定命享年十方暮

緑青あい

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鬼灯夜猩々緋

『其の十三』

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定命享年十方暮じょうみょうきょうねんじっぽうぐれ】《鬼灯夜猩々緋ほおずきやしょうじょうひ

      ……おん 阿謨伽あぼきゃ 尾嚧左嚢べいろしゃのう……


 今度はなんと、巨木の根元から、例の不気味な諷経ふぎんが聞こえて来た。

    またも七人を包囲して、先刻より一段と明瞭かつ大仰な響きで迫る。

「畜生! 好い加減、姿を見せんかぁい!」

    六呂坊ろくろぼうが目をむき、大喝したと同時、彼らを支える樹冠じゅかんが、パチパチとくすぶり始めた。

おい! なんだか……キナ臭ぇぞ!」

「危ねぇ! 逃げろぉ!」

 間一髪、慌てて地面に着地した盗賊ども。

    瞬時に樹冠を紅蓮の業火がつつみ、一同唖然として、燃えさかる巨木を見つめる。

    だが総毛立つ周囲の異変に、皆の視線が八散するや――、


     ……摩訶母捺羅まかぼだら 摩抳まに 鉢納麼はんどま

   入縛攞じんばら 鉢羅韈哆野はらばりたや うん……


    ついに諷経の主が、姿を現した。

    円陣を組み、【打雷ダーレイ】一味を待ちかまえていた敵方の正体は、九人の怪しい雲水だった。

    一様に網代笠あじろがさ、墨染め僧衣、血赤珊瑚けっせきさんごの数珠、錫杖を立て、九字の印契いんげいを結んでいる。

「おのれらぁ……何者じゃあ⁉」と、六呂坊が天衝棒てんつきぼうを突きつけて、鼻息を荒げる。

    今までにない危機を察知、耳をつんざくほど派手なクシャミが三連発だ。

「よぅも俺ッチらのねぐらを、好き勝手にかき回してくれたわなぁ! その上、仲間を焼き殺しやがって! 不作法な礼儀知らずどもめぇ!」と、我楽がらくも二刀を向け、いきり立つ。

「ふざけんじゃねぇぞ、おどれらぁ! 祝宴を台なしにしやがって! 今宵こそ必ずあにさんを落とすつもりで、手筈を練ってたってのによぉ! 邪魔しやがって、クソがぁ!」と、耳を疑う猛々しい咆哮を発したのは、朱彌あけびである。地を出しては、折角の美貌が台なしだ。

 激昂のあまり淫猥な悪計まで自ら吐露した彼を横目で睨み、殉斎じゅんさい独鈷杵とっこしょを打ち鳴らす。

「貴様らが【冥罰宗みょうばつしゅう】か! 神籬森不侵区ひもろぎもりふしんくにある『如去霊廟にょこれいびょう』の、神籬守斎官ひもろぎもりさいかんだろう!」

    无人むたりの鋭い詰問きつもんで、不意に読経がやんだ。陰鬱な空気、押し黙る九人。

    息が詰まるような重い静寂を打ち破り、初めに口を開いたのは、『臨』の印契を結ぶ頭目格らしき僧侶である。網代笠を少しだけ上げ、眼光鋭く无人を一瞥する。但し、僧侶とは云っても身形だけで、実際はまだ若く、青白い肌と冷徹な黒瞳を持った、元結髷もとゆいまげの男だ。

「……中々、面白い男だ。見事、我らの火焔地獄より脱出した功に免じて、命の猶予を与えてやったのは、正解だったようだな……」と、鼻筋の細い上品な顔立ちは微笑すら浮かべていたが、情の通わぬ冷酷無比な印象が色濃くうかがえる。さらに注目すべきは、額に垣間見えた朱色の【裏九曜印うらくよういん】である。壊劫穢土えこうえどの獄卒鬼を示す《九鬼曼荼羅くきまんだら》の御験おしるしだ。

「いいだろう。冥土の土産に、教えてやろうではないか、皆の衆。自分の命を奪った者の名すら知らぬでは、冥界十王めいかいじゅうおうの前で恥をかく。それでは、あまりに憐れというもの……」

