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恋文に想う1
しおりを挟む昔の話になる。
高校の頃、私は三ヶ月もの間、ほぼ毎日恋文を読み続けた。
しかも自分宛ての手紙ではなく、他人に宛てた手紙をだ。
今でこそ意味不明で笑える話だけれど、事実なのだからしょうがない。私は一時、他人の恋文を読むのが日課で、義務になっていて、楽しみになっていた。
全ては一枚の手紙を拾った事から始まった。知り合って間がない男子の、他の女子へ当てた恋文に刻まれた気持ちは、きらきらと輝いていて、気恥ずかしさに何度も苦悩し、身悶えすらした。目が眩む程の、青春に満ちた文字の乱舞は、砂糖菓子以上に甘くて胸焼けしそうな程だった。
練習として書かれ続けたラブレターにはお腹を抱える程に恥ずかしいものも山ほどあって、実際に転げまわった事も何度もあった。
それくらいに恥ずかしくて、同時に胸が熱くなった。
一通の手紙と、文字ひとつひとつに、真剣な気持ちが籠っていた。
今時手紙なんて古臭いだろうか。そういう意見もある。女々しいかもしれない。
でもそれは、手紙を知らない人が言っているだけだと私は思う。
手紙はメールとは違うのだ。それは決して電子文字では味わえない気持ちと時間に満ちている。便箋とインクの匂いや、指で触れた凹凸の感触と、少しの書き損じに、崩れた字に丁寧な文字が垣間見える。
手紙に掛けた時間と、相手へ馳せる想いが手紙に詰まっていた。
私は毎日、その感触と、匂いと想いに晒され続けたのだ。
今考えると詐欺だ。
手書きで記された一文字には、時間と愛おしさが宿っていた。最初は汚かった字も綺麗になっていって、素敵な言葉もじわじわと増えていった。
あまりの気持ち良さについ二度読み返した事もあった。そうかと思えば気持ちが先行し過ぎて、言葉と想いが躍り狂い、途中で破り捨てたくなるような青臭い手紙もあった。その度に落ち着けと思った。
笑いながら、書いたそいつの顔を思い浮かべてほくそ笑んだ。
私は彼の、別の人へ当てた手紙を読み続けて、こうした方がいい、これじゃダメだと意見を出し続けた。たった三か月、それでも長い三か月、私は彼と過ごし続けた。何様だと今なら思うけれど、当時の私は彼にレクチャーし続けた。
私も真剣だった。
本気だった。勉強よりも必死に考えた。
そんな青春馬鹿男の彼は、途方もなく暇人だったのか、ついには恋文とは別に、私宛の手紙までを書くようになった。私の方はもちろん恋文ではなく、ただの日常の手紙だったから、気楽に読めたし楽しかった。
記された彼の毎日は、他愛のないものだった。けれどまるで一緒にその時間を過ごしたかのような錯覚すら覚える日常に、手紙を読むのが更に楽しくなったのは言うまでもない。
何せ正真正銘、私宛の手紙だ。
読んで、気になった事は明日聞こう、そう思う事もたくさんあった。
そうして私は彼を知り、毎日を過ごしていった。彼もまた、そうして私を見て来たのだろう。私の話を聞いてきたのだろう。
知り合って、書いて、読んで。
とまあ、そんなやり取りを三か月も続けて、好きにならんわけないだろうというわけだ。まったくもって馬鹿な話だ。
それは十年も前の話だけれど、今でも褪せる事のない、私の思い出だ。
○○○
「日野、これ捨てていいか?」
思い出はふと脳裏を過って瞬時に消える。妄想から帰省した私は、抱え上げた段ボールを持ち上げる。
鏡に映る自分の目つきの悪さ、化粧っ気のない顔が見えて、何とまあ可愛げのない女だね、と肩を竦める。こんな奴を好きな馬鹿の気がしれない、と思う。
だからそう、ちょっとしたきっかけを作ってみた。
「うん?」
案の定、彼は気のない返事を返す。彼の背中は私を見ていない。そんな馬鹿の声が聞きたくなるという緊急事態に陥った私は、彼に言葉のボールを投げかける。
「これって?」
「紙」
そんな休日のひと時。手が届かない程度に離れた場所で荷造りをする、女々しくて馬鹿で純粋な彼、大人びた日野の横顔に、「こっち向かないと捨てるぞ?」と問い掛けた。
手に持ったのは、大量な紙の入った段ボールだ。
誰かが書き続けた、青臭くて甘酸っぱい、手紙の数々が内包された、過去の結果だ。
「返事しないなら捨てるぞ?」
「はい?」
私は終始、偉そうである。彼の下向いた横顔が持ち上がり、私の方を見た。集中すると周りが見えないのが彼だ。やや短めに切られた髪、青と黒の縁眼鏡を中指で押し上げる仕草は理系っぽくてキザったらしい。これでも男前の部類に入るらしく、何度か告白されたことがある。
全部断ったと、手紙で毎回、報告されている。
そんな彼が笑顔を携えたまま、大げさに首を捻っている。
「春さんが要らないなら何を捨てても良いと思う……って待って、何それ。怪しい、捨てちゃダメです。中身を聞いてから判断します」
「いま捨てて良いって言ったな?」
「いえ、前言撤回しますから」
日野が焦り気味に捲し立て、床上で荷造りしていた手を止めた。胡坐姿勢から軽やかに立ち上がると、日野が私の元にやって来る。そんな彼から僅かに香水の香りがして、心地よくなるのは私の特権だ。
平日に日野の匂いを嗅いで悦に入るとか、贅沢だなあとか思った。
一人で高い金を出して美味しい飯を食うよりも、家で二人、食べるコンビニ飯の方が百倍美味いのだ。さりとて。手料理はそのうち頑張る予定。
「捨てていいなら燃そう。焼き芋食べたい」
「僕に判断を仰ぐ時点でおかしい。どうせ僕絡みでしょ? まずダメ。中身は? 春さんのパンツとか?」
「お前絡みのパンツって何だ?」
「例えば僕が買ったお気に入りのTバックとか? あ、紐パン?」
彼の言葉遣いは物腰柔らかで、けれど気弱というには少し力強く馬鹿でエロだ。そんな彼の左手の指に光る銀のリングは、私の薬指と同じ位置にあり、きらきらと輝いていた。
《続く》
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