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6章 花子さんのいるトイレ
それでも行かなければ
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話を聞き終えた浅場先輩が本棚から出してきたのは郷土資料館で売られていそうな目録だった。とあるページを開いて、先輩はううんと控えめに唸る。
「佐々木さんの言うとおりこの辺りは水難の多かった場所で、実際に人柱を立てたという記録も残っています」
「花子さんって人柱にされちゃった女の子なのかな?」
野々宮先輩の質問に浅場先輩は灰色の答えを出す。
「断定はできません。人柱とされた女性の記録も複数ありますが『花子』という名前はありません。そもそも人柱は鎌倉から江戸時代にかけて立てられたものなので、花子という名前の女性はいなかったでしょうけど」
「うーん、そっかぁ」
「ですがちょうどこの辺りで人柱になった女性がいるという記録があります。昔この場所には橋があったようですね。佐々木さんの言う通りなら、犠牲者を悼むために建てられた祠があるかもしれません」
そんなものが学校にあっただろうか? あるならだいぶ目立つし、意識して見ていなくても印象に残ると思う。
「探しましょう」
そう言って浅場先輩が席を立った。一体どこへ行くんだろう? 慌てて僕もついていった。
「一人で行くのは危ないですよ」
僕が思わず大声で呼び止めると、浅場先輩ははっとしたようにぴたりと足を止めた。顔をそむけて悪びれたように言う。
「……すみません、失念していました」
表面上はいつもの先輩だけれど彼も焦っているのだろう。一刻も早く真咲先輩を助け出したい。その気持ちは僕も同じだ。そして、だからこそ慎重になる必要がある。確実に真咲先輩を取り戻すために。
浅場先輩が向かったのは一階の女子トイレの前だった。先輩はためらわずにトイレへ入って行く。僕はすかさず辺りを見回して誰もいないことを確認した。そろそろと入口からトイレの中を覗き込む。
「ここにはない……」
浅場先輩が例の個室を調べているようだった。他の個室も一つ一つ見て回って、掃除用具入れの中も確認したけれど何も見つからない。そしてトイレを出る前に先輩は天井を見上げた。白塗りの壁には蛍光灯がぶら下がっているだけで、時々パチパチと音を立てて光が点滅している。まるでまばたきをしているようだった。今も花子さんは天井の――あの渦の――向こうにいて、必死に手がかりを探し回る僕たちの様子を眺めていたりするんだろうか。
「そうか、もしかしたら」
思い出したようにつぶやくと浅場先輩は駆け出した。彼の中で何か思い当たることがあったのだろう。あえて呼びかけることはせずに僕も後に続いた。どこへ行くんだろう?
浅場先輩は昇降口でもどかしそうに上履きからスニーカーに履き替えた。すっかり日も落ちてきた昇降口にはめっきり人の気配がなく、先を急いでいる僕たちには好都合だった。先輩は昇降口を出て正面にある校庭……ではなく左手に曲がっていった。校舎の裏手へ回る形になる。こんな場所に何があるんだろうか? 日の当たらない校舎裏はいっそう暗い。浅場先輩は突然急停止してしゃがみこんだ。僕もならって先輩の隣で立膝をつく。先輩はまるで世紀の大発見でもしたように興奮した面持ちで――けれど厳かに言った。
「これですね、これが原因だったんです」
浅場先輩の目の前にあるのは……崩れた石だった。石は大小さまざまで人の胴くらいのものもある。そして石の下に何かが下敷きになっていた。しめ縄だろうか。雷のような形をした白い紙(浅場先輩いわく“しで”というらしい)がついている。
「ボールか何かが飛んできて祠が破壊されたんでしょう。あるいは不良たちが面白がって壊したか。いつからこの状態か分かりませんが、花子さんが狂暴になったのは祠が壊されてからでしょうね」
怪異が自分のすみかを荒らされて狂暴になるのはよくあることだそうだ。神の場合はそれを「災い」という形で人々に報復するという。昔の人たちは水や雷による災害を「神の怒り」に見立てて、お供えや祈りによって鎮めようとした。そして人柱は「柱」と呼ばれるとおり神の一種なのだと浅場先輩は言う(神様は一人二人ではなく一柱二柱と数えるらしい)。ということは
