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「ふう~、疲れた。泣くって体力使うのね。心地良い疲労感を感じるわ。」
「馬鹿な事を仰っていないで、本当に宜しかったのですか?」
邸に戻って部屋着に着替えていると、ブリジットが浮かない様子で尋ねて来た。
「何が?」
どうしてこんな残念な令嬢に育ってしまったのだろう。やはり周りの大人達が悪影響を及ぼしたのか。
ブリジットは、なんだか切なくなってしまった。
「折角お誘い頂いて観劇の後のお茶もご一緒なさって、帰りは別々の馬車だなんて、そんな逢瀬など聞いたことがございません。」
「逢瀬などではなくてよ、ブリジット。間違えてはいけないわ。ミッション、あれはミッションなのよ。第二王子殿下から命じられてハロルド様がそれを実行に移したミッションなの。」
「また可怪しな事を仰って。その不思議な着眼点が何処から来るのか、小説の読み過ぎではないですか?」
「まあ、ブリジット。小説の世界より恐ろしいのは現実よ。真実は小説より奇なりと言うじゃない。あの言葉こそ真実ね。」
水色のワンピースの、後ろの紐釦を外しながらブリジットは何度目かの溜め息を付いた。
悩みに悩んだ衣装は、結局、水色のAラインワンピースにした。緑一色のクローゼットの片隅に、ロイヤルブルーとは別に一着だけ色の異なるのがあって、それが水色であったから逃げ道はその一択しか無かった。
パフスリーブの短い袖にレースの手袋、足元も白いストッキングを併せた。黒いリボンを頭頂部で結わえてサイドは耳に掛け、後ろはゆったり背中に垂らした。
ん?何処かで見たことがあるビジュアルだぞ?と、鏡に映る自身の姿に思ったら、ああ、あれだ、不思議の国とやらに落っこちて兎と奔走するあのませた少女の姿だと思い至った。白いエプロン着たら完璧という姿だ。
こんな装いに仕上げておいて、小説を読み過ぎだと言うブリジットだけれど、貴女こそ童話の読み過ぎではなくて?ヘンリエッタの方が溜め息を付きたい。
「はあ~」「はあ~」
二人同時に溜め息をついちゃって、鏡の中で互いに視線を合わせた。
「素直におなりあそばせ。」
「私はいつだって素直だわ。」
「素直と正直とは別物です。お嬢様は確かに嘘をお嫌いな大変正直なお方です。ですが、事実ばかりを突き詰められると人とは逃げ出したくなるものなのです。ほんの少しで宜しいから、ちょっと手を緩めて差し上げると、目溢しされたお相手はほっと息が付けるのですよ。」
「あまり納得出来ないお話しね。それってまるで、正直者は馬鹿を見るって話しじゃない。」
「何処からそんな台詞を覚えていらっしゃるのです。下世話な週刊誌の読み過ぎなのでは?」
「『週刊貴婦人』は出版界の傑作よ。」
「犯人はそれですね。」
やいのやいのと騒がしく着替えを終えて、部屋の中で一人になったヘンリエッタは、ゴロンと寝台に寝転んだ。
天井を仰ぎ見ながら考える。
ブリジットの言葉は、全部ヘンリエッタにも理解が出来た。ヘンリエッタだって可怪しいと思うもの。もし友人が恋人や婚約者とデートの後で別々の馬車で帰るなんて話しを聞いたなら、それって大丈夫?と心配に思うだろう。
仕方が無いじゃない。
私達、そんな可怪しな関係なのだから。
黒い髪に青い瞳。背は多分二年前より伸びただろう。頬が削げて精悍さを増したハロルドの姿を思い出す。
正直過ぎは相手を息苦しくさせるとブリジットは言った。けれども、いつも何かを隠す空気を嗅ぎ取るのも、息苦しくなってしまうのだ。
記憶の中に残るハロルドとは、真っ直ぐにヘンリエッタを見つめる澄んだ眼差しが、この男性には偽りが無いのだと信じさせてくれる人物だった。
大人をその少年期と比べても仕方の無い事だと思う。大人とは、色々な物事にほんの少しの偽りを混ぜ込んで、事実を薄めて曖昧にした世界で生きる生き物だ。
ハロルドから感じ取る偽りの匂いがヘンリエッタを嫌厭させているのだと、口に出しては言えなかった。
「偽りを吐く貴方を目溢しして付き合ったとして、それほど哀しい間柄なんて無いじゃない。」
嘘偽りとは、100%相手に悟らせないのが鉄則だ。匂わせちゃっては駄目なのだ。
ハロルドの纏う秘密めいた匂いが、潔癖症のTop of the Topのヘンリエッタには薄い空気を吸うような息苦しさを感じさせるのを、ブリジットは解ってくれるだろうか。
初めから、全てを話してぶつかって、喧嘩になっても良いからヘンリエッタを信じて話せば良かった。ハロルドは二年前についてを確かにそう言ったが、そう思うのなら今話してくれても良いではないか。
亀虫がいつまでも消えない嫌な匂いを放つ様に、いつまでも消えない偽りの香りに、ヘンリエッタは辟易とした。
辞め辞め、こんな思考。
折角素晴らしい舞台を観てきたのだ。『ベルかす』こそ真実の愛!嘘偽りの無い愛の世界だ。
そう。オスカールは女性でありながらその身を男性と偽って、偽って、え?
もうヤダ!愛の世界にまで偽りが蔓延してる!
