鬼凪座暗躍記

緑青あい

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『鬼戯子』

其の壱

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    ……鬼灯手鞠ほおずきてまり カラコロまろ
   天生夜神楽あもうよかぐらの 六施日詣ろくせびもう
   とと様かか様 達者で御座ござ
   神饌五穀しんせんごこくに 閼伽あかが良い
   蜻蛉玉とんぼだまいっぱい 手鞠に詰めて
   づきに 放りましょ
   鬼灯手鞠 カラコロ転ぶ
   阿弥陀あみだ神門みかどを ころげて回る……

 戊辰暦ぼしんれき八年、孟夏もうか胠月きょげつ天凱府てんがいふの東方持国区弥陀門町じこくくみだもんちょう戈宿かしこじゅく外れにある陰鬱な忌地いみちの中で、幼子の遺骸が発見された。惨たらしいことに、その娘は首をねじ切られ腹を裂かれた挙句、内臓を喰い荒らされていた。場所が場所だけに、鬼畜の仕業であろうと思われた。
 しくも、盂蘭盆うらぼん迎え火の日であった。
 そして以下は【忌地の童女惨殺事件】に関わりを持った、数少ない者たちの証言である。
『あの日も、そう……確かに五人いましたな。いつも一緒に遊んでいる仲良し童子ですよ。手鞠を持ってねぇ。ただ、唄がどうもいけません。ホレ、知ってますでしょう? 【鬼灯手鞠】の童謡わざうた。何度もダメだって叱ったんですけど、例の替歌の方ばかり唄うんです。あの子たちがここで駄菓子を買って、戈宿方面に向かったのは……うまの刻辺りだったかなぁ。なんにせよ子供らしい好奇心から、大人たちに禁じられてる場所を探検して見たかったんでしょう。その上、あんな禍唄まがうたを口ずさんでたんじゃあ、鬼に狙われたって仕方ないですよ。親御さんには心から同情しますが、あのに定められた運命だったんでしょうね……』
 御神籤おみくじ横丁の角に建つ、駄菓子屋主人の証言である。
 白髪まじりの初老店主は時折、まなじりに泪を浮かべながら、取調べ官に語った。
 実はこの駄菓子屋店主も、遠い昔に愛しい吾子あこを、不幸な事件で亡くした経緯がある。
『まちがいありません。子供たちがここを通過したのはの刻です。嶺仙寺りょうせんじの鐘が鳴ってましたからな。勿論、役職上の質問はしました。すると子供たちは〝親戚の伯母さんの家に往く〟……そう答えてますね。ええ、名前もこの通り。往き先以外に嘘はついていませんな。でも、そうですか。あの娘がねぇ……花柄刺繡ししゅうの赤い背子はいしを着た、可愛い娘でしたよ。うちの娘に、どことなく面差しが似てましてね。とても、他人事とは思えません……もう少し、くわしく話を聞いて、気づいてやればよかったのに……残念です』
 支母末宿きもまつじゅくと戈宿をへだてる、木戸番きどばんの証言である。
 人の往来があるたび、身元確認と動向調査を行うのが仕事で、各宿場町への、不審者の侵入をこばみ、お尋ね者の探索にも役立つ自警団だ。二十七、八の木戸番は、門附もんぷ屋敷で元気に遊ぶ吾子を見やり、早死にした娘の不憫さに心を痛めた。
『ああ、確かに見たよ。子供らが、【鬼灯手鞠】の替歌を合唱し、忌地の森へ近づいてくのをね。けどさぁ、まさか本当に忌地へ入るたぁ、思わなかったんだ。俺も仕事で急いでたし……もし判ってたら、絶対に止めたさ! えぇと、五人の様子ねぇ……皆、十歳前後、男の子が二人、女の子が三人だったかな。あまり自信はねぇんだけど……とにかく、あの唄だけは今でもはっきり覚えてるぜ。事件のあとは時々夢にも出て来るんだ……鬼灯手鞠、カラコロ転ぶ、鬼寄せ神楽の五墓日詣ごむにちもうでって……いけね、唄っちまった! 鬼にさらわれたんじゃ敵わねぇや! 俺は忙しいんだ。もうこれくらいで勘弁してくれよ、お役人さん』
 戈宿を拠点に廻る、飛脚ひきゃくの証言である。
 勇み肌の三十路男は、かすかに震えていた。子供たちが忌地に入る前、最後の目撃者である彼は、自責の念にさいなまれているらしい。
 取調べ判官の執拗な尋問を突っぱね、彼は走り去った。
『ぼく、知らないよ……鬼ごっこしてたら転んで、みんなとはぐれちゃったんだもん。だから一人で、森のそとまで歩いてって……みんなが出てくるの待ってたんだ。それで四半時しはんときくらいしたら、女の子たちが悲鳴を上げて逃げてきたんだ……うぅん、三人だけだった。沙耶さやちゃんとなえちゃんと、しょうくん……れいちゃん、ほんとに殺されちゃったの? 信じられないよ……もう、いっしょに遊べないんだね』
 忌地へ入った五人組の内、まともに証言できたのは、鵬家ほうけ紫瑛しえいだけだった。
 現場に居合わせたと思われる他三人の子供たちは、衝撃のあまり、しばらく口も利けない状態だった。とくに病弱な宋家そうけ笙瑞しょうずいは、そのまま療養所に運ばれたほどだ。
『……鬼灯手鞠、カラコロ転ぶ、鬼寄せ神楽の、五墓日詣で、とと様とと様、柘榴ざくろになぁれ、黄泉竈喰よもつへぐひの、血神酒酔ちみきえひ、埋葬虫しでむしいっぱい、手鞠に詰めて、真っ赤な茅の輪に、放りましょ、鬼灯手鞠、カラコロ転ぶ、不如帰門かえらずもんを、転げて堕ちる、鬼灯手鞠、カラ……』
 最後の証言者は、忌地で暮らす知恵遅れの物乞いである。
 まだ十四、五歳。薄汚い襤褸蓬髪らんるほうはつの少年だが、育てきれぬと親に放逐されたものらしい。
忌地にまう他の浮浪者や片端者かたわものの世話で、なんとか生き延びて来た、憐れな白痴はくちだ。
 彼が終始口ずさんでいたのは、災いをもたらすという鬼灯手鞠の替歌。
 取調べ判官が「もうやめろ!」と、叱責するまで彼は延々と唄い続けた。
 判官所の役人は当初、忌地内部に真犯人がいるのではないかと疑った。
 絶対不可侵の忌地に暮らす者たちは、誰も彼もすねに傷持つ怪士あやかしばかり。
 しかし確たる証拠も得られず、呪われた鬼業きごう穢土えどで長期間の調査を行うのは、役人たちにとっても命取りになりかねない。
 結局、残忍なやり口から考えて、鬼畜の仕業と推察するのが妥当であった。忌地で起きた怪事件……唯一の目撃者とおぼしき白痴少年からはなにも聞き出せず、怪士住民の激烈な抵抗もあって調査続行もはばかられ、事件はうやむやに処理されてしまったのだ。


