12 / 78
【12】
しおりを挟む
翌日の朝食の席で、ヘンリエッタはこちらへ向けられる痛いほどの視線を感じながらも、お早うございますの挨拶以外は会話をする事は出来なかった。
ハロルドの言葉で、両親がヘンリエッタを気遣ってくれていたのは解った。だからもう既に怒りの感情は治まっていた。
けれども、そうじゃあないのよ、と思う気持ちは残念な感情を伴って胸の内に残っていた。
両親がハロルドと馴れ合うのを、決して責めたい訳ではない。その為に父はハロルドを晩餐に招待したのだ。
だからこそ最初の最初に、疵を受けた娘の親として彼に一言けじめを付けて欲しかった。
娘に対する不実の末の裏切りともいえる不誠実な行いを、親として一言でいいから苦言を呈して欲しかった。要は怒って欲しかったのだ。
そう思いながらも、ヘンリエッタ自身は無言を通すばかりで、自分は何もせぬままであった。婚約解消の折でさえ全て両親に任せ切りであったのだ。改めて考えれば、両親にばかり求めるのは酷く勝手で幼稚な事に思われた。
そんな両極端な感情の折り合いを上手く付けることが出来ないまま、今も自分自身の感情を持て余している。機嫌を取って欲しい訳では無いけれど、結局はそう云う事だろう。他力に任せっぱなしにして目を背けていたのはヘンリエッタ自身である。
もう少し、あともう少し一人にしてもらえるなら、きっと直に両親にも素直に話せる様になるだろう。
取り敢えず、今日のところは思い付く言葉が無くて、そのまま食堂を出た。
邸の中で行き場の無い日に限って休日で、逃げ場所の学園へも行けないから、ヘンリエッタは自室に戻ってすっかり手持ち無沙汰になってしまった。
いつもの休日であれば、午前中は母とお茶を楽しんだりするのだが、今日はそれも出来そうにない。ならば外出でもと思っても、元より買い物などしない質であったから行き先が思い付かない。
情けない事に、自分は物凄く行動範囲が狭いらしい。令嬢らしくウィンドウショッピングだとか流行りのカフェだとかも、そういえばの、ハロルドと婚約していた頃にはそんな処へ足を運んだ事もあったのだが、婚約を解消して以降はすっかり遠退いてしまった。
「そうだ、図書館へ行こう。」
あいうえお順に考えて、「か行」のカフェも観劇もパスして「た行」で漸く思い付いた。もう直ぐ「な行」に移るところだった。図書館、図書館、王立図書館があるではないか!早速ブリジットに声を掛けて、身支度をするのであった。
「ふうん、誰かと喧嘩でもしたの?」
行き成り背中から声を掛けられて、ヘンリエッタはぱたんと読んでいた本を閉じた。『仲直りしたい時に読む本』の表題に両手を被せて隠してみた。
「ご機嫌よう、アレックス様。」
「うん。久しぶりだね、ヘンリエッタ嬢。」
アレックスはフェイラーズ伯爵家の次男で、以前は親しく言葉を交わす間柄であった。それも今ではすっかり因縁めいた関係になってしまって、こんな風に言葉を交わすのは、大凡二年ぶりである。
アレックスは、ハロルドの友人である。友人であり仕事仲間である。彼は近衛騎士であり、現在はエドワード殿下の婚約者、つまりは隣国第二王女殿下の護衛を務めている。隣国王女はエドワード殿下との婚約後は隣国を離れて王城に移り住んでいた。
「元気そうだね。」
「ええ、アレックス様も。」
そこでアレックスはヘンリエッタをまじまじと見つめた。
顎のラインで切り揃えた金の髪に碧の瞳。貴族を絵に描いた様な見目のアレックスは、童顔故に年上であるも近しく感じられる。ハロルドやエドワード殿下とは同い年で学友でもある彼は、気さくな人柄も相まって話しやすい人物であった。
それも、ハロルドとの婚約を解消してからは、ぷつりと縁が切れていた。元よりハロルドに関わる人間関係で、ヘンリエッタとは歳も性別も違うのだから、今後も付き合いは無いと思われた。
「アレックス様も読書をなさりに?」
図書館なのだから、目的はそれ一つなのだが、あんまりまじまじと見つめられて何か聞かない訳にはいかなかった。
「うん。参考書を読みにね。」
「参考書?」
