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『食女鬼・前編』
其の四
しおりを挟む同日の逢魔が時、夕闇迫り慌ただしい菊花殿の時間を割いて、下臈『妹々』位以上の女御衆三百十二名は、広大な会堂へと集められた。閹官筆頭《寮部三役》じきじきの伝令では、いくら奉仕に忙しくても、無視することなどできぬ。
一体何事かと、不安がる女御連中を横目に、壇上へ上がった《菊花大夫》――追従する天狗面修験者――三百十二名の懸念は、いやが上にも増した。壇下には、彼女たちを招集した《寮部三役》に加え、侍従長、守役、内舎人、閹官家臣が、ズラリと居並ぶ。
一町四方、宝形造りの瀟洒な会堂広間は、水を打ったような静けさだ。
「親愛なる『姐々』に『妹々』たちよ。夕餉や閨房作りの奉仕で忙しい最中、集まってもらい、申しわけなかった。実はこれより、こちらにひかえておられる、夜仏深山の御聖人《朱牙天狗》殿から、大切なお話があるので、是非とも聞いて欲しい」
女帝・菊花大夫の言葉に、拱手でお辞儀し、恭順の意を示す女御衆。
畏怖と興味が相まって、うら若き乙女たちは、小声でささやき合う。
菊花太夫の紹介で、女御一同の前へ進み出た朱牙天狗。
壇上の曲彔へ座し、白払子を片手に、森厳な声音で、脅威的な託宣を降した。
「実はこの中に、鬼憑きの疑いある者が、数名まぎれこんでいるのだ。皆さまがた御自身には、まったく寝耳に水……不愉快な嫌疑ではあろうが、のちのちのことを考え、苦慮したすえ、菊花大夫様に、斯様な場を設けて頂いた。しかし皆さまがた、ご案じ召されるな。私の加持祈祷をもってすれば、必ず鬼業の障りが出る前に、邪鬼妖怪のたぐいは、綺麗さっぱり清め祓えます。私を信頼した上で、皆さまがたには是非もなく、指示に従って頂きたいのだ。ひいてはそれが、皆さまがた御身のためとなるはずですぞ。そういうことですので、どうか皆さまがたには、ご協力のほど、何卒、よろしくお願い仕ります」
広大な会堂に衝撃が走った。
女御衆一同は倉皇し、ザワザワと口さがなく、さえずり始める。
「この中に、鬼憑きが!?」
「嫌だわ……信じられない!」
「でも、夜仏山の《朱牙天狗》といえば、高名な祈祷師だわ!」
「私たち……これから、どうなるの?」
「大丈夫よ! あの方……見た目は、むさ苦しいけど、凄い神通力をお持ちですって!」
「なんにせよ、私には無関係ね!」
「ええ、勿論よ! 私でもないわ! 当然よねぇ!」
「じゃあ、誰が鬼憑きなのかしら? まさか、あなたじゃないでしょうね?」
「冗談はよして! 怒るわよ!」
「静かになさい! まだ、説話の最中です!」
天狗面修験者が、中臈《楓の方》を邪鬼祓いした……という噂は、すでに菊花殿中へ知れ渡っていた。ゆえに会堂の女御衆は、大きな驚愕につつまれたが、同時に安堵の吐息ももらした。高名な修験者に、加持祈祷してもらえるなら、鬼憑きの恐怖や懸念は、残らず消滅するだろう。
だがその時点で、誰も自分が「鬼憑き」呼ばわりされるとは、思っていなかった。あくまで、他者の鬼害を想定した上で、自分たちの生活安全を図るには、これが最良案だと得心したわけだ。女御衆は、再び拱手で賛同した。
「「「験者さまには、よろしくお願い致します!!」」」
壇上の《朱牙天狗》へ向けて、深々と低頭し、三百十二の玲瓏な女声が、大合唱する。
朱牙天狗は軽くうなずき、朗々と説明を続けた。
「これより、皆さまがたには一人ずつ壇上へ昇り、私の前を通過したあと、会堂より去ってもらいます。そのまま、ご自分の奉仕に戻って頂いて結構。〝鬼憑き〟だからと下手な勘繰りや、色眼鏡で見られることなきよう、後日あらためてお呼び出し致します。その際には、必ずや従ってください。では……前列の中臈君から順々に、普段通り歩いて、私の前を素通りしてください」
しばしの間、互いの挙動をうかがいつつ、御会堂内はざわついた。
やがて……意を決した最前列の中臈『姐々』が、続いて下臈『妹々』が、それぞれの侍女『娘々』を従え、歩き出した。朱牙天狗の指示通り、一人ずつ、等間隔で、壇上へ昇り、菊花大夫に一礼。不気味な天狗面修験者の前を、なるべく意識せず通過。再び階段を降り、侍従長・閹官一同へも目礼してから、ようやく会堂の出口へと向かった。
集まった女御三百十二名、すべてが立ち去るまで半刻ほどを要した。
この間、朱牙天狗は微動だにせず、次々と通過する女御の美貌を、面の奥の炯眼で監視し続けた。
侍従長や閹官、内舎人たちにも、ピリピリとした緊張が走る。
菊花大夫だけが泰然と、女御衆へ穏やかに微笑み、時折ねぎらいの言葉もかけてやる。
かくして、〝鬼憑き〟をあぶり出す恐怖の選別作業は、つつがなく終了。
御会堂は閑散となった。
壇上から、最後に降りた朱牙天狗へ、舎殿守役や、寮部三役、閹官一同の視線が集まる。
「あの、御聖人さま……なにか、判りましたか」
「随分と、素早く終えられましたが……今の寸刻で、〝鬼憑き〟が見抜けたのですか?」
不安そうに、面の奥をのぞきこむ後宮監吏一同に対し、朱牙天狗は力強くうなずいた。
「心配ご無用。あとは、すべて私におまかせくだされ」
なおも取り巻く官人をいさめ、菊花大夫が朱牙天狗をいたわった。
余計な質問や、煩わしい詮索を断つため、寮部三役を艶然たる微笑で促した。
「さぞやお疲れでしょう、御聖人さま。少し別室で、お休み頂いては如何かしら、宋寮部」
「尤もですな……では、ご案内仕る」
大夫のすすめに従って、寮部筆頭は異相修験者を導いた。長期滞在となることを想定し、菊花大夫じきじきに用意した居室へ、一行は向かう。
北東・奥御殿の、質素で静謐な離宮が、彼の仮住まいだ。回廊からは、中庭の深池が一望できる。そこはかつて、菊花大夫自身が起居していた部屋だ。
本殿から遠く離れてはいるが、その分、人目も避けられて、都合がよい。
菊花大夫、寮部三役、侍従長の上位守役は、ここで簡略な取り決めをしたのち、修験者の体調も気づかって、早々に、うやうやしく退室して去った。
「では後刻、会合を開きましょう」
朱牙天狗は板唐戸を閉め、閨房に横臥した。
しかし、このまま、ただ眠るはずがなかった。
家臣一同が散会し、夕餉の奉仕に向かって間もなく……板唐戸が、そっと開かれた。
足音忍ばせ、伽羅香漂わせ、楚々と室内へ入って来たのは……勿論、菊花大夫である。
「朱牙殿……よもや、眠ってはおるまいな」
玲瓏な女声に呼ばれ、跳ね起きた朱牙天狗。
蚊帳を押しのけ、寝台上に端座した。
「菊花大夫さま……眠れるはずが、ありません」
朱牙天狗はうきむき、小刻みに体を震わせる。
板唐戸へ錠を下ろし、大胆にも襦裙を脱ぎ始める天女の淫靡な肢体……朱牙天狗は、菊花大夫の白肌を、恐る恐る見つめながら、さらに激しく震え出した。
神通力を失った破戒者にもかかわらず、菊花殿女御衆へあらぬ嫌疑をかけ、監吏一同をあざむき……挙句の果て、天地ほどの身分差を越え、後宮の【女帝】と同衾する。
皇帝陛下の妾妃を、事実上、寝盗ったわけだ。
露顕すれば、単なる死罪だけでは、到底すまない悪行。国賊級の重罪犯である。
しかし、同罪の菊花大夫には、まったくおびえる気配がない。
「ふふ、愛い奴……震えておるのか? さぁ、そなたも、はよう着物を脱ぐのじゃ。天狗面も外せよ。素顔の方が、獣欲をそそられる」
朱牙天狗は、いまだ信じられぬという面持ちで、誇り高き美貌の女帝を仰ぎ見た。
畏れ多くも、甘美な戯れへの誘惑に、朱牙天狗は魅せられた。
夢見心地で、経帷子を脱ぎ捨てる。
「はよう! 妾はもう、待ちきれぬ!」
まぶしい裸体を隠そうともせず、菊花大夫は朱牙天狗の白装束を、乱暴に引きはがした。
天狗面さえ取り外し、土色の肌へ紅唇を当てる。透けるような白皙は、興奮で桜色に上気し、輝く碧瑠璃の瞳は、まっすぐ朱牙天狗の醜貌を見すえている。
天女は、その唇をむさぼった。
「ああっ……氷薙さま!」
菊花大夫の本名を呼び、柔肌をかきいだく。
朱牙天狗も、ついに欲望を抑えきれなくなったのだ。
高貴な上臈、美貌姫君と交わり、淫蕩な閨事にのめりこみ、朱牙天狗は忘我した。
狂おしいまでの交合が、やがて朱牙天狗の人間性をも、少しずつ少しずつ奪っていった。
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