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『旅路の果て』
其の八
しおりを挟む茅刈は震撼し、息を呑んだ。男として、これほど尾籠な過去を暴露するとは、あまりに自虐的ではないか。めまいを覚え、茅刈は思わず、土間にへたりこんだ。
闇の中で岱賦は今、どんな顔をしているのか……淡々と、抑揚のない言葉で、ことの顛末を語り続ける。
「男色なのか、両刀使いなのか、単なる欲求不満なのか、判らねぇ……けど、奴の所業は餓狼以下だった。まるで抵抗できねぇ俺を四つん這いにして、いきなりおおいかぶさったんだ。腸が、飛び出るような責め苦だった。その上、奴は俺の『逆鱗』をつかみ、手綱みてぇに引っ張るんだ……これが、どんなに堪えがたい痛苦か、お前に判るか? 奴は俺が絶命する瞬間まで、俺を蹂躙し嬲り続けた。俺が本物の夜叉と化し、黄泉還るまで……奴は俺の屍をさいなみ、猥褻な支配欲を満たし続けた……」
岱賦の告白は、壮絶をきわめた。
言葉に感情が伴わない分、岱賦を蝕む忌まわしい記憶は、茅刈を恐怖のどん底に叩き堕とした。同性で、しかも自分の境遇と、かさなる点が多い岱賦だ。自然と哀憐の情も湧く。
「僕は……なんと云ったら……その」
茅刈は、岱賦の過去を悼み、やりきれぬ気持ちになった。だがセリフの最後に、奇妙な云い回しがあった。絶命するまで、黄泉還るまで……と、彼は確かに、そう云ったのだ。
それは男としての自分が死んだ、という意味なのだろうか。さすがにそんな不躾な質問は、はばかられる。茅刈はただ、岱賦を憐れみ、暗闇へ顔を隠した彼の心裏を、丁重に気づかった。暗闇では、岱賦の影がかすかに揺らいでいる。
「これからでもきっと……麗佳さんのところへ戻れますよ、岱賦さん! 一緒にここを出ましょう! もしまた例の緇蓮族が襲って来たら、僕も命懸けで闘います! 僕にも妻があります……彼女に逢うための試練なら、僕は絶対に乗り越えて見せます! だから君も」
岱賦の方へ自らにじり寄り、泪目で懇々と諭す茅刈だった。先刻、殺されかけたクセに、なんともお人好しの茅刈である。しかし彼の親身ないたわりは、何故か裏目に出てしまう。
岱賦が、低い声でボソリとつぶやいた。
「俺が男の自負心まで捨てて、なんでお前にこんな醜聞話してるか……まだ判らねぇか?」
「……え?」
やけに篭った声である。圧倒的な怒気を孕んでいる。明らかに小屋の空気まで変わった。
茅刈は呆気に取られ、じっと闇中へ目をこらした。
岱賦の真意を、問いただそうと試みる。
次の瞬間、岱賦の影は急激に膨張し始めた。
『それは、貴様が……』
二重に響く声は、まるで獣の慟哭だ。
影は不気味にうごめき、優に八尺を越えた。
「ああ、啊っ……そ、そんな!」
最早、人ではあり得ない巨影。
腰が抜け、一歩も動けない茅刈に対し、異形の影はこうのたまった。
魂消る声で、獰悪に――。
『奴と、同じ顔してるからだ!』
「ぎゃああああぁぁあぁぁぁぁぁぁあっ!」
月明かりの下へ再び突き出した岱賦の顔は、まさしく〝鬼〟だった。
禍々しい柘榴状の複眼に、黄金の四つ目、卍に螺旋を描く巻角、とがった豺狼口は耳まで裂け、ザックリと鋭利な牙をむき出し慟哭する。
茅刈は、逃げる間もなく、禍々しい巨影に囚われ、鬼業の禍力を存分に味わわされた。
「嫌だぁっ……助けてくれぇぇぇぇぇえっ!」
