鬼凪座暗躍記

緑青あい

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『双つの心』

其の参

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おい朴澣ほおかん! 今まで、どこに往ってたんだよ!」
「黙って姿を消されては、心配しますぞ、座長」
「困った奴じゃのう! ん? なんじゃあ?」
『金袋だな。十万螺宜らぎは固い……ハテ』
 天凱府てんがいふ外れにある、毎度お馴染み三昧堂さんまいどう墓地は、六斎日ろくさいにち初更しょこうということもあって、閑散と静まり返っていた。ここで待ち合わせた鬼業きごう役者一味【鬼凪座きなぎざ】のメンツ――《夜戯よざれの那咤霧なたぎり》《夜叉面冠者やしゃめんかじゃ》《一角坊いっかくぼう》《顰篭しかみごめの宿喪すくも》は、ようやく現れた座長《癋見べしみの朴澣》を迎え、御堂内部の質素な円座へ、勢ぞろいしたところだ。
 長い間、待ちぼうけを喰わされ、だいぶイラ立っていた座員四名も、台座の上へドンと乗せられた革袋を見るなり、瞠目どうもくした。左半身が爛れた悪相琥珀眼こはくがんの座長は、胡乱うろんがる仲間たちへ、唐突に、奇妙な依頼を持ちかけたのだ。
「これが手間賃だ。上手く往ったら、さらに十万螺宜が入る予定だぜ。どうだ、乗るか?」
 ニヤリと北叟笑ほくそえむ朴澣、顔を見合わす座員たち。
 今回は、依頼主の姿がまったく見えて来ない。
「斯様な大金を、ポンと前払いするなんて随分、気前のいい依頼主ですね。何者です?」
 道服姿の赤毛鬼面男に問われ、朴澣は肩をすくめた。
 悠々煙管を吹かしつつ、言葉を濁す。
「そいつは、絶対秘密ってぇ約束でな。悪いが俺自身にも、はっきりと判らねぇんだなぁ」
 座長の態度に、いよいよ首をかしげるのは、長身の【巫丁族かんなぎひのとぞく】破戒僧だ。
 疑念で胸がつかえ、自慢の造酒鬼瓢箪さかつきびょうたんをあおる勢いも、常より乏しい。
「そんな、アヤフヤで胡散臭い仕事、よくも請ける気になった喃! 黙って出かけて往って、どこで誰と会って来たんじゃあ? よもや、女か?」
「喂、朴澣、らしくねぇぜ! 勿体つけた話し方ぁ、お前自身一番嫌うことじゃねぇか!」
『いかな事情があろうとも、依頼主の正体を明かしてもらわねば、信用できんぞ。朴澣』
穢忌族えみぞく】の美男喝食行者かっしきぎょうじゃも、訝るような眼差しを悪相座長に向けている。黒光る八尺巨体の半鬼人はんきじんも、いつになく及び腰で、誰も彼も皆、気乗りしていないのは明々白々だった。
「判じ物さ。ひとつ取っかかりをやろう。前々回の仕事と、かなり深い関係があるんだな」
 朴澣は、真剣な眼差しで仲間たちを見回した。
「前々回というと……例の後宮食女鬼うかめおに事件ですか? しかし、あの件は、すでに決着済みのはず……」と、疑問を投げかける夜叉面に対し、宿喪も同意してうなずく。
『何故、一年近く経た今、その事件をむし返すのだ、朴澣! どうにも、腑に落ちんな!』
 二重に響く獣声じゅうせいはイラ立ち、ささくれている。
 朴澣は口端をゆがめ、彼らの懸念を軽くなす。
「依頼内容を聞けば、やる気になるさ。あの時の依頼人……卑族ひぞく少女の《蛍拿けいな》を覚えてるか? 彼女を後宮監吏かんり闈司みかどのつかさ』邸宅から、救出するのさ」
 悪相座長の言葉通り、四人は《蛍拿》の名を聞いた途端、どよめき、過剰反応を示した。
「蛍拿……あの【戴星姫うびたいひめ】だな!?」
「彼女を、『闈司』邸宅から……救出!?」
「なんと! そんなところに、捕まっとったのか!?」
『それでは……あの娘、まさか、朱牙天狗しゅがてんぐの仇討ちを!?』
 ここに来てようやく、那咤霧、夜叉面、一角坊、宿喪の食指が動いた。
