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新年を祝う茶会の席であった。
アナベルの生家では、少しづつ長姉エミリアと夫のウォルターが次期当主夫妻として社交に出る様になっていた。
今日は、年明け初めて開かれた事業で関わる貴族夫人達の茶会に、エミリアと共に参加していた。
これからは、姉とはこうして取引相手として会う場が増えるのだろう。
茶会の経験はあったが、それは何れも母と四姉妹揃って参加する和気あいあいとしたもので、見知った令嬢も一緒だったりと気軽な会であった。
アナベルは、未だ親世代の貴族夫人達とのお茶会には慣れていない。後継者として予てからこういう席に出席していたであろう姉の、普段邸でアナベルを気遣う朗らかな姉とはまた別の顔をみるようであった。
次期当主として幼いから教育されて来たエミリア。
家の為に貴族達と関わり、アビンドン伯爵家領地の事業と領民の暮らしを担って行く事を思えば、アナベルの知らない所でどれ程の努力を姉が重ねて来たのか伺い知れる。
成る程、父が大切なことは長姉のみに話していたのも、彼女でなければ理解出来ない事柄であったからなのだろう。
両親の関心が薄いのを姉の陰に隠れているからだと思っていたが、その姉は多分誰よりも努力を積み覚悟を持っていたのだろう。
デイビッドの妻となる事で、漸く姉の目線に理解が至ったアナベルであった。
そのエミリアは、今は妊娠中である。
昨秋の婚姻式の後、程なく懐妊が解り、今は安定期を迎えている。大きくなり始めたお腹を庇って外出は控えていたを、新年の会合であったのと、アナベルとはアビンドン伯爵家姉妹として出席するのはこれが最後であるからと、共に席を並べていた。
姉が一緒で良かった。
漏れ聴こえた会話に、思わず手にした扇子を握りしめる。
なにも聴こえなかった風に別の夫人が話すのに頷きながら、心の内に暗い靄(もや)が垂れ込める。
「アナベル。」
姉が小さく囁いた。
「過去の事よ。もうとうに終わった事よ。」
姉は知っていたのだろう。多分アナベルの婚約の前から。
もしかしたら、過去にこんな席で一緒になった事があったのかもしれない。そして、両親こそ何もかも知った上で、アナベルが知る必要も無いことと考えたのかもしれない。
アデレード夫人はデイビッドの元婚約者であった。
お茶席の御婦人は思わず口が滑ってしまったのだろう。デイビッドがアデレードとの婚約解消後、誰とも婚約すること無く独り身を貫いていたのを、漸く婚姻するのだと老婆心からの言葉であったと思われた。
いつか学園で、アデレードについてカテリーナに聞いたことがあった。カテリーナは、アデレードが現在はスタンリー伯爵夫人でありデイビッドとは学園で同じ時期を過ごしていたかもしれないと語るに留めた。それは、要らぬ事をアナベルの耳に入れまいとするカテリーナの配慮であったのだろう。
二人がいつ婚約して、いつ解消して、その原因が何で、どちらが申し出て、どちらが未練を持っていたのか、その全てを今直ぐ知ってしまいたかった。
もっと言うなら、二人がいつ知り合って、どんな風に付き合って、どうやって心を通わせて、そうしてアナベルを抱き締めたその腕でアデレードを抱き締めていたのか、その先の行為も、何もかもを今すぐ全てをデイビッドの口から確かめずにはいられない。
焼き餅とか悋気なんて軽い言葉で表せない、言葉に置き換えられない本能が呼び起こす感情がアナベルを苛む。
「アナベル。」
返事の無いアナベルを姉が窘める。
「しっかりしなさい、アナベル。貴女が妻になるのよ。」
エミリアの言葉に失い掛けた理性が浮上して来る。
アデレードは既に嫁いでスタンリー伯爵夫人となっている。そして、デイビッドの下に、グレイ伯爵家の夫人として嫁ぐのは自分なのだ。その日は直ぐそこまで来ている。
「お姉様、有難う。大丈夫よ、大丈夫。」
テーブルの下で姉が握ってくれる手の平の温かさに、しっかりせねばと自分を奮い立たせた。
アナベルに過去があった様に、デイビッドにも過去があって当然で、アナベルが婚約解消をした身であるのを承知でこの婚約を認めたのはデイビッドだ。
理屈では解っている。
表面上では理解出来る。
けれども、ひらりと裏返る気持ちが隙を突いてアナベルに囁く。
アデレードに惹かれてアデレードを愛して、アデレードに欲情したかもしれないデイビッドを恨んでしまうのだ。
過去の事であるのに。終わった事であるのに。全てエミリアの言う通りだ。
濡羽色の黒髪からアナベルを見据えた瞳を思い出す。
もう終わった筈なのに、
貴女こそ、デイビッドに想いを残しているのでしょう?