黒光る獣毛におおわれた怪腕が、美貌の白面青年を女体へと変える。
ひしゃげた竹細工の腰帯、千切られた唐草紋の短袍、なめし革の笈摺りと裾細袴は疾っくにはがれ、無理やり開かれた下肢へ、鬼畜の猛りが突きこまれる。
「ぐわああぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁあっ!」
さらに、頭の黒布で口をふさがれ、茅刈は黄金の髪を振り乱した。天地が引っくり返るほどの衝撃で、茅刈は完全に忘我した。
醜悪な鬼畜が加える淫虐の凄まじさに、茅刈は堪えかねて失神。ドス黒い、狂気の底へと堕ちて往った。
〔暗転〕
――渓流のせせらぎ――澄んだ水――垂れ布をめくり、咽をうるおすひとすくい――鳥の羽ばたき――木陰の人影――画帳を見せて微笑む男――巡礼装の若い男は……黄金の髪に七宝眼――いや、黒髪に黒瞳――劫族だ――怒声にもおびえず、こちらを見ている――啊、そうか。この男……どうやら、耳が聞こえないらしいぞ――
「……りさん……茅刈さん!」
懐かしい女声に揺り動かされ、《茅刈》は漂う記憶の闇間から、ようやく引き戻された。
「はっ……!」
同時に、おぞましい鬼畜の蛮行が蘇り、茅刈は硬直したまま、再び凍りついてしまった。
滂沱の脂汗、開いた瞳孔、わななく唇、小刻みに痙攣する指、邪悪な黒い影におおわれる体……彼が自我を取り戻したのは、さらに寸刻後だ。心配そうに、かたわらで見つめる女の眼差しが、茅刈を狂気の悪夢から、救い上げたのだ。
「茅刈さん、しっかりして!」
汗ばむ額を優しくぬぐう手弱女は、あでやかな黒髪と朱唇、大きな瞳が印象的な、茅刈の愛しい妻女・真魚――彼女に相違なかった。
不意に、悪夢の冥暗で垣間見た、巡礼男の柔和な笑顔が思い起こされる。
茅刈は身を起こし、周囲を見渡した。
にわかには、信じられない。
そこは確かに我が家だ。
貧乏長屋の奥向きに位置する、せまいながらも心安らぐ若夫婦の城。
しかも、茅刈は元通り衣服を着ており、築地塀や岱賦、鬼畜につけられた傷跡もない。
部屋の隅には、商売道具の葛篭もある。
その上、目前には、夢にまで見た妻女の姿。
「啊っ、真魚! 逢いたかったよ、真魚ぉお!」
茅刈は、夢中で真魚の細身を抱きしめた。仄白い襦裙に、桜模様の霞帔をはおる真魚は、まるで天女だ。地獄の責め苦で、さいなまれ続けた茅刈にとって、女神より美しい妻だ。
「ねぇ、茅刈さん。一体どうしちゃったの? だいぶ、うなされてたみたいだけど……なにがあったのよ? 昨日は帰って来るなり不機嫌で、一言も口を利かず、床に就いてしまうし……疲れてるのかと思って、今までそっとしておいたけど……私、不安でたまらなかったわ。茅刈さん、旅先で、なにか嫌なことでもあったの?」
黄金の髪をなでながら、夫の青ざめた顔をのぞきこむ真魚は、憂いに満ちた表情である。
「僕は……昨日、ここへ帰って来たのか!?」
「ええ、そうよ。覚えてないの?」
困惑いちじるしい茅刈に、衒いなく答える真魚だ。茅刈は、彼女の言葉に悄然となった。
「だけど、僕は今まで……そうだ、なんで戻れたんだろう……あの廃村から、一体どうやって……弧堵璽爺さんや、白風靡族夫婦、それに、岱賦……いや、鬼畜は……どこへ……」
ブツブツと独語する茅刈に、真魚の懸念は、いよいよ増す一方だった。
そんな妻女の視線に気づき、茅刈は慌てて笑顔を取りつくろった。
身重の妻に、余計な心配をかけてはまずい。