 口端に不敵な自信をたたえ、仲間を促す頭目僧。八人から忍び嗤いがもれた。

    怒り心頭の六呂坊を制し、无人は九人の出方を待った。

    その甲斐あってか、やがて網代笠を外した謎の僧侶たち。

    ようやく正体を明かし始めた。

臨啓僧正りんけいそうじょう」と、落ち着いた声音こわねで云う頭目。

    高位出身者の聡明で優雅な物腰だが、全身をよろう呪気の重さは、他八人の比ではない。

兵牙童子ひょうがどうじ」と、少年らしい澄んだ高声で云う『兵』の印。

    鉄製のをたずさえ、前髪一房が白く、仄かな白檀香をまとう【栴檀族せんだんぞく】である。猫科の動物を彷彿させるしなやかな四肢の持ち主で、潤んだ紫瞳しどうがいかにも小悪魔的な美童だ。

闘舜不動とうしゅんふどう」と、雄々しく荒れた胴間声どうまごえで云う『闘』の印。

   肩に重厚な砲火銃ほうかじゅうを担ぎ、色黒の堂々たる体躯と、无人に似た焔髪えんぱつが【緋幣族ひぬさぞく】の出身を物語る。いかつい強面は無精髭を生やし、黄金の眼窩がんかに刀傷を持す、筋骨隆々の大男だ。

者慙信士しゃざんしんし」と、歯切れよく中性的な美声で云う『者』の印。

   唵字おんじ入りの朱塗り木箱を背負い、適度な筋肉をまとった長身は、胸元の人骨首飾りから察するに、【嬪懐族ひんかいぞく】女戦士である。元結髷の男装がよく似合う、性分勝気な若武者風だ。

皆宣居士かいせんこじ」と、くぐもった低い濁声で云う『皆』の印。

   網代笠を唯一人垂布でおおい隠し、鎬造しのぎづくりの長剣を帯刀している点から、多分【緇蓮族しれんぞく】だろう。見た者を殺すという素顔は、まったくうかがえぬ分だけ禍々しさが増す黒衣姿だ。

陣阿弥猩々じんあみしょうじょう」と、クセのあるかすれた癇声かんごえで云う『陣』の印。

   琵琶ピーパを背にかけ、強烈な酒気を漂わす赤銅色の肌はまさに猩々。天狗の如き鼻が滑稽な太鼓腹の肥満漢で、腕だけ長く体毛は濃く、【野獣八卦族イエショウはっけぞく】の血筋とおぼしき猿面冠者さるめんかんじゃだ。

裂左右坊れっそうぼう」と、邪気を孕んだ陰鬱な悪声で云う『裂』の印。

   両手足や首に幾重もの金環が光り、不気味な魚鱗でおおわれた全身の皮膚は【箍環族たがわぞく】の証である。細編み筋状の毛髪が爬虫類の如くうごめき、相手を射すくめる蛇眼の持ち主だ。

在蓙翁ざいざのおきな」と、穏やかな老年の、寂声さびごえで云う『在』の印。

   長い白髪を腰帯代わりに巻いた【白風靡族はくしびぞく】で、短命種には珍しく、腰折れ片足引きの好々爺こうこうやである。だが灰白かいはくの瞳の奥には、悪意が爛々と煌めき、往年の猛者もさを宿したままだ。

前拿巫女ぜんなみこ」と、鈴のように玲瓏れいろうな女声で云う『前』の印。

   首から鉦鼓しょうこをさげ、薄荷はっかの香気を放つ【唯族ゆいぞく】の娘である。束髪の毛先だけ赤い夜盲症の血統は、両目を閉じてなお、華奢で繊細で麗しく、おおよそ殺手さってには不向きな美少女だ。

   七人いずれの額にも、網代笠の陰に【裏九曜印】が確認できた。

   緇蓮族の男にも、験は当然あるのだろう。

   ともあれ【打雷】一味を小者と見くびり、余裕綽々な態度は、どうにも腹に据えかねる。

   イラ立つ无人の後ろでは、鵺雛ぬえびなが震えながらも一心に、敵方へ目をこらしている。

   鵺雛は彼らが名乗るたび、鳩尾丹田みぞおちたんでんの辺りを穴が開くほど見据え、首をかしげていた。

「我らの名は《九鬼曼荼羅冥罰衆くきまんだらみょうばつしゅう》……いかにも先刻承知の通り。神籬守斎官の命を受け、神聖な婚礼の斎庭ゆにわを穢し、出奔した、そこな『天帝てんていの花嫁』を迎えに参上した。逆らわずに大人しく、花嫁を渡すことだ。さすれば罪深き貴様らにも、まだ延命の余地はあろう」

   やはり九人の狙いは那由他なゆた

   无人は気を失ったままの姫君を抱き、琥珀の凶眼に殺気をみなぎらせ、九人を糾弾した。
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