いやいや、元々小説、虚構の世界であるのを、潔癖症のQueen of the Queenのヘンリエッタは絶望したくなったのだった。
「馬鹿な事を仰っていないで、本当に宜しかったのですか?」
邸に戻って部屋着に着替えていると、ブリジットが浮かない様子で尋ねて来た。
「何が?」
どうしてこんな残念な令嬢に育ってしまったのだろう。やはり周りの大人達が悪影響を及ぼしたのか。
ブリジットは、なんだか切なくなってしまった。
「折角お誘い頂いて観劇の後のお茶もご一緒なさって、帰りは別々の馬車だなんて、そんな逢瀬など聞いたことがございません。」
「逢瀬などではなくてよ、ブリジット。間違えてはいけないわ。ミッション、あれはミッションなのよ。第二王子殿下から命じられてハロルド様がそれを実行に移したミッションなの。」
「また可怪しな事を仰って。その不思議な着眼点が何処から来るのか、小説の読み過ぎではないですか?」
「まあ、ブリジット。小説の世界より恐ろしいのは現実よ。真実は小説より奇なりと言うじゃない。あの言葉こそ真実ね。」
水色のワンピースの、後ろの紐釦を外しながらブリジットは何度目かの溜め息を付いた。
悩みに悩んだ衣装は、結局、水色のAラインワンピースにした。緑一色のクローゼットの片隅に、ロイヤルブルーとは別に一着だけ色の異なるのがあって、それが水色であったから逃げ道はその一択しか無かった。
パフスリーブの短い袖にレースの手袋、足元も白いストッキングを併せた。黒いリボンを頭頂部で結わえてサイドは耳に掛け、後ろはゆったり背中に垂らした。
ん?何処かで見たことがあるビジュアルだぞ?と、鏡に映る自身の姿に思ったら、ああ、あれだ、不思議の国とやらに落っこちて兎と奔走するあのませた少女の姿だと思い至った。白いエプロン着たら完璧という姿だ。
こんな装いに仕上げておいて、小説を読み過ぎだと言うブリジットだけれど、貴女こそ童話の読み過ぎではなくて?ヘンリエッタの方が溜め息を付きたい。
「はあ~」「はあ~」
二人同時に溜め息をついちゃって、鏡の中で互いに視線を合わせた。
「素直におなりあそばせ。」
「私はいつだって素直だわ。」
「素直と正直とは別物です。お嬢様は確かに嘘をお嫌いな大変正直なお方です。ですが、事実ばかりを突き詰められると人とは逃げ出したくなるものなのです。ほんの少しで宜しいから、ちょっと手を緩めて差し上げると、目溢しされたお相手はほっと息が付けるのですよ。」
「あまり納得出来ないお話しね。それってまるで、正直者は馬鹿を見るって話しじゃない。」
「何処からそんな台詞を覚えていらっしゃるのです。下世話な週刊誌の読み過ぎなのでは?」
「『週刊貴婦人』は出版界の傑作よ。」
「犯人はそれですね。」
やいのやいのと騒がしく着替えを終えて、部屋の中で一人になったヘンリエッタは、ゴロンと寝台に寝転んだ。
天井を仰ぎ見ながら考える。
ブリジットの言葉は、全部ヘンリエッタにも理解が出来た。ヘンリエッタだって可怪しいと思うもの。もし友人が恋人や婚約者とデートの後で別々の馬車で帰るなんて話しを聞いたなら、それって大丈夫?と心配に思うだろう。
仕方が無いじゃない。
私達、そんな可怪しな関係なのだから。
黒い髪に青い瞳。背は多分二年前より伸びただろう。頬が削げて精悍さを増したハロルドの姿を思い出す。
正直過ぎは相手を息苦しくさせるとブリジットは言った。けれども、いつも何かを隠す空気を嗅ぎ取るのも、息苦しくなってしまうのだ。
記憶の中に残るハロルドとは、真っ直ぐにヘンリエッタを見つめる澄んだ眼差しが、この男性には偽りが無いのだと信じさせてくれる人物だった。
大人をその少年期と比べても仕方の無い事だと思う。大人とは、色々な物事にほんの少しの偽りを混ぜ込んで、事実を薄めて曖昧にした世界で生きる生き物だ。
ハロルドから感じ取る偽りの匂いがヘンリエッタを嫌厭させているのだと、口に出しては言えなかった。
「偽りを吐く貴方を目溢しして付き合ったとして、それほど哀しい間柄なんて無いじゃない。」
嘘偽りとは、100%相手に悟らせないのが鉄則だ。匂わせちゃっては駄目なのだ。
ハロルドの纏う秘密めいた匂いが、潔癖症のTop of the Topのヘンリエッタには薄い空気を吸うような息苦しさを感じさせるのを、ブリジットは解ってくれるだろうか。
初めから、全てを話してぶつかって、喧嘩になっても良いからヘンリエッタを信じて話せば良かった。ハロルドは二年前についてを確かにそう言ったが、そう思うのなら今話してくれても良いではないか。
亀虫がいつまでも消えない嫌な匂いを放つ様に、いつまでも消えない偽りの香りに、ヘンリエッタは辟易とした。
辞め辞め、こんな思考。
折角素晴らしい舞台を観てきたのだ。『ベルかす』こそ真実の愛!嘘偽りの無い愛の世界だ。
そう。オスカールは女性でありながらその身を男性と偽って、偽って、え?
もうヤダ!愛の世界にまで偽りが蔓延してる!
いやいや、元々小説、虚構の世界であるのを、潔癖症のQueen of the Queenのヘンリエッタは絶望したくなったのだった。
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