「茅刈さん……まさか、記憶が戻ったの?」
「いや、ちがうんだ。なんでもないよ。多分、疲れのせいだな。酷い悪夢を見てたからね、すこぶる寝覚めが悪くて……哈哈。けど、真魚の可愛い笑顔を見れば、すぐ元気になるさ」
茅刈は、自分の肢をつねりつつ、もう一度、室内の様子をしげしげと観察した。
六帖間に箪笥と円卓、奥の厨には、夕餉の支度も整っている。
隣の寝所へ続く板戸は閉ざされ、衝立には、彼が着ていたなめし革の笈摺りが、かけられている。丸行灯は、壁板の節目やひび、土間のかまどや水瓶まで正鵠に映し出し、ここがまがうかたなき我が家だと、茅刈を納得させた。つねった肢は心地よく痛む。
〈夢じゃない……僕はいつの間に、ここへ!?〉
窓の外は薄暗く、時折、近所の顔馴染みが通り過ぎる。
すでに火灯し頃だと知るのは容易だ。
茅刈は、あらためて安堵の吐息をもらした。
〈すべて悪夢だったのか? それにしては、あまりにも迫真で不快な夢だった。いや、とにかく僕は無事、真魚の元へ帰って来られたんだ。あんな縁起の悪い夢、早く忘れよう〉
茅刈は、悪夢を振り払うため、愛する真魚を再度、引き寄せた。
真魚は一瞬、ためらったが、激しくもとめる茅刈に身を預け、唇をかさねた。
「茅刈さん、お腹空いたでしょう?」
「いや、夕餉はあとでいいよ。今は、君が欲しい」
「ねぇ、待って……茅刈さん、今夜は駄目」
さえぎる真魚を、今まで自分が寝ていた褥に横たえようとした途端、奥の板戸が開いた。
茅刈は瞠目し、真魚から身を離した。
「誰だ!?」
「夜分、畏れ入ります。お邪魔致しまして、申しわけありません」と、丁寧な言葉で己の不調法を謝る男声。悪人ではなさそうだが、衝立の影に隠れて、相手の姿はよく見えない。
「今日は兄さんの三回忌よ。それで兄さんのお友達が、わざわざ遠くから、法要に来てくださったの。云うのが遅くなって、ごめんなさい」
〈兄さんのお友達? そうか……彼女と山寺で知り合った日も、確か亡くなった兄上の七七日法要だったとか……今日でもう、三回忌か?〉
それにしては、妙な具合である。真魚が大切な年中行事――実兄の忌日法会を、今の今まで、茅刈に話さなかったというのも腑に落ちない。
真魚の兄は、画壇では、ワリと名の知れた墨絵師であった。
しかし三年前の春、新たな画題をもとめて出た旅の途中、突然行方知れずとなった。
その一年後、谷川付近で遺骨が回収された。
判官所役人の調べで、滑落し、動けなくなったところを、獣にむさぼられたことが判った。
但し、正確な死亡日時は判然とせず、三回忌というのも、二年前の遺体発見日から換算している。
とにもかくにも、そんな非業の死をとげた人物なのである。怪我で動けず、血の匂いに誘われた獣の餌食にされるとは……生前逢ったこともない義兄の死にざまは、茅刈を恐怖させると同時、遺族である真魚への愛情を、ますます強固にさせた。
法要は去年も行ったはずだが、果たして今日だったのか。いや、それ以前に、今日はいつなのか……記憶はアヤフヤで、どうもはっきり思い出せない。
なんにせよ、茅刈は衿を正し、端座した。客人がいるとは思わぬゆえ、体裁が悪いことこの上ない。客も居心地が悪そうだ。衝立の向こうで、咳払いしている。
真魚が起き上がり、その衝立をどかした。
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