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乙女日和19
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「信じらんね。完璧に無理矢理じゃないか」
口の中に残る大人の味を掻き消すように、俺は珈琲を流し込む。黒崎先生は少しだけ満足した面持ちで、煙草に唇を這わせている。
「口の中がヤニ臭くなるだろ」
「それがいいんじゃん?」
「彼女に勘ぐられるだろ」
「そこはほら、うまく誤魔化せ。あとで煎茶でも飲んでいきな。蒸しタオル貸したげるから、躰も拭けばいいさ」
俺はこの人の、こういう態度が大嫌いだ。大人だからこういう事を当たり前だという、平然とした態度が物凄く嫌いだ。
俺は特別だと思ったんだ。俺も大切にしたいと思ったんだ。
それを、ただの遊びだと知った時の、子供の気持ちを、こいつは知ってなお嘲笑ったんだ。
「もっかいしたい」
「もうだめ。近づくなって。何かあったんですか?」
「ごめん、ちょっとだけ付き合って。これ以上はしないからさ」
黒崎先生の真剣な、それでいて潤んだ瞳に、俺は断る気力を奪われる。駄目だ、この人の寂しそうな顔だけは見続けられない。
俺は悩み、心の中で一人の女の子に、今更だが謝った。ごめん、少しだけ、この人を慰める為だけ、許してくれ。
「キスまでですよ」
「それ以上って?」
黒崎先生が失笑し、まるで何かを補填するように、俺に覆い被さってくる。今度はゆっくりと、まるで味わうように俺の唇を奪い続けてくる。途中で震えている先生に気付いて、仕方なく背中をさすってやったのは、俺なりの男心である。
でも。
だからって。
「唾液まで流し込みやがったな、あんた」
「馬鹿だねぇ。その台詞を言わせたくてしてんのに」
体感的に五分もの間、俺は唇と、心をその人に奪われた。
「あぁ、もう。最低だこの人」
「別にもう生徒じゃないし、いいんじゃんか」
喉の奥に珈琲の甘い味と、煙たい味が流れている。後はたぶん唾液を入れられた。ちくしょう、何か負けた気がする。胃の中に憧れの人の体液が入っている、と言う状態がもうダメだ。もうすでに負けているんだが、最低だ。
先生はにやついていて、とても大人びている。この人に勝ちたい。子供心が勝る。ただ勝ちたい。
悪戯心を胸に秘め、俺はマグカップを手に取り一口含む。もう冷えている。俺はそれから、先生の傍に寄る。先生が俺に気付いて、笑んでいた。
「大人の味だったろう? 何? もっとしたい? ちょ、むっ」
煩いその人の唇を、問答無用で奪い去る。ついでに口の中に含んだ何もかもも、そいつの口内に流し込む。問答、無用だ。
「ぐっ、げっ、ごぶっ。ちょっと何すんだヒロっ!」
「お返しだ」
「ちょっ、むぐ」
今度は濃厚に、出来るだけ強めに唇を奪う。この人が先生だとか大人だとかを一切無視して、ただの女だと思い込んで唇と舌を施していくと、さすがの彼女も抵抗を失くした。静かに受け入れ、それからそっと、俺の身体を押し放した。
「どうだ、少しは分かった?」
「苦いんですけど」
「子供舌のくせに無理するからだ」
「馬鹿、あほ、おたんこなす。舌と一緒に苦い珈琲と唾液入れるなばかー」
もうこうなるとこの人は子供である。先生とは言い難い拙さの文句を言われ、してやったりである。俺は先生から離れ口元を拭った。せめてもの抵抗である。
「したくなるじゃんか」
「絶対無理。それは無理」
先生が目線で俺の股間へと興味を受けたのは、さすがに止めた。これ以上は無理だろう。先生の指が俺に伸びる前に、数歩後ろに下がる程度の、冷静さはまだ残っていた。
「……旦那さんと喧嘩でもした?」
