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アウローラが相続したチェイスター男爵領は、王都からもほど近い小さな領地である。古くから続く硝子工芸は、大きなものは花瓶や花器、小さなものは真珠ほどの珠から爪先程の粒まで様々である。
職人の手で生み出されたそれらを装飾品に加工して、土産物屋や洋品店や古くからある商会で販売している。
専門の工房も数多く、そこに雇われる職人も多い。歴史もそこそこ古いことで、過去の遺物となった硝子の粒やビーズ類は経年の風合いを帯びたアンティーク品となるも、そもそも硝子であるから安価である。
中には製法の失われてしまったものもあり、それらは指先で簡単に潰れてしまう吹きガラスを始め、曇りを生じて複雑な輝きを放つオーバルガラス等がある。
領地には、馬車で向かった。
父が年に一度収支を確認する以外は、全て代官に任せている土地である。
アウローラが初めて領地に向かうのには、父が同行した。そうして晩餐の席で言った通り、アストリウスも視察に加わった。
馬車は伯爵家と侯爵家とでそれぞれ分かれて、当然ながらはアウローラは父と一緒の馬車である。
多忙を押して来たのだろう。アストリウスは馬車の中でも仕事をしており、休憩などで顔を合わせると、彼の座席は書類が置かれて、経由する街々では早馬を頼んでいたから、王都に向けて書類を送っているようであった。
それ程忙しくしていながら、アウローラが継承した領地の視察に帯同しようとするアストリウスに、アウローラは申し訳ないと思いながらも感謝した。
領民にとって、領主が足を運ぶ事、それが夫となる侯爵家当主と共に訪問した事は、自分達の住まう土地に新たな光が射し込む様な希望を齎したらしい。
代官のセオドアも、長生きはするもんだと面白い事を言ってはアウローラを笑わせた。
彼に案内されて工房を幾つか回り、そこでアストリウスが買い上げたのが、オニキスの様な黒色の硝子ビーズ、最早アンティーク品となった極小のビーズであった。
増産どころか、今残っているもので姿を失う古の硝子粒。
真逆それが直ぐ様アウローラのドレスに縫い留められるだなんて、この時には思いもしなかった。
嬉しかったのは、アウローラが贈った硝子細工のカフスをアストリウスが身に着けて、それを職人達が目にした事であろう。
婚約の記念に贈るには、輝石でない硝子細工とは、それも侯爵家当主に贈るのは、考えようによっては失礼であったろう。
だが、アウローラは、黒色硝子のカフスにチェイスター男爵領の未来の可能性を添えて贈ったつもりであった。
アウローラがこれから差配して育てる領地が、侯爵家にも幸を齎すとアウローラは信じている。
とんぼ返りの様な慌ただしい視察であった。往復で一週間も掛けていない。
その間も、アストリウスとは視察や食事の場面でしか過ごす事は出来なかった。
彼は多忙であり、宿でも遅くまで執務をこなしていたようであった。
アストリウスは、王都に戻って別れる際に、
「君と婚姻後に、改めて視察に行こう。勿論、今度は同じ馬車だよ。お義父上の強固な守りも無いだろうからね。」と、暗に父が未婚の二人を遠ざけていたのを揶揄した。
いつも穏やかな父が、密かに目を光らせていたのを思い出して、アウローラは思わず笑ってしまった。端なくも歯を見せて笑ってしまったのを、アストリウスは目を細めて見つめていた。
その眼差しをいつまでも我が身に惹きつけていたいと思うアウローラは、自分が二度目の恋をしているのだと認めずにはいられなかった。
生まれて初めての遠出は、父と婚約者との旅と言う、ちょっぴり風変わりなものではあったが、久しぶりに父と沢山話しが出来た。
あの晩餐の夜に母が語った言葉で、過去に両親にあったのだろう事は直ぐ様理解していた。ミネットとアウローラの様に、叔母と母にも同様の事があったのだとしたら、父はトーマスとは別の選択をした事になる。今は、多忙に加えて身体のあまり丈夫でない母を支えて、アウローラ姉妹にとっても穏やかで優しくて時に厳しい父である。
父と沢山の時間を過ごしたが、あの夜の話しに父が言及する事は無かったから、アウローラも何も聞こうとは思わなかった。
この婚姻が結ばれたなら、いつか聞かされるのかも知れない。今は婚家の領地で過ごす華やかであった叔母とミネットの姿が重なった。
今年最後の社交は、王城での舞踏会である。その日ばかりは、朝から屋敷の中は慌ただしかった。
両親は当然ながら、アウローラにミネットも、それぞれの婚約者と参加する。
ミネットには、母が仕立て屋を呼んで、既にドレスを作っていた。ミネットの好みを取り入れたドレスは、トーマスと自身の瞳の色を表した淡い若草色で、クリノリンで膨らませたスカートにたっぷりひだを取った可憐なドレスであった。
トーマスの生家から贈られた赤茶を帯びたガーネットの耳飾りは、ミネットの栗色の髪色に良く似合った。父譲りの緩くうねる髪をゆったり結い上げ、髪飾りの代わりに生花をふんだんに挿している。
「ミネット、貴女、妖精のようだわ。」
思わず溢れてしまったアウローラの言葉に、ミネットは嬉しそうな笑みを見せた。
久しぶりに見る妹の屈託の無い笑顔を、アウローラは眩しく思った。
ミネットを見下ろすトーマスの優しい眼差し。彼がミネットを愛しているのだと良く解る。
その姿に、運命の悪戯に思われた後継と婚約者の差し替えが、天からの幸運な采配であったのだとアウローラは思う。
