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ニコラスは王国に燦然と輝く星である。
文にも武にも長けて聡明で、王族の血が色濃いその容姿は男性でありながら美しい。
青く燦く瞳はやや垂れ気味で、右目の下にある泣き黒子が彼の麗しい顔に艶っぽいニュアンスを与えていた。
烟る金の髪は顎のラインに切り揃えられて、さらさらの髪が動く度に揺れる。
気さくで柔らかな物腰に見えて、見つめられると動けなくなる、一種独特な威厳がある。
望まれて望まれてこの世に生を受けた王国の宝。それがニコラスであった。
天が二物も三物も与えた王子。与えられたのは美しい容姿と才ばかりではない。その婚約者候補も、王国きっての大家や旧家、名家の令嬢達で、彼から見れば選り取り見取りであった筈である。
だが、彼は国が選別した令嬢を望まなかった。何が彼の心の琴線に触れたのだろう。確かにメリーエンダは美しい。儚げな見目でありながらあどけなさの残る可憐な令嬢だと、マグノリアも彼女の美しさには納得している。
学園の入学式の日であった。何か理由があって遅れたのだろう、真っ青な顔をして式の途中に現れたのがメリーエンダであった。
新入生代表として演壇に立っていたニコラスが真っ先に彼女に気が付いて、スピーチを止めた。王族のスピーチを遮った令嬢に、その場にいた全ての視線が集中する。さぞや居た堪れなかった事だろう。視線とは、時に痛みを感じさせる。
メリーエンダはそこで、はらはらと涙を零した。別に泣くほどの事ではない。速やかに空いている席に座るか最後尾にいれば程良いタイミングで教師が誘導しただろう。
「映えある新入生諸君。新たな仲間が揃うのを待ちきれずにうっかりスピーチを始めてしまった私の愚かさを笑って納めて頂きたい。さあ、ご令嬢、そこに席がある。そこに掛けたまえ。そうだよ、そこ。」
メリーエンダの濡れる頬が乾かぬ内に、ニコラスは壇上から彼女に向かって声を掛けた。機知を利かせて、遅刻をしてしまった令嬢の過ちを無いものとしてくれた。
メリーエンダとは、一事が万事そう云う具合の令嬢だった。真っ白な歯を見せて良く笑う。初めての出会いですっかりニコラスを信頼して、彼を見つければ幼子の様に駆け寄って来る。
可憐な令嬢の粗相とは小麦粉よりも小さく些細なことになるらしい。誰からも愛される、無害で無邪気で、青空に突き抜ける様な清々しい程の愚鈍さであった。そうしてそんなメリーエンダを、ニコラスはこよなく愛した。
婚約者候補との会合は、半月に一度、四人の候補とニコラスとで、王城での茶会という形で執り行われたが、春の盛りのつい先月、ニコラスが婚約者候補達に告げたのは、メリーエンダを正妃にしたいという願いであった。
王太子の願いという体の決定事項に、四人の候補者は誰一人として動揺を見せなかった。
メリーエンダとニコラスの、近過ぎる接触はこの一年で熟成されて、初めこそ一つ年上の公爵令嬢がそれとなく諌めてみたが、ニコラスにのらりくらりと躱されて有耶無耶にされるだけだった。
ならば四人揃った時にと、定例のお茶会でニコラスに進言すれば、「君等はそんな些事に目くじらを立てる狭量なご令嬢方ではないだろう」と、こちらの度量不足を逆に諌められる。
そうして先月到頭メリーエンダを正式な婚約者にするというお願いを述べたのである。
それが幾つもある問題の内の一つに繋がる。
ニコラスの願いとは、正妃としてメリーエンダを迎えて、同時に側妃を立てると言う、常識を大きく逸脱するものであった。
メリーエンダに王太子妃は務まらない。
美しく無邪気な彼女には、そんな才など初めから有りはしない。それはニコラスが一番知っている事だろう。だから彼はメリーエンダを補佐する側妃を求めた。
王家の典範に定められる側妃とは、婚姻後五年を経ても子に恵まれなかった場合に議会を通して国が選定する妃である。それは、ヴィクターの母が直近の例で、決して国王の好色を慰める為の制度ではない。
「ニコラス殿下、それは国王陛下のお許しがあってのお話しでしょうか。」
口火を切ったのは、ニコラスとは縁戚に当たる一つ年上の公爵令嬢だった。彼女はニコラスとの婚姻が無ければ、王女のいない王国で準王族として他国に嫁ぐ役割を担っている。才の無い妃の補佐をする為に側妃になる身分ではない。
公爵令嬢は、残されたマグノリア達の為にニコラスへ確認をしてくれているのである。
「君等次第だとお許しを得ているよ。」
ニコラスは、自身が荒唐無稽な戯言を言っているのを百も承知で、それでも涼しい笑みを浮かべて令嬢達を見回した。
マグノリアは思う。
彼自身が才能と知己の塊であるのだから、国を混乱させてまでメリーエンダを望むのなら、ニコラスが彼女の無才を埋めれば良いのではないだろうか。
王太子妃の執務にしても、優秀な側付きを大勢揃えて、彼女を全方位から補助すれば、正妃と側妃を二人同時に立てるなどという近隣諸国にも恥ずかしい事を画策しなくても済むだろう。
「勿論、この場で決めずとも良いよ。各当主には王家から正式な書簡を出す。」
それは最早王命である。
「我こそはと勇猛に立ち上がる候補者を募っている。良い返事を待っているよ。」