「祠を元に戻せば花子さんも大人しくなるってことですか?」
ようやく解決の糸口をつかんだ……。そう思って僕の声は弾んだけれど、浅場先輩はすげない調子で答えた。
「この祠が花子さんの魂を慰めてくれていたのならそうでしょうね。ただ、それで部長が帰ってくるかは分かりません」
だとしたら……僕たちはどうしたらいいんだろうか。
「保科君。部長がさらわれた時、花子さんがなんと言っていたかもう一度教えてもらえませんか?」
何故か浅場先輩はそんなことを言いだした。突然のことで思考が一瞬固まってしまったけど落ち着いてあの時のことを思い出す。そう、確か
「お友達……、あと“これからこの子とずっと遊ぶ”って」
僕の返事を聞いて浅場先輩は黙り込んでしまった。うつむいて顎に手を当て、考え込んでいるように見える。まるで石像のようなポーズで思索の海に飛び込んでしまった先輩を見守っていると、彼は不意に顔を上げた。
「僕にできることは、もうないかもしれません」
ええ。ここにきてまさかのギブアップなのか。僕がすがるような目で先輩を見つめると彼は首を振った。そんな……。
「いったん部室に戻りましょう。これから先は適任者にバトンを渡した方が良さそうです」
「適任者?」
「彼女ならきっといい方法を授けてくれますよ」
というわけで再び部室。日も沈みかけた狭い部室の中を、蛍光灯の人工的な白い光が照らしてくれていた。明かりの灯る部室に入ってほっとする。廊下はすでに暗い。物陰に何かが潜んでいるんじゃないか、そいつらは隙を見て飛び掛かってくるんじゃないかと思えるほどの深い闇さえあった。ここは本当に、いつも僕たちが通っている学校なんだろうか。よく似た別の世界に迷い込んでしまったんじゃないかと不安にさせられる。
帰ってきた浅場先輩と僕の報告を聞いて口を割ったのは鈴原先輩だった。これまでほぼ傍観しているだけだった彼女が何を言うのか、僕はとても興味があった。これまで、彼女が自ら行動に出る所を見たことなかったからだ(そもそも彼女は部室にあまり来ないからしょうがないけれど)。実際、彼女は他のメンバーと違って怪異と直接対面することは少ないらしい。けれどメンバーからは一目置かれている節がある。安楽椅子探偵というやつだろうか?
「簡単なことよ。彼女の望みを叶えてあげましょう」
そう言って鈴原先輩は微笑む。天界から哀れな子羊を見守る女神のような、慈愛に満ちた笑顔だった。「ちょっと待ってらっしゃい」と言って、鈴原先輩は部室を出て行く。しばらくして戻ってきた彼女が手に持っていたのは、トランクケースだった。彼女は古ぼけた革張りのトランクケースを横倒しにして、持ち手が三つ葉の形をした鍵を鍵穴に差し込む。ケースはヴィンテージものだろうか。年季が入っていて時の流れを感じさせる。いい感じに革が風化して味が出ていた。まだ高校生の彼女が持つには不釣り合いなはずだけど不思議と似合っている。
先輩がその中から取り出したのは和風の人形。着物を着て、髪を肩で切りそろえたおかっぱ頭。小さなおちょぼ口は鮮やかな赤色で塗られている。市松人形というやつだ。
「きっと彼女は若くて人柱になったのね。長い間ずっと一人でこの地に鎮められていたから寂しいんでしょう。だから、ずっとそばにいてくれるお友達がほしいんじゃないかしら」
言いながら先輩は自分の髪の毛を一つまみした。絹のように細くしなやかな黒髪。天使の輪を作るほど輝く髪の毛先を――彼女は二センチほどハサミで切り取った。野々宮先輩が思わず小さな声を上げる。野々宮先輩を振り返って鈴原先輩は優しく微笑んだ。そして不揃いになった自分の毛先を見つめる。
「人形は子どもの遊び相手でもあり、人間の代わりに災いを引き受けてくれる道具でもあるの。もちろん、他人へ呪詛をかける時の道具にもなるけれど」
鈴原先輩は切り取った髪を白い和紙に包んで、髪入りの和紙を人形の帯の中に入れた。和紙の表面には見慣れない漢字がびっしりと書かれていて、ただの紙ではないだろうと思わされる。鈴原先輩の秘密道具だろうか。