 戊辰暦十六年の胠月、盂蘭盆の入り。
 あちこちの門戸に迎え火が焚かれ、御霊還みたまがえりの準備が整えられた、弥陀門町支母末宿。
 御神籤横丁の裏長屋に暮らす《千那津ちなつ》は、久しぶりに裏木戸から外へ出た。
 斜向はすむかいで、石燈篭に火を灯す老婆へ、軽く会釈する。
 ここは、板塀に囲まれた十六軒店じゅうろっけんだなで、通称『溝板界隈どぶいたかいわい』と呼ばれている。
 入り組んだ石畳の路地に、のきをつらねる狭小戸口から、貧民層の慎ましい生活臭が漂う、長閑のどかな一角だ。小柄で上品な【劫族こうぞく】の千那津は、夫と二人、この界隈へうつり住んで、もう十八年近くなる。隣近所とは常に一線を画し、病弱なせいもあってか、口数少なくうつむきがちで、あまり目立たない存在だった千那津。
 昼下がりの横丁を涼やかな風が吹き抜け、彼女の結髪をなでて往く。
 路地の入口、以前は駄菓子屋があった辺りで、童女たちが手鞠遊びに興じている。
 そんな幼子の愛くるしい姿を見て、千那津の胸には、わびしい感懐が黄泉還って来た。

