上 下
4 / 40
離縁の準備

第三話

しおりを挟む
「ふぅ……」

 マキシムに報告を終え、部屋を出た私の口から漏れたのは大きなため息だった。
 必死に酷使していた表情筋はもうぼろぼろで、呆けた表情でいるのさえつらい。
 背後から、呆れと賞賛を滲ませた声が響いたのはそのときだった。

「あら、まあ。今日も随分がんばってこられたのですね」

「まりあ」

「あらあら。なんて知能のかけらも感じない声音かしら」

 そうおっとりと毒を滲ませてくるのは、私のお着きのメイドのして腹心の諜報員マリアだった。
 長い長髪におっとりした表情……見た目に反して毒が大量に詰め込まれた中身。
 腹心のいつもの姿に、私は取り繕うことをやめてそのふくよかな身体に飛び込む。

「しょうがないでしょ……。あの男、情緒不安定すぎて断り方を間違えるとすぐに不機嫌になるのよ。最低限さわることを許容しておかないと、露骨に機嫌悪くなるし」

「まあ、あの男に女性の取り扱いを求めてもどうしようもないですものね」

 そんな私の髪を優しくとかしながら、マリアはおっとりとため息をつく。

「この前私を口説こうとした時の言葉も、品がないものでしたもの」

「へえ、そんなこと……。は?」

 今まで疲労で急停止していた私の頭が回転しだす。

「待って、なんて言った?」

「私が口説かれましたの。マキシムに」

「は?」

 私の頭が沸騰したのはそのときだった。
 ああ、知っている。
 もう二度とあの顔見たくないな、そう思っていた心が怒りでねじ曲がる。
 あの男、こりもせずに侍女に手をだそうとしていたのか?
 それも私の、大切な腹心に?

「落ち着きなさい」

「つっ!」

 怒りで真っ赤になった私を正気に戻したのは、容赦なくマリアが頬をつねったことによる痛みだった。

「前から言っているでしょう。貴女の悪い癖は身内に手を出されると感情的になるところです」

「いたひ、いたひ、はなひて」

「前から何度言ってもこの癖だけは直りませんね。本当にどう折檻すればいいのかしら」

 そういいながら、どんどんとマリアの頬が紅潮していく。

「それにしてもまあ。ライラ様はいじめられている時ほど、輝きますわね」

「……っ!」

 そう告げるマリアの息が荒くなってきたあたりで、私は全力でマリアの手を振り払った。

「あら……。もう少しされるがままになっていただいてもよかったのに」

「貴女は主人をなんだと思っているの!」

 そういいながら、私はひりひりと痛む頬を抑える。
 こんなに痛いのに跡がつかないのは誉めるべきか、責めるべきか。

「マリア、時々貴女怖いのだけど……」

「自意識過剰ですわ」

「鏡を見せてやりたい……!」

 問いつめたいが、こういう言い合いでマリアに勝てる訳がない。
 それを知っている私は、勝ち誇っているマリアにひとまず矛先を納める。

「それでは真面目な話をしましょうか」

「……さっきは遊んでたて認めたようなもの何だけど、その発言」

 私の言葉を無言の笑顔で黙殺したマリアはさらに続ける。

「ライラ様、その心配はうれしく思います。ただ、私に何か起きても貴女は涼しい顔を崩さないでください」

「……分かっている」

「いえ、分かっておりませんわ。諜報員とはそういう宿命なのです。自分の身を危険にさらしても情報を勝ち取る、それが私達の定めです」

 その言葉に私は思わず口ごもる。
 マリアの言葉は正論だった。
 情が深いことが悪いことだとは言わない。
 ただ、諜報員は常にぎりぎりのところを生きている。
 そのおかげで今まで様々な情報を得てきた。
 そんな彼らに情を移すのは、本職のマリアからすれば愚かなことなのだろう。
 けれど、そう割り切るには私にとってマリアは大きな存在だった。
 私の様子からそんな内心を読みとったのか、マリアが柔らかい笑みを浮かべる。

「それに、私達一族は自分のピンチも武器に使う存在ですわ。ライラ様の仕事は私達を信じてどんと構えることです。それをどうか頭に入れておいてください」

「……分かったわ」

 それに私は何とかうなずく。
 そんな私をみるマリアの顔に浮かぶのは慈愛にあふれた微笑みで、私は改めて思う。
 マリアは私にとって姉代わりのような存在だと。
 ドリュード家に嫁いできてすぐのころ、私は四面楚歌の状態だった。

 そんな中で、一番最初に私の協力者となってくれたのがマリアの一族だった。
 あれから何年経っただろうか。
 長いこと私とマリアのつきあいは決して短くなんてなくて、だからこそ分かる。
 マリアの言葉は本心からのもので、私の情にに引っ張られた感情的な心配など彼女は喜ばないだろうことを。

「どんな報告が来ても貴女の心配はしない。ここで約束するわ」

「はい」

 そんな私の言葉にマリアは肯定する。
 出来の悪い妹をほめるような笑顔で。

「代わりに絶対に死なずに戻ってきなさい」

 けれど、私の言葉はそれで終わりではなかった。

「貴女の言うとおり、心配はやめます。代わりにここで誓いなさい」

 ──主ならば主らしく、偉そうにしてくださいませ。

 かつてマリア本人に言われたことを思いだし、必死に胸を張りながら私は告げる。

「私達の目的を果たすまで──スリラリアが私達のものになる前に死ぬことはないと」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

女官になるはずだった妃

夜空 筒
恋愛
女官になる。 そう聞いていたはずなのに。 あれよあれよという間に、着飾られた私は自国の皇帝の妃の一人になっていた。 しかし、皇帝のお迎えもなく 「忙しいから、もう後宮に入っていいよ」 そんなノリの言葉を彼の側近から賜って後宮入りした私。 秘書省監のならびに本の虫である父を持つ、そんな私も無類の読書好き。 朝議が始まる早朝に、私は父が働く文徳楼に通っている。 そこで好きな著者の本を借りては、殿舎に籠る毎日。 皇帝のお渡りもないし、既に皇后に一番近い妃もいる。 縁付くには程遠い私が、ある日を境に平穏だった日常を壊される羽目になる。 誰とも褥を共にしない皇帝と、女官になるつもりで入ってきた本の虫妃の話。 更新はまばらですが、完結させたいとは思っています。 多分…

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

身代わりの私は退場します

ピコっぴ
恋愛
本物のお嬢様が帰って来た   身代わりの、偽者の私は退場します ⋯⋯さようなら、婚約者殿

平凡なる側室は陛下の愛は求めていない

かぐや
恋愛
小国の王女と帝国の主上との結婚式は恙なく終わり、王女は側室として後宮に住まうことになった。 そこで帝は言う。「俺に愛を求めるな」と。 だが側室は自他共に認める平凡で、はなからそんなものは求めていない。 側室が求めているのは、自由と安然のみであった。 そんな側室が周囲を巻き込んで自分の自由を求め、その過程でうっかり陛下にも溺愛されるお話。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

生まれたときから今日まで無かったことにしてください。

はゆりか
恋愛
産まれた時からこの国の王太子の婚約者でした。 物心がついた頃から毎日自宅での王妃教育。 週に一回王城にいき社交を学び人脈作り。 当たり前のように生活してしていき気づいた時には私は1人だった。 家族からも婚約者である王太子からも愛されていないわけではない。 でも、わたしがいなくてもなんら変わりのない。 家族の中心は姉だから。 決して虐げられているわけではないけどパーティーに着て行くドレスがなくても誰も気づかれないそんな境遇のわたしが本当の愛を知り溺愛されて行くストーリー。 ………… 処女作品の為、色々問題があるかとおもいますが、温かく見守っていただけたらとおもいます。 本編完結。 番外編数話続きます。 続編(2章) 『婚約破棄されましたが、婚約解消された隣国王太子に恋しました』連載スタートしました。 そちらもよろしくお願いします。

1度だけだ。これ以上、閨をともにするつもりは無いと旦那さまに告げられました。

尾道小町
恋愛
登場人物紹介 ヴィヴィアン・ジュード伯爵令嬢  17歳、長女で爵位はシェーンより低が、ジュード伯爵家には莫大な資産があった。 ドン・ジュード伯爵令息15歳姉であるヴィヴィアンが大好きだ。 シェーン・ロングベルク公爵 25歳 結婚しろと回りは五月蝿いので大富豪、伯爵令嬢と結婚した。 ユリシリーズ・グレープ補佐官23歳 優秀でシェーンに、こき使われている。 コクロイ・ルビーブル伯爵令息18歳 ヴィヴィアンの幼馴染み。 アンジェイ・ドルバン伯爵令息18歳 シェーンの元婚約者。 ルーク・ダルシュール侯爵25歳 嫁の父親が行方不明でシェーン公爵に相談する。 ミランダ・ダルシュール侯爵夫人20歳、父親が行方不明。 ダン・ドリンク侯爵37歳行方不明。 この国のデビット王太子殿下23歳、婚約者ジュリアン・スチール公爵令嬢が居るのにヴィヴィアンの従妹に興味があるようだ。 ジュリアン・スチール公爵令嬢18歳デビット王太子殿下の婚約者。 ヴィヴィアンの従兄弟ヨシアン・スプラット伯爵令息19歳 私と旦那様は婚約前1度お会いしただけで、結婚式は私と旦那様と出席者は無しで式は10分程で終わり今は2人の寝室?のベッドに座っております、旦那様が仰いました。 一度だけだ其れ以上閨を共にするつもりは無いと旦那様に宣言されました。 正直まだ愛情とか、ありませんが旦那様である、この方の言い分は最低ですよね?

処理中です...