぶのに、相応しくあらねばと思っていた。それがいつしか苦しくなった。」

「だから私を選んだの?」

「そうじゃない。君を好きだと思ったんだ。ミネット、君は解ってる?私と君は不貞と言われて仕方の無い事をしていたんだよ。アウローラがそれを見逃してくれて、義母上が逃げ道を下さったから、今の私達がいるんだよ。」

長い会話の後に、ひと時静寂が訪れた。アウローラは、尚も周囲に人がいないのを確かめながら、二人の会話に耳を傾けた。

「君は本心では私をどう思っていた?」
「トーマス様、」
「私が君を想うのと同等の感情を願っている訳では無いんだよ。ただ、いつまでも外に何かを求めるのなら、私はそんな君の側にいられるだろうか。」

「ミネット、私は君の隣にいて良いのだろうか。」

トーマスの声が階段裏から静かに響いた。

ミネットお願い、何か答えて。
アウローラはトーマスの心情が痛いほど伝わって、実際胸がジンジンと疼いた。

「ミネット、君はいつでもそうだ。」
「トーマス様、」
「その可愛い顔で何を考える?私の事を考えてくれている?」
「...」
「何故、アストリウス殿を気に掛ける?アウローラから奪った私よりも爵位よりも、あの御方が欲しくなった?」

何故ミネットは何も答えないのだろう。
トーマスが言った言葉は、アウローラが内心に抱えていた気持ちである。

「君は、何故アウローラのものを欲しがる?君は君で良いじゃないか。私は君の翠の瞳が綺麗だと思う。ふわふわした髪にキスをしたいと思っている。明るくて朗らかで屈託が無くて、そうして我が儘で貪欲に欲しいものを求める。そんな君を私は好いているんだよ。アウローラから向けられる親愛も信頼も全て裏切って、君の側を望んだのは私自身だ。それを後悔出来ないから、大人達は私を愚かだと思っている。」

「大人達?」

「私の両親も、君のご両親も。私達を愚か者だと思っているよ。」
「そんな事、そんな事ある筈無いじゃないっ」
「では、何故君は執務を教えてもらえないんだ?」
「...」

「生徒会活動が忙しいと言うが、それ程か?学園には休みだってある。生徒会を終えて邸に戻るのに、いつもアウローラがあとから帰宅して、それから彼女は義母上の執務室に向かっていた。」

「お姉様は器用なのよ。真面目過ぎるのよ。」
「私の知るアウローラは器用なんかじゃないよ。寧ろ不器用で損をしている。」
「でも、アストリウス様の妻の座を射止めたわ。」
「知ってるだろう。それはクロノス殿下のお口添えであったと。私との婚約を解いて、嫡女の立場を取り上げてまで。半年後に控えた婚姻を壊すのは王族であっても御法度だ。けれど、君のご両親はそれを受け入れた。私の両親も異議を唱えなかった。周りはそれで私達を『真実の愛』だと沸いていたが、それは面白いからだよ。」

「面白い?」

「観劇でもしている気分だったんだろう。現に、道理を理解する子女達からは、私は祝いの言葉をもらっていない。君はどう?」
「お目出度うと言われたわ。沢山の方達から。」
「彼等の家を憶えている?そこに侯爵家や公爵家があった?伯爵家は?男爵家や準男爵家が多くなかった?ジェントリクラスだとか。」

トーマスが、アウローラが思う以上に広い視野を持っていたのに驚いた。彼は盲目にミネットとの恋に溺れていた訳では無かったのだ。

「アウローラは、公爵家から祝福を受けた。それも二家だよ。そうして王妃陛下にも認められたのは、先日の舞踏会で解ったろう。王妃陛下はアウローラに興味津々であられたと義父上から聞いたよ。君も一緒に聞いただろう?」

階下で姿の見えないミネットが声を発していないと、まるでそこにはトーマスだけがいて、彼が一人語りをしているように錯覚しそうになる。

「ミネット。君のご両親は、愚かな私達にこの伯爵家を委ねてまで、アウローラの在るべき路を選んだのだと、私はそう思った。侯爵家は難しい家なんだよ。爵位だけじゃない。誰もが二の足を踏む理由があるからアストリウス殿に縁談が無かったのではないかな。詳しい事は解らない。けれども、クロノス殿下の行為は、アウローラだから選んだのだと示しているよ。あの御方は決して暴君ではないのだから。」

未だ声を発しないミネットに、トーマスが語りかける。

「それでもアストリウス殿を得たいのなら、ミネット、覚悟を決めて挑んでごらん。」

トーマスは、穏やかにミネットに選択を委ねた。




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