ヘンリエッタの再婚約

桃井すもも

文字の大きさ
上 下
18 / 78

【18】

しおりを挟む
いつか会ったら文句の一つや二つや三つくらいなら言っても良いだろう。
そんな不敬な事を考えていたから、こんな事が起こるのか。

「shit!」

学園の回廊で、ついお下品な独り言が口を衝いて出てしまった。ブリジットが聞いたなら卒倒してしまうだろう。良かった此処が学園で。

くそ、あいつ、何しに来たんだ。
今度ははっきり思考の中で言い直した。

回廊の先にちょっとした人集ひとだかりがあって、本能が警戒したからそれ以上は進まずに、いつでも後方へ撤退出来るように身構えた。

視力がそれ程良くないヘンリエッタは、目を細めて先を見やる。
あれはいけない。これ以上、先に進んではいけない。あの後光が可視化出来そうな軍団は王族のそれに違いない。

人の波が左右に分かれて、高貴な集団の姿があらわになる。モーセが海を割る様に生徒達が脇に退けて、流石に学園であるからカーテシーやらボウ・アンド・スクレープやらは無いけれど、皆、恭しく頭を垂れている。

ヘンリエッタは壁際の人混みに紛れた。小柄なヘンリエッタであるから、背の高い男子生徒の後ろに隠れてしまえば正面からは見えなくなる。だがら、偶々側にいたトーテムポールっぽい男子生徒の後ろに隠れた。

よく考えてみれば可怪しな事である。
王族ならば現役学生ロバートが通っている。側妃腹だとしても立派な第三王子殿下である。何もこれほどまでに第二王子殿下の来校に騒ぎが起きずとも良いではないか。

数の少ない王族が学園に通うのに、同窓となれる機会は稀である。年代によっては学生の王族と一緒にならない世代もある。

そんな中で、ロバート殿下と学友として席を並べるのは、大袈裟に言うなら奇跡的な確率だろう。
将来は臣籍降下する自身の立場を弁えるかの様に、人当たりも穏やかで見目の優しげなロバート殿下であるから、王族の権勢を振るうなんて事は皆無であるが、廊下の先にいる彼奴きゃつは正統なる王妃腹の第二王子殿下だ。そうして将来は、王弟として国王陛下に即位する兄を補佐する立場で城に残るから、王族の身分に変わることは無い。

烟る金の髪に濃いエメラルドの瞳。
国王陛下の色を纏い容姿ばかりは王妃似の美麗なかんばせで、誰かに似てるなと思ったら、先日舞台で観たばかりのオスカール様に似てるじゃないっ!
救いは第二王子殿下が短髪であると言うことか。オスカールは、腰まである金の髪を風に靡かせ剣を振るうんですからね。

第二王子殿下エドワードとは因縁がある。
あちらもどうやらそれを気にしているらしく、今頃可怪しな働きかけをして来るが、彼とその妃となる隣国第二王女殿下のお蔭で、ヘンリエッタとハロルドは婚約を解消している。

まあ、それもハロルドの心変わりが無ければ起こり得ない事だったから、ちょっと八つ当たりっぽくもあるのだが、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの原理で、ハロルド悪けりゃ第二王子はもっと悪い。
誤変換も甚だしいが、心の中で忌み嫌うのはこちらの勝手であるから、ヘンリエッタはエドワードに対しては不敬だなんてこれっぽっちも思わずに思う存分嫌っていた。

それに、先日の観劇だって、その前にハロルドが邸に訪れたのだって、コイツが要らぬミッションをハロルドに与えたからで、もっと遡ればハロルドとヘンリエッタの再婚約を打診して来たのはこのバカボンだ。

あの文が届いてから、ヘンリエッタにとってのエドワードとは己の保身の為なら乙女に疵を与えるのも、疵を負った乙女の古傷を甚振いたぶるのも平気な鬼畜と同義であった。

ぐぬぬと、口から声が漏れそうになるのを堪えて発光体エドワードがこちらに近付くのに身構えた。

多分、何かの公務の打ち合わせに来たのだろう。来月ある創立200周年の記念式典か。
きっとそうだろう、そうに違いない。

コソコソ隠れている癖に藪睨みを利かせて、男子生徒トーテムポールの腰の辺りから彼奴が通り過ぎるのを見る。
真ん前を通り過ぎる前からしゃがみ込む勢いで頭を垂れて、行ったな、もう行ったなと言うタイミングで面を上げた。

護衛の近衛騎士と一緒にハロルドの後ろ姿が見えた。ハロルドはエドワード殿下の側近であるから当然だろう。

いつか会ったら文句の一つや二つや三つくらいなら言ってやろうだなんて豪語しておいて、結局縮こまって隠れる事しか出来ないなんて、己とは全くもって口ばっかしである。

「情けない」

自身に対する想いが、ついぽろりと出て来ちゃう。やれやれ、廊下を歩くだけで凱旋パレードの様だなと、心の中で毒づいて教室へと戻った。



「姉上も観た?何だか仰々しい一行だったよね。」

「ホントよね。ただ廊下を歩くのにあんなに後光を振り撒かなくっても良いんじゃあないかしら。」

「まあ、高貴なお方だから当然でしょう。エドワード殿下であの眩しさだよ、王太子殿下なんて眩し過ぎて目が開かないかも。」

「開きます。同じ人間なんですから。」

「確かに姉上だったら出来そうだ。睨みつけちゃったりして。」

学園から帰ればウィリアムも帰宅しており、玄関ホールでばったり会った。

ウィリアムの私室は両親の居室に近い東側にある。令嬢であるヘンリエッタの部屋は反対の西側で、何れ嫁いだ後には私室は改装して客間にでもされるのだろうと、嫡男ウィリアムとの立場の違いに気付いたのは幼い頃の事である。

こんな風に、食堂やテラスなど共用スペースでなければ顔を合わせる事が少ないのを、姉想いのウィリアムの方から声を掛けてくれるから姉弟仲が良いのだろう。

「わたくし、そんなことはいたしません。」
「嘘つけ。もう目が据わってるよ。」

眉間に寄ったらしい皺を、ウィリアムが人差し指でちょんちょんと突付く。

「そんな顔をハロルド殿にも見せたの?」

そんな顔もどんな顔も、コソコソ俯いていたから、きっと大丈夫、見られてない。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

三度目の嘘つき

豆狸
恋愛
「……本当に良かったのかい、エカテリナ。こんな嘘をついて……」 「……いいのよ。私に新しい相手が出来れば、周囲も殿下と男爵令嬢の仲を認めずにはいられなくなるわ」 なろう様でも公開中ですが、少し構成が違います。内容は同じです。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

不実なあなたに感謝を

黒木メイ
恋愛
王太子妃であるベアトリーチェと踊るのは最初のダンスのみ。落ち人のアンナとは望まれるまま何度も踊るのに。王太子であるマルコが誰に好意を寄せているかははたから見れば一目瞭然だ。けれど、マルコが心から愛しているのはベアトリーチェだけだった。そのことに気づいていながらも受け入れられないベアトリーチェ。そんな時、マルコとアンナがとうとう一線を越えたことを知る。――――不実なあなたを恨んだ回数は数知れず。けれど、今では感謝すらしている。愚かなあなたのおかげで『幸せ』を取り戻すことができたのだから。 ※異世界転移をしている登場人物がいますが主人公ではないためタグを外しています。 ※曖昧設定。 ※一旦完結。 ※性描写は匂わせ程度。 ※小説家になろう様、カクヨム様にも掲載予定。

私の手からこぼれ落ちるもの

アズやっこ
恋愛
5歳の時、お父様が亡くなった。 優しくて私やお母様を愛してくれたお父様。私達は仲の良い家族だった。 でもそれは偽りだった。 お父様の書斎にあった手記を見た時、お父様の優しさも愛も、それはただの罪滅ぼしだった。 お父様が亡くなり侯爵家は叔父様に奪われた。侯爵家を追い出されたお母様は心を病んだ。 心を病んだお母様を助けたのは私ではなかった。 私の手からこぼれていくもの、そして最後は私もこぼれていく。 こぼれた私を救ってくれる人はいるのかしら… ❈ 作者独自の世界観です。 ❈ 作者独自の設定です。 ❈ ざまぁはありません。

元侯爵令嬢は冷遇を満喫する

cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。 しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は 「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」 夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。 自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。 お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。 本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。 ※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

騎士の妻ではいられない

Rj
恋愛
騎士の娘として育ったリンダは騎士とは結婚しないと決めていた。しかし幼馴染みで騎士のイーサンと結婚したリンダ。結婚した日に新郎は非常召集され、新婦のリンダは結婚を祝う宴に一人残された。二年目の結婚記念日に戻らない夫を待つリンダはもう騎士の妻ではいられないと心を決める。 全23話。 2024/1/29 全体的な加筆修正をしました。話の内容に変わりはありません。 イーサンが主人公の続編『騎士の妻でいてほしい 』(https://www.alphapolis.co.jp/novel/96163257/36727666)があります。

もう一度だけ。

しらす
恋愛
私の一番の願いは、貴方の幸せ。 最期に、うまく笑えたかな。 **タグご注意下さい。 ***ギャグが上手く書けなくてシリアスを書きたくなったので書きました。 ****ありきたりなお話です。 *****小説家になろう様にても掲載しています。

【本編完結】独りよがりの初恋でした

須木 水夏
恋愛
好きだった人。ずっと好きだった人。その人のそばに居たくて、そばに居るために頑張ってた。  それが全く意味の無いことだなんて、知らなかったから。 アンティーヌは図書館の本棚の影で聞いてしまう。大好きな人が他の人に囁く愛の言葉を。 #ほろ苦い初恋 #それぞれにハッピーエンド 特にざまぁなどはありません。 小さく淡い恋の、始まりと終わりを描きました。完結いたします。

処理中です...