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『最期の宴』
其の参
しおりを挟む「喂! 庭に、誰かいるぞ!」
障子戸の向こう側……蠢動する奇妙な影に逸早く気づいた佑寂が、指で示し声を荒げた。
朱茗と隆朋が酒盃を投げ、悪戯に破いた障子紙から、仄かな伽羅香まで漂って来たのだ。
「十六夜亭は、俺たちの貸切だぞ!」と、目をむく圭琳。翔雲は、猛々しい号令を発した。
「どうせ阿呆な酔漢が、迷いこんだんだろ! 体が鈍って辟易してたところに、丁度いいカモだ! 皆で歓待してやろうぜ! 手荒くな!」
これに佑寂、隆朋、榮旬、朱茗が、障子戸を蹴倒して続き、一斉に広縁へと飛び出した。
「そこにいるのは、誰だ!」
紅葉の絨毯を敷きつめた、釣殿右手の枯山水庭園奥に、怪しい二つの人影が佇んでいる。
「唵縛鶏淡納莫……唵縛鶏淡納莫」
胸の鉦鼓を響かせて六字陀羅尼を唱えるのは、緋裙に水干白装束、枲の垂衣、市女笠で素顔を隠した『白酒巫女』姿の娘であった。かたわらにかしずくのは、奇怪な半身男である。
背骨の彎曲した異形の体躯へ、質素な経帷子をまとい、口元だけ護布で巻き封じている。
不気味な面がまえに、炯々と光る瞳が強い。
「貴様ら……何者だ!? ここは、我らが貸切の別邸だぞ! 誰の許しを得て入った!」
単なる酔漢と、軽く考えていた青年官吏たちは、胡乱な男女の登場に、一瞬面喰らった。
白酒巫女姿の娘は、青年官吏たちの刺々しい罵声にもひるまず、庭先へ一歩進み出た。
「あそこを見なさい。あれは凶兆の忌月ですぞ。怨霊が、あなたたちの身命を狙っている」
そう云って、謎の女が白払子で示したのは、深池に写る鬼灯だ。
本来、水面に浮かぶのは、中天に懸かる弓形弦月の、正鵠な投影でなければならない。
だが深池で揺れる月は、狂気に赤々と満たされた、異相の十六夜月である。
驚き目を瞠る一同。池畔に面した回廊へ急ぎ、のぞきこむと、それは紅葉に群れ集まった数多の金魚がかたどる、見事な円陣だった。
「こ、これは……一体、どういう仕掛けだ!?」
「よもや、お前が妖術を用いたのか!?」
「しかも怨霊が我らの命を狙っている、だと!?」
「巫山戯るなよ! この大騙りどもめ!」
池の面で起きた珍事に、すっかり困惑した青年官吏八人は、ますます無礼な闖入者への憤怒を露にした。麻那は圭琳に命じられ、慌てて料亭主人を呼びに、母屋へと走り去った。
「女だからと容赦はせんぞ! 無礼者は手打ちにしてくれる! まずは正体を明かせ!」
広縁から庭先に降り、偃月刀を閃かす翔雲。異形従者が、女主人を守ろうと前に出る。
「タラク、下がりなさい。皆さまがたの仰る通り、まずは非礼を謝ります。あらためまして、自己紹介を……私は【閻浮提】の巫術祈祷師で《阿礼雛》と申す者。どうぞ、お見知りおきを」と、縁側の一同にうやうやしく低頭し、《阿礼雛》なる女が、市女笠を外した途端、どよめきが起こった。女の素顔は、あまりに美しすぎたのだ。
歳の頃は十六、七。透けるような白肌に艶めく朱唇、端整な鼻筋、稚児輪に結った黒髪、煌々と光る珠簪、長い睫に縁取られた双眸は青く輝き、魅入られそうなほど蠱惑的だった。
気高くも清楚で魅力にあふれ、羞花閉月とは、まさにこういう美貌を表すのだろう。
伽羅香は芳しく、手足を飾る瓔珞はさんざめき、五連の珠簪は心地よく響き、立ち居ふるまいも上品で、声音は玲瓏と澄んでいた。
神々しいまでの麗姿に気圧されて、生唾を呑む彩杏。大刀を落とす翔雲。腰砕けの榮旬。
女嫌いの隆朋も、色気より食い気の朱茗も、世事には無関心な佑寂も、閹官陰間の陬慎も、庭先に佇む美少女へ、視線は釘づけだった。
「これは交霊に用いる【生口/憑坐】で《タラク》と申す者。役目柄、生ある人との会話が許されませぬゆえ、そこはご理解頂きたい」
艶然と微笑する天女に、しばし呆然と見惚れる青年官吏たち……唯一人圭琳だけが、胡乱な眼差しで《阿礼雛》を睨み、詰問した。