「来月、昇進試験があるんだ。剣技と筆記試験。その筆記試験をどうにかしなくちゃいけないんだ。僕は剣ならいいとこ行けると思うんだが、どうも座学は苦手なんだ。座っているだけで嫌になる。」
「ふふっ」
ハロルドに近い者なら尚の事、あまり関わり合いにはなりたく無い。しかも彼はヘンリエッタとの婚約解消に原因する姫に仕えている。なのに、アレックスとはいつもこんな風に飄々として親しみ易かったと思い出し、ヘンリエッタは絆された訳では無いのだが、つい笑みが漏れてしまった。
「笑ったな。」
「ええ、笑ってしまいました。」
「では、誰かと仲直りをしたいらしいヘンリエッタ嬢に、試験勉強のコツを教えてもらおうかな。」
「まあ、勉学は繰り返し教科書を読むのに尽きますわ。お教えするコツなんてございません。」
「でも、君は最優秀クラスだろう?」
「ええ、確かに。何故それを?」
「君はロバート殿下の御学友じゃあないか。」
「ああ、ええ、そうですわね。」
「殿下の護衛は近衛騎士だよ。君等が親しいのも聞いているよ。」
「親しいと言えるかは分かりませんが、ロバート殿下とはよくお話しをさせて頂いております。」
「ふうん。」
可怪しな事を言っただろうか。
アレックスは、そこで再びまじまじとヘンリエッタを見つめた。
「きっと君とそんな風に話したいと思うんだろうな。」
「え?」
「いやあ、別に。まあ、頑張り給え。仲直りが出来ると良いね。」
誰と?とヘンリエッタに疑問を残して、アレックスは立ち去った。そうして、出口に向かって行ってしまった。
「アレックス様、試験勉強は大丈夫なの?どうにかしなくちゃいけないのではなくて?」
何しに来たんだ?と思いながら、久しぶりに懐かしい人物と交わした会話に心が和んだ。
ハロルドの言葉で、両親がヘンリエッタを気遣ってくれていたのは解った。だからもう既に怒りの感情は治まっていた。
けれども、そうじゃあないのよ、と思う気持ちは残念な感情を伴って胸の内に残っていた。
両親がハロルドと馴れ合うのを、決して責めたい訳ではない。その為に父はハロルドを晩餐に招待したのだ。
だからこそ最初の最初に、疵を受けた娘の親として彼に一言けじめを付けて欲しかった。
娘に対する不実の末の裏切りともいえる不誠実な行いを、親として一言でいいから苦言を呈して欲しかった。要は怒って欲しかったのだ。
そう思いながらも、ヘンリエッタ自身は無言を通すばかりで、自分は何もせぬままであった。婚約解消の折でさえ全て両親に任せ切りであったのだ。改めて考えれば、両親にばかり求めるのは酷く勝手で幼稚な事に思われた。
そんな両極端な感情の折り合いを上手く付けることが出来ないまま、今も自分自身の感情を持て余している。機嫌を取って欲しい訳では無いけれど、結局はそう云う事だろう。他力に任せっぱなしにして目を背けていたのはヘンリエッタ自身である。
もう少し、あともう少し一人にしてもらえるなら、きっと直に両親にも素直に話せる様になるだろう。
取り敢えず、今日のところは思い付く言葉が無くて、そのまま食堂を出た。
邸の中で行き場の無い日に限って休日で、逃げ場所の学園へも行けないから、ヘンリエッタは自室に戻ってすっかり手持ち無沙汰になってしまった。
いつもの休日であれば、午前中は母とお茶を楽しんだりするのだが、今日はそれも出来そうにない。ならば外出でもと思っても、元より買い物などしない質であったから行き先が思い付かない。
情けない事に、自分は物凄く行動範囲が狭いらしい。令嬢らしくウィンドウショッピングだとか流行りのカフェだとかも、そういえばの、ハロルドと婚約していた頃にはそんな処へ足を運んだ事もあったのだが、婚約を解消して以降はすっかり遠退いてしまった。
「そうだ、図書館へ行こう。」
あいうえお順に考えて、「か行」のカフェも観劇もパスして「た行」で漸く思い付いた。もう直ぐ「な行」に移るところだった。図書館、図書館、王立図書館があるではないか!早速ブリジットに声を掛けて、身支度をするのであった。
「ふうん、誰かと喧嘩でもしたの?」
行き成り背中から声を掛けられて、ヘンリエッタはぱたんと読んでいた本を閉じた。『仲直りしたい時に読む本』の表題に両手を被せて隠してみた。