「戦地で亡くなった人の形見として遺族に髪が送られることがあるわ。遺髪というのだけれど。髪はね、その人の代わりになるのよ」
この子を私の代わりにしてもらいましょう、私は彼女の元へいけないから。そう言って鈴原さんはぽんぽんと人形の頭を撫でた。
「花子さんに頼んで、この子と真咲君を交換してもらいましょう」
鈴原先輩はまるで当たり前のようにそう言った。そんなことができるんだろうか? 僕が一瞬でもそう疑ったことを見透かしたのか、鈴原先輩はきろりと背筋の凍えるような冷たい視線で僕を見た。
「大丈夫よ。この子はもう私の代わりになったんだから。花子さんにとって永遠のお友達よ」
「お友達……」
人形とはいえ、自分の身代わりが幽霊と友達だなんてぞっとしない。鈴原先輩はまたも僕の思考を見てとったのか、今度は諭すような微笑みを見せて言う。
「言ったでしょう? たとえ幽霊でも例外はないの。私はいつだって悩める女の子たちの味方なのよ」
僕は部室の中を見回した。しいんと静まり返っている。誰も異論はないらしい。ここは鈴原先輩のいうことを信じるしかなさそうだ。さて、花子さんとの取引材料を用意したのはいいけどこれからどうしようか。取引ってことは、誰かが花子さんと交渉しないといけないのだけど。
「俺が行く」
誰の意見も聞かずに神木先輩が宣言した。彼は鈴原先輩の市松人形を持って席を立つ。すかさず僕は声を上げた。
「僕も行きます」
けれどいすから腰を浮かせた僕を神木先輩が制する。
「お前はここで大人しくしてろ。最悪、上手く行かなかったら花子には消えてもらう」
まぁ、と言って鈴原先輩が冷ややかな視線を神木先輩に送った。もちろん彼女も想定はしていただろうけど、神木先輩にも言い方っていうものがある。なんていうか、こういうちょっとした言葉一つで損する人なんだろうな。そう思った僕は気になったことを尋ねてみた。
「お言葉ですけど、先輩はどうやって花子さんを説得するんですか?」
「…………」
神木先輩は黙りこんでしまった。やっぱりそうか……。彼も何か具体的な方法を考えているわけじゃないのだ。ただ、こういう一番危険な役は自分が買って出るべきだと思ったんだろう。
「その、神木先輩ってあんまりおしゃべりが得意なイメージがなくて」
そういうのは野々宮先輩が一番上手いけれど、怪異に抵抗する手段を持たない彼女を矢面に立たせるわけにはいかない。いや、それは僕も同じだけれど。
「お前ならできるってのか」
神木先輩の疑問は当然だった。
「できるとは言いません。成功する保障もありません……。でもここで動かないと何かあった時、一生後悔する気がして。上手くいくようにやってみます」
「……俺はそういうのは得意じゃない」
任せる、と言って先輩はふいと背中を向けてしまった。許可をもらったと考えていいだろう。僕が部室の中を振り返ると、居残ったメンバーが思い思いの表情を浮かべて僕たちを送り出してくれた。不思議なことに不安そうな人は一人もいなくて「頑張れ」とエールを送ってくれているようだった。そう、やるしかないのだ。残された僕たちでできることを。真咲先輩のために。
階段を下りて一階へ向かう。いつだったか真咲先輩と一緒に駆け下りた階段だ。二階で思わぬ人物と鉢合わせて思わずブレーキをかける。和知さんだった。図書委員の仕事を終えて帰るところだったんだろう。僕を見て彼女は立ち止まった。ただならぬ雰囲気を感じ取ったのか怪訝そうな表情になる。
「保科君?」
和知さんは僕の前にいる神木先輩を見る。たぶん彼女は神木先輩を知らないだろう。
「あ、えっと。こちら神木先輩」
僕が紹介しても神木先輩は何も言わない。和知さんはとりあえずという風に会釈をした。けれど神木先輩の左手に数珠がはまっているのを見ると、眉間にしわを寄せる。
「また怪異体験クラブ?」
相変わらず和知さんは僕が怪異体験クラブに通うことを快く思っていない実情を知らなくても、名前からいかがわしいクラブだと思われても仕方ないだろう。それでも、僕は自然と口に出していた。
「うん、行かなくちゃいけないから」