「祈祷師だか、なんだか知らんが、お前らのせいで祝宴が台なしだ! 大体、お前らは本当に【閻浮提】の祈祷師なのか!? その薄気味悪い半身男も、渡来人だと云うのか!?」
【閻浮提】とは、大陸から離れた外海のはるか彼方にあるという、神秘的な島国だ。
女祈祷師の隣で《タラク》と呼ばれた異形従者は、深くうなずいて見せた。耳は聞こえており、国中語も解すらしいが、確かに近寄りがたい雰囲気をかもし出す異端者であった。
寸刻後、麻那に呼ばれて料亭主人《瓢馬》が、足音高く駆けつけた。四十なかばの色黒壮年は、広縁をはさみ対峙する官吏八人と闖入者二人の間に、青ざめた表情で割り入った。
「皆さま! これは一体……どうしたことですか? 麻那よ、なにがあったか説明しなさい!」と、瓢馬はいつもの癇声で、双方を見比べつつ、背後の新入り侍女を振り返った。
麻那は蚊の鳴くような声で、怖じ怖じと主人を仰ぎ見た。
「あの、こちらのお二人が、いきなり現れて、十六夜亭のお客さまがたに、奇妙なことを」
だが青年官吏たちの憤りは、《阿礼雛》の美しい素顔を見るや、綺麗に消し飛んでいた。
彼らは閻浮提美女に心奪われ、すっかり魅了されてしまったのだ。例外は圭琳だけだ。
「そうだ! こいつらは変な云いがかりをつけて、俺たちを脅迫したのだぞ! すぐに追い払え!」と、圭琳は険悪な怒声を放つ。瓢馬は、尊い血筋のご立腹に驚倒。
眦吊り上げて、庭先の闖入者二人を、厳しく威喝し始めた。
「脅迫ですって!? もし、お客人! 『十六夜亭』は今宵、『志学館』同期生の皆さまがたが、貸切でお使いの宴席ですぞ! 勝手に侵入されては、非常に困りますな! どこのどなたさまですか!?」と、普段の客用恵比須顔を、キリッと引きしめ問いただす瓢馬主人だ。色々と問題は起こす八人だが、いずれも高家出身の大事なお得意さまである。
機嫌をそこねてはまずい。
ところが庭先の美貌巫女は、視力のとぼしい瓢馬主人へ、意外な返答を投げかけた。
「久方ぶりですね、瓢馬殿。普請のあとも障りなく、ご商売はますます繁盛といった具合ですか。だいぶ景気がよろしいようで、安堵致しました」
聞き覚えのある美声に、今一度目をこらした瓢馬主人は「啊っ!」と、小さく叫んだ。
「な、なんと! 阿礼雛さまでしたか! これは、とんだ粗相を! その節は、大変お世話になりました……しかし何故、あなたさまが!?」
「喂、亭主……知り合いなのか?」と、翔雲に問われ、瓢馬は冷や汗をぬぐい、うなずいた。
「え、ええ。実はこちらの阿礼雛さまは、【閻浮提】より渡来して参られた高名な巫術祈祷師なのですよ。この十六夜亭を新たに普請する際、悪霊鬼難を祓って頂いた経緯がありまして、それからはたびたび加持祈祷をお願いしているという次第……ゆえに料亭の隅々まで、把握しておられるわけです。どうか皆さま、ご安心ください。阿礼雛さまの功力は、まことに霊験あらたか。閻浮提でも群を抜く、優秀な霊媒巫女さまであらせられるのです」
相手が判るや、回廊端に待機させておいた用心棒連中を、即座に追い払う瓢馬だ。
莞爾として、いつもの恵比須顔を取りつくろう。
しかし、上客を安心させようと《阿礼雛》の略歴を紹介した瓢馬の思惑は、かえって脛に傷持つ八人の懸念を、あおる結果となった。阿礼雛は再び八人の方を向きなおり、瓢馬にも納得してもらえるよう、静かに説明を始めた。
「これは悪巫山戯でも、脅迫でもありませぬ。皆さまの、御身にかかわる一大事。ゆえに無礼を承知で、ここへまかり越しました。祈祷師の性というものでしょうね。まずは平にご容赦を。そしてできることなら、瓢馬殿。これから悪霊祓いのため、しばし十六夜亭の宴席をお借りしたいのですが……お許し願えませんか?」
慇懃に、瓢馬へ一礼する阿礼雛だ。女主人にならい、武骨な異形従者も低頭する。
大恩ある祈祷師に、真摯な瞳で依願されては、無碍に断れぬ瓢馬であった。
難渋した表情で、十六夜亭の〝一夜主〟八人の顔色をうかがう。
「皆さまがた……あの、如何でしょう。阿礼雛さまの身元と神通力は、私めが保障致します。悪霊の障りが出る前に、お祓いして頂いた方が、皆さまの今後も安泰かと……差し出口をはさみ、申しわけありません。しかし【閻浮提式巫術】など、滅多やたらとお目にかかれますまい。後学のためにも、見て損亡はないかと存じます」
穏やかな口調で、宴席の開放を要求する瓢馬亭主に、青年官吏八人はイラ立ちを覚えた。
彼とは長いつき合いだ。悪意がないことは判っている。
だが正直、八人は怖気づいていた。内心では悪事の露見を危惧していたのだ。
その反面、阿礼雛の美貌と出自に、興味もそそられていた。昨今では、住劫楽土唯一の海港都市『南方燦皓』に船便が通い、閻浮提からの移住者も増えている……と、話には聞いていた。けれど、天凱府ではまだまだ珍しく、彼らも閻浮提人とはこれが初見である。
「奴ら、本当に【閻浮提】からの渡来人なのか? 今一信用できんが……どうする?」
「異形男はとにかく、あの女の美貌は見逃せん。このまま縁切りにしてしまうのは、あまりに勿体ない」
「確かに、別嬪だ……あんな美女は、今まで見たことがない! 俺は、どうしても欲しくなったぞ! お前らだってそう思うだろ?」
「けど、巫術祈祷師だぜ? 先刻の面妖な奇術も、常人にできる伎じゃない! 下手をすりゃ、墓穴を掘る結果にもなりかねんぞ!」
「私は神祇府の斎官として、彼女が行う交霊術には、大いに興味を惹かれますね。怖いもの見たさ、というのですか……『生口』と呼ばれた異形男の使い道も、気にかかります」
「やらせて見ろよ。但し、条件をつけるんだ。奴らが交霊にしくじったら、巫女を嬲り者にするぞ、と脅す。ニセ者ならそれで引っこむかもしれんし、自信があるなら、やるだけやらせて……あとはこちらも、好き放題させてもらう」
「なるほど……どちらにせよ、女は俺たちの玩具。重大な秘密をにぎっているなら、尚更だ。このまま帰すワケにいかんしな。亭主の目を盗み、従者もろとも口封じするって具合か。哈哈、そいつはいい」
「まずは余興の出し物を観覧。次は女を嬲り輪姦し、最期は剣劇で締めくくる。決定だな」
最終的に導き出された悪計に、八人は顔を見合わせ含み嗤う。
青年官吏……いや、【刃顰党】一味は残忍な密議をまとめ、振り返った。
「いいだろう。宴席を貸してやる。お前らの【閻浮提式巫術】とやら、見せてもらおうじゃないか。但し条件つきだ。しくじったら、阿礼雛……お前の体が慰謝料代わりだ。俺たちの好きにさせると約束しろ。嫌なら即刻去れ。勿論、無礼なふるまいにも容赦はせん」
口の端をゆがめ、北叟笑む翔雲。
広縁に居並ぶ七人も、虎視眈々と美しい生贄を見すえる。
だが阿礼雛は、少しも臆さず微笑した。
よほど自信があるのか、彼らの欲心に満ちた卑劣な要求を、あっさりと受け容れたのだ。
「それで結構。交霊にしくじった場合は、この体を皆さまがたに差し上げましょう。お好きになさってください。では失礼致します。タラク」
青年官吏たちの謀略とも知らず、阿礼雛は広縁から宴席に上がりこんだ。
不気味な異形従者《タラク》も、黙って女主人に追従する。
「皆さま、私は渡殿の方にひかえておりますので、なにかご不自由あらば、すぐにお申しつけください。そして、阿礼雛さま……よろしくお願い致しましたぞ。大切なお客さまですからね。くれぐれも粗相なきよう、悪霊祓いだけに細心してくださいよ。それから麻那、お客さまに非礼があってはならんぞ。よく考えて行動しなさい。無論、この意味、判るだろうね? では皆さま、とくとお愉しみください」
料亭主人の瓢馬は、話が上手く決着したことに胸をなで下ろし、早口にそれだけ云うと『十六夜亭』から歩み去った。男たちの酷薄な密談を、そばで聞いていた麻那だけが、覚束ない足取りで広間に入り、恐々と障子戸を閉めた。
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