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「アウローラ。」

背中から声を掛けられて、アウローラは立ち止まった。それから後ろへ振り返る僅かな間に、強張った頬に笑みを乗せた。

「お早うございます。トーマス様。」
「ああ、お早う。」

淡い金の髪に翠の瞳。艶のある髪は、もう少し伸びたなら結える程の長さだろう。
整った顔立ちであるのに笑うと右頬に笑窪が出来るのが、とてもチャーミングだと思っていた。優し気な目元に柔らかな物腰、博識で勤勉で、そうして社交的であるから友人も多い。
昨日までの婚約者、アウローラの初恋の人。


「その、急な事だったな。」

アウローラは思わず眉をひそめそうになるのを堪えた。トーマスは、多くの生徒が往来するこの場所で、後継者と婚約の差し替えというセンシティブな話題を口にしようとしている。


入学して初めの一年は、トーマスがアウローラを邸まで迎えに来て、毎朝一緒に登校していた。それが二年目からはミネットが加わって、狭い馬車内で二人が目線を交わすのを、アウローラはどうにも許容出来なかった。

それで、学園の課題を片付けたいからと、一足先に通学する事にした。勿論、そんなのは方便で、課題なら前日の放課後に済ませているが、それすらトーマスは知らないから、彼は別々に通学する事を受け入れた。

流石にトーマスも、婚約者が一緒でないのに、その妹と同じ馬車で通学するのは控えた。
ミネットはそれに関して何も言って来なかったし、母はアウローラの選択を、トーマスとミネットを引き離す為にアウローラが対応をしたのだと「正しい対処」と認めた様に思う。

身辺の状況が変わろうとも毎日のルーティンは変わらないから。アウローラはいつも通りの時刻に登校したが、何故かトーマスも同じ頃合いに登校していた。いつもはもう少し遅い時間、ミネットと同時刻に合わせていたのに。


「トーマス様。それでしたら何れ両家でお話しする機会が設けられるでしょう。ここでは控えませんか?」

アウローラは回りくどい言い方はせずに、直球で伝える事にした。筋が通っていれば、トーマスも理解してくれると思った。

「うん、だがその前に、少し話せないだろうか。昼休みなんてどうかな?その、ミネットも一緒に。」

早速ミネットと行動を共にしようと切り替えたトーマスに、アウローラは冷たい塊を飲み込んだ様に胸につかえるものを感じた。

「学園で話して何になります?多分明日には詳しい説明がされるでしょうから、それまで待ちましょう。」

アウローラは、決して頑固な気質では無い。特にトーマスに対しては、面倒な婚約者と負担に思われたくない気持ちが勝って、割合素直に接していたつもりである。
そのアウローラが、自分の言葉を受け入れないのを、トーマスは全く予想していなかったのだろう。

「え?」

トーマスは、一瞬まばたきをして、ああ、そうだねと引き下がった。

「ミネットでしたら、もう直ぐ着くと思います。」

アウローラは笑ってみたが、上手く笑えただろうか。

「あ、ああ。」

校門を振り返るトーマスの背中に、「それでは」と声を掛けて、アウローラは教室へ向かって歩き出した。トーマスはミネットを待つのだろう。アウローラを呼び止める事は無かった。



通学の馬車然り、昼食に関しても、初めの一年はトーマスと一緒に摂っていた。友人の多い彼は、食堂で友人達と食事をする事も度々であったから毎日ではなかったが、それでも週の半分は二人で昼食を摂っていた。

それもやはり二年目になればミネットが加わって、トーマスは友人達と食事をしなくなった。アウローラと並ぶミネットに、向かい側にはトーマスがいて、幼馴染三人が仲良く食事をする光景に見えただろう。

実際は、アウローラは聞き役に徹する事が多かったし、朗らかな気質のミネットとトーマスは話題も豊富で話しも上手い。直ぐに二人でキャッチボールの様に言葉を掛け合って、アウローラはそんな二人の話しに言葉を挟める器用さを持ち合わせていなかった。

だから次第に教室から出るのが遅くなり、その内二人には先に食べていて欲しいと言って、出来るだけゆっくり食堂に向かう様になってしまった。

先に食べていて良いからと言えば、二人はアウローラの席を確保して、そうして楽しげに食事を始める。遠目でその姿を見て、ある時、アウローラは昼食を抜いてみた。つまり、待ち合わせていた食堂には行かなかった。

後からトーマスもミネットも、どうして来なかったのか聞いて来なかったのは意外であったし少々傷付いたが、どうにも三人で過ごす事が苦痛に思えて、翌日は厨房に頼んでランチボックスを用意してもらうことにした。

それからは、食堂脇のテラスで独り手早く食事を済ませていたから、二人が昼休みにどうしているのかは知らない。二人にしても、アウローラにはアウローラの交流があるのだろうくらいに思っているのか、何も言われることは無かった。

改めて思い返せば、アウローラとは、自分で思うより頑なな婚約者であったのかも知れない。今更ではあるが、こんなのではトーマスが朗らかなミネットに惹かれても仕方が無い事だったろう。

人の感情とはままならない。
婚姻が貴族の契約であったとしても、同じ邸にいる姉妹の下へ婿として入るのに、恋心を封印させるというのは、初めから無理があったのだろう。

そう考えれば、フェイラー侯爵家からの婚姻の申込みは、アウローラにとっては暗闇の底に蜘蛛の糸を垂らしてもらうような救いのようにも思われた。





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