人に誇れるような部活ではないかもしれない。真咲先輩も評判が良くないことは分かっている。でも、僕はあの人にいなくなってほしくないし、夕暮れ時の放課後にまたあの場所へ通いたいのだ。命知らずだと思われようと、また彼らと一緒に怪異を体験したいと思う。きっと一緒に乗り越えられると思うから。
「悪いな」
神木先輩は黙り込んだ和知さんにそれだけ言うと駆け出した。僕もそれに続く。和知さんはそんな僕たちを見送って、もう何も言わなかった。
「佐々木さんの言うとおりこの辺りは水難の多かった場所で、実際に人柱を立てたという記録も残っています」
「花子さんって人柱にされちゃった女の子なのかな?」
野々宮先輩の質問に浅場先輩は灰色の答えを出す。
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「うーん、そっかぁ」
「ですがちょうどこの辺りで人柱になった女性がいるという記録があります。昔この場所には橋があったようですね。佐々木さんの言う通りなら、犠牲者を悼むために建てられた祠があるかもしれません」
そんなものが学校にあっただろうか? あるならだいぶ目立つし、意識して見ていなくても印象に残ると思う。
「探しましょう」
そう言って浅場先輩が席を立った。一体どこへ行くんだろう? 慌てて僕もついていった。
「一人で行くのは危ないですよ」
僕が思わず大声で呼び止めると、浅場先輩ははっとしたようにぴたりと足を止めた。顔をそむけて悪びれたように言う。
「……すみません、失念していました」
表面上はいつもの先輩だけれど彼も焦っているのだろう。一刻も早く真咲先輩を助け出したい。その気持ちは僕も同じだ。そして、だからこそ慎重になる必要がある。確実に真咲先輩を取り戻すために。
浅場先輩が向かったのは一階の女子トイレの前だった。先輩はためらわずにトイレへ入って行く。僕はすかさず辺りを見回して誰もいないことを確認した。そろそろと入口からトイレの中を覗き込む。
「ここにはない……」
浅場先輩が例の個室を調べているようだった。他の個室も一つ一つ見て回って、掃除用具入れの中も確認したけれど何も見つからない。そしてトイレを出る前に先輩は天井を見上げた。白塗りの壁には蛍光灯がぶら下がっているだけで、時々パチパチと音を立てて光が点滅している。まるでまばたきをしているようだった。今も花子さんは天井の――あの渦の――向こうにいて、必死に手がかりを探し回る僕たちの様子を眺めていたりするんだろうか。
「そうか、もしかしたら」
思い出したようにつぶやくと浅場先輩は駆け出した。彼の中で何か思い当たることがあったのだろう。あえて呼びかけることはせずに僕も後に続いた。どこへ行くんだろう?
浅場先輩は昇降口でもどかしそうに上履きからスニーカーに履き替えた。すっかり日も落ちてきた昇降口にはめっきり人の気配がなく、先を急いでいる僕たちには好都合だった。先輩は昇降口を出て正面にある校庭……ではなく左手に曲がっていった。校舎の裏手へ回る形になる。こんな場所に何があるんだろうか? 日の当たらない校舎裏はいっそう暗い。浅場先輩は突然急停止してしゃがみこんだ。僕もならって先輩の隣で立膝をつく。先輩はまるで世紀の大発見でもしたように興奮した面持ちで――けれど厳かに言った。
「これですね、これが原因だったんです」
浅場先輩の目の前にあるのは……崩れた石だった。石は大小さまざまで人の胴くらいのものもある。そして石の下に何かが下敷きになっていた。しめ縄だろうか。雷のような形をした白い紙(浅場先輩いわく“しで”というらしい)がついている。
「ボールか何かが飛んできて祠が破壊されたんでしょう。あるいは不良たちが面白がって壊したか。いつからこの状態か分かりませんが、花子さんが狂暴になったのは祠が壊されてからでしょうね」
怪異が自分のすみかを荒らされて狂暴になるのはよくあることだそうだ。神の場合はそれを「災い」という形で人々に報復するという。昔の人たちは水や雷による災害を「神の怒り」に見立てて、お供えや祈りによって鎮めようとした。そして人柱は「柱」と呼ばれるとおり神の一種なのだと浅場先輩は言う(神様は一人二人ではなく一柱二柱と数えるらしい)。ということは
