31 / 39
乙女日和31
しおりを挟む
○○○
これは一人の、女子が出会った過去の話。
「こんな大きな白い紙に字書くの?」
何も書かれていない真っ白な紙は大きくて、綺麗で汚したくない程だった。教室の机を退けて、床の上に敷かれた模造紙を前に、全員が立ち尽くしていた。
「下書き誰が書く?」
「やっぱりリーダーだろ」
「えー、俺嫌だなー」
高校一年生、入学して最初のイベントは、クラス内で班に分かれて発表するというものだった。子供みたいだったけれど、みんなで何度も話し合い、そこそこ楽しかった。
私たちはエコロジーについて、というネットで拾ったような発表をすることになっていた。一応は全員で内容を擦り合わせて、そこそこの出来栄えではあった。
それを模造紙に書くという段階で、みんなが書くのを嫌がったのは当然の事である。全員に配られた紙は班に一枚だったからだ。
「他のところはもう下書き終わってるみたいだな。まだのところは時間もないし、パソコンで打った文字印刷して貼り付けるとか言ってたけど」
「うちらもそうする?」
誰もがその案でいこう、という顔をした。リーダーの森下が手を上げて、
「じゃあ、誰かプリンター持っている奴、悪いんだけど……」
「俺が書こうか?」
みんなの協力を仰ごうとしたところで、別の案を上げた奴が居た。そいつは今まで発表の内容に積極的な方じゃない、男子だった。
「何だ? お前、字綺麗なのか?」
「高校まで書道……習字をやってたよ。幼稚園の頃からだから、油性ペンでもパソコンには勝てるくらいは、綺麗に書く自信あるぞ」
「パソコンに勝てるって」
「幼稚園からって凄いな」
誰かが呟き、全員が一瞬固まった。他の班を見ればシャーペンで大よその文字を書き始めている生徒や、プリンターで印刷した文字を並べている生徒がいる。
そんな中、私たちの班はまだ白紙だった。全員が黙っていた。その男子は特に物怖じもせず、軽い感じで「書くぞ?」と言った。
「みんな、どうだ?」
「パソコンより上手い字見たい」
「任せた」
「おっけー」
森下が問い、みんなが頷いた。森下が油性ペンを彼に渡すと、彼は受取り、ノートを片手に持つ。上履きを脱いで、模造紙の上に降りたった。膝立ちで座り、紙にわずかな皺が寄る。
静。さっきまでの頼りない背が、坐した姿で凛とした。
その瞬間、何かが起こった。
教室の中に、私たちの班の居る空間に静寂が生まれた。
油性ペンの蓋が、きゅぽんと外れたいい音がした。
「おい、下書きは?」
「要らない」
彼は短く告げたかと思うと、誰が止める間もなく、動き出した。彼は自然な感じで油性ペンを模造紙の上に、下した。
線が躍っていた。文字が綴られた。丁寧だった。一定だった。誰も何も言えなかった。
そして模造紙の上には、カラフルな文字が散りばめられた。
「おお、下書きなしとかすげぇ」
「力強いっつーか、丁寧っつーか」
「パソコンより……確かに凄い」
彼が字を書いている間、私らの呼吸は止まっていた。それ程に緊張した。彼は飄々と書いていたけれど、紙に収まるように、それでいてバランスの良い配置が素晴らしかった。
模造紙を一瞥して、ノートの文字を見て頷いた彼は、あっという間に模造紙に文字を書き写していった。
同じ油性ペンでも、自分ではこんな風には書けないと思った。計算された文字の配置とでも言おうか、軽く感動すらした。真っ直ぐだった。
文字の大きさは一定ではなく、大きかったり、小さかったりした。丸かったり、角張っているものもあった。ばらばらで、統一されていた。
ゴミが、再生されて製品に変わる姿が文字の中に見えた気がした。
「どう?」
「……うん。いいな」
森下が零し、全員が頷いた。私も、頷いた。
私なら定規で線を引きまくって、配置を考えて下書きをシャーペンで書いて何度も消して書く。その過程で何度も失敗する。周りの生徒もそうしている。
それを彼は、ほんの十五分ほどで、油性ペンだけで書ききってしまった。
「すごいな、文字が生きているっていうか、発表の内容と文字がマッチしてるな。最後の『結論部分』なんて、書いているところで鳥肌立った」
「大げさだなあ。こんなの誰でも書けるよ」
全員が手を振り『無理』と言った。約一人を除いた全員の声がハモり、笑いが起こったのは愉快だった。
「良い発表になりそうだな。いやでも何て言うか……」
少しおっさん臭い森下が、彼の書いた模造紙を眺めながら苦悩していた。とても苦しそうに、何かと戦っていた。
