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第7話 禁じられた遊びⅠ

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 仕事も終盤に近付いてきた午後七時、真奈の携帯電話が慌ただしく鳴り響いた。

 連絡してきたのは夫の通だった。普段は仕事中に連絡を取り合うことなどほとんど無いので、真奈はその着信に不安を抱える。 

「もしもし。どうしたの、通さん」
『悠斗が……悠斗が、帰って来ないんだ……』

 電話口の向こうで、夫が落ち着きなく狼狽えている様子が安易に想像できた。
 夫の震えた声を聞き、真奈の中で燻っていた不安は更に大きくなる。

「警察には?! 警察には連絡したの?!」
『ああ、今から捜索してくれるらしい。俺も辺りを何度も探し回ったが、悠斗はまだ……』
 午後七時、小学生が外出するには遅い時間帯だった。
それに、悠斗がこんな時間まで戻ってこなかったことなど一度も無かった。
 真奈の不安はさらに拡大していき、真奈は居ても立っても居られなかった。

「私も、私もすぐに帰るから……通さんはもう一度辺りを……」
 仕事場を汗だくで飛び出し、真奈は自宅へと向かった。

 自宅に向かう途中、真奈は加奈へと連絡をする。
 悠斗の身に何かがあったと考えた時、真っ先に浮かんだのは加奈の存在だ。

 この数日間、加奈は悠斗に病的な程に愛情を注ぎ、そのうちに潜んだ狂気を露にしていた。
 加奈が悠斗の失踪に関わっていることは、安易に想像できた。

『もしもしぃ? あらお姉ちゃん。自分から関わるなって言ってきたくせに、何の用かなぁ』
「あんた、悠斗の居場所知ってるんでしょ!? あんたが何かしたことくらい分かってんのよ!」
 ずっと悠斗に付きまとっていた影、加奈。
 その加奈の毒牙に悠斗が晒されていると考えると、頭がどうかしてしまいそうだ。

『何いきなり、うるさいなぁ』
「質問に答えなさい!」
 しかし、加奈は他人事のように釈然としない態度。それが更に真奈の焦りと怒りを掻き立てた。

『お姉ちゃんの質問に答えるのなら……もちろん、知ってるよ? だって悠斗君を誘拐したの……あたしだし』

 加奈は何の躊躇いもなく、自身の犯行であると認めた。
 関わっているとは思っていたが、あまりにも犯行をあっさりと白状した加奈に、真奈は驚きを隠せなかった。
 加奈に言い逃れする気も、事件を隠ぺいする気も毛頭ない。何故なら、悪事を働いているという自覚すら欠如しているからだ。
 善悪など関係ない。ただ、自らの欲を満たすためだけに加奈は行動する。

 十年前、姉妹が弟・由宇に対して行ってきた『禁じられた遊び』と同じように。

「あんたね……っ、自分が何してんのか分かってんの? 犯罪よ!」
『犯罪者はお互いさまじゃん。今さら何言ってんのぉ?』
 加奈は完全に開き直っていた。実の弟を自殺に追いやったあの日から、善悪の概念など加奈の中では破たんしてしまっている。
 加奈は、十年前のあの悲劇から今日まで、何も変わってなどいなかった。
「絶対に許さない……見つけたら、殺してやる」
『別に許してもらおうとなんて思ってないよ? それに、もう用も済んだからさ、お姉ちゃん引き取りに来てよ? 悠斗君と一緒に……由宇の部屋で待ってるから』
『マ、マ……』

 その時、電話口の向こうから絞り出すかのように発せられた悠斗の声が聞こえた。

「悠斗! 悠斗!」
 真奈は半狂乱の状態で電話口に叫び続ける。だが、それ以降、悠斗の声が再び発せられることは無かった。



 真奈が到着した時には、実家には母はおらず、二階の部屋にだけ明かりが灯されていた。  

 位置から考えても、間違えなく加奈が潜んでいた、生前に由宇が過ごしていた部屋だ。
 真奈は土足のまま実家へ上がり込み、階段を駆けあがってその部屋の扉を蹴破る。

「悠斗!」
「やっと来た。もう、遅いよー」

 部屋は由宇が使っていたころの外見がそのまま保たれていた。十年、加奈がこの聖域を守り続けてきた結果だ。
 父や母が聖域に踏み入ろうとした時も、加奈はこの聖域を守り抜いた。

 そして、その聖域の中心に位置していたのは由宇が使っていたベッド。
 目の前の光景に、真奈は言葉を失った。
 そこには、裸体のままベッドに横たわる加奈、そして、その隣で同じく裸体のまま虚ろな眼で天井を見つめる悠斗がいた。

「ゆう、と……」
 真奈はすぐに悠斗の元へ駆け寄り、加奈から取り返すかのように悠斗を抱きかかえる。
 加奈に何をされたか、この状況を見れば一目瞭然だった。

 十年前と同じ、『禁じられた遊び』をした後の、壊れたおもちゃの姿。
その壊れたおもちゃの姿は、由宇と悠斗のイメージを完全に繋ぎ止めた。

「この……っ、この……屑、あんた、頭おかしいんじゃないの……加奈ぁ!」
 真奈は怒りに任せて拳で加奈を殴りつけたが、加奈はへらへらと笑うだけだった。
「だから、それはお互いさまでしょ? 姉妹揃って頭おかしいのはお姉ちゃんが一番分かってるでしょ、えへへ」
 加奈は裸体のまま、真奈を指差して笑う。

「ま……ま?」
 十年前、二人が犯した由宇の姿と今、真奈の胸の中で呻いている悠斗の姿が再び重なる。

 『禁じられた遊び』は、十年の沈黙を破って、加奈によって再び実行されたのだ。

「あんた……一体、一体なんでこんな事……っ」
 悠斗を抱きかかえながら、真奈は泣き叫ぶ。
 何故、悠斗が汚されねばならなかったのか。何故、『禁じられた遊び』は再び沈黙を破り、真奈の幸福を脅かすのか、全てが分からなかった。

「なんでって……簡単だよ。十年前の『禁じられた遊び』を復活させて、お姉ちゃんの心に消えない傷跡を残してあげたかったんだ。そのために、悠斗君を由宇の代わりに使ったんだけど……やっぱり血筋? 泣き叫ぶ顔も、侵された後の顔も、どこか由宇の面影があるんだよねぇ~」
 加奈は頬を染め、興奮気味に言葉を紡ぎ続ける。

 十年前の『禁じられた遊び』を真奈の実の息子を用いて再現し、真奈を心の底から絶望させ、決して消えない傷跡を残す。それが、加奈の凶行の目的だった。

「悠斗君、なんだか由宇の面影あってさぁ……私も久々に歯止め効かなくなっちゃって。ていうか、お姉ちゃんも悠斗君に由宇の事、重ねてるんでしょ? どう、久々に姉妹揃って『遊び』をしない?」

「違う……っ、私は、違う……」
 重なった由宇と悠斗のイメージを分離させるように真奈は首を横に振る。
 何度も何度も、否定するために首を横に振る。

「だって、外見だって無意識に由宇に寄せるようにしてるじゃん? 何より、近親相姦で殺した弟の名前を自分の息子の名前に入れるとか、お姉ちゃんこそ本当……頭かしいんじゃないの?」

 真奈は無意識のうちに、実の子と弟を重ねていたのだ。
 服は由宇が来ていたものを選別し、外見から由宇を意識していた。
 何より、『悠斗』と言う名前。それは、亡き弟の『由宇』と言う名を受け継ぐために考えられた名前。

 いや、そもそも……真奈は弟の代用品として、息子を設けたのかもしれない。
真奈は自身の罪の意識を消し去るため、由宇の存在を忘却しようとした。
 
 だが、心のどこかでは、弟・由宇の存在を忘れることを恐れていた。罪の意識とは別に、由宇の存在を身近なところに残しておきたかったのかもしれない。

「お姉ちゃんもお母さんも、由宇を忘れ、由宇の呪縛から解放される事で逃げようとした。けど、あたしは違うの。由宇の存在を忘れず、永遠に風化させないことがあたしの使命であり、罪を忘れ、由宇を忘れ、幸福を得ようとしたお姉ちゃんへの復讐」

 由宇と共に罪を忘れようとした真奈とは逆に、加奈は傷を刻み込むことで由宇を永遠に忘れず、風化させないことを選んだ。

 加奈の身体中には、生々しい傷跡が多々残されている。それは全て、自傷行為の痕だ。由宇の受けた苦痛、屈辱を想像しながら自傷する。それは加奈にとって亡きものとなった由宇を永遠に自らの身体に傷跡として留まらせようとする気持ちの表れである。

 そして、今回の誘拐と十年振りの『禁じられた遊び』は真奈と加奈、互いの心に消えない深い傷を残すために必要な行為だった。

「あたしたちは実の弟を身勝手な理由で犯し、殺した。大切だったはずの弟を、由宇を、自らの手で。それを忘れようだなんて、あたしが絶対に許さない。だから、お姉ちゃんが一生、由宇を忘れないように……今日、一生残る傷跡を残してあげた。罪滅ぼしがしたいならさ……私と一緒に、永遠に苦しもうよ、お姉ちゃん?」

 加奈の中で、由宇は既に神格化され、永遠に愛される絶対の存在となっていた。

 そして、その存在を真奈に刻み込むため、『禁じられた遊び』は復活した。
 自身の息子が、自身の妹によって犯される。こんなにも醜悪で、凄惨な傷跡を忘れることなどできるだろうか。

 由宇の部屋の中、真奈の泣き叫ぶ声と加奈の笑う声が入り混じり、地獄のような空気で部屋は満たされていた。

 忘却による罪の浄化、罪滅ぼしなど加奈は許さない。

 姉妹二人、永遠に苦しみ続ける事が……加奈と真奈に与えられた唯一の『罪滅ぼし』だったのだ。



 その後、加奈は児童誘拐と強姦・暴行の罪で逮捕され、裁判を経て刑務所に送られた。

 真奈は、心に忘れられるはずもない大きな傷跡を付けられ、傷心の日々を強いられていた。

 夫とは別居状態、悠斗は精神的ショックから入院生活を強いられ、真奈の傷は加奈の思惑通り、確実に一生消えることのない傷跡となったのだ。
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