上 下
160 / 169

忙しさの理由

しおりを挟む
「……っ!」

 突然響いてきた足音に、私は体を強ばらせる。
 一瞬今のうちなら反対側の廊下なら逃げられるかと、思考を回転させる。

 ……しかし、足音は二つの廊下から響いていた。

 瞬時にもう残されたのが扉が開けられないのを祈ることしかないと理解した私は、せめてもの抵抗として机の下に体を隠す。

 例え見つかっても、せいぜい資料室に見張りがつくくらいだとはわかっている。
 けえど、今の私にとって情報を仕入れることだけが存在意義だった。
 故に私は机の下必死に祈る。
 開かないでくれ、と。

「……嘘」

 そんな私の願いを裏切るように、資料室の部屋の前、二つの足音が止まる。
 もはや私にできるのは、その時を待つことしかなく。

 ……けれど、その私の想像に反し、いつまでたっても扉が開くことはなかった。
 何が起きたのかわからず、私の胸に困惑が浮かぶ。

「……じゃないか」

「おう……、……」

 その答えは、扉から漏れ出てくる二人の人間の会話が教えてくれることとなった。
 一拍おいて、部屋に入る訳ではなく、ただ立ち話をしているだけと理解した私は、小さく安堵の息をもらした。

「……ふぅ」

 とはいえ、会話が終わればどちらかが部屋の中に入ってきてもおかしくない。
 その思いから、私は外の会話へと聞き耳を立てる。

「そっか、お前は今から休憩か」

「ああ、最近忙しくてやっと暇ができたところだよ」

「俺も、少し前に休憩にはいってもう交代だよ」

 そして、聞こえてきた会話に、私はさらに安心する。
 そういえば、資料室の近くには文官用の休憩室があった。
 おそらく今は、そこから出てきたものと向かうものが出くわしただけなのだろう。
 普段こんな所で二人も来ることなどないのだが、これも忙しさのせいだろうか。

 ……とはいえ、そんな忙しくなる用事など、今存在しただろうか?

 そう好奇心に駆られた私は、さらに文官達の会話へと聞き耳を立てる。

「とはいえ、今が土壇場だからな」

「ああ、後もう少しで──サーシャリア様を辺境伯の養女とする準備さえ整うんだから」

 その瞬間、私が声を出さないで入れたのは奇跡に近かった。
 だが、私の心臓は扉の外に聞こえるのではないかと思うほどに大きく鼓動していた。
 これ以上聞いてはいけない、そう思いながらも私は扉の外の声にさらに注意を向ける。

「だな、聞いたか? 数日前伯爵家に乗り込んだ時のマルク様の啖呵」

「ああ、久々に胸がすく思いだったぜ」

「もう少し話していたいけど、そろそろ俺は行くよ」

「あ、そうだな。俺も飯を食っておかねえと」

 そう会話を交わし、文官二人は部屋の前から離れていく。

 ……けれど、そのときには私はほとんど何が起きたのかを理解していた。
しおりを挟む
感想 333

あなたにおすすめの小説

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

前世軍医だった傷物令嬢は、幸せな花嫁を夢見る

花雨宮琵
恋愛
侯爵令嬢のローズは、10歳のある日、背中に刀傷を負い生死の境をさまよう。 その時に見た夢で、軍医として生き、結婚式の直前に婚約者を亡くした前世が蘇る。 何とか一命を取り留めたものの、ローズの背中には大きな傷が残った。 “傷物令嬢”として揶揄される中、ローズは早々に貴族女性として生きることを諦め、隣国の帝国医学校へ入学する。 背中の傷を理由に六回も婚約を破棄されるも、18歳で隣国の医師資格を取得。自立しようとした矢先に王命による7回目の婚約が結ばれ、帰国を余儀なくされる。 7人目となる婚約者は、弱冠25歳で東の将軍となった、ヴァンドゥール公爵家次男のフェルディナンだった。 長年行方不明の想い人がいるフェルディナンと、義務ではなく愛ある結婚を夢見るローズ。そんな二人は、期間限定の条件付き婚約関係を結ぶことに同意する。 守られるだけの存在でいたくない! と思うローズは、一人の医師として自立し、同時に、今世こそは愛する人と結ばれて幸せな家庭を築きたいと願うのであったが――。 この小説は、人生の理不尽さ・不条理さに傷つき悩みながらも、幸せを求めて奮闘する女性の物語です。 ※この作品は2年前に掲載していたものを大幅に改稿したものです。 (C)Elegance 2025 All Rights Reserved.無断転載・無断翻訳を固く禁じます。

いつか彼女を手に入れる日まで

月山 歩
恋愛
伯爵令嬢の私は、婚約者の邸に馬車で向かっている途中で、馬車が転倒する事故に遭い、治療院に運ばれる。医師に良くなったとしても、足を引きずるようになると言われてしまい、傷物になったからと、格下の私は一方的に婚約破棄される。私はこの先誰かと結婚できるのだろうか?

執着はありません。婚約者の座、譲りますよ

四季
恋愛
ニーナには婚約者がいる。 カインという青年である。 彼は周囲の人たちにはとても親切だが、実は裏の顔があって……。

成人したのであなたから卒業させていただきます。

ぽんぽこ狸
恋愛
 フィオナはデビュタント用に仕立てた可愛いドレスを婚約者であるメルヴィンに見せた。  すると彼は、とても怒った顔をしてフィオナのドレスを引き裂いた。  メルヴィンは自由に仕立てていいとは言ったが、それは流行にのっとった範囲でなのだから、こんなドレスは着させられないという事を言う。  しかしフィオナから見れば若い令嬢たちは皆愛らしい色合いのドレスに身を包んでいるし、彼の言葉に正当性を感じない。  それでも子供なのだから言う事を聞けと年上の彼に言われてしまうとこれ以上文句も言えない、そんな鬱屈とした気持ちを抱えていた。  そんな中、ある日、王宮でのお茶会で変わり者の王子に出会い、その素直な言葉に、フィオナの価値観はがらりと変わっていくのだった。  変わり者の王子と大人になりたい主人公のお話です。

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

【完結】あなたのいない世界、うふふ。

やまぐちこはる
恋愛
17歳のヨヌク子爵家令嬢アニエラは栗毛に栗色の瞳の穏やかな令嬢だった。近衛騎士で伯爵家三男、かつ騎士爵を賜るトーソルド・ロイリーと幼少から婚約しており、成人とともに政略的な結婚をした。 しかしトーソルドには恋人がおり、結婚式のあと、初夜を迎える前に出たまま戻ることもなく、一人ロイリー騎士爵家を切り盛りするはめになる。 とはいえ、アニエラにはさほどの不満はない。結婚前だって殆ど会うこともなかったのだから。 =========== 感想は一件づつ個別のお返事ができなくなっておりますが、有り難く拝読しております。 4万文字ほどの作品で、最終話まで予約投稿済です。お楽しみいただけましたら幸いでございます。

酒の席での戯言ですのよ。

ぽんぽこ狸
恋愛
 成人前の令嬢であるリディアは、婚約者であるオーウェンの部屋から聞こえてくる自分の悪口にただ耳を澄ませていた。  何度もやめてほしいと言っていて、両親にも訴えているのに彼らは総じて酒の席での戯言だから流せばいいと口にする。  そんな彼らに、リディアは成人を迎えた日の晩餐会で、仕返しをするのだった。

処理中です...