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『鬼戯子』
其の九
しおりを挟む「朴澣! 遅ぇじゃねぇか!」
冥加山麓に向かう林道で、落ち合った怪しい四人組が、巡礼に声をかける。
癋見の朴澣は、巡礼装を解いて、網代笠と一緒に渓谷へ投げ捨てた。
【鬼凪座】役者一味、勢ぞろいだ。
『これでようやく、一件落着だな。ぼんを、女に預けて来たのだろう』と、黒光る巨体の半鬼人《顰篭めの宿喪》が、ぶっきら棒に獣声でうなる。
今回は出番が少なかっただけに、不満の残る宿喪だ。
朴澣は「次回は、お前が主役だぜ」と、待ち疲れの宿喪を慰労し、背を叩く。
「ぼんは本当に、大丈夫なんじゃろうなぁ? なにせ、忌地の連中を説得するのに、かなり苦労したから喃! もしものことがあっては、顔向けできんよ!」と、瓢箪酒をあおりながらも、不安げな眼差しを向ける《一角坊》に対し、隣を歩く赤毛蓬髪の鬼面男《夜叉面冠者》が、こんな皮肉をのたまう。
「大事な『おんつぁ』の云うことなら、なんだって聞いてくれる連中でしょう。やはり惜しいと思いますがね。忌地で暮らせばお大尽さま、一生あぐらをかいて過ごせるものを」
「これ、夜叉面! 莫迦を云うでない! あんな暗い忌地の森で一生を送るなぞ、絶対に御免こうむるわい!」
ああ云えばこう云う夜叉面に、饒舌多弁な一角坊の口喧嘩は、すでに日常茶飯事である。
「心配要らねぇよ、坊。千那津に預けときゃ、ぼんの今後は安泰さ。しっかり者だからなぁ。張りきって奴の面倒見る内に、彼女の気もまぎれ、哀しみに煩わされるヒマも、なくなるだろうぜ」
千那津のことまで、実は深慮していた朴澣だ。
そんな仲間のやり取りを横目で睨み、いつになく静かなのは《夜戯れの那咤霧》である。
平時なら夜叉面と一角坊の舌戦に、必ず参加する男が、不気味なほど沈黙を守っている。
「喂。まだふてくされてやんのか、那咤。仕様がねぇ野郎だな」と、からかう朴澣に、那咤霧は口をとがらせ、到頭、憤怒を吐き出した。
「やかましい! 朴澣、てめぇ……いつから宗旨替えしたんだよ! 極悪非道の名演出家も、今度ばかりは、冴えねぇ脚本だったなぁ! 誰も傷つけず、人助けだぁ!? はっ! こんな三文芝居、莫迦らしくってやってられっかよぅ!」
一角坊、夜叉面、宿喪の三人は、那咤霧の怒るわけが判らず、肩をすくめている。
朴澣は煙管を悠々吹かしつつも、目を伏せてつぶやいた。
「誰も傷つけず……それはちがうな。今度の件じゃあ結局、関係者全員を傷つけちまった。俺の拙作な本で、那咤霧……お前までなぁ」
黒瞳と琥珀眼にまっすぐ見据えられ、那咤霧は気まずそうに項垂れた。珍しいことである。
「沙耶という娘……今頃、どうしているでしょうね、那咤霧」と、理由を悟った夜叉面が、それとなく那咤霧に、カマをかけてみる。
「黙れ、夜叉面! あんな女がどうだってんだよ! 俺の知ったことか! イラつくぜ!」
結果はてき面。皆が理解した。
触覚術に長けた色悪が、沙耶を篭絡するのに、詐術を封じ、本名を告げた理由。
やはり惚れていたのだ。
「ま、宗旨替えも、タマにゃあいいじゃねぇか。毎度毎度、血を流すだけが能じゃねぇぜ」
朴澣座長の言葉に、今は全員が納得しうなずいた。那咤霧も不承不承、首を縦に振った。
やがて、ねぐらに向かう役者五人の姿は、深奥な樹海の中へと、溶けこんで消え去った。
後日、判官所役人が捜索中だった殺人容疑者《橙諒銑》は、忌地で発見された。八年前、娘の玲凛を襲った鬼畜事件同様、諒銑の体は巨獣に喰い散らされ、見るも無惨な肉塊と化していた。諒銑は妾を殺したあと、忌地へ逃げこんで、鬼畜に襲われたものと断定された。
《ぼん》と呼ばれた白痴青年は、千那津の働きで、親類縁者の元へ引き取られ、穏やかに余生を送ったという。その千那津も数年後、ようやく行商人《笙弥》の求婚を受け容れて、『溝板界隈』から転居し、二人の子供をもうけた。
近所の話では、そんな夫婦と子供らの元へ、上品な初老の男が、お忍び風情で、たびたび訪ねて来たという。誰かは、云わずもがな、だろう。
同じ頃、紫瑛も沙耶を口説き落とし、結婚した。紫瑛は真面目に働き、さらに数年後には、絶縁状態だった生家とも、和解したという。
戸板づけで野伏川に上がった佳苗の夫《翠鶴》は、間もなく正気を取り戻したが、不気味な触手を操る怪士に、妻女と宅守を殺され、姑ともども憔悴。
追い討ちをかけるように、上位右判官の役職にありながら、醜態を晒し、世間を騒がせた咎で、蟄居閉門。燕家は到頭、断絶した。
遠く離れた西方広目区・大日門町『宝示戸宿』で、旅篭を切り盛りする仲むつまじい若夫婦こそ、実は野伏川を渡り、弥陀門町を出て、名前や出身素性を変えた、佳苗と紺慈であると知る者は誰もいない。
【鬼凪座】と、あの日、忌地で鬼戯子した、子供たち以外、誰も……。
『鬼戯子』 完
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