 彼らにも、大体の事情が呑みこめたようだ。前々回、彼女の依頼を受け、《朱牙天狗》救出に後宮菊花殿へ乗りこんだ【鬼凪座】……やむを得ずといえども、聖人を死なせたことが、今も彼らにとって大きな痛手となっていた。
 稀代の名役者、鬼業をも操る怪士あやかし一味が、初めて依頼を失敗した事件である。
「別れ際、あの思いつめた瞳……もう少し気にかけてやるんだったと、今じゃ後悔してるよ。蛍拿は、鬼業で操られ常軌を逸した朱牙天狗の名誉を、無慈悲に蹂躙じゅうりんした奴ら……また、自身の同朋【卑族】の無念を晴らすため、劫貴族こうきぞく皇帝への、復讐を目論んでたんだな。『戴星印うびたいいん』が露顕しやすいよう細工して、劫初内ごうしょだい正門前広場で、ワザと騒ぎを起こしたのさ。すべては《千歳帝せんざいてい》に近づき、己の手で殺す計画だ。無謀だぜ」と、苦々しい表情で、蛍拿の悲壮な覚悟をおもんぱかる朴澣。彼は事件直後、【劫初内】正門前に設置された捨て札の罪状と、天狗面を思い返し、胸を痛めた。元はといえば、【鬼凪座】の失敗が原因だったのだが……御上は、後宮を【食女鬼】騒動で紊乱びんらんした〝国賊〟として、《朱牙天狗》の名誉を地に貶めた。ゆえに、夜仏山よぼとけやまは入山禁止の忌地いみちとなり、あのような童謡わざうたが流行ったのだ。
 以前、蛍拿自身が口にした通り、《朱牙天狗》は、肉親を、仲間を、故郷を喪い、生きる気力まで喪いかけていた卑族少女にとって、まさに〝現人神あらひとがみ〟だった。
「つまり、自分の正体を明かし、貞操を捨ててまで、後宮への再潜入を図ったと……なんという娘だ! 確かに【戴星姫】ともなれば、皇帝陛下の目に止まることはまちがいないでしょうが、国家の最重要人物を暗殺しようなどと、あんな華奢きゃしゃな小娘に、でき得る所業ではありません! あまりにも危険だ! 無謀すぎます!」
 沈着冷静な夜叉面が、珍しく語気を荒げた。
 異相修験者に寄りそう、健気な童顔が目に浮かび、常に平静な彼の心をかき乱した。
「ところが、だ。後宮へ乗りこむ算段で、一芝居打った蛍拿を、我が者にせんと企んだ奴がいた。十二守宮太保じゅうにすくたいほう『闈司』姑洗太保こせんたいほうの一人息子《董楚白とうそはく》だ。そいつは、戴星姫を己の別宅に幽閉し、無理やりにも妻とする腹なのさ。それで今は、周囲の目から彼女を隠し、晴れの祝言を心待ちにしてるんだと。女好きの親父に似て、若君は相当な放埓者ほうらつものらしいぜ」
 悪相座長がもたらした依頼は、いつも饒舌な四人を緘黙かんもくさせ、重い空気で圧しつつんだ。
『皇帝に近づけぬでは、まったくの無意味だな』
莫迦ばかな真似を……貞操の捨て損じゃ!」
「だがこのまま、放っちゃおけねぇな! 戴星姫だろうと、そうでなかろうと、人種の垣根を越えて見た時、卑族ほど可愛い顔した女はいねぇよ! 高家の放蕩息子に、嬲らせとくにゃあ、あんまり惜しすぎるぜ! 蛍拿の美貌はとくに、だ!」
 那咤霧は、早くも淫靡な光景を想像し、鼻息荒げて意気込んだ。夜叉面は、長嘆息する。
「いささか気鬱ですが、彼女には少なからず負い目がある……やりましょう。但し、依頼主と金子きんすの出所だけは、是が非でも明かして頂きますよ、座長」
 すでに四人の心はひとつだった。
 しかし朴澣は、夜叉面の質問に対し、あえて嘘をついた。
「依頼主は……なにを隠そう、この俺なんだな。今まで方々金策に走ってたのさ。だから此度の仕事は、すまねぇが皆、俺のために頼むぜ」
 深々ふかぶかと低頭する悪相座長に、目を丸くする座員四名。
 だが、これ以上の問いかけは無駄だと、彼らも薄々気づき始めたらしい。
 夜叉面、那咤霧、一角坊、宿喪は、声をそろえて【鬼凪座】座長に、恭順きょうじゅんの意を示した。
『「「「承知!」」」』

