ヘンリエッタの再婚約

桃井すもも

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夜会の会場は昼に式典が執り行われた講堂で、常日頃から見慣れた場所である。
それが今は華やかな社交の場と化していた。

中央にはダンス用にリノリウムの床板が敷かれている。そこへ蠟を塗って滑りを良くしているのだろう、床が艷やかに光って見えた。

開会の挨拶はヤツ第二王子だった。もうヤツで通して良いだろう。正直名前も忘れそうだ。
忌々しいヤツは、王家特有の輝く美しいかんばせに高貴な気品を上乗せしている。その隣りには、ある意味ヘンリエッタの不幸の元凶である隣国第二王女のエレノアが並び立っていた。
背後には近衛騎士のアレックスがおり、あんな中性的で甘やかな顔をしながら、ちゃんと護衛してるんだなと、ヘンリエッタは感心した。それから、あの後試験勉強どうしたのだろうと心配になった。

見落とした訳ではなくて、敢えて見なかったのはハロルドで、彼は第二王子エドワードの背後にぴたりと影のように控えていた。その影がハロルドなのは見ずとも解っていたから、視線を向けることはしなかった。

ヤツが、ここでも挨拶と称してなんかくっちゃべってる。それをまるっと聞き流して、ヘンリエッタはそろりと周囲を見渡した。

物凄い人の数である。在校生ばかりか、過去に学園に席を置いた卒業生、今は国政を支える中央貴族達が揃っているのだから、王家主催の夜会並みの顔ぶれである。

一年生のご令嬢方なんて、すっかり萎縮してしまっている。大丈夫よ、貴女方。私もしっかり萎縮してるわ、と言う全然フォローになっていない言葉は胸の奥に仕舞い込んだ。

この人混みに飲まれてしまってはいけない。
ここは、マルクスと迎える映えある初舞台なのだ。このドレスはこれからM&M商会の益を生み出す原資となるのだ。

そう思うだけで気持ちがキリッと引き締まる。口元を結び顎を少しばかり上げて、目線を遠くするのに丁度そこにいたヤツに視線を合わせた。

マルクスは、ぴたりとヘンリエッタに寄り添って、時折艶っぽい笑みを浮かべて見下ろしてくる。

第二王子殿下の側近に、二度目の婚約後も打ち捨てられた噂の令嬢ヘンリエッタ。そのヘンリエッタが、気鋭の実業家と知られる子爵家の子息と共に夜会に現れた。
やはり側近との婚約はまたもや解消されるのだろう。なにせ件の婚約者とは、主の婚約者である隣国姫に首ったけなのだと専らの噂になっている。そうしてその側近は、主である第二王子に恋しい姫を奪われて、胸に抱く恋心を諦めきれずに二度目の婚約も破談を決めたらしい。 

口さがない噂話しがヒソヒソとヘンリエッタの耳に届く。その度にマルクスがヘンリエッタへ笑みを向ける。噂をすればする程に、コソコソ話せば話すほどに、マルクスは鮮やかな青い目を細めて、愛しい恋人を見るようにヘンリエッタを見下ろすのだから、きゃーきゃー令嬢方が騒いで姦しい。

「ヤツの挨拶が終わったね。ファーストダンスの用意はOK?」
「そ、それなんだけれど...」

マルクスまで、エドワード殿下をヤツ呼ばわりするのは放っておいて、ヘンリエッタはもじもじしながら打ち明けた。

「私、ダンスは苦手なの。」

デヴュタントを迎えて直ぐにハロルドは留学したし、その後は言わずとも分かるだろう傷物令嬢であったから、夜会にも出なけりゃダンスも踊ったためしが無かった。

「なんだ、そんな事。」

マルクスは涼しい顔でそう言って、
「おいで。」
ヘンリエッタの手を取って前に進み出た。

「ど、何処へ行くの?」
「夜会だよ?夜会にダンスは付きものさ。私を信じて君はその身を委ねるだけでいいんだよ。」

マルクスの言いぶりに、またもや黄色い悲鳴が起こる。

ダンスフロアーには、エドワード殿下とエレノア王女が既に向かい合って曲が始まるのを待っていた。そのエレノアがこちらをちらりと見やる気配を感じて、ヘンリエッタは視線を逸らした。

「大丈夫。奴等の事は気にしないで。ほら、手をしっかり添えているんだよ。」

そう言われて親指と人差し指を添えたマルクスの腕は、厚い筋肉を纏っていた。
エスコートされて気が付いたのは、マルクスは細身であるのにその身は骨太で、腕は靭やかな筋肉に覆われている事だった。心ばかりは男の娘のマルクスは、体躯は鍛えられた逞しいものであった。
こ、これって確か「ギャップ萌え」って言うのよね。
『週刊貴婦人』で知り得た知識を思い起こして、ヘンリエッタはちょっぴり胸が高鳴った。

「何も心配要らない。全て私に任せて身を委ねて。」

いちいち怪しい文句を耳元で囁くマルクスに、ヘンリエッタはすっかり頬を上気させてしまった。

「ワン・ツー・スリー」

演奏が始まると同時に、マルクスが小さく耳元で囁く。
本来は互いに視線を向こう側に流すのを、ワンツースリーと囁く為にマルクスはヘンリエッタの耳元から顔を離さない。
ずーーーっとコショコショ話しをする様に、もうそれ以上近寄ったら頬に唇が当たってしまうとヘンリエッタが焦る程に、マルクスはヘンリエッタに囁やき続けた。

「ふ、見てる。」
「何が?」
「何でもないよ。ほら、私を見て。」

言われて思わずマルクスの方へ顔を上げれば、「可愛い。」と、マルクスは女誑しモードを炸裂させた。

あわや足を踏んでしまいそうになるのをひらりと躱して、そのタイミングでマルクスはオーバースウェイのポーズにヘンリエッタの半身を反らしていざなう。

全身をマルクスに委ねていたヘンリエッタは、そこで大きく胸を反らせて素肌の背中をマルクスの手の平に預けた。

それはまるで、二人きりの密やかな逢瀬で、柔らかな寝台に恋人から横たえられるような淫美な香りを漂わせた。


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