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結果として、父は様子を見ると言ってアリアドネの希望は叶わなかった。
その日も、思い出すのはファニーをダンスに誘うハデスの姿、ファニーの可憐な舞い、ロジャーの笑顔、ハデスの冷ややかにアリアドネを詰る言葉、名を呼ぶ声。
それらがない混ぜになって、その度にアリアドネは涙を抑えることが出来なかった。
グラントン侯爵家から文が届いたのは母から知らされたが、アリアドネはそれには目を通さなかった。今はこれ以上、何一つ受け入れる事が出来そうに無かった。今、頭と心の内にある物事を消化しなければ、その先は混乱するだけの様に思った。
その様子に、母は毎朝の迎えを断る文を出してくれた。
今の二人には、二人切りの時間は傷を生むだけだと判断したらしい。
週明けから、アリアドネは弟のヘンドリックと共に登校する事となった。
未だ婚約者であるから、フランシス殿下とアンネマリーに帯同するのに変わりは無いが、せめて登校は別々にしてあげたいと言う母の心遣いであった。
「ごめんなさいね、ヘンドリック。」
「別に構わないよ。何れはこうなっていたのだとしたら、それが早まっただけだよ。」
いつもの場所には既にヴィクトリアとギルバート、それからパトリシア達も登校していた。それからハデスも。
ハデスが先に一人で来たことで、皆も何か有っただろう事は察している様子であるが、誰も何も聞いては来なかった。
アリアドネはハデスには視線を合わせなかった。そうして、ハデスとは元より視線が合う事など無かった事に気が付いた。
それで漸く身構えていたのが馬鹿馬鹿しく思えた。アリアドネばかりがハデスを慮っており、ハデスにしてみれば、母の言葉を借りればアリアドネは「お好み」では無かったのだろう。
こんな不毛な関係を、大人達はどうして無理矢理結ぼうとするのだろう。
「姉上、それじゃあ。」
ヘンドリックが先に校舎に向かおうとしたところで、
「あっ、お早うございます!ハデス様。」
鈴の音が鳴った。
思わずギョッとしたらしいヴィクトリアがアリアドネを見る。そこにいた皆が、大体同じ反応だったろう。
「ハデス様、夜会では踊って頂いてありがとうございました。私、慣れないからとても不安だったんですけど、でも、とても嬉しかったです!」
朝日に照らされたふわふわの髪。翠の大きな瞳が今は満面の笑みで細められて、それが純真無垢にあどけなく可憐に見える。一言で言うなら、凄く可愛い。
「あっ、ごめんなさい。私、ハデス様に婚約者がいるって知っていたのに、」
そう言って、ファニーはアリアドネに向き合った。
「アリアドネ様!ごめんなさい!私が悪いんです、ハデス様は何も悪くありません!」
そう言ってペコリと頭を下げた。
そこから面を上げて、
「本当にごめんなさい!でも、お二人は余り仲が良くないと聞いていたから、それで「無礼だぞ」
遮ったのはブライアンだった。
みるみる内に翠の瞳が大きく見開かれる。そこにうるうると水を湛えはじめて、美しい湖の様になった。
周囲を取り囲む様にいた生徒達が、その様を固唾を呑んで見つめている。
「ごめんなさい!本当にごめんなさい!全部私が悪いんです!アリアドネ様、ごめんなさい!」
ファニーは、どうやらターゲットを変えたらしい。
アンネマリーは無理と見たのか殿下には近付けないと解ったのか、それともハデスに心が惹かれたのか。
兎に角、ファニーを泣かせる悪役をアリアドネに定めたらしい。
馬鹿馬鹿しい。似合いの二人ではないか。
アリアドネの心は定まった。
「ファニー嬢。お早うございます。」
アリアドネは朝の挨拶をした。
そうして、出来るだけゆっくりと、はっきりと、誤解のない様に、幼子を言い含める様に話しを始めた。
「貴女が何故、私に謝罪する必要があるのでしょう。そして貴女の仰る通り、私とハデス様は心の通い合う婚約者ではございません。それは事実ですので、もう私には謝らないずとも結構です。」
「そんな、なんでそんな酷い事を言えるの?!それではハデス様が可哀想!」
「そこまでになさい。みっとも無い。」
パトリシアがファニーを遮った。
既に十分言いたい事は言っただろう。
「姉上、僕は帰るね。父上に報告するよ。」
ヘンドリックの一言で、アリアドネを取り囲んでいた悪意を含んだ視線が途端に消失するのが分かった。生徒達が散り始める。ルーズベリー侯爵家から咎を受けるだなんて、真っ平御免であろう。
解らぬのは目の前のふわふわばかりであるらしい。
「そろそろ校舎へお入りになっては?殿下が到着なさいます。」
アリアドネの言葉に、ふわふわ令嬢ファ二ーはくるりと身を翻して駆けて行った。
校舎は走っちゃいけませんって言ってもよいだろうか。
その日も、思い出すのはファニーをダンスに誘うハデスの姿、ファニーの可憐な舞い、ロジャーの笑顔、ハデスの冷ややかにアリアドネを詰る言葉、名を呼ぶ声。
それらがない混ぜになって、その度にアリアドネは涙を抑えることが出来なかった。
グラントン侯爵家から文が届いたのは母から知らされたが、アリアドネはそれには目を通さなかった。今はこれ以上、何一つ受け入れる事が出来そうに無かった。今、頭と心の内にある物事を消化しなければ、その先は混乱するだけの様に思った。
その様子に、母は毎朝の迎えを断る文を出してくれた。
今の二人には、二人切りの時間は傷を生むだけだと判断したらしい。
週明けから、アリアドネは弟のヘンドリックと共に登校する事となった。
未だ婚約者であるから、フランシス殿下とアンネマリーに帯同するのに変わりは無いが、せめて登校は別々にしてあげたいと言う母の心遣いであった。
「ごめんなさいね、ヘンドリック。」
「別に構わないよ。何れはこうなっていたのだとしたら、それが早まっただけだよ。」
いつもの場所には既にヴィクトリアとギルバート、それからパトリシア達も登校していた。それからハデスも。
ハデスが先に一人で来たことで、皆も何か有っただろう事は察している様子であるが、誰も何も聞いては来なかった。
アリアドネはハデスには視線を合わせなかった。そうして、ハデスとは元より視線が合う事など無かった事に気が付いた。
それで漸く身構えていたのが馬鹿馬鹿しく思えた。アリアドネばかりがハデスを慮っており、ハデスにしてみれば、母の言葉を借りればアリアドネは「お好み」では無かったのだろう。
こんな不毛な関係を、大人達はどうして無理矢理結ぼうとするのだろう。
「姉上、それじゃあ。」
ヘンドリックが先に校舎に向かおうとしたところで、
「あっ、お早うございます!ハデス様。」
鈴の音が鳴った。
思わずギョッとしたらしいヴィクトリアがアリアドネを見る。そこにいた皆が、大体同じ反応だったろう。
「ハデス様、夜会では踊って頂いてありがとうございました。私、慣れないからとても不安だったんですけど、でも、とても嬉しかったです!」
朝日に照らされたふわふわの髪。翠の大きな瞳が今は満面の笑みで細められて、それが純真無垢にあどけなく可憐に見える。一言で言うなら、凄く可愛い。
「あっ、ごめんなさい。私、ハデス様に婚約者がいるって知っていたのに、」
そう言って、ファニーはアリアドネに向き合った。
「アリアドネ様!ごめんなさい!私が悪いんです、ハデス様は何も悪くありません!」
そう言ってペコリと頭を下げた。
そこから面を上げて、
「本当にごめんなさい!でも、お二人は余り仲が良くないと聞いていたから、それで「無礼だぞ」
遮ったのはブライアンだった。
みるみる内に翠の瞳が大きく見開かれる。そこにうるうると水を湛えはじめて、美しい湖の様になった。
周囲を取り囲む様にいた生徒達が、その様を固唾を呑んで見つめている。
「ごめんなさい!本当にごめんなさい!全部私が悪いんです!アリアドネ様、ごめんなさい!」
ファニーは、どうやらターゲットを変えたらしい。
アンネマリーは無理と見たのか殿下には近付けないと解ったのか、それともハデスに心が惹かれたのか。
兎に角、ファニーを泣かせる悪役をアリアドネに定めたらしい。
馬鹿馬鹿しい。似合いの二人ではないか。
アリアドネの心は定まった。
「ファニー嬢。お早うございます。」
アリアドネは朝の挨拶をした。
そうして、出来るだけゆっくりと、はっきりと、誤解のない様に、幼子を言い含める様に話しを始めた。
「貴女が何故、私に謝罪する必要があるのでしょう。そして貴女の仰る通り、私とハデス様は心の通い合う婚約者ではございません。それは事実ですので、もう私には謝らないずとも結構です。」
「そんな、なんでそんな酷い事を言えるの?!それではハデス様が可哀想!」
「そこまでになさい。みっとも無い。」
パトリシアがファニーを遮った。
既に十分言いたい事は言っただろう。
「姉上、僕は帰るね。父上に報告するよ。」
ヘンドリックの一言で、アリアドネを取り囲んでいた悪意を含んだ視線が途端に消失するのが分かった。生徒達が散り始める。ルーズベリー侯爵家から咎を受けるだなんて、真っ平御免であろう。
解らぬのは目の前のふわふわばかりであるらしい。
「そろそろ校舎へお入りになっては?殿下が到着なさいます。」
アリアドネの言葉に、ふわふわ令嬢ファ二ーはくるりと身を翻して駆けて行った。
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