「ご機嫌よう、アレックス様。」
「うん。久しぶりだね、ヘンリエッタ嬢。」
アレックスはフェイラーズ伯爵家の次男で、以前は親しく言葉を交わす間柄であった。それも今ではすっかり因縁めいた関係になってしまって、こんな風に言葉を交わすのは、大凡二年ぶりである。
アレックスは、ハロルドの友人である。友人であり仕事仲間である。彼は近衛騎士であり、現在はエドワード殿下の婚約者、つまりは隣国第二王女殿下の護衛を務めている。隣国王女はエドワード殿下との婚約後は隣国を離れて王城に移り住んでいた。
「元気そうだね。」
「ええ、アレックス様も。」
そこでアレックスはヘンリエッタをまじまじと見つめた。
顎のラインで切り揃えた金の髪に碧の瞳。貴族を絵に描いた様な見目のアレックスは、童顔故に年上であるも近しく感じられる。ハロルドやエドワード殿下とは同い年で学友でもある彼は、気さくな人柄も相まって話しやすい人物であった。
それも、ハロルドとの婚約を解消してからは、ぷつりと縁が切れていた。元よりハロルドに関わる人間関係で、ヘンリエッタとは歳も性別も違うのだから、今後も付き合いは無いと思われた。
「アレックス様も読書をなさりに?」
図書館なのだから、目的はそれ一つなのだが、あんまりまじまじと見つめられて何か聞かない訳にはいかなかった。
「うん。参考書を読みにね。」
「参考書?」
「来月、昇進試験があるんだ。剣技と筆記試験。その筆記試験をどうにかしなくちゃいけないんだ。僕は剣ならいいとこ行けると思うんだが、どうも座学は苦手なんだ。座っているだけで嫌になる。」
「ふふっ」
ハロルドに近い者なら尚の事、あまり関わり合いにはなりたく無い。しかも彼はヘンリエッタとの婚約解消に原因する姫に仕えている。なのに、アレックスとはいつもこんな風に飄々として親しみ易かったと思い出し、ヘンリエッタは絆された訳では無いのだが、つい笑みが漏れてしまった。
「笑ったな。」
「ええ、笑ってしまいました。」
「では、誰かと仲直りをしたいらしいヘンリエッタ嬢に、試験勉強のコツを教えてもらおうかな。」
「まあ、勉学は繰り返し教科書を読むのに尽きますわ。お教えするコツなんてございません。」
「でも、君は最優秀クラスだろう?」
「ええ、確かに。何故それを?」
「君はロバート殿下の御学友じゃあないか。」
「ああ、ええ、そうですわね。」
「殿下の護衛は近衛騎士だよ。君等が親しいのも聞いているよ。」
「親しいと言えるかは分かりませんが、ロバート殿下とはよくお話しをさせて頂いております。」
「ふうん。」
可怪しな事を言っただろうか。
アレックスは、そこで再びまじまじとヘンリエッタを見つめた。
「きっと君とそんな風に話したいと思うんだろうな。」
「え?」
「いやあ、別に。まあ、頑張り給え。仲直りが出来ると良いね。」
誰と?とヘンリエッタに疑問を残して、アレックスは立ち去った。そうして、出口に向かって行ってしまった。
「アレックス様、試験勉強は大丈夫なの?どうにかしなくちゃいけないのではなくて?」
何しに来たんだ?と思いながら、久しぶりに懐かしい人物と交わした会話に心が和んだ。
4,340
お気に入りに追加
6,388
あなたにおすすめの小説
三度目の嘘つき
豆狸
恋愛
「……本当に良かったのかい、エカテリナ。こんな嘘をついて……」
「……いいのよ。私に新しい相手が出来れば、周囲も殿下と男爵令嬢の仲を認めずにはいられなくなるわ」
なろう様でも公開中ですが、少し構成が違います。内容は同じです。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
不実なあなたに感謝を
黒木メイ
恋愛
王太子妃であるベアトリーチェと踊るのは最初のダンスのみ。落ち人のアンナとは望まれるまま何度も踊るのに。王太子であるマルコが誰に好意を寄せているかははたから見れば一目瞭然だ。けれど、マルコが心から愛しているのはベアトリーチェだけだった。そのことに気づいていながらも受け入れられないベアトリーチェ。そんな時、マルコとアンナがとうとう一線を越えたことを知る。――――不実なあなたを恨んだ回数は数知れず。けれど、今では感謝すらしている。愚かなあなたのおかげで『幸せ』を取り戻すことができたのだから。
※異世界転移をしている登場人物がいますが主人公ではないためタグを外しています。
※曖昧設定。
※一旦完結。
※性描写は匂わせ程度。
※小説家になろう様、カクヨム様にも掲載予定。
私の手からこぼれ落ちるもの
アズやっこ
恋愛
5歳の時、お父様が亡くなった。
優しくて私やお母様を愛してくれたお父様。私達は仲の良い家族だった。
でもそれは偽りだった。
お父様の書斎にあった手記を見た時、お父様の優しさも愛も、それはただの罪滅ぼしだった。
お父様が亡くなり侯爵家は叔父様に奪われた。侯爵家を追い出されたお母様は心を病んだ。
心を病んだお母様を助けたのは私ではなかった。
私の手からこぼれていくもの、そして最後は私もこぼれていく。
こぼれた私を救ってくれる人はいるのかしら…
❈ 作者独自の世界観です。
❈ 作者独自の設定です。
❈ ざまぁはありません。
元侯爵令嬢は冷遇を満喫する
cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。
しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は
「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」
夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。
自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。
お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。
本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。
※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります
※作者都合のご都合主義です。
※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。
※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
騎士の妻ではいられない
Rj
恋愛
騎士の娘として育ったリンダは騎士とは結婚しないと決めていた。しかし幼馴染みで騎士のイーサンと結婚したリンダ。結婚した日に新郎は非常召集され、新婦のリンダは結婚を祝う宴に一人残された。二年目の結婚記念日に戻らない夫を待つリンダはもう騎士の妻ではいられないと心を決める。
全23話。
2024/1/29 全体的な加筆修正をしました。話の内容に変わりはありません。
イーサンが主人公の続編『騎士の妻でいてほしい 』(https://www.alphapolis.co.jp/novel/96163257/36727666)があります。
【本編完結】独りよがりの初恋でした
須木 水夏
恋愛
好きだった人。ずっと好きだった人。その人のそばに居たくて、そばに居るために頑張ってた。
それが全く意味の無いことだなんて、知らなかったから。
アンティーヌは図書館の本棚の影で聞いてしまう。大好きな人が他の人に囁く愛の言葉を。
#ほろ苦い初恋
#それぞれにハッピーエンド
特にざまぁなどはありません。
小さく淡い恋の、始まりと終わりを描きました。完結いたします。
【完結】彼の瞳に映るのは
たろ
恋愛
今夜も彼はわたしをエスコートして夜会へと参加する。
優しく見つめる彼の瞳にはわたしが映っているのに、何故かわたしの心は何も感じない。
そしてファーストダンスを踊ると彼はそっとわたしのそばからいなくなる。
わたしはまた一人で佇む。彼は守るべき存在の元へと行ってしまう。
★ 短編から長編へ変更しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる