ヘンリエッタの再婚約

桃井すもも

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「貴女、どうせ明日も暇でしょう?早速小説とやらに取り掛かりなさいな。私はこの後、次兄に商談を持ち掛けるから。
実は商会の登記は既に済んでいるの。実装はこれからだけれど、商会の体裁なら粗方出来ているのよ。計画より少しばかり早まっただけよ。」

「す、凄いわマリー、」

ヘンリエッタはマルクスの経営者としての手腕を目の当たりにして言葉を失ってしまった。些事に振り回され翻弄される自分が、途端に小さく幼く思えた。

「明日の午後には契約書を持ってくるから、貴女はサインの練習でもしていてね。
それから、このドレス、貴女には我が商会から貸与するわ。ドレスは私達の商会の商品見本よ。貴女はこれを着て夜会の場で宣伝する、私はこのドレスをモデルにしたプレタポルテを販売する。私達の初仕事よ。だから、尻尾を巻いて逃げては駄目よ、大丈夫。貴女には私が付いているのだから。そこのBBベベもいるじゃない。」

ブリジットは、ブリジット・スタン・ボールドウィンと言う。それをマルクスはBBベベと渾名した。

「格好良いわ、ブリジット!BBですって!私もべべって呼ぼうかしら」
「お辞め下さい。」

そう止めるブリジットの頬はほんのり赤く染まっている。

「何だか俄然生きる気力が湧いて来た。やっぱり貴女って素敵だわ。私の希少なお友達だわ。」

「何言ってるの。お互い友達なんて居ないじゃない。私はこれでも貴女を親友ポジションに置いているのよ、貴女には断ってなかったけれど。」

「それなら私も同じ事よ、マリー。さっきは希少だなんて言ったけれど、あれは見栄よ。私にお友達なんて只の一人もいないのよ。二年前に、貴女以外はみんな蜘蛛の子を散らしたように居なくなってしまったわ。私こそ、友と呼べるのは貴女くらいしか思いつかないのよ。」

「哀しいほど孤独なのね、私達って。まあ、おべっか繋がりの友人関係なんて要らないわ。私はこの腕と頭でこの世の中を生きて行けるもの。貴女も頑張って頂戴。人の噂に大切なものを奪わせてはいけないわ。貴女の尊厳は貴女しか守れないのよ。修道院も悪くはないでしょうけれど、逃げ込むのは格好悪いわね。
まあ、下らない学園なら行きたくなきゃ行かなきゃ良いのよ。人生をどう生きるかは自分で決めても良いお年頃なのだから、好きにしたら良いわ。なにせ、貴女にはビジネスが待っているのだから。」

マルクスの放つ一言一言に、胸が歓び躍っている。鼓舞されてしまう。今までの閉塞的な生き方が、途端に色鮮やかな色彩を放って、自分が生きる人生が水を得たように思われた。

「ありがとう、マリー。」
「どういたしまして、ヘンリエッタ。」


その後、マルクスはいそいそと帰って行った。やる事は沢山あるから忙しくなるわよ、ご飯しっかり食べなさいね、とヘンリエッタに釘を刺して帰って行った。

休日の今日もハロルドからは先触れも文も届かなかった。それに囚われて鬱屈していた心が解放された様に、ヘンリエッタは背筋を伸ばして去って行く親友の背中を見詰めていた。

その晩、晩餐の後でヘンリエッタは母を訪ねた。今日の事を、これからの事を、母には打ち明けておきたかった。

「良いのではなくて?貴女のやりたい様にやってみては。マクルズ子爵ご令息が愈々いよいよ独立なさるのに、貴女が共同経営者だなんて素敵な事ね。」

「お母様にそう言って頂けて嬉しいわ。」

「それに、なあに?独りで修道院へ行こうだなんて。そんなの聞き捨てならない事よ。行くなら一緒、私もご一緒するわ。そうねえ、私も一筆書いてみようかしら。貴女とジャンルが被っては共食いになってしまうから、私はポエムにしようかしら。随筆も良いわね。戦記なんてのも意外性があって良いのではなくて?」

母の夢がみるみる内に花開いて、どこかで止めないと世界制覇まで言及しそうに思えた。

「ええ、ええ、素敵ね、お母様。そうだわ、お母様も作品を書き留めておかれては如何?思い付くものを書き留めてストックするの。ストック大事よ、ネタ切れほど恐ろしいものは無いでしょうから。」

母の暴走を止めるつもりが火に油を注ぐ結果となってしまった。しかし、流石は母。ブレーキならしっかり自分で掛けられた。

「ヘンリエッタ、貴女の心を悩ますものを知らない訳ではなかったの。なのに碌な手助けも出来ていなかった事を謝らなくてはならないわ。ウィリアムからも聞いていたのよ、貴女が学園で辛い思いをしているのだと。大丈夫、賢いあの子は貴女に失礼を働いた家門を控えてくれていたから、お礼はきっちりさせて頂くわ。ノーザランド伯爵家の長子に無礼な行いをするのなら、どうなるのかお教えせねばならないでしょう?私は私の遣り方で、貴族の遣り方でやらせて頂くわね。」

母がどんな方法で何をしようとしているのかは聞かない事にした。助けたいと思う友人を思い浮かべて、哀しいかな、誰も思い浮かばなかったから、庇おうにも庇えない。

「そうそう、阿呆、いえ、貴女の自称婚約者だけれど、御自分方の行いに正当性をほざくのなら、そろそろ考えなくてはね。」

今日の母の口からは不穏ワードが列をなして飛び出たが、ヘンリエッタは深く考えない事にした。
不実を貫く自称婚約者とやらについても、今は考えたくはなかった。




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