「祠を元に戻せば花子さんも大人しくなるってことですか?」
ようやく解決の糸口をつかんだ……。そう思って僕の声は弾んだけれど、浅場先輩はすげない調子で答えた。
「この祠が花子さんの魂を慰めてくれていたのならそうでしょうね。ただ、それで部長が帰ってくるかは分かりません」
だとしたら……僕たちはどうしたらいいんだろうか。
「保科君。部長がさらわれた時、花子さんがなんと言っていたかもう一度教えてもらえませんか?」
何故か浅場先輩はそんなことを言いだした。突然のことで思考が一瞬固まってしまったけど落ち着いてあの時のことを思い出す。そう、確か
「お友達……、あと“これからこの子とずっと遊ぶ”って」
僕の返事を聞いて浅場先輩は黙り込んでしまった。うつむいて顎に手を当て、考え込んでいるように見える。まるで石像のようなポーズで思索の海に飛び込んでしまった先輩を見守っていると、彼は不意に顔を上げた。
「僕にできることは、もうないかもしれません」
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「いったん部室に戻りましょう。これから先は適任者にバトンを渡した方が良さそうです」
「適任者?」
「彼女ならきっといい方法を授けてくれますよ」
というわけで再び部室。日も沈みかけた狭い部室の中を、蛍光灯の人工的な白い光が照らしてくれていた。明かりの灯る部室に入ってほっとする。廊下はすでに暗い。物陰に何かが潜んでいるんじゃないか、そいつらは隙を見て飛び掛かってくるんじゃないかと思えるほどの深い闇さえあった。ここは本当に、いつも僕たちが通っている学校なんだろうか。よく似た別の世界に迷い込んでしまったんじゃないかと不安にさせられる。
帰ってきた浅場先輩と僕の報告を聞いて口を割ったのは鈴原先輩だった。これまでほぼ傍観しているだけだった彼女が何を言うのか、僕はとても興味があった。これまで、彼女が自ら行動に出る所を見たことなかったからだ(そもそも彼女は部室にあまり来ないからしょうがないけれど)。実際、彼女は他のメンバーと違って怪異と直接対面することは少ないらしい。けれどメンバーからは一目置かれている節がある。安楽椅子探偵というやつだろうか?
「簡単なことよ。彼女の望みを叶えてあげましょう」
そう言って鈴原先輩は微笑む。天界から哀れな子羊を見守る女神のような、慈愛に満ちた笑顔だった。「ちょっと待ってらっしゃい」と言って、鈴原先輩は部室を出て行く。しばらくして戻ってきた彼女が手に持っていたのは、トランクケースだった。彼女は古ぼけた革張りのトランクケースを横倒しにして、持ち手が三つ葉の形をした鍵を鍵穴に差し込む。ケースはヴィンテージものだろうか。年季が入っていて時の流れを感じさせる。いい感じに革が風化して味が出ていた。まだ高校生の彼女が持つには不釣り合いなはずだけど不思議と似合っている。
先輩がその中から取り出したのは和風の人形。着物を着て、髪を肩で切りそろえたおかっぱ頭。小さなおちょぼ口は鮮やかな赤色で塗られている。市松人形というやつだ。
「きっと彼女は若くて人柱になったのね。長い間ずっと一人でこの地に鎮められていたから寂しいんでしょう。だから、ずっとそばにいてくれるお友達がほしいんじゃないかしら」
言いながら先輩は自分の髪の毛を一つまみした。絹のように細くしなやかな黒髪。天使の輪を作るほど輝く髪の毛先を――彼女は二センチほどハサミで切り取った。野々宮先輩が思わず小さな声を上げる。野々宮先輩を振り返って鈴原先輩は優しく微笑んだ。そして不揃いになった自分の毛先を見つめる。
「人形は子どもの遊び相手でもあり、人間の代わりに災いを引き受けてくれる道具でもあるの。もちろん、他人へ呪詛をかける時の道具にもなるけれど」
鈴原先輩は切り取った髪を白い和紙に包んで、髪入りの和紙を人形の帯の中に入れた。和紙の表面には見慣れない漢字がびっしりと書かれていて、ただの紙ではないだろうと思わされる。鈴原先輩の秘密道具だろうか。
「戦地で亡くなった人の形見として遺族に髪が送られることがあるわ。遺髪というのだけれど。髪はね、その人の代わりになるのよ」
この子を私の代わりにしてもらいましょう、私は彼女の元へいけないから。そう言って鈴原さんはぽんぽんと人形の頭を撫でた。
「花子さんに頼んで、この子と真咲君を交換してもらいましょう」
鈴原先輩はまるで当たり前のようにそう言った。そんなことができるんだろうか? 僕が一瞬でもそう疑ったことを見透かしたのか、鈴原先輩はきろりと背筋の凍えるような冷たい視線で僕を見た。
「大丈夫よ。この子はもう私の代わりになったんだから。花子さんにとって永遠のお友達よ」
「お友達……」
人形とはいえ、自分の身代わりが幽霊と友達だなんてぞっとしない。鈴原先輩はまたも僕の思考を見てとったのか、今度は諭すような微笑みを見せて言う。
「言ったでしょう? たとえ幽霊でも例外はないの。私はいつだって悩める女の子たちの味方なのよ」
僕は部室の中を見回した。しいんと静まり返っている。誰も異論はないらしい。ここは鈴原先輩のいうことを信じるしかなさそうだ。さて、花子さんとの取引材料を用意したのはいいけどこれからどうしようか。取引ってことは、誰かが花子さんと交渉しないといけないのだけど。
「俺が行く」
誰の意見も聞かずに神木先輩が宣言した。彼は鈴原先輩の市松人形を持って席を立つ。すかさず僕は声を上げた。
「僕も行きます」
けれどいすから腰を浮かせた僕を神木先輩が制する。
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神木先輩は黙りこんでしまった。やっぱりそうか……。彼も何か具体的な方法を考えているわけじゃないのだ。ただ、こういう一番危険な役は自分が買って出るべきだと思ったんだろう。
「その、神木先輩ってあんまりおしゃべりが得意なイメージがなくて」
そういうのは野々宮先輩が一番上手いけれど、怪異に抵抗する手段を持たない彼女を矢面に立たせるわけにはいかない。いや、それは僕も同じだけれど。
「お前ならできるってのか」
神木先輩の疑問は当然だった。
「できるとは言いません。成功する保障もありません……。でもここで動かないと何かあった時、一生後悔する気がして。上手くいくようにやってみます」
「……俺はそういうのは得意じゃない」
任せる、と言って先輩はふいと背中を向けてしまった。許可をもらったと考えていいだろう。僕が部室の中を振り返ると、居残ったメンバーが思い思いの表情を浮かべて僕たちを送り出してくれた。不思議なことに不安そうな人は一人もいなくて「頑張れ」とエールを送ってくれているようだった。そう、やるしかないのだ。残された僕たちでできることを。真咲先輩のために。
階段を下りて一階へ向かう。いつだったか真咲先輩と一緒に駆け下りた階段だ。二階で思わぬ人物と鉢合わせて思わずブレーキをかける。和知さんだった。図書委員の仕事を終えて帰るところだったんだろう。僕を見て彼女は立ち止まった。ただならぬ雰囲気を感じ取ったのか怪訝そうな表情になる。
「保科君?」
和知さんは僕の前にいる神木先輩を見る。たぶん彼女は神木先輩を知らないだろう。
「あ、えっと。こちら神木先輩」
僕が紹介しても神木先輩は何も言わない。和知さんはとりあえずという風に会釈をした。けれど神木先輩の左手に数珠がはまっているのを見ると、眉間にしわを寄せる。
「また怪異体験クラブ?」
相変わらず和知さんは僕が怪異体験クラブに通うことを快く思っていない実情を知らなくても、名前からいかがわしいクラブだと思われても仕方ないだろう。それでも、僕は自然と口に出していた。
「うん、行かなくちゃいけないから」
人に誇れるような部活ではないかもしれない。真咲先輩も評判が良くないことは分かっている。でも、僕はあの人にいなくなってほしくないし、夕暮れ時の放課後にまたあの場所へ通いたいのだ。命知らずだと思われようと、また彼らと一緒に怪異を体験したいと思う。きっと一緒に乗り越えられると思うから。
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