鬼凪座暗躍記

緑青あい

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『鬼憑き』

其の弐

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「……こうして、一人諸国を変遷して参りましたが、このたび、僻地で恩師の訃報を受け、取りもなおさず天凱府てんがいふへ向け出立。ようやく昨日の夜明けに、御府内ごふないへたどり着けました。遠路はるばるたもとを濡らし、五年ぶりに故郷の土を踏むことができましたものの、所詮は破門のすえに放逐された愚鈍弟子。兄弟子たちには、僧門をくぐることすら許されず……沈痛な思いでさまよっておりましたところ、捨てる神あれば拾う神あり。やはり故郷は素晴らしい。どんな辛苦に打ちのめされても、常に誰かが支えてくださる。亡き恩師のお導きか、御仏の慈悲か……いずれにせよ、あなたがたのように清楚で美しく、心根優しい天女さまと、廻り会わせて頂けたのですから、こんな幸いはありません。御仏を信じ、一人孤独につらぬいて来た修行の日々が、今こそ報われた気がします……」
 天凱府の北方多聞区ほっぽうたもんく弥勒門町みろくもんちょう奈判利宿なばりじゅくの大通りに面した高家邸宅街。とりわけ豪奢ごうしゃな白亜大邸宅の裏木戸で、小綺麗な身形みなりの侍女たち相手に、弁舌をふるう薄汚い雲水行脚僧うんすいあんぎゃそう
 ボロけた墨衣においを背負い、血赤珊瑚けっせきさんごの数珠をかけた網代笠あじろがさの物乞い坊主だが、応対する侍女たちの瞳は、異様な輝きを見せている。
 うっとり頬に紅さし、シナを作る侍女たちの態度も、雲水の顔を見ればうなずける。
 ハッと息を呑むほど美貌なのだ。歳も若く二十二、三。色白で、鼻筋の通った端整な顔立ち、前髪をゆるくたばねた喝食装かっしきそう、柔和で上品な所作物腰。
 そんな目を惹く美青年が、憂いを含んだ表情で、切々と身の不遇を語った挙句、一宿一飯の慈悲をもとめてきたのだから、お多福ぞろいの侍女たちには到底、否と云えなかった。
 実は、聖戒王せいかいおうの別邸であるこの屋敷。昨日から、バタバタと慌ただしく、とても他人を泊める余裕などなかったのだが……侍女たちは彼の身柄を、安易に引き受けてしまった。
「今、家内が大事をかかえておりまして……なんのおかまいもできません。それでもよろしければ……どうぞ、私どもの〝宿坊しゅくぼう〟として、こちらへお泊まりを……」
 ここで云う〝宿坊〟とは、つまり裏に色目当てを含んだ誘いの隠語なのだが……美貌の雲水は、それを知ってか知らずか、さもうれしそうに微笑み、深々ふかぶかこうべを垂れて合掌した。
「お心づかい、ありがたく頂戴致します」
 雲水は侍女たちに手招かれ、うやうやしく裏木戸をくぐった。これが、聖戒王が使鬼しきの来訪を受け、新入り侍女三人が消えたと、屋敷内大騒ぎとなった翌日の昼下がりである。


