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恋とレシーブと2
しおりを挟む「好き……か」
バレー部に限らず運動部の大半は柔軟からランニングというのがこの青野西高等学校の風習だ。今日もいつもらしく一番後ろを走っていた俺は、ちょうど誰にも見つからずに列から抜ける羽目になったわけだが、安藤がそれを見越してこのタイミングを選んだのかどうかは分からない。
せめて部活前にしてくれればよかったのに、と思ったが言いはしない。俺は放課後もすぐに部活に行く部活馬鹿なので、確かに部活中を狙うしかないのは頷けた。
ただこの暑さの中、少し走っただけで汗だくなので、汗ばんだ男子の服を、女子の綺麗な手で掴まないで欲しいとか思うのは、自分が掴まれたままだと気づいた後だ。そもそも女子の手が綺麗とか、そんな風に思ってしまう自分の、女子免疫力の無さが可笑しい。女子だって人間なんだぞと、自分に言い聞かせる。
でも女子って、ふわふわで可愛いもんな。とか、思考を逃避させて現実を無視。ゆっくりと状況と脳が噛み合ってきて、一呼吸して落ち着いてみる。
とりあえず、今行われているこれは、愛の告白である。それは理解できた。
「付き合って欲しいの」
ぐわんと、脳をハンマーで殴られたような衝撃が走る。俺とか? 正気か? と疑う俺に罪はない。オーソドックスな台詞こそ、ダイレクトに脳に届くらしい。
真っ先に思ったのは、練習の時間が減るかもしれないという危機感。そんな自分の最低な思考のダメさ加減。
「バレーの邪魔は、しないから」
「……っ、あー、うん」
俺の思考を読まれたような気になって、安藤の一言に安堵が漏れる。じゃあ、いいか。と思う脳内自分を蹴りつける。違う、そうじゃないと流れそうになる思考を引き寄せる。
「さすがにいきなりすぎないか?」
「だってそうでもしないと、一緒に居られないっ」
語尾に小さい「つ」が付くような、妙に歯切れの良い口調は嫌いではない、ではなくて、彼女の必死さに適当に返そうとする自分を戒める。
相手は相変わらず俯いて顔を上げない。呼吸のような溜息を吐きながら、俺はどうしたものかと考える。
目の前の安藤はいつも以上に小さく思えた。クラスメイトで、友達ではないとは言わない程度には話したこともある。必死に想いを告げ、俺の服から手を放さず、空いた片手のひらで顔を覆う姿は可愛いと思う。そういえば真面目で、真っすぐな子だっけなと思い出す。彼女はいい子なのだ。
俯き、泣きながら告白をしてくれるとか何事だ。そんな安藤の二の腕は華奢で、何度か話もしたことはあるが帰宅部だったはずだ。今見る限り、腕も白く綺麗だ。いやもう好きって何だ、好きって。
何で好きになったんだろうと考えてみると、少しばかり思い当たる伏はあった。ああそうか、あれで俺が好きになっちゃったのか。なんて思っていると、ゆっくりと現実感が増してくる。
目の前で、同級生の女子が好きだと言っている。脳の理解が現実に追いついて、心臓がばくばくと鼓動し始めてくる。試合の最中のような緊張感が、胃の奥に流れていく。
たぶん俺、今、顔真っ赤だな。その程度には冷静だった。
「っ、ひっ、く、ごめんっ、ね」
とりあえず彼女が泣いている理由は俺である。女子を泣かせる野郎は屑男というのが俺の持論なので、今の俺こそが屑男だ。安藤の必死さは十分に伝わっている。こぼれ落ちる感情の滴が指の間を抜けていって、毎日同じことを繰り返し続ける俺の平凡な部活だけの日常が、根性で捻じ曲がりそうな気がした。
断る理由を十秒考えた。不快指数80%以上は嘘だなと思うくらいに気持ちのいい風が吹いている。木の葉がかさかさと音を鳴らしていて、バレー部ジャージから漂う自分の汗臭い匂いが、とりあえず彼女に届いていない事を祈った。無理だろうなと思った。
「俺、汗くさいし」
「関係ない。匂い、平気。今平気だから、たぶん平気っ!」
「や、バレーばっかだし」
「そこがいいの。一生懸命なのがいい! ばっかりでいいの!」
鼻声で、けれどきっぱりはっきりと言われると清々しい。何も言い返せない。俯いた彼女の物言いにはちゃんとした気持ちが籠っていて、彼女の気持ちを覆せない。
いや、そもそも覆す必要があるのだろうか。思考が一瞬、停止した。
「俺でいいのか?」
「葉山君がいいのっ」
きゅぅんと来た。ハートに矢的なあれだ。即答過ぎて言葉が続かない。これは青春だ。俺も顔を手のひらで覆う。顔から火が出そうなくらいに恥ずかしい。俺の息が肺から喉を通って漏れて、次の言葉を吐こうとして呼吸が止まる。言える台詞がない。渇いた唇の上を息だけが滑る。垂れる汗を肩口で拭う。
「……四月」
「エイプリルフールじゃないから! ドッキリじゃないから!」
思考を読まれたらしい。もう限界だった。
こちとら腐っても男子だ。女子に好きと言われて嬉しくないわけがない。ちゃんと顔が見たいと思うのに、安藤は顔を上げない。俺も男子で、好きな子が居ないでもない。でも、好み、という程度だと思う。ここまで惚れられて、それでもこだわる好きではない。
この子の好きは、たぶん俺の想う気持ちとは次元が違う。
安藤は一向に俯いたままだ。俺の膝が震えてきた。試合の時以上に辛い。相手任せだからか、いやでもこの後の結末は俺が握っているからか。
安藤の後頭部を見るだけで精一杯だった。遠くで友達らしい女子が、事の成り行きを見守っているのも見える。それに気付ける程度には俺も冷静になってきた。安藤の震える肩は弱々しくて、バレーしか能がない俺に、告白をしてくれた勇気は称賛に値する。
何せラブレターでもなく直接告白だ。よくもそんなことができるものだ。俺なら絶対、無理だ。
「とりあえず、顔上げて」
「無理! 恥ずかしくて死にそうだから無理!」
ですよねー。俺は妙に納得した。こういう物言いも悪い気はしない。
「ごめんっ、失礼だけど顔みれっ」
「今週いっぱい考えてもいいか?」
安藤の謝罪を遮るように、俺は短く言葉を告げた。「っ、うんっ。いい、いいよっ」と彼女が言い、俺は肺に空気を送り込む。今、呼吸が止まってたな。
とりあえず一週間、時間を置こう。相手がそれでも俺を好きだというのなら。嫌われない限りは付き合ってもいいかもしれない。心はほぼ決まりかけ。よし、対処完了。そう思うと気が抜けた。逃げるが勝ちだ。
「ってわけで、悪いんだけど部活行っていいかな? 誰かが来ると、いろいろ面倒だし」
「どうぞ!」
よし了承を得た。俺はすかさず踵を返して安藤に背を向ける。心臓がばくばくと煩い。ふと後ろ髪を引かれ、いや背中を引かれて、今度はシャツの皺が伸びた。足を止める。動けない。振り向くと、その先に安藤の手があった。
ジャージの中のシャツは、更に汗を掻いていて濡れている。その手を安藤の指が掴んでいる事実に、ぎょっとする。
「安藤さん?」
「ま、待って」
そう告げた彼女の頭は、まだ下がったままだった。ただ汗たっぷりのシャツは未だに放されていない。華奢な指に俺の汗が付着して、冷や汗が背中に伝う。どうか掴まないで欲しいと思う時点で、嫌われたくないと思っている自分が居るのだろうか。
いやこれは常識か?
「今日の帰り、待っていてもいい? お願いっ!」
ようやく顔を上げた安藤が、瞳に涙を溜めて願い出た。いや可愛いったらない。鼻赤いぞ、とかどうでもいい。そんな顔をしてお願いとかされて、ダメだという男が居たら殺虫剤で殺す。アー〇ノーマットで殺す。
「あー、遅いぞ?」
「うん。知ってる! 七時くらいには終わるよね?」
「そうだな。だいたいそれくらい」
「うん。知ってる」
安藤に淡々と言われて、唐突だったのは俺だけかと、そんな事を思い知った。それが俺と、安藤あさみとの馴れ初めとか、そういう話。
○○○
《続く》
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