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ひとたび恋してみてみれば10

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「っ、ごめん。早かったな」
「ううん。凄く気持ちよかった」

 挿入から射精までの時間は残念ながら短かった。

 初めましての挨拶のようなセックスを終え、姫子は入浴し、化粧を落としてしまった。今はすっぴん、と言ってもある程度は化粧をしているのだろうけれど、ほとんどを落とした姫子が居た。

 彼女は色白で、全体的に優しい印象があった。貴金属を外し、化粧っけのない姿に見惚れている自分が居る。豪奢な彼女も素敵だったけれど、これはこれで素敵だ。姫子は俺の隣に座り、とても清々しい顔をしてみせていた。

 ちなみに俺は射精済み。彼女はまだ、イってはいない。

「あとでリベンジいい?」
「……ぷ」

 俺の宣言に、姫子が軽く吹き出した。二人きりのホテルの部屋、先ほどまでの子供っぽさは成りを潜め、今の姫子は最初に出会った時と同じく、大人びて聡い雰囲気が全開だった。下手な言動は上げ足を取られかねない。

「すぐる君ってえっちだねぇ」
「幻滅した?」

 姫子の呟きは少しばかり男を下げるような発言で、けれど俺はおちゃらけて肩を竦めるにとどまった。姫子の言動から、俺を嫌う言葉ではないと推測できた。もっと本音を言えば、少々嫌われたくらいで諦められない、そんな彼女だ。

「全然、ちっとも」

 俺の問いに平然と答えた彼女は、少し強気な様子でそっと、俺に覆い被さってきた。まるで俺を襲うように、ベッドに押し倒した彼女が笑い、優しい笑みを浮かばせた。

「次は、私がしちゃう番かな」

 少し小悪魔的な笑みを浮かばせた姫子が、無防備な俺に押し乗り、唇を這わせ始めてくる。あっという間の第二ラウンド開始。俺らの気持ちはまだ、少しも落ち着いてはいなかった。

 逢瀬の時間はまだ続いた。そして今度は、彼女が俺に尽くすらしい。全くどうして、不思議で素敵な女の子ですこと。

 ○○○

「フリマっていつやってるんだ?」

 ひとしきり逢瀬を終えて、気が付くと俺らは一睡もせずに朝を迎えていた。互いに眠いはずなのに、テンションはやたらと高かった。

「来週かな」
「来週のいつ? どこで?」

 ホテルの支払いを終え、路上に出た俺の一言目がそれだった。姫子は目を丸くして、少し照れた様子を見せていた。ホテルに来た時よりは遥かに落ち着いた化粧っぷりだったが、世間的には少し派手だ。唇の紅はやはり昨日程ではないが、それなりに赤く派手だ。

 それこそが彼女であるという証のようだった。

 俺の腕にしがみ付いてくる姫子は可愛くて、このままホテルを出てさようなら、というのはどうにも勘弁だった。だから次の約束という意味合いも込めて聞いたわけだが、姫子はそれを知ってか知らずか嬉しそうだった

「来てくれるの?」
「というか参加の方かな。迷惑じゃなければ」

 断られるかもしれない。それでもいいと、俺は姫子の面持ちを覗くように尋ねた。姫子の唇が弓のように薄く広がり、笑みを笑みらしく形成した。乙女の笑顔が俺の前で咲いた。

「第二週、第四週の日曜日! 場所はね、ここから二駅ほど先の……」

 ホテル前のアスファルトの上で、嬉々として俺に告げてくる彼女の目は、一睡もしていないはずなのに爛々と輝いていた。それはまるで貴金属のように、煌びやかに光を放って眩しいほどだった。

「来て、絶対来て!」
「大丈夫だって、俺は嘘をつかない人だから」

 初めて会った時、この紅い唇はないと思った。この赤はないと思った。彼女はないと思った。この人とはないと思った。

 けれど、されど、なのだけれど。

 人は時として、決断を一瞬で覆す。平然とあっという間に。

 ひとたび恋してみてみれば。

 好きになれば、後はどうとでもなるという話。

 ○○○

 これは後日談。

「高いな」
「やっぱり高いよね」

 鉛筆で大学ノートに数字を記入しながら、俺はずれ落ちそうな眼鏡を中指で押し上げる。休日の夕方、フリーマーケットを終えて伊崎姫子の部屋に戻った俺らは、互いに互いの仕事をするのが日課となっていた。

 これは俺らが出会って数ヶ月が経った話だ。

「姫子、もう少し高くしないか?」
「でも買って貰えないと私泣いちゃう。って高いって今言ったのに」
「材料費が高いんだ。もう少し売り物自体を高くするか、材料費を削るかだな」

 姫子は部屋の隅にあるミシンでかたかたと次の服を作り始めていた。対して俺はと言えば、大きめの電卓を叩きながら、大学ノートに数字を書き込んでいる。生地代、糸代、型紙代に型紙代、ペン代と出来上がる服の数と値段を書き記しながら、簡単ながらに粗利を計算する。ここには人件費という姫子の作業的な金額を入れていない。それなのに一着服を作るのに掛かる金額と出来上がる服の値段に差があるせいで損をしている。

 それが今だった。当然、それではせっかくの頑張りが報われない。姫子の頑張りがどんどんと先へと続くように、俺なりの考察を繰り返していた。

 やっぱり服の単価を上げるしかないよな。俺なりの結論は既に出ていたが、姫子はイエスと頷かなかった。

「でも売れなかったら」
「売れるって」

 眼鏡を掛けた姫子が少し複雑そうな顔をしている。目の前のミシンを扱いながら縫う服は、次回のフリマ用だ。ちなみに俺が今着ている服は姫子作である。とりあえず俺は、彼女に同じ服を三着作れと頼んだ。

 今の姫子には、ピアスもなくネックレスもない。部屋着を着た彼女は少し野暮ったくて、けれどその瞳に宿る勇ましさと力強さは、俺の誇るべき彼女様そのものだった。

 ふかふかのソファーに尻を置いて、彼女部屋でひとつ伸びをする。それから静かに、目の前のノートに目を向ける。
 ただひとたびに、恋をしてみれば。俺は彼女を、必死に助ける側に居る。

「俺が保障する。お前の服は売れる」
「すぐるが言うなら、うん。わかった」

 俺は目の前に広げた伝票と計算機と、ノートを前に金勘定に勤しんでいる。暇潰しと称してする金額計算と資金計算、支出と収入の計算は、実の所俺の専売特許でもある。地味で細かくて、男らしくないと思うがしかし、姫子の役に立つなら良い。

「すぐるが言うなら、そうする」

 俺の言葉に彼女が頷く。化粧っ毛のない彼女が、俺の肩に凭れてきて、俺はそんな彼女の身を支えながら電卓を叩く。

 あり得ないと思った。けれど。

「すぐるが経理が得意とか、ちょっとあり得ないよね。日商簿記一級って凄くない?」
「昔から金勘定が好きだったんだ。実家が商売してるせいで、そういうのには煩いの。だから俺は裏方が好きなんだって」

 ただひとたび、彼女を愛してみてみれば。隠す事の何と馬鹿らしいことか。俺の全てを晒してなお、愛してくれる人であればこそ。それを見せてこそ、俺というものを理解してくれるとしたら。

「幻滅してるか?」
「え、逆でしょう」

 俺はただ、この人でしかありえない。

 そんな感じで幕を引く。あるいは新たな幕開けか。

<終わり>

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