最後まで、ニコラスは青い瞳を楽しそうに細めて、にこやかに言い放った。
文にも武にも長けて聡明で、王族の血が色濃いその容姿は男性でありながら美しい。
青く燦く瞳はやや垂れ気味で、右目の下にある泣き黒子が彼の麗しい顔に艶っぽいニュアンスを与えていた。
烟る金の髪は顎のラインに切り揃えられて、さらさらの髪が動く度に揺れる。
気さくで柔らかな物腰に見えて、見つめられると動けなくなる、一種独特な威厳がある。
望まれて望まれてこの世に生を受けた王国の宝。それがニコラスであった。
天が二物も三物も与えた王子。与えられたのは美しい容姿と才ばかりではない。その婚約者候補も、王国きっての大家や旧家、名家の令嬢達で、彼から見れば選り取り見取りであった筈である。
だが、彼は国が選別した令嬢を望まなかった。何が彼の心の琴線に触れたのだろう。確かにメリーエンダは美しい。儚げな見目でありながらあどけなさの残る可憐な令嬢だと、マグノリアも彼女の美しさには納得している。
学園の入学式の日であった。何か理由があって遅れたのだろう、真っ青な顔をして式の途中に現れたのがメリーエンダであった。
新入生代表として演壇に立っていたニコラスが真っ先に彼女に気が付いて、スピーチを止めた。王族のスピーチを遮った令嬢に、その場にいた全ての視線が集中する。さぞや居た堪れなかった事だろう。視線とは、時に痛みを感じさせる。
メリーエンダはそこで、はらはらと涙を零した。別に泣くほどの事ではない。速やかに空いている席に座るか最後尾にいれば程良いタイミングで教師が誘導しただろう。
「映えある新入生諸君。新たな仲間が揃うのを待ちきれずにうっかりスピーチを始めてしまった私の愚かさを笑って納めて頂きたい。さあ、ご令嬢、そこに席がある。そこに掛けたまえ。そうだよ、そこ。」
メリーエンダの濡れる頬が乾かぬ内に、ニコラスは壇上から彼女に向かって声を掛けた。機知を利かせて、遅刻をしてしまった令嬢の過ちを無いものとしてくれた。
メリーエンダとは、一事が万事そう云う具合の令嬢だった。真っ白な歯を見せて良く笑う。初めての出会いですっかりニコラスを信頼して、彼を見つければ幼子の様に駆け寄って来る。
可憐な令嬢の粗相とは小麦粉よりも小さく些細なことになるらしい。誰からも愛される、無害で無邪気で、青空に突き抜ける様な清々しい程の愚鈍さであった。そうしてそんなメリーエンダを、ニコラスはこよなく愛した。
婚約者候補との会合は、半月に一度、四人の候補とニコラスとで、王城での茶会という形で執り行われたが、春の盛りのつい先月、ニコラスが婚約者候補達に告げたのは、メリーエンダを正妃にしたいという願いであった。
王太子の願いという体の決定事項に、四人の候補者は誰一人として動揺を見せなかった。
メリーエンダとニコラスの、近過ぎる接触はこの一年で熟成されて、初めこそ一つ年上の公爵令嬢がそれとなく諌めてみたが、ニコラスにのらりくらりと躱されて有耶無耶にされるだけだった。
ならば四人揃った時にと、定例のお茶会でニコラスに進言すれば、「君等はそんな些事に目くじらを立てる狭量なご令嬢方ではないだろう」と、こちらの度量不足を逆に諌められる。
そうして先月到頭メリーエンダを正式な婚約者にするというお願いを述べたのである。
それが幾つもある問題の内の一つに繋がる。
ニコラスの願いとは、正妃としてメリーエンダを迎えて、同時に側妃を立てると言う、常識を大きく逸脱するものであった。
メリーエンダに王太子妃は務まらない。
美しく無邪気な彼女には、そんな才など初めから有りはしない。それはニコラスが一番知っている事だろう。だから彼はメリーエンダを補佐する側妃を求めた。
王家の典範に定められる側妃とは、婚姻後五年を経ても子に恵まれなかった場合に議会を通して国が選定する妃である。それは、ヴィクターの母が直近の例で、決して国王の好色を慰める為の制度ではない。
「ニコラス殿下、それは国王陛下のお許しがあってのお話しでしょうか。」
口火を切ったのは、ニコラスとは縁戚に当たる一つ年上の公爵令嬢だった。彼女はニコラスとの婚姻が無ければ、王女のいない王国で準王族として他国に嫁ぐ役割を担っている。才の無い妃の補佐をする為に側妃になる身分ではない。
公爵令嬢は、残されたマグノリア達の為にニコラスへ確認をしてくれているのである。
「君等次第だとお許しを得ているよ。」
ニコラスは、自身が荒唐無稽な戯言を言っているのを百も承知で、それでも涼しい笑みを浮かべて令嬢達を見回した。
マグノリアは思う。
彼自身が才能と知己の塊であるのだから、国を混乱させてまでメリーエンダを望むのなら、ニコラスが彼女の無才を埋めれば良いのではないだろうか。
王太子妃の執務にしても、優秀な側付きを大勢揃えて、彼女を全方位から補助すれば、正妃と側妃を二人同時に立てるなどという近隣諸国にも恥ずかしい事を画策しなくても済むだろう。
「勿論、この場で決めずとも良いよ。各当主には王家から正式な書簡を出す。」
それは最早王命である。
「我こそはと勇猛に立ち上がる候補者を募っている。良い返事を待っているよ。」
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