もう直ぐ迎えに来るだろう、艷やかな黒髪の青年を、恋しく思い待つのだった。
職人の手で生み出されたそれらを装飾品に加工して、土産物屋や洋品店や古くからある商会で販売している。
専門の工房も数多く、そこに雇われる職人も多い。歴史もそこそこ古いことで、過去の遺物となった硝子の粒やビーズ類は経年の風合いを帯びたアンティーク品となるも、そもそも硝子であるから安価である。
中には製法の失われてしまったものもあり、それらは指先で簡単に潰れてしまう吹きガラスを始め、曇りを生じて複雑な輝きを放つオーバルガラス等がある。
領地には、馬車で向かった。
父が年に一度収支を確認する以外は、全て代官に任せている土地である。
アウローラが初めて領地に向かうのには、父が同行した。そうして晩餐の席で言った通り、アストリウスも視察に加わった。
馬車は伯爵家と侯爵家とでそれぞれ分かれて、当然ながらはアウローラは父と一緒の馬車である。
多忙を押して来たのだろう。アストリウスは馬車の中でも仕事をしており、休憩などで顔を合わせると、彼の座席は書類が置かれて、経由する街々では早馬を頼んでいたから、王都に向けて書類を送っているようであった。
それ程忙しくしていながら、アウローラが継承した領地の視察に帯同しようとするアストリウスに、アウローラは申し訳ないと思いながらも感謝した。
領民にとって、領主が足を運ぶ事、それが夫となる侯爵家当主と共に訪問した事は、自分達の住まう土地に新たな光が射し込む様な希望を齎したらしい。
代官のセオドアも、長生きはするもんだと面白い事を言ってはアウローラを笑わせた。
彼に案内されて工房を幾つか回り、そこでアストリウスが買い上げたのが、オニキスの様な黒色の硝子ビーズ、最早アンティーク品となった極小のビーズであった。
増産どころか、今残っているもので姿を失う古の硝子粒。
真逆それが直ぐ様アウローラのドレスに縫い留められるだなんて、この時には思いもしなかった。
嬉しかったのは、アウローラが贈った硝子細工のカフスをアストリウスが身に着けて、それを職人達が目にした事であろう。
婚約の記念に贈るには、輝石でない硝子細工とは、それも侯爵家当主に贈るのは、考えようによっては失礼であったろう。
だが、アウローラは、黒色硝子のカフスにチェイスター男爵領の未来の可能性を添えて贈ったつもりであった。
アウローラがこれから差配して育てる領地が、侯爵家にも幸を齎すとアウローラは信じている。
とんぼ返りの様な慌ただしい視察であった。往復で一週間も掛けていない。
その間も、アストリウスとは視察や食事の場面でしか過ごす事は出来なかった。
彼は多忙であり、宿でも遅くまで執務をこなしていたようであった。
アストリウスは、王都に戻って別れる際に、
「君と婚姻後に、改めて視察に行こう。勿論、今度は同じ馬車だよ。お義父上の強固な守りも無いだろうからね。」と、暗に父が未婚の二人を遠ざけていたのを揶揄した。
いつも穏やかな父が、密かに目を光らせていたのを思い出して、アウローラは思わず笑ってしまった。端なくも歯を見せて笑ってしまったのを、アストリウスは目を細めて見つめていた。
その眼差しをいつまでも我が身に惹きつけていたいと思うアウローラは、自分が二度目の恋をしているのだと認めずにはいられなかった。
生まれて初めての遠出は、父と婚約者との旅と言う、ちょっぴり風変わりなものではあったが、久しぶりに父と沢山話しが出来た。
あの晩餐の夜に母が語った言葉で、過去に両親にあったのだろう事は直ぐ様理解していた。ミネットとアウローラの様に、叔母と母にも同様の事があったのだとしたら、父はトーマスとは別の選択をした事になる。今は、多忙に加えて身体のあまり丈夫でない母を支えて、アウローラ姉妹にとっても穏やかで優しくて時に厳しい父である。
父と沢山の時間を過ごしたが、あの夜の話しに父が言及する事は無かったから、アウローラも何も聞こうとは思わなかった。
この婚姻が結ばれたなら、いつか聞かされるのかも知れない。今は婚家の領地で過ごす華やかであった叔母とミネットの姿が重なった。
今年最後の社交は、王城での舞踏会である。その日ばかりは、朝から屋敷の中は慌ただしかった。
両親は当然ながら、アウローラにミネットも、それぞれの婚約者と参加する。
ミネットには、母が仕立て屋を呼んで、既にドレスを作っていた。ミネットの好みを取り入れたドレスは、トーマスと自身の瞳の色を表した淡い若草色で、クリノリンで膨らませたスカートにたっぷりひだを取った可憐なドレスであった。
トーマスの生家から贈られた赤茶を帯びたガーネットの耳飾りは、ミネットの栗色の髪色に良く似合った。父譲りの緩くうねる髪をゆったり結い上げ、髪飾りの代わりに生花をふんだんに挿している。
「ミネット、貴女、妖精のようだわ。」
思わず溢れてしまったアウローラの言葉に、ミネットは嬉しそうな笑みを見せた。
久しぶりに見る妹の屈託の無い笑顔を、アウローラは眩しく思った。
ミネットを見下ろすトーマスの優しい眼差し。彼がミネットを愛しているのだと良く解る。
その姿に、運命の悪戯に思われた後継と婚約者の差し替えが、天からの幸運な采配であったのだとアウローラは思う。
もう直ぐ迎えに来るだろう、艷やかな黒髪の青年を、恋しく思い待つのだった。
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