 そして、翌々日の夕間暮れ。西方広目区せいほうこうもくく普賢門町ふげんもんちょうの、安生宿あすみじゅくに建つ荒れ寺でも、ちょっとした事件が起きていた。
 初更入しょこういりの梵鐘が鳴り響く中、仕事終いで家路を急ぐ人々の注意を留め、野次馬の垣根を作っているのは、怪しい修験者二人の加持祈祷である。
 朽ち果てて、草棘そうきょくはびこる境内の一画にこもを敷き、座禅を組んで念仏唱える僧籍主従。
 従者は、伸びた剃髪頭に兜巾ときんをつけた無精髭、朱の胴丸どうまると獣臭い皮衣をまとった、眼光鋭い僧兵風。今一人の上方うえかたは、黒寡頭くろかとうに梵字の頬当ほおあて口巾こうきんですっぽり顔をつつみ隠し、左前の経帷子きょうかたびらには羅紗らしゃ明衣あかはを合わせ、胸に銅鏡、琥珀こはく平数珠ひらじゅずをかけた、眼帯入道である。
 難儀そうに、左足を引きずる身障者だ。
 二人の前には、狂喜してむせび泣く物乞い女と、彼らの神通力で死の淵から生還したばかりの少年、ひしと抱き合う母子の姿があった。修験者と呼ぶには、いささか胡乱うろんな二人だが、見栄えはどうあれ、彼らが行った奇跡の霊験に、疑念を差しはさむ余地はない。
「ありがたやぁ、ありがたやぁ。お布施もできぬ物乞い親子に、深い慈悲をめぐんでくださる。お坊さまがたは、天帝てんていのお使者にちがいない。ありがたやぁ、ほんにありがたやぁ」
 物乞い女は、抱きしめた幼子ともども、地べたに頭をこすりつけ、山伏二人へ感謝の念を示している。彼女らが、この荒れ寺の境内に住みついたのは、数年前の大火のあとだ。
 子連れで物乞いする憐れな姿は、界隈でもワリと有名だった。
 同情し、食物や小銭をめぐんでやる者がいる一方、見苦しいとさいなむ非情な連中も多い。年端としはもいかぬ幼子が負った致命傷も、そうした心ない連中の仕業だろう。なんにせよ今まではいぶかしみ、半信半疑で見守っていた野次馬から、一斉に拍手と歓声が巻き起こった。
 騒ぎを聞きつけ、さらに集まった物見高い人々。熱気と喧騒でごった返す荒れ寺の境内。
 立ち遅れてわけが判らぬ者たちに、ハナから見ていた野次馬が興奮気味に熱弁をふるう。
莫迦ばかだな、お前ら! アレを見逃すなんてよ! あそこにおわす御坊ごぼうたちぁ、すげぇぜ!」
「さすが、霊峰で苦行を積んで来た《冥加天狗みょうがてんぐ》さまの神通力は、本物だなぁ!」
「まったくだ! いいものを見さしてもらったよぅ!」
「ホラ、泣いてる子供が見えるだろ? ありゃあ酷い裂傷で、腹がぱっくり開いちまって、瀕死の大怪我よ。それをあの坊さんたちが念仏唱えながら、こう……白払子びゃくほっすで二、三回なでただけで、傷口が綺麗にふさがっちまったのさ。お陰で子供は無事蘇生し、あの通りだ」
「まこと、天晴あっぱれな修験者よ。霊験あらたかな祈祷を間近で拝め、わしの寿命も延びそうじゃ」
 しかし、見逃した者たちにとっては、にわかに信じがたい話。その時、ズイと修験者たちの前に進み出た生酔なまよい男が、遅まきの気持ちを代弁すべく、口汚い妄言で罵り始めた。
「ナニが、神通力だ! 霊験あらたかな加持祈祷だ! どうせ、物乞い親子と申し合わせての、インチキ芝居に決まってらぁ! 皆の衆! 騙されちゃあ、いけねぇぜぇ!」
 これに驚き、ざわめく数多あまたの観衆。
 すでに、修験者たちの信奉者となった野次馬から、無礼な闖入者ちんにゅうしゃへの怒号が飛びかう。
「ほざくな、頓痴気とんちきめ! お坊さまがたの功力くりきは、本物だぞぉ!」
「見逃したのが悔しいからって、腹立ちまぎれに難癖つけるのは、やめろい!」
「そうだ! 酔っ払いは、引っこんでやがれ!」
 周囲から非難の集中砲火を浴び、イラ立つ生酔い男は、修験者二人への口撃を強めた。
「へぇ、そんな凄ぇ神通力を持っていながら、どうして自分の目や足は治せねぇのかねぇ。見逃しちまった俺たちのため、是非とも今度は御身おんみの不具合をば、その霊験あらたかな神通力とやらで治すトコ、見せてもらいてぇな。インチキじゃねぇなら、やれるはずだろ」
 すると、やはりあとから駆けつけた者が男に賛同し、ヤレ本物ならできるはずだ、俺たちが証人になってヤらぁ、と一緒になって囃し立てた。
 取り巻く人々の目は、今一度、奇跡を見られるかと真剣そのもの。この間、じっと瞑想し、念仏を続けていた修験者たちは、不意に押し黙り、鋭い眼光で男の顔を見すえた。
「邪鬼め、血迷うな! ここは亡者のさまよい出るところでない! く現世よりね!」
 寡頭僧かとうそうの大声一喝。男は魂消たまげて尻もちをつき、野次馬も圧倒され、思わずあとずさった。
「ふ、巫山戯ふざけるな! 畜生! そんな脅し文句で、俺が尻尾を巻くと思ってんのかよ!」
 青ざめた顔で、なおも強がる生酔い男。
 そんな男に、たばねた菖蒲葉しょうぶば羂索けんさくを手でしごきつつ、兜巾僧ときんそうが近づく。
「お前ではない。今の聖人しょうにんのお言葉は、お前に取り憑く邪鬼へ向けた神譴しんけんとおぼし召せ」
 その言葉に観衆はどよめき、慌てて男から遠のいた。