 
――晩春の宵口に散り急ぐ桜花、深奥しんおうな緑の森に響く竹笛、郷愁を誘う長閑のどかな里山の風景。
《喂、大変だ! 皆、早く来てくれぇ!》
劫族こうぞくのガキが、虎挟とらばさみにかかったぞぉ!》
《俺たちの領域をまた、侵しに来たんだな!? そうはいかんぞ、国盗人め! ここは俺たちの土地だ! 貴様らが非人ひにん【卑族】と呼びさげすむ、俺たち【納曾利人なそりじん】の支配地なんだ! これ以上、勝手な真似は許さん! 貴様は、嬲り殺しだ!》
――流れ出る血潮が、新緑の絨毯に赤いシミを広げる。
 激痛と焦燥が、少年の体力気力を殺ぎ落とす。取り囲む男たちの殺気、激しい怒気が渦巻く視線に晒され、当年十三の少年狩人は怖気立った。浅黒く精悍せいかんな肌、波打つ長い黒髪、端整で彫りの深い造形は異国風である。ここは彼らが云うように、劫族の天敵【卑族】の統べる領域。無断で踏みこんだ上、獣用の罠に囚われ、深傷ふかでを負ったまま、見つかったのが運の尽き。狩衣行縢かりぎぬむかばきに身をつつんだ劫貴族少年『楚白』は、落馬の際、利腕も骨折してしまったらしい。これでは弓どころか、脇差すら使えない。彼の命は風前の灯だった。
《待って、あにさん。この人、怪我してる!》
――そこに現れた救いの女神は、愛らしい卑族少女だった。まだ十歳前後の、童顔である。
《蛍拿! 早くそこを、どきなさい!》
《御嬢! こいつは、我々の天敵【劫族】なのですぞ!? 怪我人だろうと、容赦はしない! これまで、無惨にも虐殺された、同胞の仇討ちだ!》
《まだ小僧とはいえ、相手は手負いだ! 見てみろ、あの小面憎い眼差し! 迂闊うかつに近づくと御身おんみが危うくなり申す! どうか、御嬢、聞き分けてください! 早くこちらへ!》
――革戦袍かわせんぽう鉄襦袢てつじゅばん、槍矛や山刀で身を鎧った野武士どもが、楚白に近づく少女をたしなめる。しかし『蛍拿』は、物怖じもせずこう云った。
《怪我人や病人、弱ってる人には、たとえ相手が誰だろうと、慈悲をかけてやるのが【納曾利人】のおきてでしょう? この子、狩りの途中で、きっと迷いこんだだけなのよ。それに仲間を殺した【劫族】の大人たちと、この子は無関係だわ。ねぇ、助けてあげましょうよ》
――楚白は驚愕した。卑族少女は、周囲の大人が止めるのも聞かず彼の傷口に触れた。
 虎挟に枝を差し入れ、華奢な細腕で強靭きょうじんなバネをこじ開けようと頑張る。場合如何いかんでは、卑族相手に刺しちがえる覚悟だった楚白の心に、不可思議な熱い感懐が湧き上がった。
 しかも卑族男は皆、彼女の云うことに従順だった。楚白へ刃先を突きつけ、いざという時の警戒こそおこたらぬが、結局は彼女の好きにさせている。
 彼女を『御嬢』と呼ぶ者もいた。
『蛍拿』……彼女はきっと、旧国【納曾利】王朝時代の、高貴な身分……姫君なのだろう。
《蛍拿よ……困った奴だな。お前は【劫族】の恐ろしさを、まだ知らん。今、この男を助ければ、のちのちわざわいの種になるやもしれぬのだぞ?》
――ため息まじりにつぶやきつつ、彼女の兄も虎挟の撤去を手伝い始める。他の男たちも、しぶしぶながら楚白の怪我を手当てする。蛍拿は、仲間の優しさに笑みをこぼした。
 戦々恐々と成り往きを見守る楚白にも、無邪気な笑顔を向けて来る。
《大丈夫。だってこの子、私とそんなに変わらない歳だもの。非道ひどいことなんてしないよね。ちょっと沁みるけど、この薬湯で洗えばすぐによくなるわ。だから、怖がらないで》
――蛍拿は躊躇せず、楚白の傷ついた右足首をさすった。
 続いて、痛々しい患部に薬湯を注ぐ。
 初めて訪れた狩場で、親とはぐれた手負いの獣は、敵意に満ちた瞳を、ほんの少しだけゆるめた。卑族少女を見る目に、最早、侮蔑の色はない。
《蛍拿……お前の名は、蛍拿というのか》
――少女は屈託なく微笑んだ。楚白の胸を打つ温もりに満ちた笑顔だった。周囲の卑族九人からも、すっかり怒気は失せていた。すべては彼女が持す、不思議な徳の力なのだろう。
《ねぇ、あなた……誰と一緒に来たの?》
――山桜の花弁、新緑に燃える森……いや、深紅にたぎって嘗め尽くす業火、おびただしい流血、怨嗟に満ちた目、断末魔の叫哭きょうこくとともに、美しい思い出は焼き尽くされた。
《お前なんか……助けるんじゃなかった》