「うん、ちょっと彼氏に振られた」
「浮気相手に?」
「浮気言うな。ちょっとした趣味みたいなもんだから」
黒崎先生は今更ながら、恋愛に対して自由な人だ。結婚もしているが子供はいない。子供が嫌いなのだろうと思っていた時期もあった。
ベッドの中で、子供が出来ない身体だと知ったのはそう昔の話ではない。
その穴を埋めるように自らの心を慰めるように、何かをしているのだとしたら、それを止める権利は俺にはない。ただ、思うのは。
「旦那も大事にしろよ」
「旦那も好きなんだけどな」
黒崎先生の言葉が本心かどうかは、子供の俺には分からない。大人の事情なんて子供の俺に解るわけがないけれど、それが本心だとしたら、やっぱり浮気はしてほしくない。
散々、キスしておいて何だけど。
「あそこ、痛くない?」
「めちゃくちゃ痛いですよ。全く大人げない」
「でも身体が火照ってきてさ」
「あんたの言いなりにはならない」
黒崎先生が四つん這いになり、豹のような仕草で俺に近付いてくる。畳の上に尻を置いた俺は、動けないでいる。ただ言葉だけで拒否をする。それが精いっぱいなのだ。
股間が、痛い。
「店の鍵、さっき締めたんだ」
先生の喉が鳴る。俺の喉は乾いている。大人の視線が、雄の股間をちら見している。逃げられない。俺の手に汗が浮く。
「今なら出来るよ? する?」
「黒崎先生、いい加減にしろ」
「ここで断ったらバイト首」
「ぐっ」
ぐさと、財政面に響く言葉を投げつけられた。きつい、いろいろきつい。先生の瞳が揺らいでいる。これ、完全に援交じゃねぇか。
でも俺以上に先生こそが苦しんでいる。たぶん、言った事を後悔している。そんな表情だ。
「あんた、大人げないぞ」
「そうだねぇ? たぶん、最低だと思うよ」
自分をそう評価した黒崎先生は、俺の頬に自らの頬を寄せ、撫でるようにして呟いた。
「あんたを愛してやるよ」
まるで娼婦のように、彼女は静かに、そう語った。
《続く》
口の中に残る大人の味を掻き消すように、俺は珈琲を流し込む。黒崎先生は少しだけ満足した面持ちで、煙草に唇を這わせている。
「口の中がヤニ臭くなるだろ」
「それがいいんじゃん?」
「彼女に勘ぐられるだろ」
「そこはほら、うまく誤魔化せ。あとで煎茶でも飲んでいきな。蒸しタオル貸したげるから、躰も拭けばいいさ」
俺はこの人の、こういう態度が大嫌いだ。大人だからこういう事を当たり前だという、平然とした態度が物凄く嫌いだ。
俺は特別だと思ったんだ。俺も大切にしたいと思ったんだ。
それを、ただの遊びだと知った時の、子供の気持ちを、こいつは知ってなお嘲笑ったんだ。
「もっかいしたい」
「もうだめ。近づくなって。何かあったんですか?」
「ごめん、ちょっとだけ付き合って。これ以上はしないからさ」
黒崎先生の真剣な、それでいて潤んだ瞳に、俺は断る気力を奪われる。駄目だ、この人の寂しそうな顔だけは見続けられない。
俺は悩み、心の中で一人の女の子に、今更だが謝った。ごめん、少しだけ、この人を慰める為だけ、許してくれ。
「キスまでですよ」
「それ以上って?」
黒崎先生が失笑し、まるで何かを補填するように、俺に覆い被さってくる。今度はゆっくりと、まるで味わうように俺の唇を奪い続けてくる。途中で震えている先生に気付いて、仕方なく背中をさすってやったのは、俺なりの男心である。
でも。
だからって。
「唾液まで流し込みやがったな、あんた」
「馬鹿だねぇ。その台詞を言わせたくてしてんのに」
体感的に五分もの間、俺は唇と、心をその人に奪われた。
「あぁ、もう。最低だこの人」
「別にもう生徒じゃないし、いいんじゃんか」
