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ミネットは、アウローラの夫人教育が休みになるのを驚いていたが、本当のところアウローラだって驚いた。

王城の舞踏会から戻った夜に、アウローラは別れたばかりであるのにもうアストリウスに会いたくなった。
けれどもそれが無理であるのは、彼から既に夫人教育の休みを告げられていたから分かっていた。

春の婚姻を控えて、この年末と年明けを生家でゆっくり過ごしてほしいと云う配慮なのだろうと、アウローラはそう自分を納得させた。


「閣下へお届けものがあるの。先触れは私が出すから貴女にお届けしてもらおうかしら。」

聖夜の前日、朝餉の席で母に言われて思わず胸が躍った。アウローラも贈りたい物があったのだが、それは使用人に届けてもらわねばならないのだと諦めていた。
母が先触れを出してくれるのなら、アウローラが直参するこれ以上の理由は無い。

あれほど濃密な口付けを交わしていながら、アウローラはアストリウスとの間に見えない壁があると思っていた。それは、よくよく気を付けなければ解らないもので、薄皮が覆う様にアストリウスを包んでいた。
アウローラを求めていながら、その懐の奥までは入れてもらえない歯痒さを、アウローラはどう鎮めてよいのか分からずにいた。

それは、アストリウスから夫人教育の休みを告げられた時に、確かな感情となって表れた。決して気の所為ではなく、彼にはアウローラを踏み込ませない意図がある。

ドレスを贈るのが久しぶりであると言ったアストリウスの言葉は、そんなアウローラを刺激した。だからこそ、あの燃える様な焦がされる様な焦燥感がアウローラを大胆にしたのだろう。
アストリウスに乗り上げて、数え切れない口付けを与えられて、それに唯の一度も抗わず、全て全霊で受け止めた。


侯爵家へ向う馬車の中でも、アウローラの胸の内では交わらない二つの感情がせめぎ合っていた。
アストリウスがアウローラを求めていると信じる気持ちと、アウローラを立ち入らせない拒絶を確信する気持ちとが、今も拮抗してアウローラを悩ませている。

アウローラの贈り物とはハンカチであった。生地は豪奢なレース編みの縁取りがされたもので、とても殿方が使うものではない。それは、装飾として額装して壁に飾って然るべきものであった。

アウローラの肩幅ほどの大判である。レースの紋様は繊細緻密で、これだけでも相当の価値がある。事実、アウローラは私財からそれなりの代金を支払ってこのハンカチを入手した。

盾が掲げる冠に鶏。
ハンカチには、フェイラー侯爵家の紋章を正確に模して刺繍した。青い盾とそれを取り囲む青いベルト。盾の両脇を金色のグリフィンが支え、盾の上には漆黒の冠が掲げられている。そうしてその頂点に、暁を告げる鶏が今まさに鳴き声を上げようと嘴を開けている。

複雑な紋章を、アウローラは出来うる限り丁寧に針を刺した。
図案は、王立図書館に通って侯爵家の紋章の記された書物を探し、その中でも出来るだけ大きな挿絵を選んで写した。フェイラー侯爵家は建国の祖と共にいにしえから続く名家である。その紋章が記された書物は、歴史の分類棚で直ぐに見つける事が出来た。

学園が休みになっていたのを幸いに、母の執務を手伝いながら、毎日丁寧に刺繍をして、王家の舞踏会の日には既に出来上がっていた。
あの晩、手渡しても良かったのに敢えてそうしなかったのは、アストリウスに会う口実を一つでも残しておきたかったからだと解っている。

恋がままならないのは何故だろう。
ミネットは、姉の婚約者を容易く射止めてしまったのに。トーマスの愛情は深く、今も彼の瞳にはミネットしか映らない。

落ち着いていると言われる自身の気質は、アウローラも確かにそうだろうと思っている。トーマスがミネットに心を移してしまっても、それをどうしようもならないものだと諦める気持ちがあった。何が何でも奪われまい、喩え妹であっても離すまい、そんな風に立ち向かおうとまでは思えなかった。

良く言えば貴族らしい、そんな気質は当主に必然であるとさえ思っていた。
それが今はどうだろう。
ままならない恋心にすっかり翻弄されている。

いつからだなんてそんなこと、初めからに決まっている。
初めて会ったあの日に、アウローラよりも深く濃い青色の瞳に魅入られたのを、恋と言うしか思いつかない。


侯爵家の門扉が見えて来る。
侯爵家は伯爵家よりも更に王城に近い。緩い坂道の途中に邸がある。門番は既にアウローラの馬車を憶えており、御者が身分を告げる前に、門は静かに開けられた。
馬車が進み邸の玄関ホールが見えて、そこに幾人かの人影が立っているのが遠目に解った。

執事と侍女頭であろう。もしかしたらアストリウスもいるのだろうか。
恋心とは、現実を淡くぼかしてしまうらしい。本来のアウローラであれば、もっと慎重に浮つく心を律していただろう。

贈り物を届けたい。鶏はひよこから成鳥になったのだと、冠の上に立ち今にも夜明けを告げようとしているのだと、そう伝えたかった。

初めて贈ったハンカチの黄色いひよこを指先でなぞり、「早く大きくなれよ」と言ったアストリウスに、貴方と私の関係も、ひよこから暁鶏に育ったのだと、そう伝えられたら良いと思った。

警戒心を恋心にぼかされて、だから驚いてしまったのだ。

「貴女がアストリウスの婚約者なのね。」

出迎えたのが使用人ばかりでなく、金の髪を結い上げた美しい貴族婦人であったのは、誰が予期出来ただろう。

「折角来て頂いたけれど、生憎アストリウスは今とても忙しいの。宜しければそちらは私が預かるわ。」

アウローラの侍女が持つ贈り物にちらりと視線を移して貴婦人は鷹揚にそう言った。





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