 楚白は臥所ふしどの中、冷たい寝汗で目覚めた。
 花頭窓かとうまどの外は薄暗く、明け方はまだ遠い。
 赤々と燃えさかる焔、五年前の悲惨な悪夢に、彼の心は凍りついたままだった。
 体が強張って、上手く動かせない。楚白は、イラ立ちを覚えた。
「夢……あんな昔のことを……クソ!」
 ようやく発した怒声は、かすかに震えていた。
 当年十八の放蕩息子は五年前、父『闈司』姑洗太保に連れられ、初めて狩りに出かけた東国の未開区で、蛍拿と劇的な出会いを果たした。それが今、新たな悲劇の火種となって、再燃し始めた。蛍拿の兄が危惧した通りである。
 楚白は掛布をはねのけ、頭をかかえた。
「俺が命じたわけじゃない……親父が勝手に卑族の集落を……俺の、俺のせいじゃない!」
 季節は初秋の風をまとい、夏を……そして遠い記憶の底の晩春を、追いやってしまう。
 当事十歳だった蛍拿は今、美しい乙女に成長し、しかも戴星姫として、彼の手元にいる。
 願ってもない偶然だった。しかし、楚白の心は千々に乱れて、胸苦しいほど懊悩おうのうした。
「蛍拿は、俺を憎んでいる……だから、なんだ! 所詮は、非人卑族の小娘じゃないか! どうあつかおうと、主人である俺の勝手次第! 気に病むことなど、ひとつもないのだ! あれしきの怨言で、動揺するなぞ、俺としたことが……莫迦莫迦しい!」
 楚白は荒々しく長袍ちょうほうを着つけ、蚊帳をめくった。
 障子を開くと、目前には美しい中庭が広がる。
 深池みいけの周囲に回廊を配した四合院しごういんは、夜明け前の薄闇におおわれ、寂寞せきばくとしている。
 楚白は、この庭をながめると、いつも心が落ち着いた。かすかに湧き水の音が聞こえる。
 父親に当てがわれたこの別邸は、古めかしいが清閑で慎ましく、使い勝手も上々だった。
 劫初内の中心地にそびえ建つ、董家とうけ本宅に比べれば、部屋数も使用人も少なく、家財も質素で、小ぢんまりと見劣りするが、楚白は別邸を満たす、穏やかな雰囲気が好きだった。
 しかし、蛍拿を招き入れてからというもの、楚白の心はまた、荒み出した。 
 以前は、手に負えぬ乱暴者で、敬愛する父親や、古参の宅守やかもりたちを、随分とてこずらせた経緯がある。
 それは、病弱だった母親の死に起因しているのだ。
「あんな小娘……なにを恐れることがある!」
 楚白は、険悪に顔をゆがめた。普段は、起床とともに侍女を呼び、すべて人まかせにする作業を、黙々と行った。乱れた元結髷もとゆいまげもそのままに、簡単な身支度を整えると、慌ただしく居室を出た。向かった先は、彼の居室からも見えた中庭深池の、六角釣殿つりどのである。
 
 戴星鳥うびたいどりを閉じこめた、巨大な鳥篭だ。回廊途中ですれちがった老家宰ろうかさい典磨てんまを、楚白は完全に無視し、歩を進める。彼の視線は、鳥篭しか見ていなかった。
 典磨に呼ばれ、武官・李蒐りしゅうも馳せ参じたが、楚白の様子は尋常でなかった。
 声をかけるのもはばかられるほど、不穏な気配をまとっていた。
「若君は、あの戴星姫に、魅入られたのではなかろうか。わしは、心配になって来たぞ」
 白髭典磨の懸念は、李蒐にとっても頭の痛い問題だった。
『戴星印』を持すからとて、相手は所詮、非人【卑族】の小娘である。家名の徳を生すため、名ばかり妻にするのは結構だが、今の楚白は卑族娘に夢中だった。多分、彼自身は否定するだろうが、長年傍仕えする重臣二人、典磨と李蒐だからこそ、断言できるのだ。
「若君は、あの娘と同衾どうきんするつもりじゃぞ。これは、名門董家にとって忌々しき事態じゃ」
「うむ……同感ですな、御老体」
 白髭老爺と眼帯武官は、釣殿太鼓橋を渡る楚白を見送り、深刻な表情で長嘆息を吐いた。
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