喉の奥に珈琲の甘い味と、煙たい味が流れている。後はたぶん唾液を入れられた。ちくしょう、何か負けた気がする。胃の中に憧れの人の体液が入っている、と言う状態がもうダメだ。もうすでに負けているんだが、最低だ。
先生はにやついていて、とても大人びている。この人に勝ちたい。子供心が勝る。ただ勝ちたい。
悪戯心を胸に秘め、俺はマグカップを手に取り一口含む。もう冷えている。俺はそれから、先生の傍に寄る。先生が俺に気付いて、笑んでいた。
「大人の味だったろう? 何? もっとしたい? ちょ、むっ」
煩いその人の唇を、問答無用で奪い去る。ついでに口の中に含んだ何もかもも、そいつの口内に流し込む。問答、無用だ。
「ぐっ、げっ、ごぶっ。ちょっと何すんだヒロっ!」
「お返しだ」
「ちょっ、むぐ」
今度は濃厚に、出来るだけ強めに唇を奪う。この人が先生だとか大人だとかを一切無視して、ただの女だと思い込んで唇と舌を施していくと、さすがの彼女も抵抗を失くした。静かに受け入れ、それからそっと、俺の身体を押し放した。
「どうだ、少しは分かった?」
「苦いんですけど」
「子供舌のくせに無理するからだ」
「馬鹿、あほ、おたんこなす。舌と一緒に苦い珈琲と唾液入れるなばかー」
もうこうなるとこの人は子供である。先生とは言い難い拙さの文句を言われ、してやったりである。俺は先生から離れ口元を拭った。せめてもの抵抗である。
「したくなるじゃんか」
「絶対無理。それは無理」
先生が目線で俺の股間へと興味を受けたのは、さすがに止めた。これ以上は無理だろう。先生の指が俺に伸びる前に、数歩後ろに下がる程度の、冷静さはまだ残っていた。
「……旦那さんと喧嘩でもした?」
「うん、ちょっと彼氏に振られた」
「浮気相手に?」
「浮気言うな。ちょっとした趣味みたいなもんだから」
黒崎先生は今更ながら、恋愛に対して自由な人だ。結婚もしているが子供はいない。子供が嫌いなのだろうと思っていた時期もあった。
ベッドの中で、子供が出来ない身体だと知ったのはそう昔の話ではない。
その穴を埋めるように自らの心を慰めるように、何かをしているのだとしたら、それを止める権利は俺にはない。ただ、思うのは。
「旦那も大事にしろよ」
「旦那も好きなんだけどな」
黒崎先生の言葉が本心かどうかは、子供の俺には分からない。大人の事情なんて子供の俺に解るわけがないけれど、それが本心だとしたら、やっぱり浮気はしてほしくない。
散々、キスしておいて何だけど。
「あそこ、痛くない?」
「めちゃくちゃ痛いですよ。全く大人げない」
「でも身体が火照ってきてさ」
「あんたの言いなりにはならない」
黒崎先生が四つん這いになり、豹のような仕草で俺に近付いてくる。畳の上に尻を置いた俺は、動けないでいる。ただ言葉だけで拒否をする。それが精いっぱいなのだ。
股間が、痛い。
「店の鍵、さっき締めたんだ」
先生の喉が鳴る。俺の喉は乾いている。大人の視線が、雄の股間をちら見している。逃げられない。俺の手に汗が浮く。
「今なら出来るよ? する?」
「黒崎先生、いい加減にしろ」
「ここで断ったらバイト首」
「ぐっ」
ぐさと、財政面に響く言葉を投げつけられた。きつい、いろいろきつい。先生の瞳が揺らいでいる。これ、完全に援交じゃねぇか。
でも俺以上に先生こそが苦しんでいる。たぶん、言った事を後悔している。そんな表情だ。
「あんた、大人げないぞ」
「そうだねぇ? たぶん、最低だと思うよ」
自分をそう評価した黒崎先生は、俺の頬に自らの頬を寄せ、撫でるようにして呟いた。
「あんたを愛してやるよ」
まるで娼婦のように、彼女は静かに、そう語った。
《続く》
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