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「どうぞお引き取りを。」
「それは、」「いえ、お引き取りを。」
皆まで言わせずヘンリエッタは遮った。
もうお仕舞にしたい。
「エドワード殿下は私に貴方様という餌を撒けばお気持ちが軽くなるのでしょうが、生憎私には必要の無い事です。要らぬお節介を王命で通すなら、私はこのまま修道院へ参ります。そうして金輪際、還俗しないと誓いましょう。不敬と罰せられるならそれも甘んじてお受け致します。それで貴方方のお気持ちが済むのなら。」
ヘンリエッタはそこで顔を上げた。
「そこまで私が邪魔だと仰るのなら、王命を退けたと罰すれば宜しいでしょう。」
二年半ぶりに見つめるロバートの青い瞳に向かって、ヘンリエッタは出来る限り精一杯の笑みを浮かべた。
呆気に取られた顔をするハロルドの、こんな表情を見るのは最初で最後になるだろう。
「どうぞお引き取りを。殿下からのお勧めも今後はお辞め頂きたいと存じます。」
失礼承知で席を立つ。
「待ってくれないか、ヘンリエッタ嬢。」
その声に歩みを止めず部屋を出た。
扉から出た直ぐそこに、両親が青い顔をして立っていた。
「お父様、ごめんなさい。私、きっと殿下から不敬罪で罰せられるわ。今晩のうちに修道院へ行こうと思います。場所ならもう調べているからご心配なさらないでね。」
そう言って父の前を通り過ぎる。
「ヘンリエッタ、その必要は無いわ。貴女は何も悪くない。殿下はやり過ぎたのよ。」
母の言葉に立ち止まり、
「お母様、有難うございます。お母様のお顔が見られないなんて寂しくなるわ。お父様に愛想が尽きたら私のいる修道院にいつでもいらしてね。」
と言えば、母は涙で瞳を潤ませた。
それから、ヘンリエッタの両手を掴み、
「貴女を独りで行かせるものですか。一緒に参りましょう。」
と囁いた。
「待て待て待て、なんで王家の横槍で我が家の妻と娘が修道院へ入らねばならないのだっ」
珍しく慌てた父が声を荒げると、応接室からハロルドが飛び出して来た。
「ノーザランド伯爵夫人、ヘンリエッタ嬢、殿下は不敬罪など持ち出さない。頼むから修道院は辞めて頂きたい。今日は帰ります。けれども、次に会う事をお許し願いたい。」
そこまで言ってハロルドは、失礼しますと帰って行った。
「疲れたわ。」
ハロルドの後ろ姿を見送りながら、ヘンリエッタは溜め息をついた。
「そうね。ところで貴女、何処に行こうと思ったの?」
「ああ、それでしたらお母様、パンフレットをお持ちしますわ。なかなか住み良い感じの処なんです。ああ、でもその前に、お父様とはどうなさるの?」
「そうねえ、このままでは跡を濁してしまうわね。離縁「何を馬鹿な事を言っている!修道院も離縁も認めない!王命なぞクソ喰らえだ!エドワード殿下に抗議文を送る!」
何を今更言ってるんだ、最初から断れば良かったものを、第二王子殿下のお勧めだのなんだの四の五の言うからこうなるんです!
母と両手を繋ぎながら、ヘンリエッタは父を睨みつけた。八つ当たりであるのは百も承知である。けれども身勝手な男共がどうにも許せない。
姉の怒りの気配を察知して、ウィリアムは騒ぎが気になるも近寄らず遠巻きに眺めている。
こっちに来たら噛み付くわよ!と射る視線を送れば、ウィリアムはスタコラサッサと逃げて行った。許すまじ、身勝手な男共め。
「旦那様ったら、本当にクソ喰らえって書いたみたいなの。」
「えっ、それはエドワード殿下への文ですか?」
翌日学園から戻ると、出迎えてくれた母から聞いて驚いた。あの父が王家へ本当に抗議文を送ったらしい。
「そうみたい。あの日和見な旦那様が抗議文を送るなんて、多分産まれて初めての事だと思うのよ。見ちゃったの、『抗議文雛形集』って書籍をご覧になってたわ。」
「まあ。私も後でお借りしなくちゃ。」
もう、これで父も同罪だ。大体にして、迷惑を被ったのはこちらの方だ。貴族は王家の奴隷じゃあないんです!御自分の婚礼に禍根が残る事を案ずるからと、変な気を回さないで頂きたい。
ぷりぷりしながら自室に戻った。
昨日は、怒りすぎてハイになり、案外あの後はさっぱりとしたものだった。
父が母との離縁を望まなかったのが、少しばかり意外で嬉しかった。
正直なところ、父の事は信用ならんと思っていた。妻も娘も軽んじ過ぎる。愛人もそう!再婚約もそう!
貴族の女とは、結局夫や父の庇護下にいるから、こんな風に軽んじられてしまうのだわ。
「儚いものね、女って。」
鏡に向かってそう言えば、
「お嬢様は、逞しいお方です。」
と、侍女のブリジットが後ろからそう言う。
「荷解きはしないでね。」
「まだ諦めていらっしゃらないのですか?」
「ええ。修道院は終の棲家ですもの。その為にお金も掻き集めたのだし。」
「あんなにドレスも宝飾品も手離されて。」
「婚約を解消したのですもの。贈られた物を持っていても仕方が無いわ。今頃は、きっと何処かの御婦人方を飾っていることでしょうから、ドレス達もその方が幸せよ。」
ヘンリエッタの言葉にブリジットは不服そうな顔をした。
「それは、」「いえ、お引き取りを。」
皆まで言わせずヘンリエッタは遮った。
もうお仕舞にしたい。
「エドワード殿下は私に貴方様という餌を撒けばお気持ちが軽くなるのでしょうが、生憎私には必要の無い事です。要らぬお節介を王命で通すなら、私はこのまま修道院へ参ります。そうして金輪際、還俗しないと誓いましょう。不敬と罰せられるならそれも甘んじてお受け致します。それで貴方方のお気持ちが済むのなら。」
ヘンリエッタはそこで顔を上げた。
「そこまで私が邪魔だと仰るのなら、王命を退けたと罰すれば宜しいでしょう。」
二年半ぶりに見つめるロバートの青い瞳に向かって、ヘンリエッタは出来る限り精一杯の笑みを浮かべた。
呆気に取られた顔をするハロルドの、こんな表情を見るのは最初で最後になるだろう。
「どうぞお引き取りを。殿下からのお勧めも今後はお辞め頂きたいと存じます。」
失礼承知で席を立つ。
「待ってくれないか、ヘンリエッタ嬢。」
その声に歩みを止めず部屋を出た。
扉から出た直ぐそこに、両親が青い顔をして立っていた。
「お父様、ごめんなさい。私、きっと殿下から不敬罪で罰せられるわ。今晩のうちに修道院へ行こうと思います。場所ならもう調べているからご心配なさらないでね。」
そう言って父の前を通り過ぎる。
「ヘンリエッタ、その必要は無いわ。貴女は何も悪くない。殿下はやり過ぎたのよ。」
母の言葉に立ち止まり、
「お母様、有難うございます。お母様のお顔が見られないなんて寂しくなるわ。お父様に愛想が尽きたら私のいる修道院にいつでもいらしてね。」
と言えば、母は涙で瞳を潤ませた。
それから、ヘンリエッタの両手を掴み、
「貴女を独りで行かせるものですか。一緒に参りましょう。」
と囁いた。
「待て待て待て、なんで王家の横槍で我が家の妻と娘が修道院へ入らねばならないのだっ」
珍しく慌てた父が声を荒げると、応接室からハロルドが飛び出して来た。
「ノーザランド伯爵夫人、ヘンリエッタ嬢、殿下は不敬罪など持ち出さない。頼むから修道院は辞めて頂きたい。今日は帰ります。けれども、次に会う事をお許し願いたい。」
そこまで言ってハロルドは、失礼しますと帰って行った。
「疲れたわ。」
ハロルドの後ろ姿を見送りながら、ヘンリエッタは溜め息をついた。
「そうね。ところで貴女、何処に行こうと思ったの?」
「ああ、それでしたらお母様、パンフレットをお持ちしますわ。なかなか住み良い感じの処なんです。ああ、でもその前に、お父様とはどうなさるの?」
「そうねえ、このままでは跡を濁してしまうわね。離縁「何を馬鹿な事を言っている!修道院も離縁も認めない!王命なぞクソ喰らえだ!エドワード殿下に抗議文を送る!」
何を今更言ってるんだ、最初から断れば良かったものを、第二王子殿下のお勧めだのなんだの四の五の言うからこうなるんです!
母と両手を繋ぎながら、ヘンリエッタは父を睨みつけた。八つ当たりであるのは百も承知である。けれども身勝手な男共がどうにも許せない。
姉の怒りの気配を察知して、ウィリアムは騒ぎが気になるも近寄らず遠巻きに眺めている。
こっちに来たら噛み付くわよ!と射る視線を送れば、ウィリアムはスタコラサッサと逃げて行った。許すまじ、身勝手な男共め。
「旦那様ったら、本当にクソ喰らえって書いたみたいなの。」
「えっ、それはエドワード殿下への文ですか?」
翌日学園から戻ると、出迎えてくれた母から聞いて驚いた。あの父が王家へ本当に抗議文を送ったらしい。
「そうみたい。あの日和見な旦那様が抗議文を送るなんて、多分産まれて初めての事だと思うのよ。見ちゃったの、『抗議文雛形集』って書籍をご覧になってたわ。」
「まあ。私も後でお借りしなくちゃ。」
もう、これで父も同罪だ。大体にして、迷惑を被ったのはこちらの方だ。貴族は王家の奴隷じゃあないんです!御自分の婚礼に禍根が残る事を案ずるからと、変な気を回さないで頂きたい。
ぷりぷりしながら自室に戻った。
昨日は、怒りすぎてハイになり、案外あの後はさっぱりとしたものだった。
父が母との離縁を望まなかったのが、少しばかり意外で嬉しかった。
正直なところ、父の事は信用ならんと思っていた。妻も娘も軽んじ過ぎる。愛人もそう!再婚約もそう!
貴族の女とは、結局夫や父の庇護下にいるから、こんな風に軽んじられてしまうのだわ。
「儚いものね、女って。」
鏡に向かってそう言えば、
「お嬢様は、逞しいお方です。」
と、侍女のブリジットが後ろからそう言う。
「荷解きはしないでね。」
「まだ諦めていらっしゃらないのですか?」
「ええ。修道院は終の棲家ですもの。その為にお金も掻き集めたのだし。」
「あんなにドレスも宝飾品も手離されて。」
「婚約を解消したのですもの。贈られた物を持っていても仕方が無いわ。今頃は、きっと何処かの御婦人方を飾っていることでしょうから、ドレス達もその方が幸せよ。」
ヘンリエッタの言葉にブリジットは不服そうな顔をした。
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