「何か、もったいないな」
「うん?」
それは私も同感だった。森下が言う通り、発表内容の拙さに比べて文字が綺麗過ぎて合ってない。発表の内容が中途半端なのだ。
それが気に食わないと思った。他のメンバーも、何となく理解しているようだった。約一名を覗いて、全員がこれを完成だと言いたくなくなってしまったのだ。
「もう一回考え直さないか? 発表の内容」
「でもあまり時間ないぞ? 発表は明後日だ。他のみんなはもう模造紙に書き始めているわけだし」
森下他面々の意見に、油性ペンを手にした彼が否定してみせた。けれど浮かばせた面持ちは、不敵な笑みだった。
それが余計に、全員の火を付けた。彼を除く全員が、嫌になったのだ。この発表を、この程度で終わらせたくないと思ったのだ。
「内容を直す。模造紙に書く時間なんて、俺らは確保する必要がない。だろ?」
森下が彼に断言し問うた。彼は少し驚いた顔をして、
「発表三十分前でも充分だ」
と当たり前のように言い切った。
彼は書き直しが出たというのに、少しも迷惑そうにしなかった。彼が笑い、全員の顔に笑みが浮く。何とも頼もしいその一言に、全員の気持ちが一致した。
「もう一度練ろう」
「おっけー」
「賛成」
「同じく」
即席の発表チームは、この瞬間、一丸となった。
《続く》
これは一人の、女子が出会った過去の話。
「こんな大きな白い紙に字書くの?」
何も書かれていない真っ白な紙は大きくて、綺麗で汚したくない程だった。教室の机を退けて、床の上に敷かれた模造紙を前に、全員が立ち尽くしていた。
「下書き誰が書く?」
「やっぱりリーダーだろ」
「えー、俺嫌だなー」
高校一年生、入学して最初のイベントは、クラス内で班に分かれて発表するというものだった。子供みたいだったけれど、みんなで何度も話し合い、そこそこ楽しかった。
私たちはエコロジーについて、というネットで拾ったような発表をすることになっていた。一応は全員で内容を擦り合わせて、そこそこの出来栄えではあった。
それを模造紙に書くという段階で、みんなが書くのを嫌がったのは当然の事である。全員に配られた紙は班に一枚だったからだ。
「他のところはもう下書き終わってるみたいだな。まだのところは時間もないし、パソコンで打った文字印刷して貼り付けるとか言ってたけど」
「うちらもそうする?」
誰もがその案でいこう、という顔をした。リーダーの森下が手を上げて、
「じゃあ、誰かプリンター持っている奴、悪いんだけど……」
「俺が書こうか?」
みんなの協力を仰ごうとしたところで、別の案を上げた奴が居た。そいつは今まで発表の内容に積極的な方じゃない、男子だった。
「何だ? お前、字綺麗なのか?」
「高校まで書道……習字をやってたよ。幼稚園の頃からだから、油性ペンでもパソコンには勝てるくらいは、綺麗に書く自信あるぞ」
「パソコンに勝てるって」
「幼稚園からって凄いな」
誰かが呟き、全員が一瞬固まった。他の班を見ればシャーペンで大よその文字を書き始めている生徒や、プリンターで印刷した文字を並べている生徒がいる。
そんな中、私たちの班はまだ白紙だった。全員が黙っていた。その男子は特に物怖じもせず、軽い感じで「書くぞ?」と言った。
「みんな、どうだ?」
「パソコンより上手い字見たい」
「任せた」
「おっけー」
森下が問い、みんなが頷いた。森下が油性ペンを彼に渡すと、彼は受取り、ノートを片手に持つ。上履きを脱いで、模造紙の上に降りたった。膝立ちで座り、紙にわずかな皺が寄る。
静。さっきまでの頼りない背が、坐した姿で凛とした。
その瞬間、何かが起こった。
教室の中に、私たちの班の居る空間に静寂が生まれた。
油性ペンの蓋が、きゅぽんと外れたいい音がした。
「おい、下書きは?」
「要らない」
彼は短く告げたかと思うと、誰が止める間もなく、動き出した。彼は自然な感じで油性ペンを模造紙の上に、下した。
線が躍っていた。文字が綴られた。丁寧だった。一定だった。誰も何も言えなかった。
そして模造紙の上には、カラフルな文字が散りばめられた。
「おお、下書きなしとかすげぇ」
「力強いっつーか、丁寧っつーか」
「パソコンより……確かに凄い」
彼が字を書いている間、私らの呼吸は止まっていた。それ程に緊張した。彼は飄々と書いていたけれど、紙に収まるように、それでいてバランスの良い配置が素晴らしかった。