 当世〝鬼憑おにつき〟は、忌諱者きいしゃとして糾弾され、たとえ、それが謂われなき疑いであっても、身に降りかかれば一大事。親類縁者も、連座の死罪が常套で、身命に関わる禁句である。
 それを、大衆人垣の前で修験者に断じられては、男の立つ瀬がない。
 困窮した男は酔いも醒め、口角泡こうかくあわを飛ばしての猛抗議に出る。
「冗談じゃねぇ! このイカサマ野郎! 下手な狂言突かれた腹いせに、俺のメンツを潰すつもりだな? 下衆な卑怯者めぇ! これが神仏に仕える坊主の、することなのかよぉ!」
「安心するがよい。ひとたび大衆の面前で、口にのぼせた以上、このまま捨ておきになどせぬ。多少の痛みは伴うが、すぐにすむゆえ、じっとして動くなよ」と、云うが早いか兜巾僧。菖蒲束の羂索で、男の背中を九字になぞらえ、縦横に四度五度と激しく打ちすえた。
 すると、全身を痙攣けいれんさせ白目をむいて、男は滂沱ぼうだの脂汗をかき始めた。急な悪寒に身をかがめ、その直後ゲエッと吐瀉した男の口から、ムクムクと赤黒いムカデが這い出した。
 あまりのおぞましさに、悲鳴を上げる娘たち。
 酔狂な男連でさえ、目をそらす気味の悪さだ。
 そうこうする内にも、徐々に姿を変えながら、膨張していく鬼生虫きせいちゅう
 そこへ、寡頭僧が魔除けの焼緋塩しょうひえんを投げかけると、鬼生虫はジュッと嫌な音を立て、見る間に溶解して消えた。あとには、鼻を突く腐臭だけが残った。虫を吐いた当の男は、呆然と座ったまま、府抜けたように宙を見つめている。兜巾僧は、観衆に向けて宣言した。
「邪鬼祓いは、これにてつつがなくすんだ。この男も、数日が内には、正気を取り戻すであろう。さぁ、皆の衆も、疾く家路に着くがよい。鬼や魑魅すだまの邪念は、宵闇の中にこそ多くひそむゆえ……心に隙あらば、誰にでもって禍神まがかみぞ。精々気をつけられよ」
 確かに陽が落ちた辺りは、すっかり暗く沈んでいた。だが観衆は、なかなか帰るそぶりを見せず、いつまでも霊験あらたかな修験者二人への、拍手喝采をやめなかった。
 物乞い親子も平伏したまま、二人の足元から離れようとしない。
 さて、そんな時である。
「おっと。しばし、待たれよ。お訊ね申すが……冥加神山にて十年もの荒行を積み、天帝《摩伽大神まきゃだいしん》より偉大な神通力を授かったという《冥加天狗》とは、御坊に相違ないか?」
 仏具を仕舞い、莚をまとめる修験者たちに声をかけたのは、天衝棒てんつきぼうをたずさえた大柄な僧兵団だ。直綴じきとつ袈裟けさ、白い寡頭と額当ひたいあて、墨衣の背に〝三綱五常さんこうごじょう〟の訓戒を白抜きした彼らは、神祇府直隷じんぎふちょくれい抹香宗僧兵団まっこうしゅうそうへいだん】である。 
 強面こわもてぞろいの巨躯きょく団員は、いずれも聖真如族せいしんにょぞく出身者。右掌みぎてのひらに『おん』字の聖印が誇らしげで、いささか傲慢な荒法師だ。その数、三十三。
 片足引きの寡頭聖人は、臆することなく答えた。
「いかにも……我ら、冥加神山より下降した山伏。〝冥加天狗〟などと呼ぶ者もいるが」
「先刻より拝見させてもらったが実に見事な神通力、感服した。そなたらの霊力、まがうかたなき本物とお見受けする。そこで鬼祓いの神通力など、我らが主人の前にて是非とも、今一度、披露して頂きたい。ご同道願えるかな?」と、僧兵長らしき年嵩としかさのいかつい男が、威圧的な口調で訊ねる。取り囲む一同の眼力にも、否とは云わせぬ気魄がこもっていた。
 兜巾の従僧が、寡頭聖人に意見を仰ぐ。
うえ如何いかが
「ついに来たか。すでに先触れは受けておる。この場でくわしく語るまいが、さる高家姫君が鬼業きごうに切迫、愚僧の祈祷に一縷いちるの望みを賭け、お使者をつかわされた。ちがうかな?」
 寡頭聖人の、正鵠せいこくを射た先見に、僧兵団はハッと瞠目どうもくした。
 打って変わって敬意を表し、天衝棒と頭を下げる抹香宗三十三名である。
「……畏れ入りました。聖人さま、どうか我らが主人を助けるため、ご息女の鬼狂おにぶやまいを見舞っては頂けませぬか? 我ら抹香宗一同の切なる願い、是非にもお頼み申し上げます」
 遠巻きに見守る野次馬が目を丸くして、またも騒ぎ出した。話は聞こえぬが、いつも高慢でいばりくさった僧兵が、薄汚い山伏相手に平身低頭しているのだからいい見物である。
 寡頭聖人は兜巾僧に支えられ、立ち上がった。
「どこへなりと往きましょう。愚僧の先見では、あまり時間はないようだ……案内あないを」
 抹香宗は安堵あんどで表情をゆるめ、再び深々と一礼した。
 不自由に左足を引く寡頭聖人のため、僧兵たちが急ごしらえで板輿いたごしを用意する。
 かくして抹香宗に伴われ、鬼狂れ病の姫君と接見すべく、修験者二人は野次馬で騒々しい荒れ寺をあとにした。彼らが向かう先は【劫初内ごうしょだい北東艮区ほっぽうごんくに位置する、神祇府本陣だ。
 つまり、聖戒王家本邸である。そしてこれが、鬼灯夜ほおずきやの月齢満願二日前のことだった。
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