終わった恋を引き摺っているのはどちらなのか。
女の方であるのか男の方か、それとも両方ともであるのだろうか。
アナベルの生家では、少しづつ長姉エミリアと夫のウォルターが次期当主夫妻として社交に出る様になっていた。
今日は、年明け初めて開かれた事業で関わる貴族夫人達の茶会に、エミリアと共に参加していた。
これからは、姉とはこうして取引相手として会う場が増えるのだろう。
茶会の経験はあったが、それは何れも母と四姉妹揃って参加する和気あいあいとしたもので、見知った令嬢も一緒だったりと気軽な会であった。
アナベルは、未だ親世代の貴族夫人達とのお茶会には慣れていない。後継者として予てからこういう席に出席していたであろう姉の、普段邸でアナベルを気遣う朗らかな姉とはまた別の顔をみるようであった。
次期当主として幼いから教育されて来たエミリア。
家の為に貴族達と関わり、アビンドン伯爵家領地の事業と領民の暮らしを担って行く事を思えば、アナベルの知らない所でどれ程の努力を姉が重ねて来たのか伺い知れる。
成る程、父が大切なことは長姉のみに話していたのも、彼女でなければ理解出来ない事柄であったからなのだろう。
両親の関心が薄いのを姉の陰に隠れているからだと思っていたが、その姉は多分誰よりも努力を積み覚悟を持っていたのだろう。
デイビッドの妻となる事で、漸く姉の目線に理解が至ったアナベルであった。
そのエミリアは、今は妊娠中である。
昨秋の婚姻式の後、程なく懐妊が解り、今は安定期を迎えている。大きくなり始めたお腹を庇って外出は控えていたを、新年の会合であったのと、アナベルとはアビンドン伯爵家姉妹として出席するのはこれが最後であるからと、共に席を並べていた。
姉が一緒で良かった。
漏れ聴こえた会話に、思わず手にした扇子を握りしめる。
なにも聴こえなかった風に別の夫人が話すのに頷きながら、心の内に暗い靄(もや)が垂れ込める。
「アナベル。」
姉が小さく囁いた。
「過去の事よ。もうとうに終わった事よ。」
姉は知っていたのだろう。多分アナベルの婚約の前から。
もしかしたら、過去にこんな席で一緒になった事があったのかもしれない。そして、両親こそ何もかも知った上で、アナベルが知る必要も無いことと考えたのかもしれない。
アデレード夫人はデイビッドの元婚約者であった。
お茶席の御婦人は思わず口が滑ってしまったのだろう。デイビッドがアデレードとの婚約解消後、誰とも婚約すること無く独り身を貫いていたのを、漸く婚姻するのだと老婆心からの言葉であったと思われた。
いつか学園で、アデレードについてカテリーナに聞いたことがあった。カテリーナは、アデレードが現在はスタンリー伯爵夫人でありデイビッドとは学園で同じ時期を過ごしていたかもしれないと語るに留めた。それは、要らぬ事をアナベルの耳に入れまいとするカテリーナの配慮であったのだろう。
二人がいつ婚約して、いつ解消して、その原因が何で、どちらが申し出て、どちらが未練を持っていたのか、その全てを今直ぐ知ってしまいたかった。
もっと言うなら、二人がいつ知り合って、どんな風に付き合って、どうやって心を通わせて、そうしてアナベルを抱き締めたその腕でアデレードを抱き締めていたのか、その先の行為も、何もかもを今すぐ全てをデイビッドの口から確かめずにはいられない。
焼き餅とか悋気なんて軽い言葉で表せない、言葉に置き換えられない本能が呼び起こす感情がアナベルを苛む。
「アナベル。」
返事の無いアナベルを姉が窘める。
「しっかりしなさい、アナベル。貴女が妻になるのよ。」
エミリアの言葉に失い掛けた理性が浮上して来る。
アデレードは既に嫁いでスタンリー伯爵夫人となっている。そして、デイビッドの下に、グレイ伯爵家の夫人として嫁ぐのは自分なのだ。その日は直ぐそこまで来ている。
「お姉様、有難う。大丈夫よ、大丈夫。」
テーブルの下で姉が握ってくれる手の平の温かさに、しっかりせねばと自分を奮い立たせた。
アナベルに過去があった様に、デイビッドにも過去があって当然で、アナベルが婚約解消をした身であるのを承知でこの婚約を認めたのはデイビッドだ。
理屈では解っている。
表面上では理解出来る。
けれども、ひらりと裏返る気持ちが隙を突いてアナベルに囁く。
アデレードに惹かれてアデレードを愛して、アデレードに欲情したかもしれないデイビッドを恨んでしまうのだ。
過去の事であるのに。終わった事であるのに。全てエミリアの言う通りだ。
濡羽色の黒髪からアナベルを見据えた瞳を思い出す。
もう終わった筈なのに、
貴女こそ、デイビッドに想いを残しているのでしょう?
終わった恋を引き摺っているのはどちらなのか。
女の方であるのか男の方か、それとも両方ともであるのだろうか。
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