 ……鬼灯手鞠 カラコロ転ぶ
   鬼寄せ神楽の 五墓日詣で
   とと様かか様 柘榴になぁれ
   黄泉竈喰ひの 血神酒酔ひ……

「こらぁ! そんな縁起の悪い唄、二度と唄っちゃいけませんって、云ったでしょう!」
 突然、怒声を発した千那津に驚き、童女たちが、わぁっと駆け出した。
 千那津は、童女たちが残していった手鞠を拾い、青白い顔に憂いのかげりを差して、大きなため息をついた。材木問屋に奉公中の夫は、仕事が忙しく滅多にここへは戻らない。
 実は、余所よそにかまえた妾宅へ入り浸っていることを、彼女はすでに知っている。
 だが彼女の深い懊悩おうのうは、夫の不貞が原因ではない。物静かな千那津が、唯一語気を荒げ、大好きな子供たちを叱咤する理由……今し方聞いた鬼灯手鞠の替歌にこそ、原因はあった。
「まったく近頃の童子どもときたら、罰当ばちあたりな替歌で手鞠遊び。怖い物知らずで困りますな。鬼灯手鞠のいわくも知らんと……鬼にさらわれたら、どうするつもりでしょうねぇ」
 背後の声に振り向いた千那津は、そこに馴染みの行商人を見つけ、無理に笑顔を作った。
「あら、薬屋さん。今月は早いのね」
 大きな薬箪笥くすりだんすを背負った、藍染前掛姿の行商人は、三十二、三の【壇族だんぞく】出身である。
 長身に白檀香びゃくだんこうをまとい、鼻筋の通った中々の男前だと、溝板界隈の妻女たちから人気があった。気さくな話上手で、真面目な人柄も好印象を与えていた。
 千那津の心も、ホッとなごむ。
「実は奥さんの顔が見たくなってねぇ。少し早いんですが、来てしまいましたよ。哈哈ハハ
 千那津は、単なるお世辞と軽く受け流して、行商人を裏木戸から家内かないへ招き入れた。
「今日は、顔色があまりよくないですね。ちゃんと、香蓮華シャンレンファ薬根湯やっこんとうを呑んでいますか?」
「ええ、云われた通り食後欠かさずにね。顔色が悪いのは、ふふ……歳のせいかしら」
 縁側に腰を降ろし、薬箪笥を広げる行商人へ、千那津は柔和にゅうわな微笑を浮かべて見せた。
 庭の金木犀きんもくせいが、橙の甘い花香を涼風に散らしている。
 男の優雅な白檀香もほのかにまじり、小さな庭は、穏やかな空気につつまれていた。
「そんなこと、ありませんよ。あなたはいつだって美しい。だからご近所の奥さまがたは、妙な心配をなさるんでしょうね。私が、あなたのお宅にばかり長居するものですから、間男の噂が立つと大変だ、亭主持ちのあなたに迷惑がかかる、と。それもあなたが美しすぎるせいですよ。これはお世辞なんかじゃない、私の本心です」
 いつになく真剣な、行商人《笙弥しょうや》の瞳が、千那津を熱っぽく見つめている。
 年下の優男やさおとこは、二人をへだてる薬箪笥を不意に脇へどかした。千那津は一瞬、ドキリとした……しかし、彼がさらに続けたセリフは、千那津を驚嘆させた。
「だが、こんなシケた薬じゃあ、あんたの心は癒やせねぇ。愛しい吾子を亡くした母親の無念……こいつを晴らすため、どうしても【鬼凪座きなぎざ】の助けが必要なんだろ、千那津さん」
 おもむろに行商人・笙弥の面と、白檀の匂袋においぶくろを外し、うそぶいた男の正体は、勿論……左半身が爛れた悪相琥珀眼あくそうこはくがんの【鬼凪座】座長――《癋見べしみ朴澣ほおかん》であった。
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