模造紙を一瞥して、ノートの文字を見て頷いた彼は、あっという間に模造紙に文字を書き写していった。
同じ油性ペンでも、自分ではこんな風には書けないと思った。計算された文字の配置とでも言おうか、軽く感動すらした。真っ直ぐだった。
文字の大きさは一定ではなく、大きかったり、小さかったりした。丸かったり、角張っているものもあった。ばらばらで、統一されていた。
ゴミが、再生されて製品に変わる姿が文字の中に見えた気がした。
「どう?」
「……うん。いいな」
森下が零し、全員が頷いた。私も、頷いた。
私なら定規で線を引きまくって、配置を考えて下書きをシャーペンで書いて何度も消して書く。その過程で何度も失敗する。周りの生徒もそうしている。
それを彼は、ほんの十五分ほどで、油性ペンだけで書ききってしまった。
「すごいな、文字が生きているっていうか、発表の内容と文字がマッチしてるな。最後の『結論部分』なんて、書いているところで鳥肌立った」
「大げさだなあ。こんなの誰でも書けるよ」
全員が手を振り『無理』と言った。約一人を除いた全員の声がハモり、笑いが起こったのは愉快だった。
「良い発表になりそうだな。いやでも何て言うか……」
少しおっさん臭い森下が、彼の書いた模造紙を眺めながら苦悩していた。とても苦しそうに、何かと戦っていた。
「何か、もったいないな」
「うん?」
それは私も同感だった。森下が言う通り、発表内容の拙さに比べて文字が綺麗過ぎて合ってない。発表の内容が中途半端なのだ。
それが気に食わないと思った。他のメンバーも、何となく理解しているようだった。約一名を覗いて、全員がこれを完成だと言いたくなくなってしまったのだ。
「もう一回考え直さないか? 発表の内容」
「でもあまり時間ないぞ? 発表は明後日だ。他のみんなはもう模造紙に書き始めているわけだし」
森下他面々の意見に、油性ペンを手にした彼が否定してみせた。けれど浮かばせた面持ちは、不敵な笑みだった。
それが余計に、全員の火を付けた。彼を除く全員が、嫌になったのだ。この発表を、この程度で終わらせたくないと思ったのだ。
「内容を直す。模造紙に書く時間なんて、俺らは確保する必要がない。だろ?」
森下が彼に断言し問うた。彼は少し驚いた顔をして、
「発表三十分前でも充分だ」
と当たり前のように言い切った。
彼は書き直しが出たというのに、少しも迷惑そうにしなかった。彼が笑い、全員の顔に笑みが浮く。何とも頼もしいその一言に、全員の気持ちが一致した。
「もう一度練ろう」
「おっけー」
「賛成」
「同じく」
即席の発表チームは、この瞬間、一丸となった。
《続く》
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
悪役令嬢は王太子の妻~毎日溺愛と狂愛の狭間で~
一ノ瀬 彩音
恋愛
悪役令嬢は王太子の妻になると毎日溺愛と狂愛を捧げられ、
快楽漬けの日々を過ごすことになる!
そしてその快感が忘れられなくなった彼女は自ら夫を求めるようになり……!?
※この物語はフィクションです。
R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
完結【R―18】様々な情事 短編集
秋刀魚妹子
恋愛
本作品は、過度な性的描写が有ります。 というか、性的描写しか有りません。
タイトルのお品書きにて、シチュエーションとジャンルが分かります。
好みで無いシチュエーションやジャンルを踏まないようご注意下さい。
基本的に、短編集なので登場人物やストーリーは繋がっておりません。
同じ名前、同じ容姿でも関係無い場合があります。
※ このキャラの情事が読みたいと要望の感想を頂いた場合は、同じキャラが登場する可能性があります。
※ 更新は不定期です。
それでは、楽しんで頂けたら幸いです。
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
ねえ、私の本性を暴いてよ♡ オナニークラブで働く女子大生
花野りら
恋愛
オナニークラブとは、個室で男性客のオナニーを見てあげたり手コキする風俗店のひとつ。
女子大生がエッチなアルバイトをしているという背徳感!
イケナイことをしている羞恥プレイからの過激なセックスシーンは必読♡
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる