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 私たちは箒でキューナン通りまでいっしょに飛び、手を振って別れた。

 そこからまっすぐ、家にむかって飛ぶ。

 飛びながら……私はもう、気がついていた。

 

 ふわ、ふわ、ふわ

 

 まただ。

 そう、今日もやっぱり、聖堂を過ぎたあたりから、“それ”はついて来はじめた。

 私はあえて、急にふりかえったりとかしないでいた。

 そいつがびっくりして、またすばやく逃げてしまってはいけないからだ。

 そしらぬふりをしながら、私は自分の家にむかって飛び続けた。

 飛びながら……なんとなく、予想はしていた。

 

「おっかえりー」

 

 まただ。

 そう、思ったとおり“そいつ”も、私に声をかけてきた。

 何も言わず目を細めて、後から来たそいつ――ユエホワを見、そっと口にひとさし指を当てる。

「ん?」ユエホワは眉を持ち上げ、ほんの少しちらっと私の箒の後ろを見て、すぐに目をそらした。「来てんの?」小さく訊く。

 私も小さくうなずく。

 こういうところ、やっぱりこの緑髪鬼魔は勘がするどいんだよね……まあ誉めるわけじゃないけども。

 

 ふわ、ふわ、ふわ

 

“そいつ”――小さい方の――は、気づいていないようにそのまま私たちの後ろからついて来た。

 

「ところでお前のばあちゃんさ」ユエホワは後ろを気にはしながらも何くわぬ顔で話した。「なんであんな森の奥ふかくで、一人で暮らしてんだ?」

「さあ」私は首をかしげた。「ずっとあそこに住んでるよ」

「お前らといっしょに住みたくないのか」ユエホワは私をちらりと見た。「近くに住むとか」

「森が好きなんじゃない? 静かだし」

「ていうかさ」ユエホワは空中で立った姿勢のまま滑空しながら腕組みした。「ほんとに、あの人なのか?」

「なにが」私は、ユエホワがなにを言いたいのか察しがついたけれど、わざときき返した。

「だから」ユエホワは声を小さくした。「鬼魔界四天王クドゥールグ様を倒した、あの」

「……」私は引きつづき、わざと緑髪鬼魔に最後まで言わせてやることにした。

「ガーベラ、って」

「そりゃあ」私が胸をそらして自慢げに答えてやろうとしたとき、

 

「ガーベラ?」

 

 かすかな、ほんの小さな声が、うしろからきこえてきた。

 私とユエホワは、はっと目を見開いた。

 

「ガーベランティ?」

 

 また、それはきこえた。

「だれ?」声をはり上げながらすばやくふり向く。

 ユエホワも、だまったままふり向いた。

 けれど後ろには、だれもいなかった。

「どこだ」ユエホワが低くつぶやきながら目だけを上下左右に動かしてさがす。

 私の手にはもちろん、キャビッチがすでににぎられていた。

 

「ユエホワ」小さな声が続けて言った。

 

「誰だ」ユエホワは赤い目の上の眉をひそめて声を上げた。「俺を知ってるのか」

「あなたがユエホワ?」小さな声が問う。

「あ」ムートゥー類鬼魔は自分の口を押さえた。「しまった」

「あーあ」私は目を細めた。「知的で、聡明で、なんだっけ、機動力だっけ」

「う」ユエホワはのどの奥でうなった。「うるせ」

「あのムートゥー類だろ、君」私は父がそう言ってユエホワをほめていた言葉を、皮肉を込めてくり返してやった。

「ユエホワ」小さな声がくり返す。「ユエホワ……ソウ……ソル……サリ……」

「何だ」ユエホワが顔を上げる。「呪文?」

「え」私は首をかしげた。「知らない……聞いたことない」

 

「ソイティ」小さかった声が、とつぜん一段階大きくなってそう言った。

 

 私とユエホワは、はっと身がまえた。

 声の主の姿は、いまだにどこにも見えない。

「うん。これがいい。じゃあ、またね」声は元の大きさ――というか小ささに戻ってそう言い、それから“気配”は、ふっと消えた。

「――」ユエホワは無言で、私を見た。

 私は声の聞こえてきていた方向にじっと目を凝らしていたんだけど、とうとう何も見つけることができず、あきらめてふう、と息をつきながらユエホワを見返した。

「なんだったんだ?」緑髪鬼魔がそうきく。

「さあ……」私はそうとしか答えられなかった。

「……」ユエホワももう一度、声のしていた方向に目を向けた。

 けれどやっぱり、彼にも何も見つけられないようだった。

「ソイティ?」ふくろう型鬼魔は不審そうに、そうつぶやいた。

 

          ◇◆◇

 

 それから何日かは、特に変わったこともなく――妙な声を聞くことも、性悪鬼魔につきまとわれることも――、平和に過ごしていられた。

 父はしばらく家にいることにしたようだけど、時々窓の外を見やったり、裏庭でミイノモイオレンジの下から上をのぞきこんだり、空を見上げたりしてふう、とため息をつくことがあった。

 そしてそんな父を見て母もまた、ふ、とみじかくため息をついたりしていた。

 なんとなく、私にも察しはついていた。

 父がつくため息は、あれからユエホワ来ないなあ……という寂しさのやつで、母のつくため息の方は、またあの鬼魔のこと気にしてるのね……といういら立ちのやつだ。

 私自身は、息子が欲しかったと言っていた父の言葉を思うと、ちょっとだけ父の寂しさがわかる気もしたけれど、そうかといってユエホワにそんなに気軽に遊びに来られてもいやだし――母のゲキドの姿も恐いし――まあ、そのうち父もあきらめて、また研究旅行にふらっと旅立っていくだろうくらいに思っていた。

 

 そして次の休みの日、私はまた祖母の家に行くことになった。

 仮縫いのできたドレスを試着するためだ。

 

 また、クロルリンク製のボトルに入れた冷たいレモネードを時々飲みつつ、にぎやかな町中から森へと抜けて、のんびり歩く。

 あの小さな声は、まったく聞こえてこなかった。

 私はあんまり深く考えずに、森の中の木の葉の音や匂い、涼しい風とか小鳥の歌声を楽しみながら歩いていた。

 途中までは。

 そう、

「よっす」

 その声が、頭の上から降ってくるまでは。

「――」だまって、上を見上げる。

「今日は、一人か」緑髪鬼魔はそう言いながら、木の枝の上から私の隣にすとんと降りてきた。

「一人だけど」私は口を尖らせながら、バスケットの蓋を開けてずいっと差し出してやった。「食べる? うちのママの作ったプィプリプクッキー」

「いや」ユエホワはぷいと横を向いた。「いい」

「あそ」私はさっさとバスケットをひっこめた。「今日は、って、どういう意味?」

「親父はいっしょじゃないのかってことだよ」ユエホワは頭の後ろで手を組んで、伸びをしながら答えた。

「パパはうちの裏庭とかで、たぶんあなたの事待ってるよ」私はひとりでプィプリプクッキーをつまみながら肩をすくめた。「今日も来ないなあ、ユエホワくん」声を低くして、父の物まねをする。

「行かねえよ、お前んちなんか」ユエホワは眉をしかめた。「わざわざキャビッチの餌食になりになんて」

「あそ」私はひきつづきひとりでクッキーをつまんだ。「でもパパ、なんかロンブンとか書くのに忙しそうだから、あんまりお出かけするひまはないみたいだよ」

「論文?」ユエホワは目を丸くする。「って、鬼魔についてのか? お前の親父って学者なの?」

「鬼魔分類学博士だよ」私は胸をそらしていばってやった。「すごいでしょ」

「へえー」ユエホワはすなおに感心したようだった。「すげえな。だからあんなに鬼魔についてくわしいのか」

「まあね」私はますます胸をそらしてやった。

「お前」ユエホワはそんな私をしげしげと眺めていった。「本当にあの人の実の娘なのか?」

「……どういうこと?」私は訊き返しながらも背中のリュックの下に手を伸ばした。

「いえ、なんでもありません」ユエホワはすばやく十メートルぐらい飛びすさった。

「いっとくけど、うちに来なければキャビッチをぶつけられずにすむなんてこと、思わない方がいいよ」私は性悪鬼魔に指をつきつけながら宣言した。

「わかったよ。はい」ユエホワはわざとらしく両手を上に上げて降参のポーズをした。
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