ヘンリエッタの再婚約

桃井すもも

文字の大きさ
上 下
17 / 78

【17】

しおりを挟む
「ふう~、疲れた。泣くって体力使うのね。心地良い疲労感を感じるわ。」
「馬鹿な事を仰っていないで、本当に宜しかったのですか?」

邸に戻って部屋着に着替えていると、ブリジットが浮かない様子で尋ねて来た。

「何が?」

どうしてこんな残念な令嬢に育ってしまったのだろう。やはり周りの大人達が悪影響を及ぼしたのか。
ブリジットは、なんだか切なくなってしまった。

「折角お誘い頂いて観劇の後のお茶もご一緒なさって、帰りは別々の馬車だなんて、そんな逢瀬など聞いたことがございません。」

「逢瀬などではなくてよ、ブリジット。間違えてはいけないわ。ミッション、あれはミッションなのよ。第二王子殿下から命じられてハロルド様がそれを実行に移したミッションなの。」

「また可怪しな事を仰って。その不思議な着眼点が何処から来るのか、小説の読み過ぎではないですか?」

「まあ、ブリジット。小説の世界より恐ろしいのは現実よ。真実は小説より奇なりと言うじゃない。あの言葉こそ真実ね。」

水色のワンピースの、後ろの紐釦を外しながらブリジットは何度目かの溜め息を付いた。

悩みに悩んだ衣装は、結局、水色のAラインワンピースにした。緑一色のクローゼットの片隅に、ロイヤルブルーとは別に一着だけ色の異なるのがあって、それが水色であったから逃げ道はその一択しか無かった。
パフスリーブの短い袖にレースの手袋、足元も白いストッキングを併せた。黒いリボンを頭頂部で結わえてサイドは耳に掛け、後ろはゆったり背中に垂らした。

ん?何処かで見たことがあるビジュアルだぞ?と、鏡に映る自身の姿に思ったら、ああ、あれだ、不思議の国とやらに落っこちて兎と奔走するあのませた少女の姿だと思い至った。白いエプロン着たら完璧という姿だ。

こんな装いに仕上げておいて、小説を読み過ぎだと言うブリジットだけれど、貴女こそ童話の読み過ぎではなくて?ヘンリエッタの方が溜め息を付きたい。

「はあ~」「はあ~」
二人同時に溜め息をついちゃって、鏡の中で互いに視線を合わせた。

「素直におなりあそばせ。」
「私はいつだって素直だわ。」

「素直と正直とは別物です。お嬢様は確かに嘘をお嫌いな大変正直なお方です。ですが、事実ばかりを突き詰められると人とは逃げ出したくなるものなのです。ほんの少しで宜しいから、ちょっと手を緩めて差し上げると、目溢しされたお相手はほっと息が付けるのですよ。」

「あまり納得出来ないお話しね。それってまるで、正直者は馬鹿を見るって話しじゃない。」

「何処からそんな台詞を覚えていらっしゃるのです。下世話な週刊誌の読み過ぎなのでは?」

「『週刊貴婦人』は出版界の傑作よ。」
「犯人はそれですね。」


やいのやいのと騒がしく着替えを終えて、部屋の中で一人になったヘンリエッタは、ゴロンと寝台に寝転んだ。

天井を仰ぎ見ながら考える。

ブリジットの言葉は、全部ヘンリエッタにも理解が出来た。ヘンリエッタだって可怪しいと思うもの。もし友人が恋人や婚約者とデートの後で別々の馬車で帰るなんて話しを聞いたなら、それって大丈夫?と心配に思うだろう。

仕方が無いじゃない。
私達、そんな可怪しな関係なのだから。

黒い髪に青い瞳。背は多分二年前より伸びただろう。頬が削げて精悍さを増したハロルドの姿を思い出す。

正直過ぎは相手を息苦しくさせるとブリジットは言った。けれども、いつも何かを隠す空気を嗅ぎ取るのも、息苦しくなってしまうのだ。
記憶の中に残るハロルドとは、真っ直ぐにヘンリエッタを見つめる澄んだ眼差しが、この男性ひとには偽りが無いのだと信じさせてくれる人物だった。

大人をその少年期と比べても仕方の無い事だと思う。大人とは、色々な物事にほんの少しの偽りを混ぜ込んで、事実を薄めて曖昧にした世界で生きる生き物だ。

ハロルドから感じ取る偽りの匂いがヘンリエッタを嫌厭させているのだと、口に出しては言えなかった。

「偽りを吐く貴方を目溢しして付き合ったとして、それほど哀しい間柄なんて無いじゃない。」

嘘偽りとは、100%相手に悟らせないのが鉄則だ。匂わせちゃっては駄目なのだ。
ハロルドの纏う秘密めいた匂いが、潔癖症のTop of the Topトップオブザトップのヘンリエッタには薄い空気を吸うような息苦しさを感じさせるのを、ブリジットは解ってくれるだろうか。

初めから、全てを話してぶつかって、喧嘩になっても良いからヘンリエッタを信じて話せば良かった。ハロルドは二年前についてを確かにそう言ったが、そう思うのなら今話してくれても良いではないか。

亀虫がいつまでも消えない嫌な匂いを放つ様に、いつまでも消えない偽りの香りに、ヘンリエッタは辟易とした。

辞め辞め、こんな思考。
折角素晴らしい舞台を観てきたのだ。『ベルかす』こそ真実の愛!嘘偽りの無い愛の世界だ。
そう。オスカールは女性でありながらその身を男性と偽って、偽って、え?
もうヤダ!愛の世界にまで偽りが蔓延してる!
いやいや、元々小説、虚構の世界であるのを、潔癖症のQueen of the Queenのヘンリエッタは絶望したくなったのだった。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】365日後の花言葉

Ringo
恋愛
許せなかった。 幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。 あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。 “ごめんなさい” 言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの? ※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

三度目の嘘つき

豆狸
恋愛
「……本当に良かったのかい、エカテリナ。こんな嘘をついて……」 「……いいのよ。私に新しい相手が出来れば、周囲も殿下と男爵令嬢の仲を認めずにはいられなくなるわ」 なろう様でも公開中ですが、少し構成が違います。内容は同じです。

お久しぶりです、元旦那様

mios
恋愛
「お久しぶりです。元旦那様。」

踏み台(王女)にも事情はある

mios
恋愛
戒律の厳しい修道院に王女が送られた。 聖女ビアンカに魔物をけしかけた罪で投獄され、処刑を免れた結果のことだ。 王女が居なくなって平和になった筈、なのだがそれから何故か原因不明の不調が蔓延し始めて……原因究明の為、王女の元婚約者が調査に乗り出した。

〈完結〉毒を飲めと言われたので飲みました。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃シャリゼは、稀代の毒婦、と呼ばれている。 国中から批判された嫌われ者の王妃が、やっと処刑された。 悪は倒れ、国には平和が戻る……はずだった。

そう言うと思ってた

mios
恋愛
公爵令息のアランは馬鹿ではない。ちゃんとわかっていた。自分が夢中になっているアナスタシアが自分をそれほど好きでないことも、自分の婚約者であるカリナが自分を愛していることも。 ※いつものように視点がバラバラします。

貴妃エレーナ

無味無臭(不定期更新)
恋愛
「君は、私のことを恨んでいるか?」 後宮で暮らして数十年の月日が流れたある日のこと。国王ローレンスから突然そう聞かれた貴妃エレーナは戸惑ったように答えた。 「急に、どうされたのですか?」 「…分かるだろう、はぐらかさないでくれ。」 「恨んでなどいませんよ。あれは遠い昔のことですから。」 そう言われて、私は今まで蓋をしていた記憶を辿った。 どうやら彼は、若かりし頃に私とあの人の仲を引き裂いてしまったことを今も悔やんでいるらしい。 けれど、もう安心してほしい。 私は既に、今世ではあの人と縁がなかったんだと諦めている。 だから… 「陛下…!大変です、内乱が…」 え…? ーーーーーーーーーーーーー ここは、どこ? さっきまで内乱が… 「エレーナ?」 陛下…? でも若いわ。 バッと自分の顔を触る。 するとそこにはハリもあってモチモチとした、まるで若い頃の私の肌があった。 懐かしい空間と若い肌…まさか私、昔の時代に戻ったの?!

処理中です...